05ハミルトン姉は、こうしてお見合いをした
領地にいるお父さまには、どうしようかと迷ったが、ひとまずは手紙で事の次第を伝えることにした。
手紙の往復に、一週間はかかる。
来週の今日が少しだけ怖くなりながら、どことなく落ち着かない気持ちで過ごしていたが、次の日にマーラ伯母さまから、おとないを問う手紙が送られてきた。
先日の件の確認だろうと思い、了承の返事を返せば、翌日には訪ねていらした。
ミハエルに話しても反対されなかったが、お父さまには手紙を出したばかりなので、まだ返事が届いていないことを伝えると、伯母さまは鷹揚に頷いた。
「分かりました。では、明日お見合いをしよう」
「――えっ」
先日、よく考えろと言ったばかりではなかったのか。
話が急展開すぎて、いささか置いてけぼりになる。
「お見合いといっても、まだまだ仮よ。貴女の結婚相手を探しているなんて、誰も知らないわ。そうね、少し趣向を凝らしたお茶会だと思えばいいかしら」
「――あ、あの、でも」
「貴女の苦手意識が、どれくらいのものなのかも確かめておきたいのよ。そのための前哨戦というヤツね」
「……で、でも心の準備が」
「あら、出来ていなかったの? 心の準備」
ちょっと意地悪めいた口調だった。
確かに、結婚相手を探して欲しいと頼んだのは私である。
でも、相手の下調べや都合を整えるためには、いろいろと手順や手続きがあるだろうから、来年の社交シーズンまでは猶予があると思っていた。
「…………」
いや、猶予だとか言っているから、私は駄目なのだろう。
そういう弱腰な考え方から、改めないといけないのだ。
「――わ、わかりました。 よろしくお願いします」
その日、マーラ伯母さまはハミルトン邸に泊まり込んだ。
お見合い兼お茶会は、このハミルトン邸で催すつもりらしく、今日丸一日を使って明日のセッティングするのだと意気込んでいた。
勝手知ったる元実家だけあってか、新参の使用人たちが公爵夫人にたじろごうとも、てきぱきと人を配して動かしていった。
帰宅したミハエルを交えた夕食の席で、伯母さまは明日開かれるお見合い兼お茶会の計画を披露してくれた。
一対一の会にするわけではなく、他にも何人かお呼びするようで、そのほとんどは女性のようだった。そして仮のお見合い相手には、近衛騎士の方をお呼びするつもりらしい。
どのような方なのか、ミハエルが質問すれば、女性に対してかなり細やかな気配りの出来る人で、分かりやすく言うとフェミニストのようだった。
その他にもいくつか質問されるが、伯母さまは会ってからのお楽しみだからと言って、多くは話してくれなかった。
最後に、私に決して無理をさせないよう、ミハエルがマーラ伯母さまに何度も念を押して、その夕食は席は終えられた。
翌日、伯母さまは朝から大忙しだった。
屋敷の中庭に3つの丸テーブルを用意して、人数分のカトラリーを並べていく。
マーラ伯母さまはセッティングしているのは、最近では、すっかり定着してしまった英国式のお茶会である。
英国式お茶会の最大の特徴は、ティーフーズと呼ばれる食べ物を提供することだろう。
三段の独特な形をしたティースタンドに、下からサンドウィッチやスコーンなどの軽食、次にケーキやマカロンなどの洋菓子、一番上には一口サイズのキャラメルや砂糖菓子などを置いていく。
食べるときは、下から順番に食べていくのがマナーだとか、大勢でいただくときには、スタンドからお皿と一緒に取って、自分の分を取ってから次に待っている人に回すだとか、そうしてマナーらしいマナーの無かったお茶会に、美しい所作やマナーを持ち込んだのも伯母さまだった。
セオドア公爵夫人たるマーラ伯母さまが、王妃様をお招きしたお茶会でご披露し、たいそう気に入られたことで、婦人会の垣根を越えて爆発的に広まった。
伯母さまに英国式のお茶会や、お菓子類について仄めかしたのは私だった。
この世界で再現したら、さぞかし画になるだろうと思ったのがきっかけで、伯母さまには日頃からお世話になっているから、これで恩返しになれば御の字だと思っていたのだが、思った以上に反響はでかかった。
アフタヌーンティーにふさわしい時間帯になると、次々にお客様が到着される。
伯母さまの婦人会でも、伯母さまと特に仲の良い方々ばかりが4名ほどいらして、3つあった丸テーブルに、2人ずつ座っていく。
そして最後に、近衛騎士様が到着される。玄関ホールにてお出迎えするが、男性の礼服を着込んだ人影は3つもあった。
3人もいるなんて聞いていないっ!
