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01ハミルトン姉弟は、こうして舞台を演じた


 恐怖で泣きそうだった。

 足だってすくんで、本当なら立っているのも難しい。


 でも私には、軟弱な心と身体を支えてくれる彼の腕がある。だから、どうにか立っていられるし、眩暈がしそうな挨拶回りもこなしていられた。


 「そのお年になっても、変わらず仲が良いなんて。いつまでも心強いナイトがいてくれる、お姉様が羨ましいわ」


 「そうですね。早くに母を亡くしておりますから、子供の頃は互いが頼りになってしまって。そのうえ一番身近な遊び相手でもありましたから、今もその頃の感覚が抜けていないのでしょうね。姉上には色々な面で、ついつい甘えてしまいます」


 お決まりの嫌味を言われたけれど、彼がすかさず私をかばってくれた。

 だから私は、彼の隣で笑顔を作っているだけでいい。


 「だが、血の繋がりは無いのだろう。一緒に暮らしていて差し支えはないのかい?」


 「いえ、内戚関係の従兄弟にあたりますから血の繋がりはありますよ。引き取ってもらった身ではありますが、義息子として、義弟として、家族の温もりを分け隔てなく与えてもらっています」


 下卑た勘ぐりにも動じることなく、私たちの関係をきっぱりと訂正していく。


 終始やわらかな物腰で、意地の悪い侯爵夫妻をかわし、その場をおさめてくれたけれど、次の挨拶回りがまだまだ後を控えている。


 人と人の合間を移動するだけで足がもたついて、いつ転んでもおかしくない。


 けれど、私をリードしてくれる腕が、歩調に合わせて、リズムに合わせて、優雅な足並みを演じさせてくれていた。


 そうして私、伯爵令嬢ロゼット・ハミルトンは、義弟ミハエル・ハミルトンから過不足ない完璧なエスコートを受けながら、着飾った男女で混み合う会場に躍り出ていく。






 「だ、大丈夫だったかしら? 私ちゃんと笑えていた?」


 ひととおりの挨拶を終え、会場の片隅まで来ると思わず聞いていた。


 「ええ。よく我慢されました。でも、今はちょっと泣きそうですね」

 「うぅ、ごめんなさい。鼻水とかでてない? お化粧とかも大丈夫?」


 ミハエルが、私を人目から隠すように立っているので、その間に確かめてもらう。


 どうにも私は、恐怖といった感情が涙腺に出てしまう体質のようだった。


 そのせいで、いろいろと面倒やら誤解やらをかけることが多いのため、こういった場では特に気を遣わなければならなかった。


 「はい、まだ大丈夫ですよ。顔色もそんなに悪くありませんし、これからどうされます?」

 「今すぐ帰りたいわ。帰りたいけど……挨拶してすぐ帰るのも失礼よね?」


 「そうですね……では少し休みましょうか。サロン室には伯母上もいるでしょうし」


 そう言ってミハエルは、人好きする柔和な顔立ちを、さらに柔らかく和ませる。


 銀色の髪に、緑の瞳。

 ミハエルの柔らかな顔によく似合う、その二つの色を見上げながら頷いた。


 彼の緑にそっくりな緑色が、私の瞳にもある。

 髪は銀色ではなく真っ直ぐな黒だけれど、黒髪に緑の瞳の色合いは自分でも気に入っているから特に不満はない。


 ただ、ミハエルの瞳にある緑色は、見ていると心を穏やかにさせてくれるのだ。


 恐怖に冷え込んでいた身体が、心なしかぬくまるのを感じながら、休憩室にと設けられているサロン室まで、ミハエルを連れだって歩いた。


 用意されているサロン室のひとつひとつは、どのグループによって使用されるのか、あらかじめ決められている。


 私たちの向かうサロン室は、父方の伯母であるマーラ伯母さま率いる、セオドア公爵夫人のサロン室だった。


 王妃陛下の覚えもめでたいセオドア公爵夫人たる伯母は、女性貴族のみで作られる婦人会の派閥トップに君臨しており、彼女ほど頼もしい女性の知り合いもいないだろう。


 何より、私もミハエルも早くに母を亡くしており、女親が必要な場面では、特にお世話になっている方だった。


 「では、伯母上、ロゼット姉上をよろしくお願いいたします」


 二人でサロンの皆様に挨拶をしてから、ミハエルはマーラ伯母さまに私を預けた。

 男性が長居する場所でもないので、すぐさまその場を辞して、彼が個別に付き合っている知人や友人たちへの挨拶回りへ出掛けていく。


 女性だけしかいない空間に置かれ、私はようやく安堵のため息をついた。すると、別の方向から別の意味のため息が、ひとつと言わず漏れ聞こえてくる。


 「やっぱり素敵ね、ミハエル様。正騎士なんて勲位だけの人が多いのに、従騎士の頃から勤勉で、折り目正しくて。最年少で正騎士になられたのも当然だわ」


 「そうね。実直な方だけれど頑迷というわけでもないのよ。女性への献身も厭わずこなしておられて。あそこまで騎士道の理想を体現された方は、そうそういらっしゃらないんじゃないかしら」


