表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

第九話 無限進化

「知っている」

 トビアスの言葉はマユタンが『能力解析』のスキルで得た情報に対するものだった。『万物拒絶』が進化によって強化されて、能力効果と物理ダメージを無効化する全身コーティングになることを、彼は知っていたということになる。

「前に進化した『能力解析』の使い手に会ったことがある。『能力解析』は強化されると、進化後の能力もわかるそうだ。進化後の力を知ってから、俺は能力が強化される日を待っていた。バカにされようが、こき使われようが、いつか報復できる日が来ると信じてな」

 ロブレヒトを睨むと、トビアスは右手を突き上げた。

「報いを受けろ、ロブレヒト!」

 トビアスの前と後ろに黒い膜が出現する。それを見たカイルが慌てて叫ぶ。

「誰か、奴に『発動阻止』を!」

 カイルの声を聴き、少し離れた場所にいたユーリが、その場から『発動阻止』の白い光をトビアスに放った。光は黒い膜に吸収され、効果を発揮することなく消え去る。

「効かない……。それなら!」

 『発動阻止』を無効化されたことを確認すると、ユーリは『無効波動』を発動させた。彼女を中心に空気の波が辺り一面に広がる。

 本来は発動した能力を無効化する波も、トビアスが出した黒い膜に触れると、一瞬で消滅した。

 黒い膜はトビアスの体を挟み、彼の体を黒く塗りつぶす。ピッタリと体にフィットする全身パックを施したような状態となったが、頭部だけはフルフェイスヘルメットの上からパックされた感じになる。何も知らない人が見れば、黒い銅像にしか見えないだろう。

 トビアスの顔は見えなくなったが、彼が笑っているのは声でわかった。顔も膜で覆われているせいか、その声はこもって聴こえてくる。

「『硫酸降雨』」

 アビリティ名をトビアスが口にすると、天井付近に灰色の雲が広がっていった。絨毯にシミが広がるように、じわじわと天井を覆い始める。

「早く、トビアスを強化素材に!」

「いや、しかし……またベースユニットのセットに失敗したら、今度はお前を失うかもしれない……」

 カイルが強化を呼びかけるも、ロブレヒトは腰を抜かし、怯えるだけだった。

 強化素材にするのは無理だと判断すると、カイルはトビアスに殴り掛かった。黒い膜で覆われたトビアスの体は、殴られるとガンッという金属に近い音を発した。攻撃した側であるカイルの手が腫れ、トビアスの笑い声が響く。

「カイル、物理ダメージも無効化すると聴いただろう? 無駄なことは、やめるんだな」

 広がった灰色の雲から、ポツリ、ポツリと雨が降ってくる。次第に強まり始めた雨は、触れたものを溶かしていく。

「キャーーッ!」

「何なの!? この雨」

 各所で悲鳴が上がり、設置された垂れ幕も破れていく。幸いにも、伊吹たちは地面から斜めに突き出た巨大な鉄壁が雨を遮り、体を溶かされることはなかった。その壁はウサウサが伊吹を対象に発動した『好意防壁』によるものだった。

 雨を遮る手段を持たない者たちは、酸性度の高い雨によって皮膚がただれ、その痛みと突然の事態に混乱していた。中には『可逆治癒』のスキルで手当てする者や、来場者を入り口へと誘導するスタッフの姿もあった。

 バトルフィールドでは、『球体錬成』で出した球体を傘代わりにするマリーナとシモンヌが、雨によって穴ぼこだらけになった揚げ物を見つめていた。

「せっかく作った揚げ物が……。誰よ、この雨を降らせてるのは!」

「マリーナ、アイツよ!」

 シモンヌがトビアスを指すと、マリーナは壁に掛けられていた鎖付きの鉄球を『物体移動』で動かし、トビアスに向かって投げつけた。

 鉄球はトビアスの背中に当たったが、黒い膜に何ら変化はなかった。

「何なのよ、あれ!?」

 呆然とトビアスを見上げるマリーナを、シモンヌが肘でつつく。

「マリーナ、ここにいたらマズいわ。水が流れてきてる」

 会場全体に降り注いだ雨は、階段状の観客席を下へと流れ、より低い位置にあるバトルフィールドに集まり始めていた。フィールドと観客席を繋ぐ階段部分を、酸性度の高い水が駆け下りてくる。

