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03ハミルトン姉弟は、こうしてウワサになった


 男性が怖いからといって、人付き合いを完全にしないということは出来ない。


 貴族間で出回る噂は早く、娘が一人いるはずなのに、家に引きこもって出てこない。というのは、好き勝手な憶測をさせるには格好の的になってしまうのである。


 しかし、男性恐怖症のことを言い広めてしまうのは問題だった。

 それこそ誤解をされて、父から虐待でも受けていたのではないかと、下手な勘ぐりをされかねない。


 そのための言い訳として有効だったのは、ハミルトン伯爵令嬢は“病弱”であるという方便だった。


 はなはだ不本意だが、私は四六時中びくびくしているし、涙目は標準装備だから、はからずとも一目で、か弱そうなイメージを持たれるようだった。


 親戚などへのお披露目は、そうして対応することになったが、子守たちが入れない改まった場でも挨拶回りをこなすことができたのは、ひとえにミハエルが付き添ってくれたからに他ならない。


 成長するにつれ、恐怖を耐えられる時間が少しは出来てきたが、その代わり、子守たちが付き添えない場面が増え、逆にミハエルに付き添ってもらう機会は増えた。


 滅多に表舞台へ出てこないうえ、病弱だとされている令嬢の面倒を見るのは腰が引けるだろうし、満足に介抱できるとも限らないから、進んで付き添いたがる人も現れず、いつの間にか、ハミルトン伯爵令嬢のエスコートは、身内である義弟ミハエルが務めることが定番になっていた。


 そして今日もその定番通り、ミハエルにエスコートされて夜会に出席していた。

 親戚づきあいの一環だったが、それゆえに参加せざるをえず、泣きたい挨拶回りに立ち向かっていたが、今はマーラ伯母さまのいるサロン室でひと休み中である。


 女性たちの情報交換の場は、たいそう賑やかだった。


 お固く宗教芸術や政治の話をしている人たちもいるが、昨今の流行品や、誰々の色恋話など、多岐にわたった情報が飛び交っている。


 きっと女性たちが一番活き活きとしている、この華やいだ雰囲気に私もちょこちょこと混ぜてもらいながら、お喋りを楽しんだ。


 1時間半ほど経った頃だろうか、サロン室にミハエルが迎えに来てくれた。


 「姉上、招待客の挨拶回りもすっかり落ち着いたようですし、そろそろお暇いたしましょうか」


 私のよく出来た弟は、帰る道すがら男性と出会う確率の少ない時間を、しっかり考慮してくれていたらしい。


 サロン室の皆様に、二人でお別れの挨拶をしてから、その場を後にした。


 ミハエルの言うとおり、廊下に人影はほとんど見受けられなかった。女性たちに囲まれて英気を養ったおかげか、少し浮つきながらミハエルに話しかけていた。


 「ミハエル、さっき聞いたのよ。護身術、婦人会の皆さんも興味津々にされていてね。ミハエルが腕一本で大の男を倒したって」


 それを聞いたミハエルは、恥ずかしそうにはにかんだ。


 「姉上に教えてもらったことを、実演しただけなんですけどね。何だか自分の手柄にしたようで、やはり心苦しいものがあります」


 「それを言ったら私も同じだわ。私だって人から教えて貰ったことなんだし。それに私が教えたのは基礎だけで、そのあとはミハエルが自分で研鑽を重ねていったんだから、もう立派にミハエルの手柄じゃない」


 こちらの世界に生まれ変わる前の人生で、女子高生と言われる時代に、基礎と型だけをならった護身術。私はそれをミハエルに教えていた。


 「それに前にも言ったでしょ。ミハエルの役にも立って、騎士団の皆さんにも役に立つのなら、重たいばっかりだった前世の記憶を、苦労して抱えてきた私の頑張りが、少しは報われるかなって思えるの」