 「ねえロゼット様、お聞きしてもいいかしら? ミハエル様は今年で18歳でになられるのよね。成人されるのを機に、近衛騎士への仕官は希望されないのかしら?」


 「そうですね……第一師団の隊で忙しくしているようですが、そうした志望はまだ聞いておりません」


 「まあ、そうなの。わたくしとしては是非とも一度、あの栄えあるご衣装に袖を通したお姿を拝見させていただきたいわ」 


 「あら、あの見栄えと実力ですもの、きっと王家の方々が放っておかないわよ」


 女性たちの上品な笑いが、サロン室の中をさざめかしていく。


 派閥トップのセオドア公爵夫人がいらっしゃるため、彼女の甥に向けたお世辞もあるにはあるのだろうけど、家族が手放しに褒められるのは、やはり嬉しいものである。


 いったん話の種にのぼったミハエルの話題はすぐには尽きないようで、私はマーラ伯母さまの隣りに座りながら、ほくほくとさざめきに耳を傾けた。


 城のどこそこで警備をしていたとか、城下町でならず者に絡まれていた女の子を助けただとか。実は乳製品が苦手なこととか、実は照れ性なこととか。


 一部のたわいのない話には笑ってしまったが、話題はふと、ミハエルの力量に移った。


 「お聞きになって? ミハエル様は、剣を手に取らずとも相手を倒せるのですって」

 「……それは、どういう?」


 「なんでも武器を失った時、もしくは不所持の時でも戦えるような戦術法を編み出されて、実演では大の男を腕一本で地に伏してしまわれたとか」


 どこか半信半疑といった感嘆が、周囲からあがった。

 それから一斉に、好奇に輝いた衆目が私の方を向く。


 「ええと……何と申せばいいか……」

 「いいわ、ロゼット。私が事情を説明いたしましょう」


 言いよどみながらマーラ伯母さまを見れば、伯母さまはひとつ頷いた。


 「皆さんには申し訳ないのだけれど、この事はあまり他言できませんの。軍機に関わることですから。それに、剣や武器を使わない戦法があるとしても、やはりほら、騎士の忠誠は剣と共に捧げられるものでしょう、ですから、色々と反発があるらしくて」


 「まあ……」


 ご婦人たちから同情めいた声がもれる。


 「この事があまり多くの方に知られてしまうと、ミハエルの立場を危うくさせかねません。ですので、皆様もどうぞご内密に」


 「もちろんですわ。誰にも言いません」

 「わたくしたちだけの秘密ですわね」


 次々に賛同の声が上がり、サロン室に不思議な一体感が生まれた。


 ミハエルが実演したのは、体術もしくは護身術といわれるものである。


 昔、まだ子供の頃、護身術の基礎と型を教えられると、彼は少しずつ研鑽を重ね、ついには武術として成立させるまでにいたった。


 そして、それらの武術を、剣術と同様に騎士団の必修技能にしてはどうかと上層部に申請している最中だとか。


 確かに騎士の忠誠は、剣と共に捧げられるものだから、丸腰で倒してしまうのはどうなのかと言われたらしいが、言ってしまうと生死のかかった戦場では、剣という武器が重要な役目を果たすことはそれほどないらしい。


 だからこそ関心は高いらしく、今は色々な環境下を想定して検証中なのであって、軍機というほどの段階でもないし、取り立てて反発があったとも聞いていない。


 ならどうして伯母さまは、反対勢力があるようにほのめかしたのか。その理由を私は知っていた。


 最大派閥となった婦人会を抱えている伯母さまは、派閥内の求心力を維持するための、余興や娯楽を定期的に提供しなければならない身の上だからである。


 ただし、けっして嘘は言わない。多少の脚色をしても問題なく処理できるものだけ選んで、誇張という演出がされるだけ。


 何と言ってもご婦人たちは、こういう秘密のお話をたいへん好まれる。


 巨悪と戦う孤高の正騎士を好まれる方も多いので、だからマーラ伯母さまが演出しやすい甥のミハエルは、しばしばドラマ仕立てられた舞台の主役になってしまう。


 その甲斐あってミハエルは、セオドア公爵夫人の派閥内で圧倒的な人気を誇っていた。


 もちろんそれは、人を惹きつけるだけの理由がミハエル自身にあるから成り立つ話で、姉の私が言うのもなんだが、ミハエルはとてもよく出来た子だった。


 どれだけ出来た子かというと、敬神、忠誠、礼節、名誉、勇気、寛容の他に、女性への奉仕を重んじるという騎士道精神にあふれた人格者で、その献身ぶりは、生まれ変わる前から私を社会不適合者にしてくれた、筋金入りの男性恐怖症ですら克服したほどだった。






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