「ぐぬぬぬ!」

 悔しさと怒りを堪えながら、マリーナは観客席を目指した。シモンヌも彼女についていったが、二人とも流れてくる水が靴に染み込み、焼けるような痛みに襲われていた。

 一方、カイルはトビアスからの集中攻撃にさらされていた。全体に降り注ぐ雨とは別に、雲の中心部から高圧で噴射される水が、観客席の上を逃げ回る彼の後を追っていた。

 何とか避けていたカイルだったが、雨に濡れた地面で足を滑らせ、避けきれずに左肩に直撃を食らう。

「うっ……」

 体毛が溶けて、皮膚がむき出しになる。見たくない光景だったのか、ウサウサの『光耀遮蔽』がカイルの肩を光で覆う。その光も、カイルが『可逆治癒』で元の状態に戻すと消え去った。

「お前の狙いは、彼じゃなかったのか?」

 カイルの視線の先には、腰を抜かしたままのロブレヒトがいた。酸の雨でただれた手を見て、うめき声をあげている。

「そうだとも、カイル。だが、順番がある。ここにいるロブレヒトのユニットは、俺とお前だけ。お前が死ねば、俺は強化素材にされない。俺は自由になる!」

 ロブレヒトが進化対象の選択に失敗し、強化に対する躊躇いを抱いたことで、トビアスには余裕があった。そのため、ロブレヒトを殺すことでユニット契約が破棄され、『脳内変換』が適用されなくなる不自由さを避けたい気持ちが、先にカイルを狙わせていた。

 それとて、新たな所有者を見つければ済む話ではあるが、どうせならロブレヒトのユニットを自分だけにし、素材にならない安全を確保した上で、彼を痛めつけてやりたいという願望があった。だが、カイルの性格を考慮に入れると、自分の判断が間違っているように思えた。

 トビアスはカイルではなく、雨を受けて弱っているロブレヒトに向けて水を噴射した。

「ぐあぁ……」

 水がロブレヒトを直撃する寸前で、それをカイルが体を張って受け止めた。溶かされたカイルの腹部を『光耀遮蔽』の光が覆う。

「その男が、そんなに大事か? 優遇されてる奴は違うな」

 カイルは『可逆治癒』で元に戻そうとするが、絶え間なく酸性度の高い水を浴びせられては、回復が追いつかなかった。それを見かねて、ウサウサがカイルの前に『好意防壁』を展開するも、知り合いですらない彼の前に出たのは50cm程度の土壁だった。

「みんな、あたいの話を聴いてくれ」

 鉄壁の下で縮こまっていたチガヤたちの視線がサーヤに向く。

「このまま、ここにいるのは危険だ」

「でもでも、壁から離れたら雨が当たって、皮膚が溶けてしまうのだ」

 マユタンの懸念にサーヤは軽く頷いて話を続けた。

「だから、あたいに考えがある。まず、ワニックの『瞬間加速』をかけられたイブキが、入り口まで全力で走る。倍のスピードなら、あの攻撃も避けられるハズ。ウサウサは走るイブキに対して『好意防壁』を展開してくれ。この壁みたいに」

 そう言って斜めに出された鉄壁を指す。

「壁の間隔は空くかもしんないけど、うまくいけば鉄のトンネルになる」

「それなら、他の人たちも使えるね」

 雨を受けて苦しんでいる人を見ながらチガヤが言う。目の前の惨劇に、彼女は涙を浮かべていた。

「わかった、やろう」

 伊吹がワニックとウサウサを見ると、二人は強く頷いた。

「行くぞ」

 ワニックが伊吹の背に手を当て、『瞬間加速』を発動させる。4秒間2倍のスピードで行動可能になった伊吹は、鉄壁を出て入り口に向かって全速力で走りだした。

「ン?」

 トビアスは走り去っていく伊吹を一瞬見ただけで、すぐに攻撃しているカイルに視線を戻した。逆に、ウサウサは離れていく伊吹を注視し、走りを妨げないタイミングで斜めに鉄壁を展開していった。

 伊吹が入り口に辿りつく頃には、防雪柵のごとく鉄壁が入り口に向かって並んでいた。その鉄壁の下を通って、マユタン、シオリン、ブリオ、ウサウサ、チガヤ、ワニックが走ってくる。一番最後にサーヤが飛んでくるのが見える。加速が終わってスピード半減タイムに入った伊吹は、その様子を呼吸を整えながら見守った。

 仲間たちの後には他の観客たちも続き、その流れを指揮するユーリの姿も見えた。彼女は鉄壁の下に入らないまま誘導し、その身を雨に打たれていた。酸性度の高い水に痛がりながらも、役目を果たしている彼女を見て、自分も何かしなくてはという想いに駆られる。

