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第七話 浮遊島

「イクビ海岸って遠いの?」

 伊吹はケイモに会ってみたくなった。会ってどうしようというのはなく、かつて大きな騒ぎを起こし、元の世界に戻る能力を持った人物を、この目で見てみたいという純粋な気持ちからだった。

「海岸なら、サニタの卵を探したところから、そんなに離れていないよ。行くの?」

「うん、ちょっと行ってみようかな」

 チガヤは少し心配そうな顔を見せた。そこにいる人が人だけに、それは無理もない。伊吹自身、ケイモに会いに行くことの危なさを理解していない訳ではない。国と事を構えた彼に対する畏怖はある。それ以上に、高額の謝礼と引き換えに使われているという、彼の能力に興味があった。

「これは、つまんないのです。他のにするのだ、えいっ!」

 マユタンが別の球体に触れると、今度は男女の会話が聞こえてきた。

「付き合い始めてから、私に冷たくなった……」

「そんなことないよ、キャサリン」

「嘘よ! 付き合う前は、何をするにも気遣ってくれたのに……。最近は、私が何をしてたってお構いなしじゃない。もう私のことなんて、どうでもよくなったんでしょ!?」

「どうでもいいわけないだろ。前ほど、あれこれ言わなくなったのは、君をそれだけ信頼できるようになったからで……」

 恋人同士と思われる二人の会話が流れ始めると、シオリンが食事を中断して球体の前に座った。

「あぁ、ダメですねぇ~。この女の人は、付き合っているからこそ、もっと構ってほしいのですよ。わかってないですねぇ~」

 シオリンは感想を言いながら、二人の会話を楽しみ始めた。テレビを観て独り言を言う主婦さながらに。その隣では、マユタンが会話している男女を想像し、言葉に合わせて表情を作っている。

「イクビ海岸、か……」

 伊吹は棒状の食べ物を口にしながら、イクビ海岸に流れ着いた浮遊島に行くことを考えた。今日、卵を取りに行ったときに乗ったワイバーンなら、確か3時間で銅貨2枚だったはず。手元には9枚の銅貨があるから、もう少しかかっても充分に足りる。

 “島が流れ着いた”ことを考えると、行くのなら早めの方がいい。どこか遠くに流されてしまっては、交通費的に行くことが厳しくなる。だとしたら、明日にでも……。

 伊吹はポケットの中の銅貨を握りしめた。



 翌日、職場で渡された仕事チケットの内容は、以前にもあった市場での毒検知だった。そのチケットを見て、チガヤがユニットたちに説明する。

「今回の毒検知も報酬は銀貨1枚。遅くまでかかりそうだから、私とシオリンの二人で行くね。終わったら、何か食べ物を買って帰るから……って思ったんだけど、今日の食事はマユタンが選ぶんだっけ?」

「そうなのですっ!」

「それじゃ、マユタンも一緒に行こっか。選び終わったら、先に戻ってもらうことになるけど」

「それなら、あたいも行くよ。マユタン一人だと、市場からの帰り道で迷うかもしれないしな」

「じゃ、お願いね」

 サーヤの提案をチガヤが受け入れ、市場に向かおうとしたところで、ワニックがコホンと咳払いをする。

「バトルにエントリーするが、いいんだな?」

「……あっ、うん」

 少し間を置いてチガヤが頷く。昨日、バトル絡みの話をしているので、エントリーすることは彼女もわかってはいたが、出場は決して本意ではないというのが顔に出ていた。

「俺以外に出るのは?」

「あたいも出るよ」

「マユタンも出るのだ! 活躍して、明日の食事も選ぶのです」

 サーヤとマユタンが出場を表明したところで、ワニックの視線は伊吹へと向けられる。

「僕は開始時間に間に合ったら出るよ」

「どこか行くのか?」

「浮遊島に行こうと思う」

 浮遊島という単語に、会社で働く他のユニットたちがざわつく。

「気を付けてね」

 いつになく真剣な面持ちでチガヤが忠告するので、伊吹も真顔になって深く頷いた。

「あの、私も行ってもいいでしょうか?」

 不安げなチガヤにとっては追い打ちをかける形で、ウサウサが浮遊島行きに名乗り出る。

「いいけど……。どういうところか知ってるの?」

「詳しくは知りません。でも、海の方に向かわれるのですよね? 私、海というものを見てみたいです」

「じゃあ、一緒に行こっか。行く途中で島の話をするから、やっぱヤメようなかって思ったら言ってね」

「はい」

 心なしか、ウサウサが嬉しそうに返事をしたように思える。相変わらずの涼しげな表情だったが、それも“供物に感情は不要”だと言われてきた彼女を思えば、冷たさのようなものは感じない。