想定外の事態に、思わず下を向いてしまった。
お迎えの対応は伯母さまがするから、かろうじて逃げ出さずにいられたが、近づいてくる気配に心臓が早鐘を打ち、涙が出てきた。
「本日は、お招きありがとうございます」
「こちらこそ。お忙しいのに、お付き合いいただいて」
「……?」
何かおかしかった。はじめに挨拶を述べた人の声は、音域がやけに高かった。
恐る恐る顔を上げれば、男性用の礼服を着た近衛騎士様の一人がこちらを見ていた。
「ロゼット・ハミルトン様ですね。はじめまして、シスカ・ベルフラウと申します」
そう言って、美しい微笑みを浮かべる。
その人は、長い赤毛を後ろで束ね、ワインレッドの瞳をほころばせていたが、その線の細いかんばせは、どこからどう見ても女性のものだった。
3つのテーブルに、女性が3人ずつ座っていた。
しかし、その内の3名は、男性用の礼服に身を包む男装の麗人である。
近衛騎士様に間違えはないが、王妃や女性王族の護衛を専門とする女性騎士の方々だった。
各テーブルに1人ずつ、うっとりと心奪われているご婦人たちに挟まれるようにして、優雅な午後のお茶に興じている。
かくいう私も、男装の麗人を前にそわそわしてしまう。
耽美の世界をのぞき込むような気がするからか、それとも、彼女たちが漂わせる中性的な雰囲気が怖いのか、よく分からないどきどき感におそわれていた。
「何やら、男性に苦手意識があるそうで」
私と伯母さまが囲む席に座っていたシスカ様が、落ち着きのある声で言った。
「そうしたご令嬢は、けっこういらっしゃるのですよ。特に、親御様から大切にされた娘さんほど、知らない男性に対して、極端に構えてしまう傾向が多いようです」
返答に困った。そういうのとは少々違う。
私の場合、前世からのトラウマで男性恐怖症を患っているのだが、そんな奇天烈なことを正直に言うわけにはいかない。
「ですから、時々こうして男性の代わりを務めて、本番での対話やダンスで緊張しないよう練習役を頼まれることがあるのですよ」
「……そう、なのですか。あれ、でも伯母さまは、仮のお見合いだって」
シスカ様は目を白黒させたが、すぐに小さく笑い出す。
「お見合いですか。仮だとしても、光栄なことですね」
どうやら、かかなくていい恥をかいてしまったようで、頬が熱くなった。
「伯母さま、どういうことですか」
「あら、そうね。そう言われると、お見合いとはちょっと違ったかもしれないわね」
ふふふ。と悪びれた様子もなく、伯母さまは笑う。
「でも、苦手な男性に慣れてもうためには、丁度いい練習相手だと思わない?」
「…………」
そう言われると、そんな気もしてくるが、どうにも腑に落ちなかった。
しばらくはマーラ伯母さま主導で、シスカ様との会話に楽しんでいたが、1時間もすると伯母さまは、他のお客様の様子を見るために席を立ってしまった。
丸テーブルに2人きりで残されるが、近衛騎士様といったい何を話したらいいかのか話題が見付からない。
そんな様子を汲み取ったのか、シスカ様は私たちにとって共通の話題を作ってくれた。
「セオドア夫人からうかがいましたが、第一師団所属のミハエル・ハミルトン様はロゼット様の弟君だとか」
「――は、はい。自慢の弟です」
緊張がなかなか抜けず、声が少し裏返ってしまった。シスカ様が艶やかに微笑む。
「これは聞きかじった噂なのですが、ミハエル様は、何でも新たらしい武術を編み出されて、腕一本で演習相手を倒されたとか。本当だとしたら、驚くべき事ですね」
シスカ様はきっと何気ない話題を振ったつもりだったのだろう。けれど私は、感きわまってしまった。
近衛騎士の方、しかも“女性”であるシスカ様に興味を持っていただけたことに一瞬で舞い上がってしまった。
「あ、あの。あれは女性にこそ使って欲しい、武術なのですよ」
高ぶった感情のまま述べれば、シスカ様は首を傾げた。
「……ですが、腕一本で倒すのですよね? 腕力が必要なのではありませんか?」