「何とか、みんなここまで来れたね。早く外に出よう」

 チガヤに促されてユニットたちが外へと歩みだす中、伊吹はトビアスの攻撃を受け続けるカイルを見ていた。

 外に出ていく観客たちと肩がぶつかる。

 そんな伊吹に気付いたのか、ワニックは肩にポンッと手をのせた。その目は物憂げだったが、何も語らなかった。助けてやりたい気持ちはわかるが、打つ手がないと言いたげな気がした。

「ワニックの『水分蒸発』で何とかならない?」

 ワニックが指をパチンッと鳴らすも、降り注ぐ雨に何ら変化はなかった。『水分蒸発』が純粋な水にしか反応しないのは伊吹もわかっていた。

「やはり、この雨には効果が無いようだ」

 予想通りの結果に奥歯を噛みしめる。何か手はないのかと思っていると、伊吹の横をすり抜けていく人影があった。

 それは茶色のマントを羽織った青年だった。チェストミールの護衛役として来ていた彼は、場内に入ると『物質転送』で鉄の盾を呼び寄せ、それで雨をしのぎながら、トビアスへと直進していった。

 トビアスの前まで来ると、今度は剣を呼び寄せて切りかかった。ガキンッという硬い音がして、青年の剣が砕け散った。青年はトビアスから間合いを取ると、今度は周囲に炎の壁を展開した。彼が持つアビリティ『爆炎障壁』の炎だった。

 その炎にトビアスは全身を包まれたが、降り注ぐ雨は止むことはなかった。使われ続けるアビリティは、彼が健在であることを意味している。青年が『爆炎障壁』の炎を消すと、何ら変わるところのない黒い膜で覆われたトビアスの姿が現れた。

 カイルを狙って噴射されていた水が、その方向を青年へと変える。高圧の水流を盾で防ぐものの、その表面には白い煙が上がっていた。青年がトビアスから距離を取っても、雲からの水は彼の後を追った。

 『万物拒絶』によって全身が覆われたことで動けないとはいえ、トビアスは雲の下なら何処でも攻撃できた。

 青年は諦めがついたのか、盾を投げ捨てると、再び入り口へと駆け戻ってきた。

「ダメでしたか……」

 彼を出迎えたのはチェストミールだった。

「力になれず、申し訳ありません」

「ジェホシュが謝ることではありません。何とか、彼を助けられれば、よかったのですが……」

「残念ながら、彼の防御力は最強と言っていいでしょう。まるで、恐ろしいほどの硬度を持つ金属が、体に張り付いているようでした。それも、『無効波動』の効果を持った金属です」

 チェストミールは頭を抱えて唸った。

「ここにいても危険です。外に出ましょう」

「致し方ない」

 マントの青年ジェホシュに肩を抱かれるようにして、落ち込むチェストミールは外に出て行った。そんな二人の姿を見ていると、強そうに見えた彼でもダメなのに、自分に何が出来るのだろうという気になってくる。

「カリスタ、どうなっている!?」

 怒鳴り声がした方を見ると、そこにはヒューゴとカリスタがいた。ヒューゴの前だからか、それともイベントが滅茶苦茶になったからか、カリスタの表情は怯えきっていた。

「あの……進化したユニットが……あの……」

「能力効果と物理ダメージを無効化するスキルを持った者が、酸の雨を降らせてパニックになっています。その者の言動から察するに、目的は所有者への報復です」

 カリスタの代わりに、注意事項を伝えていた飛行ユニットが説明する。

「能力も物理攻撃もダメだと? ユニットの所有者はどうしている? なぜ、強化素材にして消さない?」

「それが、怯えきって腰を抜かしているようでして……」

「クソだな。俺様が代わりに強化素材にしてやりたいが、『所持変更』はできそうか?」

「今は無理ですね。体の表面がコーティングされているので、星印に触れることはできません。そもそも、そのコーティングによる能力効果と物理ダメージの無効化スキルのようです」

 ヒューゴは天を仰いだ後に、再び飛行ユニットに話しかけた。

「さっき、言動から察するにって言ったよな? 奴とは話ができるか?」

「はい、可能です。先ほど、攻撃している相手と話しているのを確認しています」

「なら、『脳内変換』が無効化されていない上に、音も届くってわけだな。もっとも、聴いてる側は言葉が変換されていても、向こうは変換されちゃいないのかもしれんがな」

「変換されていないとなると、相手の言葉を想像して喋ってることになりますが……」

「まぁ、そんなことはどうでもいい。音が届くってことは、空気を震わせる攻撃が有効だって話だろ? ヨアキム、お前の『拡声調整』で音量を最大にして、奴の鼓膜を破ることはできないか?」