 彼女の表情を見てみたい気持ちはあったが、表情を隠す癖がついてしまっている上に、隠したいものや見たくないものを光で覆う『光耀遮蔽』のアビリティがあるせいで、それは非常に望みが薄くなっていた。“その癖が治ったら、笑顔を見せてね”なんて話をしたこともあったが。

「ブリオはどうだ?」

 ワニックがブリオにバトルへの参加意志を訊く。

「オイラも出るんだな。仲間外れはイヤなんだな」

「わかった」

 ブリオの参加を受けて、ワニックが人数を指で数える。まずはワニック自身、サーヤ、マユタン、ブリオの4人。確実にバトルに出る面子の数だ。次に伊吹とウサウサを見て、指を2本立てた。保留分といったところか。

 もし、伊吹たちが参加可能となれば、6人いるので1人は不参加になるが、誰が優先的に出るというのは決まっていなかった。

「それじゃ、また後で」

 伊吹は会社を出て、ウサウサとワイバーン乗り場へと向かった。道中、浮遊島の話をしたが、一緒に行くという彼女の意志は変わらなかった。



 市場の外れにあるワイバーン乗り場に着いた伊吹はイゴルの姿を探した。イゴルは昨日ここで会った緑色の皮膚をした小人で、チガヤと金銭のやり取りをした人物になる。

「ごめんくださ~い」

 見つけられずに声を出すと、杭に繋がれているワイバーンの間をかき分け、イゴルがゆっくりと近寄ってきた。

「あ~、どもども。昨日、来られた方ですね」

 イゴルは手を擦り合わせながら、営業スマイルを見せる。

「イクビ海岸……というか、浮遊島に行きたいんですけど」

「浮遊島?」

 島の名を口にすると、イゴルは口をへの字にした。

「やっぱり、危ないところなんですか?」

「別に、行って戻るだけなら問題ないですけどね。目的は何です? ケイモ老師の『次元転移』で、元の世界にお帰りですか? それとも……」

「ただ行ってくるだけなんで」

「それなら、いいんですがね」

 イゴルがふぅ~と息を吐く。

「大きな事件を起こした人なのに、ケイモ老師って呼ばれてるんですね」

「ああ、何でか知りやせんがね、周りにいる連中がそう呼ぶんで、自然とそうなっちまって。まぁ、大きな事件って言っても、だいぶ前のことですし、元の世界に戻りたいユニットにとっちゃ、ひとつの希望ですからね」

「希望、ですか」

「そりゃそうでしょう。『次元転移』を自分に使わずに、この世界に残っていてくれている。それでいて、国に捕まることもない。お金を貯めれば、いつか帰ることができるとなれば、希望と言わずに何と言いやしょう」

 確かに、『次元転移』のスキルを持つユニットは、能力があるとわかった時点で捕えられていることを考えると、浮遊島で暮らす彼は唯一無二の大きな存在に思えた。国のユニット兵部隊が捕えに来ても、退けることができる力も含めて。

「それに、働かされるだけだったユニットに、給与を出す所有者が増えたのは、ケイモ老師が高額の謝礼を求めるようになったからなんですよ」

「どういうことですか?」

「まずね、無償でやったら、あの事件の二の舞になりやす」

「帰りたいユニットが殺到して、パニックになったって話ですか」

「ええ。でもって、老師が高額の謝礼を求めたことで、帰りたいユニットには“お金を貯める”という目標が出来た。これが重要なんです」

 イゴルは拳を握って語り始める。

「ケイモ老師が高額の謝礼を求める前は、召喚されたユニットが置かれた状況を嘆いて暴れ、召喚主が泣く泣く強化素材にするケースが少なくなかったと聴きやす。いきなりユニットとしての人生が始まるわけですからね、抵抗があって当たり前。それで自暴自棄になっても仕方ない」

「そうですね……」

「ところがどうです? お金を貯めれば帰られるという希望があるなら、働いて稼ごうって気にもなる。召喚主も、ユニットに給与を与えれば、希望を失わせずに働いてもらえるし、ガチャへの投資額も回収できる。互いにメリットがあると思いやせんか?」