「いいえ。相手の力を利用したり、受け流してしまうので、それほど力はいりません」
「……受け流す?」
「はい。それと人体の弱点を突くのも特徴です」
「……人体の、弱点?」
聞き慣れない言葉ばかりのせいだろう、シスカ様からそのまま聞き返される。
口頭でしか説明できないのがもどかしかった。
「あの、もしよろしければ、少しだけ手解きいたしましょうか?」
「えっ――ご存じ、なのですか? ロゼット様が?」
シスカ様が驚きに目を見開いたのを見て、はっ、と我に返った。
そういえば、私は“病弱”な伯爵令嬢だった。
「ミ、ミハエルに教えて貰ったのです。子供の頃に。あの、子供の頃は身体もそんなに弱くなくて。それで、その……弟と戯れていた頃が懐かしくて、つい。……はしたないことを申しました」
苦しい言い訳に、けれど、シスカ様は微笑んでくれた。
「いいえ。むしろ、活き活きとされたお姿を見られて、微笑ましい気持ちになりました。それに……そうですね、ご体調がよろしいのならば、是非ご教授ねがいします」
こちらを慮って言ってくれたのだろう。しかし、冷静になって考えてみれば、病弱設定以外にもマズいことがあった。護身術については、伯母さまから内緒にしているよう言われていたのだった。
その時、頃合をはかったようにマーラ伯母さまが戻ってきてくれる。
こそこそと耳打ちするように、掛け合ってみれば、伯母さまは少し考える様子を見せたあと、思いのほか短い時間で許可を出してくれる。
伯母さまが言うには、護身術を上層部に申請しているミハエルが、良からぬ反発に遭った時、近衛騎士様たちに味方になってもらえれば、心強いだろうと言うことだった。
さすがはセオドア公爵夫人、話をこじつけるのが上手いと妙に感心してしまう。
だが、そうなると話の流れ上、ご婦人方と近衛騎士様の方々見ている前で護身術を実演することになった。
とはいえ、投げ飛ばすようなことはせず、人体の弱点というものを知ってもらうため、腕の関節が絶対に曲がらない方向に捻りあげて、動きを封じる脇固めというものを教えさせてもらった。
これは、胸ぐらを掴んできた相手に有効で、下手をしたら相手の腕を折ってしまうが、無理なく固めて抑え込んだまま移動もできるので、護衛や警備をする職業にはきっと役立つはずだった。
私の細腕で、シスカ様の動きを完全に封じてしまうと、他の近衛騎士様にとても驚かれた。そうなると、ご婦人たちも興味を引かれたようで、ついには皆様を交えた護身術講座を開くことになっていた。
ご婦人たちに、自ら悪漢を撃退する機会があるのかは疑問だが、その目新しさを楽しんではもらえたようで、今回のお見合い兼お茶会は、いつの間にか護身術講座になって終了していた。
どことなく興奮も冷めやらぬまま、お客様をお見送りするため、玄関ホールにて各々の馬車の到着を待つことになる。
まず4名のご婦人方を先にお送りすることになるが、それをお待ちいただく間に、シスカ様から相手の腕を捻り上げる時のコツを、もう一度確認したいと申し出られた。
初対面にあった緊張はずいぶん解れ、だから、シスカ様の手を取って軽く手解きしながら談笑していれば、他のお客様はすっかり居なくなっていたことに気付かなかった。
「――あね、うえ?」
聞き慣れた声に振り向けば、玄関の入り口にミハエルが立っていた。
いつもの帰宅時間より早いことに驚いて、「おかえりなさい」の言葉がすぐに出てこなかったが、こちらを見つめるミハエルに、その言葉は喉の奥にまで呑み込まれた。
見たことのない顔をしていた。
無表情に見えるのに、それがかえって剣呑な色を見せるようで、不安を覚える。
「お久しぶりですね、ミハエル・ハミルトン中尉」
シスカ様が、つながれたままだった手を、そっと外しながら言われた。
その声に虚を衝かれたのか、ミハエルの表情が崩れる。
「―――え、あ……ベルフラウ少佐っ」
「ええ、そうですよ。気付きませんでした?」