 ヨアキムと呼ばれた飛行ユニットは首を横に振った。

「私のスキルでは難しいですね」

「なら、音関連の能力者を集めてきてくれ。対策を練る」

「かしこまりました」

 一礼するとヨアキムは外に出て飛び去って行った。

「カリスタ、お前は『可逆治癒』を使える者と、水関係の能力者を集めて来い。ヨナーシュ辺りに頼んでもいい。水関係の能力者は、酸を浴びた者を洗うのに使えそうな奴だ。俺様は中に入って、避難誘導の指揮を執る」

「は、はい……」

 カリスタは慌てながらも外へと飛び出していった。ヒューゴは一人、逃げ出していく観客に逆らって前に進んでいった。

 観客席に出たヒューゴは、マリーナとシモンヌを見つけると呼び寄せ、逃げ遅れている人の上に『球体錬成』で出した球体を飛ばすことを指示した。

 マリーナが『物体移動』で幾人もの頭上に球体を移動させ、球体が消えるまでの傘代わりとすると、シモンヌは消えたらすぐに交換できるように球体を作り続けた。マリーナよりも軽ければ人も『物体移動』で移動できたが、それを使うと重量的な問題で複数の球体を飛ばすことが出来なかった。

「誰か、この子を助けて!」

 ユーリを担いだヨハンナが、巨大エリンギと一緒に入り口へとやってくる。背負われているユーリは、酸の雨を受け続けた為にグッタリしていた。彼女が着ているフリル付きのエプロン風ドレスは、もはや引き千切られたかのようにボロボロになっている。

「私が手当します!」

 メタボ気味の男性が手を挙げ、人ごみをかき分けてユーリに近づいていく。彼は昨日のバトルでユーリの傍にいた回復役だった。

「待っててくださいね、ユーリさん。今、私の『可逆治癒』で治しますから」

 回復役の男が背負われてるユーリに手をかざし、『可逆治癒』を発動させると、彼女の傷がみるみる治っていった。

「……あれ?」

 傷が治って目を開いたユーリが、ヨハンナの背から降りて立つ。さっきまでいた場所と違うことにユーリが戸惑っていると、ヨハンナが彼女に抱きついた。彼女の体が元に戻ったのが嬉しかったのだ。

 その光景を間近で見ていた伊吹の胸には、こみ上げてくるものがあった。

「イブキ……」

 一度は会場の外に出て行ったチガヤが戻ってくる。彼女の後ろには、ワニック以外のユニットたちが控えていた。

「僕も何かしたいんだ」

 目の前に、職務を全うして傷ついた子がいる。その子を救った人たちがいる。逃げ遅れた人たちを救おうとしている人がいる。なのに、自分だけ何もせずにはいられなかった。

 かといって、何が自分に出来るのかわからなかった。だから、自分に出来ることは何かを必死になって考えた。人を癒す力は自分にはない。雨を遮る能力もない。『快感誘導』をトビアスに使ったところで無効化される。

 可能性を潰し始めたところで、ヒューゴが話していたことを思い出す。“音が届くってことは、空気を震わせる攻撃が有効”という言葉を。それなら、声で、言葉で、彼の何かを変えることができる気がした。

 彼を改心させるようなことは出来ないまでも、せめてスキルの使用を一時的にでもやめさせられたらと思考を巡らす。自分だったら、何をされたら、あのスキルの使用をやめるだろう。“恐ろしいほどの硬度を持つ金属が、体に張り付いているような”状態になったつもりで想像し、伊吹はひとつの答えを導き出した。

「みんな、僕に力を貸してほしい!」

 いつになく真剣な面持ちで、伊吹は仲間に向かって頼み込んだ。その声はヨハンナ達にも届く。

「何か策があるの?」

 ヨハンナの問いに頷く。

「あの何も通用しないスキルへの対抗手段ですか?」

 回復役の男に訊かれ、伊吹は力強く頷いた。

「みなさん、手も足も出なかったのに……」

 心配そうな顔でユーリが伊吹を見上げる。

「手も足も出なくたって、口は出せるし、声は届く! 例え、どんなに強固な鎧を纏うとも、人の心は常に丸裸だよ」

 大丈夫だと伊吹は胸を叩いてみせた。その叩いた手を掴むと、ワニックは自分の方に引き寄せ、そっと手を重ねて言った。

「望むなら、幾らでも力を貸そう!」

「あたいも」

「私も」

「マユタンもなのです」

「シオリン的には、当然なんですねぇ~」

「オイラも」

 サーヤ、ウサウサ、マユタン、シオリン、ブリオも次々に手を重ねていく。手は重ねないものの、近くにいたユーリ、ヨハンナ、回復役の男も「私も」と声をそろえた。巨大エリンギも、力を貸すと言っているかのように飛び跳ねる。