 それでなくとも、人並み以上に手のかかる子供時代を送ってきている。だから、ほんの少しでも誰かの役に立てることがあるなら嬉しいのだ。


 ミハエルもきっと、それを分かっていてくれていると思う。


 「はい。姉上の頑張りが報いられるよう、私も頑張ろうと思っています」

 「ええ。そうしてくれると、私はとても嬉しいです」


 ミハエルは、私の秘密を知っている。


 この世界ではない場所で、別の人生を送り、そして、ロゼットとして生まれ変わった今世に、その記憶が引き継がれたことを、自分から彼に話していた。


 きっかけは、まだ子供だった時分にミハエルがした、何気ない質問からだった。


 『姉上は、どうして男の人が怖いのですか?』


 その時の私は、自分のふがいなさに、すっかり心が弱っていた。


 だから話してしまった。

 私には前世の記憶があって、その世では、男たちに酷い目に遭わされてきたことを。


 相手が子供だったから、という侮りもあったのだと思う。

 たとえ変な目で見られても、すぐに冗談だと言って、流してしまえばいいとも考えていた。


 けれど、ミハエルは信じてくれた。

 それどころか、男たちに酷い目に遭わされたという私を憐れんで、こう言ってくれたのだ。


 『今度はボクが姉上を守ります。ボクは、姉上のようなか弱い女性たちを守れる男になりたいです』


 もちろん泣きました。

 本当になんて良い子なのだと、むせび泣いてしまいました。


 その言葉も嬉しかったけど、前世の記憶を信じてくれたことも嬉しかったから、前世で生きた世界のことをミハエルにはこっそり教えたりもした。


 馬が引かなくても走る車や、空を飛ぶ乗り物、小さな所では、折り紙やあやとりといった遊び。かけ算や筆算といった算数。ついでに、私が語り聞かせた童話の話も、その出所を暴露しておいた。


 それからしばらくして、ミハエルが騎士団に仕官するつもりでいることを知ると、何かの役に立ってくれればいいと思い、護身術の基礎と基本の手解きをしたのである。


 馬車乗り場へと向かう途中、騎士団の同僚からはどういう手応えがあるのか、ミハエルから聞いた。気付いた時にはひっくり返っているという現象に、皆さん驚いてくれているようで、談笑しながら二人で歩いていた。


 「ミハエル様。お久しぶりですわね」


 突然の呼びかけに振り向けば、私たちと同年代の女性が、こちらへと歩み寄って来ていた。


 「カトリーヌ様――いえ、今はココ伯爵夫人でしたね。失礼いたしました」


 ミハエルが口にした名前で、彼女が誰なのか私も思い出した。


 ミハエルの母の叔父の孫娘という、少し微妙な親戚関係にあたる人で、確かミハエルと同じ18歳だったはずだ。


 そして、半年ほど前にココ伯爵家へと嫁がれているので、カトリーヌ・ココ伯爵夫人となっている。


 「あら、ロゼット様もいらしたのね。今日はご体調がよろしいのかしら。良かったわ」

 「…はい。ありがとうございます」


 まるで今気付いたかのように言われたが、そんなはずはないだろう。


 「ロゼット様には、いつもミハエル様が側にいらっしゃるから、ご不自由な身でも心強いでしょうね。本当に羨ましいわ」


 また、お決まりの嫌味を聞かされた。

 けれど、彼女に限っては、少しだけニュアンスが違ってくる。


 これは、マーラ伯母さまの派閥の人たちから又聞きした話になるが、かつてカトリーヌ様のご実家からミハエルに縁談が持ち込まれたことがあったらしい。


 何でも、カトリーヌ様からの熱烈な要望があったのだとか。けれど、セオドア公爵夫人であるマーラ伯母さまを通して、断られたのだと聞いている。


 「でも、さすがに一生ナイトでいてもらうわけにはいかないでしょう? ロゼット様も年頃なのだし、そろそろ別のナイトを探されているのかしら?」


 「……あの、それは」


 「ミハエル様も、お姉様の幸せを望むなら、お相手を見付けてさしあげなくてはね」


 私の言葉を遮って、彼女の当て擦りはミハエルに向かった。


 「でも、お気を付けなさって。姉弟仲がよろしいのは結構ですけれど、いつまでも戯れ合っていては、とんだ醜聞を立てられて見付かる相手も見付からなくなってしまいますわ。特に、身持ちの悪さなんて取り沙汰されたら」


 「ココ伯爵夫人、ご忠告は有り難いのですが、口を慎まれてください」


 ミハエルが、言葉を返した。


 「ご存じの通り、私の姉は身体があまり丈夫ではありません。ですが姉上は、そんなご自分と何年にも渡って懸命に戦ってこられました。そのお姿に心打たれたからこそ、私は姉上の側に付き従ってきたのです。もしこれ以上、差し出口を挟むつもりなら、女性だろうと許しがたい侮辱だと捉えます」