「も、申し訳ありませんっ」
くすり、と笑ったシスカ様に、ミハエルは真っ赤になって顔を伏せた。
「え、あれ――あの、それじゃあ、お見合いの相手とは―――」
「ああ、お見合いですね。そうそう、そうですよ。仮の、ですけれどお見合い相手です」
さも楽しげに、シスカ様は肩をゆらす。
「途中までは、お見合いの相手だったのですが……中尉、貴方の編み出したという武術、なかなか面白いですね。お姉様に手解きいただきました」
「姉上に?」
「ええ。力の弱い女性でも扱える武術ということで、すっかり好奇心を刺激されてしまって。この武術、今は上への上申中とききましたが、もし手を貸せる場面があるなら、喜んでお手伝いさせていただきますよ」
「……ありがとうございます」
「あらあら、ご挨拶は終わったかしら?」
玄関のアプローチまで、ご婦人方をお見送りしていたマーラ伯母さまが、にこにこ笑いながら戻ってきていた。
「どうやら、お互いの紹介の必要は無いみたいね。ミハエル、どう思う? 素敵だと思わないベルフラウ様。ロゼットの男嫌いを改善させる足がかりになればと思って、今日は来ていただいたの」
「……そのようで」
「ふふ、本当はもっと語り合っていたいところだけど、ベルフラウ様もお忙しい方ですからね。引き留めるのも悪いわ。ロゼット、シスカ様はわたしくがお送りしますから、貴女は、お勤めから帰宅された、殿方のお世話をしてあげて頂戴」
「え。あ、はい」
伯母さまに言われて答えてしまったが、ミハエルの世話などしたことがない。
ミハエルと伯母さまを交互に見て、もう一度、伯母さまに目をやると、にこりとした笑顔が返ってくる。
その笑顔に、もしかしたらシスカ様と二人でお話しがあるのかも知れないと察して、私はミハエルを連れて、彼の自室がある方へと向かうことにした。
私に気を遣ったのだろう、ミハエルに付くはずの執事は追従せず、二人きりで廊下を歩いていた。
「そうだ、ミハエル。言い忘れてたけど、お帰りなさい」
「…はい。ただいま帰りました」
そう答えるミハエルは、あまり元気がないように見えた。
「……少し帰りが早い気がするのだけれど、何かあったの?」
「いえ、あの、お見合い……男性にお会いすると思っていたので、やはり心配で。でも、驚きました。男の着衣をされたベルフラウ少佐だったとは」
ああ、と元気がない理由がわかった気がして、笑ってしまった。
「私も、今日お会いして初めて知ったの。本当にびっくりしてしまって。男性の格好だったから、緊張してしまったところもあるのだけれど、護身術に興味を持っていただいてから、すっかり熱中してしまって」
「姉上、ハミルトン家の令嬢は、病弱ということになっているのをお忘れですか?」
「――あ。うん。ごめんなさい。でも、いちおう言い訳は立てておいたのよ。シスカ様に、納得いただけたかは分からないけど……」
ミハエルが、仕様のない人だと言いたげな顔をした。
「誰かの役に立てることが、嬉しいのは分かりますが、浮かれすぎるのには気を付けてくださいね」
「はい。心がけます」
やがてミハエルの自室の前に行き着くと、念のため着替えを手伝う必要があるかと聞いてみたが、丁寧にお断りをされた。
ミハエルは自室の扉を開けたものの、すぐには中へ入ろうとはしなかった。
「……あの、今回の他にもお見合いをされるのですか?」
こちらの顔を見ないまま、彼は言う。
「ええと、どうなのかしら? その辺は伯母さまに聞いてみないと」
「……大丈夫、ですか? ……私が居なくても」
ちくりと、胸の奥が痛んだ。でも、気付かなかったふりをする。
「ありがとう。でも、もう、大丈夫にならなくちゃ」
そう答えれば、ミハエルはこちらを見返した。
私によく似た緑色の瞳が、寂しそうに微笑んでいた。
それなのに私は、その緑の色を心のどこかで喜んでしまった。
初の男装の麗人。いいものですね。
いつか男装少女のお話も書きたい。