 その光景を見て、チガヤが涙をこぼしたときだった。

 ブリオ以外のユニットの星印が光ると、手の上に浮かび上がって伊吹の右手に吸い込まれていった。3つしかなかった伊吹の星印が次々に増えていき、両手の指でも数えられない程になる。

「こ、これは何が……。マユタン、『能力解析』で僕を見て……あっ!」

 予想だにしない展開だったが、伊吹は何が起こったのか、理解するのに時間はかからなかった。

「これが僕のアビリティ『無限進化』なんだ……」

 確信したのは『能力解析』と口にした直後だった。その瞬間から近くにいる他のユニットの能力情報が入って来るようになった。つまり、『能力解析』のスキルが使えるようになったことになる。

 実際、自分の手を見てみると、『能力解析』の他にも、『加湿香炉』『電気操作』『毒素感知』『水分蒸発』『瞬間加速』『光耀遮蔽』『好意防壁』『遠隔受信』といった仲間たちの能力情報が流れ込んできた。

 さらに、巨大エリンギの『速度制限』と『瞬間加速』が入ってくると、ワニックの『瞬間加速』と反応して能力強化が起こった。4秒間2倍のスピードで行動可能なスキルが、加速倍率だけ3倍に変わる。

 ヨハンナとユーリが持つ『無効波動』と『発動阻止』も能力強化が起こり、『無効波動』は範囲制限が可能に、『発動阻止』は複数の対象に向けて放てるようになる。加えて、回復役の『可逆治癒』と『精神調和』も入って来ていた。『精神調和』は、周囲にいる者の興奮を抑えるアビリティだった。

 逆に、何の能力も持たないブリオからは、星印を受け取ることもなかった。自分だけ仲間外れになっていると思ったのか、ブリオは自分の星印を強くこすっていた。

「気持ちは受け取ったよ」

 こすられた星印に手を置き、伊吹は二度大きく頷いた。ブリオは伊吹を見たまま、エラを開閉させている。

「みんなの能力は、後で戻るから心配しないで。これって、協力する意思のあるユニットの能力を借りられて、同じ能力がある場合は強化されるアビリティみたいなんだ」

 それは『能力解析』を自分に使って得た情報だった。マユタンが自分を見たときのようなノイズは無く、クリアな情報として自分の中に入って来た。『能力解析』が急に使えるようになったのは、発動条件が能力名を声に出すことだったからだと知る。

「それじゃ、行ってくる。みんなの力は借りられたから!」

 伊吹は場内に入り直すと、逃げ遅れている人たちを見て、心の中で“好きだ”と繰り返した後に叫んだ。

「『好意防壁』!」

 スキル名を叫ぶと同時に、場内にいる女性の前には高さ3mほどの鉄壁が、男性の前には50cm程度の木の壁が斜めに出現した。対象者への好感度に比例した強度の壁を築けるスキルではあったが、女性は女性というだけで好感度が高い伊吹が使うと、単なる男女差が壁となって現れた。

「お前、どんだけ女が好きなんだよ……」

 わかり易い結果に、サーヤが半ば呆れる。

「女の子は、女の子ってだけで価値があるんだ……僕には! 男の人は、近くの鉄壁の方に移動してください!」

 雨にやられて打ち震えていた男性たちが、近くに出現した鉄壁へと移動し始める。それを確認し、次に使うスキル名を叫ぶ。

「『瞬間加速』!」

 自分を対象に発動させ、3倍のスピードで行動が可能になる。

「それ使って、加速時間が終わったらどうすんだよ?」

「平気、平気」

 サーヤの心配に笑顔で答えると、伊吹はトビアスがいるのとは反対側の観客席に向かって、3倍速で走っていった。その途中ですれ違う女性に『可逆治癒』を施し、回復したところで『快感誘導』を放った。

「あああぁっ! んふぅっ……」

 突如として艶めかしい声が響いたことで、何が起こったのかと場内が静まり返る。

「彼は何を……」

 伊吹の行動に疑問を投げかけるヨハンナの横では、回復役の男が少し前屈みになって、股間を押さえていた。

「大丈夫ですか?」

「ええ、ただの生理現象です。気にしないでください……」

 回復役の男が説明しても、訊いたユーリにはチンプンカンプンだった。その様子を見ていたワニックが事実を一言で伝える。

「勃起したのか」

 こんな状況下でも、喘ぎ声を聞いて興奮している自分に、回復役の男は恥ずかしくなって顔を赤らめた。興奮を鎮めようにも、伊吹が次から次へと女性を喘がせていくので、男のテントは盛り上がっていくばかりだった。