 いつになく強い口調だった。

 それに気圧されたのか、カトリーヌ様は顔を強ばらせた。


 「それと、ひとつ言い忘れていたのですが、この度はご結婚おめでとうございます」


 ミハエルが、これ以上ない皮肉を言った。

 それには私も驚いたが、強ばっていたカトリーヌ様の顔が見る間にも赤く染まっていく。


 「わ、わたしくし、これで失礼させていただきますわ」


 一方的に言い残すなり、彼女はドレスの裾をひるがえして去っていく。

 始まりから終わりまで、かなり礼を失した振る舞いである。


 どうにも、その言動から察するに、彼女はきっと、私がミハエルの側にいるせいで自分との縁談が適わなかった思っているのだろう。

 だからこうして、わざわざ一矢報いにきたのか……


 姉上、と隣から気遣わしげな声がかかった。


 「すみませんでした。お気を悪くされたのではありませんか?」

 「ううん、大丈夫。ありがとう、助けてくれて」


 そう答えると、ミハエルは小さく笑い返してくれる。それから、カトリーヌ様が逃げていった方に目をやった。


 「少し言い過ぎたかもしれません……あの、実は、その、カトリーヌ様とは色々とありまして……」

 「大丈夫。彼女とのことは、少しだけ知ってるから。それに――」


 それに、彼女の気持ちが分からないわけではなかった。


 ミハエルは、うら若い娘さんから、旦那様のいらっしゃるご婦人にまで、とてもよくモテる。


 銀髪に、緑の瞳。人好きする顔立ちと、柔らかい物腰。

 品行方正で、女性に優しく、かといって浮ついた話はまったくと言っていいほど聞かない。


 さらに言えば、派閥トップの婦人会で常日頃から持て囃されているから、騎士団に入団当初から、その知名度はかなり高かった。


 そんな、女性が一度は憧れてしまうような男性を、独り占めしてしまっているのが、この私である。


 ミハエルは、義姉であるロゼット以外、妙齢の女性をエスコートしたことがない。


 意中の女性がいない男性ならば、それほど可笑しな事ではないのだが、毎回毎回エスコートをする相手は“義理”の姉である。従兄弟とはいえ、貴族籍を移動させれば婚姻可能という中途半端な関係性もあって、良からぬ憶測を呼んでいる。


 たとえば、私が病弱だということを免罪符にして、騎士の鑑とも言える心優しい義弟を振り回しているだとか、装飾品のように見せびらかしているだとか。


 あさましくも義弟に恋慕して、自分を貰ってもらおうと画策している。というのもある。


 女性視点だと、叩かれるのは同性である私であることが多いが、ミハエルに対した男性からのやっかみも、もちろんあって、その場合は二人して標的になることが多い。


 主に、姉弟同様に育っている私たちが、すでに爛れた関係にあるという、面白半分でしかない、いかがわしいものだった。


 私たちが子供だった頃には、そんな風当たりなどほとんどなかった。


 だから、成人と呼べる年になってもベタベタと一緒にいることが、反感を買う最大の原因になっているのだと思う。


 「ミハエル、さっきの言葉すごく嬉しかった」

 「…え?」


 「私の側にいてくれた理由。頑張ってる姿に心打たれたからだって」

 「あ、……はい。その、思わず」


 「でもね、それで私に遠慮することはないのよ」


 え、と再び聞き返すような顔をしたミハエルに、私は続けた。


 「カトリーヌ様の言葉に倣うわけではないの。私が言いたいのは、私のことではなくてミハエルのことだから。ミハエルももうお年頃でしょ。いい人が居るのなら、お姉さんに遠慮せずに自分の気持ちを大切にしなきゃ駄目よ」


 「……はい」


 ミハエルはそう答えたが、その顔にあったのは、困っているような曖昧な笑顔だった。


 ミハエルは優しい。

 でも、その優しさは、長所であり短所でもあると思う。


 そんなところも大好きだけど、そんなところが時々やるせない気持ちにさせるのだ。


 ふと、懐かしい言葉がよみがえる。


 『今度はボクが姉上を守ります』


 もう充分だと思う。もう充分に守ってもらった。


 だから私は、そろそろ自分の面倒を自分で見ようと思う。


 子供の口約束どおり、騎士道の心得どおり、立派に一人の女性を守ってきた自慢の弟を自由にするためにも、私は自分の行く末をきちんと決めようと思う。


 彼が心打たれたという、懸命な姉上でこの先もずっといたいから。






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