 喘がせ続ける伊吹と、勃起する男を交互に見たウサウサは、何か気づいたように「あっ」と小さな声を出すと、トビアスの方に向かって走り出した。

「ウサウサ!」

 サーヤが呼んでも、ウサウサは振り返ることはなかった。

「何しようってんだ……。イブキの奴もだけど」

「おかしい、『瞬間加速』の加速時間が終わっているハズだが……」

 ワニックが言うとおり、既に加速時間の4秒は過ぎていた。それなのに、伊吹には加速後の減速タイムが訪れていなかった。今もなお、3倍速で走り続けているのが、ワニックには不思議でならなかった。

 それは、加速時間が終わって減速時間が始まる前に、効果範囲を自分だけに絞って『無効波動』を発動させていたからだった。能力によって生じた事象を打ち消す『無効波動』によって『瞬間加速』の効果がなくなり、減速タイムを回避することができた。そして、再度『瞬間加速』を使用することで、3倍速での走りを維持できていた。

 能力を使ったとはいえ、ぐるりと場内を一周してトビアスが見える位置まで来ると、さすがに息も上がっていた。あと、もうひと踏ん張りというところで、雲の中心部から伊吹に向けて水が噴射される。

「『好意防壁』!」

 自分に対して発動した『好意防壁』は、高さ5mの二重の鉄壁となって現れた。厚い壁は噴射された水を難なく弾き飛ばす。

 そんな誰よりも自分に対して強固な壁を築く伊吹に、入り口で見ていたサーヤが「どんだけ、自分が好きなんだよ」という感想を漏らしていた。

「お前か、余計なことをしてまわってるのは……」

 こもった声とはいえ、トビアスが苛立っているのが伝わってくる。その声に、伊吹は自分の狙いは間違っていなかったと自信を持った。

 あとは最後の仕上げだと思いさだめ、『快感誘導』を放てる女性の姿を探す。

 だが、トビアスの周りにいた人の多くは逃げ去った後で、そこにいたのは倒れたロブレヒトと、その彼を庇うように覆いかぶさっているカイルくらいだった。

 誰か連れて来なくては、そう伊吹が考えることがわかっていたかのように、ウサウサが駆けつけてくる。

「ウサウサ!?」

 驚く伊吹をよそに、ウサウサはトビアスの前に来ると声を張り上げた。

「あなたの狙いがわかりました」

 ウサウサは着ている服に手をかけると、袖の無いチャイナドレスのような服をスルリと落とし、白い下着姿をあらわにして、伊吹に向けて右手を差し出した。

「私を使ってください」

 『光耀遮蔽』を伊吹に貸しているため、彼女を光が覆い隠すことはなかった。

 一瞬、彼女の下着姿に見とれたものの、伊吹は成すべきことを思い出し、彼女の元へと駆け寄った。

「『快感誘導』!」

 ウサウサの手を強く握りしめて、伊吹は『快感誘導』を放った。伊吹の手から放たれた赤い波動が、ウサウサの全身を駆け巡る。

「ああぁんっ!」

 下着姿で嬌声を上げるウサウサを前に、トビアスの息遣いが荒くなる。『硫酸降雨』による雨はやみ、天井を覆っていた雲が薄くなっていく。

 快感に身もだえして倒れ込むウサウサを抱き寄せ、伊吹はトビアスの変化に注目した。

「こ、股間が……クッ……」

 トビアスは相変わらず黒い膜に覆われ、銅像のように動かなかったが、その中で苦しんでいるのは、声で充分に伝わっていた。

「すごい硬度を持つ金属が、ピッタリと体に張り付いているような状態なら、アソコが大きくなったら痛いよね」

 伊吹の狙いはトビアスを勃起させることにあった。

 勃起しない状態で体をコーティングしたのなら、アソコは通常サイズ分のスペースしかないハズ。体を覆う黒い膜が硬いのだとしたら、アソコが膨張したら痛いに決まっている。

「『万物拒絶』のやり直しだ」

 股間の痛みに耐えかねて、トビアスが『万物拒絶』を解く。覆っていた黒い膜が消え去り、生身の彼の姿が現れる。

「今だ!」

 トビアスの元に駆けつけ、『万物拒絶』を発動させる前に彼の手を掴む。

「何っ!?」

 顔を引きつらせるトビアスに、伊吹が『快感誘導』を放つ。赤い波動が行き渡ると、トビアスは瞼を重そうにしてよろめいた。

 その姿に伊吹は勝利を確信した。

 しかし、睡眠欲に負けて眠りに着く前に、最後の力を振り絞ったトビアスが、伊吹の体を押す。

 不意を突かれた伊吹は、押されるがまま、後ろ向きにバトルフィールドへと落下した。

 バトルフィールドは降り続いた酸の雨によってプールと化していた。その中にザパンッと音を立てて体が沈み、全身を焦がすような痛みと共に浮上する。

 誰かが自分の名前を叫んでいる気がしたが、水に耳がやられたのか聞こえにくくなっていて、単なるどよめきくらいにしか思えなかった。

 体中を酸が痛めつけ、冷静な思考力を奪っていく。

 自分は、このまま死ぬのかな……という不安に駆られながらも、生きようと観客席へと続く階段を目指して泳ごうとする。

 体が思うように動かないせいで、なかなか前に進まない。

 よく見ると、皮膚がただれていた。

 やっぱりダメなのかなと諦めそうになったとき、進行方向から猛スピードで近づく存在に気づく。

 ブリオだった――

 皮膚を溶かされながらも、信じられない速さで泳いでいた。その瞳は、今までに見たことが無いほど必死で、真剣なものだった。

 ブリオは伊吹の元に辿りつくと、自分の背に乗せて階段の方へと泳いで戻った。

 なんとか階段まで辿り着くと、二人の体をワニックが水から引き上げ、観客席へと運んでいった。

 そこには伊吹に力を貸した人々とチガヤの姿があった。ふと、借りた力のことを思い出す。

「みんなに借りた力、返すよ……」

 『無限進化』を解くと、右腕に集まっていた星印が、所有者の元へと戻っていった。伊吹の腕には星印が3つだけ残される。

「今、『可逆治癒』を……」

 回復役の男が伊吹とブリオに『可逆治癒』を使う。ただれた皮膚も、何もなかったかのように元通りとなった。その姿を見てチガヤが大粒の涙をこぼす。

「よかった……本当によかった……」

 彼女の涙がブリオの顔に落ちる。その涙を伊吹が拭うと、ブリオはゆっくりと口を開いた。

「オイラも、役に立ちたかったんだな」

 その一言に目頭が熱くなる。伊吹はブリオの手を取り、感謝の言葉を口にしようとしたが、何も出て来ずに深く頷くだけだった。


 数分後、ヒューゴが手配した水関係の能力者と『可逆治癒』を使える人が到着し、それぞれの作業に取り掛かった。伊吹たちも浴びた酸を洗い流してもらい、濡れた服はワニックの『水分蒸発』で乾かした。

 すっかり元に戻った伊吹は、激しい攻めを受けていたカイルの元へと向かった。彼の傍にはヒューゴとカリスタがいて、倒れたままのカイルとロブレヒトを見つめていた。

「あの、二人は……?」

 伊吹が問うと、ヒューゴが振り返った。

「倒れてる奴らなら大丈夫だ。洗浄も『可逆治癒』も終わっている。生きてるのは星印を見ればわかる」

 カイルの右手には赤みを帯びた星印が4つあった。それは彼がユニット契約をした者である証であり、今も所有者が健在なことを示す証でもあった。一方で、トビアスは『快感誘導』によって眠らされたままだった。

「カリスタ、『所持変更』だ。コイツの星印を触れ」

「あの、いいのですか? 所有者の許可もなく……」

「許可なんか取ってる場合か。コイツが起きたら同じことの繰り返しだ。さっさとケリをつける。早くしろ!」

「は、はい……」

 ユニット契約を破棄するスキルの使用を指示され、カリスタは『所持変更』をトビアスに発動させた。星印から赤みが失せ、召喚された時の色へと変わる。

 その星印にヒューゴが触れると、再び赤みを取り戻した。所有者がヒューゴに変わったのだ。色が変わったことを確認すると、ヒューゴはカリスタを指差した。

「ベースユニットをセット!」

 カリスタの身体が赤い光に包まれる。彼女の腕に付いた4つの星がより赤みを増す。

「素材ユニットをセット!」

 今度はトビアスを指差す。トビアスの身体が青い光に包まれ、星印の色が薄くなった。

「強化開始!」

 スッとトビアスの姿が無くなり、カリスタを包む赤い光が強まった。心なしか、カリスタの肉感が増したように感じられる。

 多くの人に危害を加えた人物だったとはいえ、目の前で消されると少し思うところがあった。

「何か言いたげだな」

 ヒューゴが伊吹を見つめる。

「迷いが無いんですね」

「無いように振る舞っているだけだ。行くぞ、カリスタ」

 立ち去っていくヒューゴの背中に質問を投げかける。

「迷った時は、どうやって決めているんですか?」

 強化でユニットを消すことを躊躇わない彼の選択基準を知りたかった。損得勘定で判断しているようにも見えたが、ヒューゴの言動を深く考えるとわからなくなるところがあった。

「俺様が何を選択すべきか迷った時、考えることは“自分が背負えるリスクなのか”ということだけだ。強い力を持った危ねぇ~奴を放置しておくリスクは背負えないが、勝手にユニットを消したことでの面倒事は背負える。それだけの話だ……じゃあな、今日は助かったよ」

 軽く手を挙げて振ると、ヒューゴは振り返らないまま去っていった。その後をカリスタがついて行く。

 消え去ったトビアスがいた場所に行くと、彼が立っていた場所だけ床の色が違っていた。『爆炎障壁』で燃やされた時も影響を受けず、酸の雨にも当たらなかったことで、綺麗に足の形が取られている。

「さっきまで、ここにいたんだよな……」

 物思いにふけっていると、チェストミール、マントの青年ジェホシュ、スキンヘッドのデメトリオがやってくる。チェストミールは知人であるロブレヒトを抱え、心配そうに何度も名前を叫ぶ。

 交換されたとはいえ、ロブレヒトのユニットだったデメトリオは、同じユニットのカイルの体を揺り動かす。カイルとロブレヒトが目を覚ますと、チェストミールとデメトリオが歓喜の声をあげた。

 その光景を見て少しホッとした気分になっていると、マントの青年ジェホシュが伊吹の傍にやって来た。

「君がアビリティを発動させるところを見せてもらったよ。正直に言って驚いたし、羨ましかった。あの力があれば、世界を変えられるかもしれない。俺も、あんな最強と呼べそうな力が欲しかった。使ってみたいと思った……」

 彼の言葉を聴いて、伊吹は浮遊島でのことが脳裏をかすめた。

 “弱かろうと強かろうと、人を傷つける力は暴力でしかない”と言ったケイモ。“俺は自分の力で生きていきたい。自分で掴み取った力でな”と言って、強力なスキルを失うことを躊躇わなかったオスワルド。

 彼らの姿と、自分を助けたブリオの姿を思い出すと、自然と口から言葉が出ていた。

「与えられた力を振るうだけのことを、最強だなんて言いたくない。僕は傷つくことを恐れない勇気こそ最強だと言いたい」

 伊吹は仲間たちの元に戻ることにした。


 ユニット交換会はトビアスの一件で中止を余儀なくされ、行われる予定だったバトルイベントもなくなった。交換会の関係者は後処理に追われ、悲鳴を上げていた観客は罵声を上げるようになった。

 しばらくして、騒ぎを聞きつけた政府関係者がユニット兵部隊を連れてくると、彼らを避けるように多くの人が散っていった。赤い装備に身を包んだ彼らは、物々しくて威圧的だった。

 見ていていい気がしないということで、伊吹たちは家に帰ることにした。

 帰宅後にマユタンの歓迎会を予定していたが、みんな疲れ切っていたので後日ということになり、軽めの食事を取って早めに眠りについた。



 翌朝、ドアを叩く音で目を覚まし、伊吹が自室を出ると、ワニックが隣の部屋の前に立っていた。隣はチガヤの両親がいる部屋で、いつもチガヤはそこで寝ていた。

「どうしたの?」

「怪しい奴が近づいている」

 再度、ワニックが隣の部屋をノックしようとしたところで、中からチガヤが出てくる。

「おはよう……」

 チガヤは眠そうに目を擦っていた。

「チガヤ、怪しい奴が家に近づいている。打って出るか?」

 ワニックの声にかぶさるように、誰かが玄関のドアを叩く音がする。

「お客さんだ……」

 誰か来たと思ったチガヤは、条件反射的に玄関へと走って行き、何ら警戒せずにドアを開けた。

 ドアを開けた先にいたのは、大きなマスクを被った人だった。

 そのマスクは顔全体を覆う不気味なもので、形状としては鳥の顔を彷彿とさせる。何かの資料で見たペストマスクに似ていると、伊吹が浮遊島で思ったそれだった。羽織っている茶色のマントにも見覚えがあった。

「自分はユニット地位向上協会、俗にユニット革命軍などと呼ばれている組織の者です」

 マスクのお陰で声がこもってはいたが、その声は浮遊島で聴いた革命軍メンバーのものだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