「なるほど……」

「謝礼が安ければ、帰るユニットが増えて騒ぎになる。高すぎても心が折れて働かない。そういった意味で、いい塩梅だと思いやすよ、金貨100枚は」

「謝礼って、金貨100枚なんですか」

 高額の謝礼とは聞かされていたものの、具体的な数字を初めて耳にし、伊吹は目標として遠く感じるような、それでいて何とかなりそうな額に唸るしかなかった。

「で、浮遊島に行かれるんでしたね。ワイバーン1匹3時間の利用で、銅貨2枚になりやすが、ライダーはどうされやす?」

「お願いします」

 馬を乗りこなすのにも時間がかかるのだから、昨日ワイバーンに乗ったばかりの自分が、手綱を握るのは無謀なことだと考えて頼むことにする。

「そいじゃ、ライダーを呼んできやすね。合わせて銅貨4枚になりやす」

 奥の方へと向かうイゴルを見ながら、伊吹はポケットから銅貨を取り出すと、4枚寄せて残りを戻した。

「私も払います」

 後ろにいたウサウサが銀貨を渡そうとするのを制し、伊吹は首を横に振った。

「いいよ、僕に払わせて」

 女の子と二人きりで出かけたときに、全額支払うというのは、ささやかな夢だった。

 二人きり、これもデートかな……と妄想じみたことを頭に浮かべていると、イゴルが同種族の小人を連れて戻ってきた。

「こいつがライダーのベドジフです」

 イゴルに紹介され、ベドジフが軽く頭を下げる。イゴルと同様に緑色の肌をしているが、その額には縦に切られたような傷跡があった。営業スマイルを見せるイゴルとは対照的に、ふてくされた顔つきをしている。

「では、前払いということで」

「はい」

 銅貨を4枚手渡すと、にこやかにイゴルが笑う。

「では、いってらっしゃいませ」

 ベドジフは近くにいたワイバーンに乗ると、自分の後ろの席を叩いた。乗れ、という指示らしい。

「僕から乗るね」

 ワイバーンにまたがると、伊吹はベドジフの後ろについた。次に乗るウサウサのために、手を差し出したときには、すでに彼女はまたがっていた。

 鞍と繋がっているベルトを締め、前の人に抱きつく格好になる。

 伊吹としては腕を体にまわされれば、後ろに座る彼女の胸が当たるという期待をしていたが、実際には軽く腰に手をまわされただけだった。

「もっと、ギュッとした方がいいんじゃない? しっかり掴まってないと危ないよ」

「わかりました」

 今度こそ胸が当たることを期待したが、ウサウサは伊吹の腰元をキツく締めただけだった。

「苦しくないですか?」

「ちょっと苦しいかな……」

「すみません」

 結局、ウサウサは伊吹の腰に軽く手をまわすだけになった。

 イゴルがワイバーンと杭を繋いでいた麻縄を外すと、ベドジフはワイバーンの頭を撫でた後に手綱を引いた。ワイバーンは翼を広げると、大きくはためかせて宙に浮き、手綱で指示されるがままに目的地へと向かった。


 サニタの卵を探した場所を過ぎ、小さな山を越えたところで海が見えた。伊吹が元いた世界と同じような青い海だが、彼が住んでいた地域ほど青々しくなく、どちらかというと水色に近い色合いだった。

「海だね」

 伊吹が後ろにいるウサウサに向けて、半ば感想を求めるように言う。だが、初めて見た海に対して、ウサウサは感慨深げな吐息を漏らしただけだった。それでも、その反応が見られただけで、伊吹は不思議と満足感があった。

 ワイバーンは徐々に高度を落とし、樹木が茂る島へと向かった。島は陸地から1kmほど離れた場所に浮かび、形は円に近く、大きさは直径で1.5kmはありそうだった。

 ベドジフは島の端に平らな場所を見つけると、そこにワイバーンを降下させた。草地にワイバーンを座らせ、ベドジフが手綱を握ったまま飛び降りる。

「着いたぞ」

 それだけ言うと、ベドジフは座り込んで、大きく息を吐いた。

 ウサウサ、伊吹の順に、ベルトを外して、草地に降り立つ。スコウレリアとは違い、潮の匂いが染み込んだ強い風が吹き、空気が肌にベトつく感じがした。

 降り立った場所は崖の上で、海面は数mほど下になる。ウサウサは岸壁に立つと、打ち寄せては返す波を黙って見つめた。

「波を見てるの?」

「すごいですね……」

 ウサウサの表情に変化はなかった。

「海に入ってみる? ここから飛び込むのは厳しいけど、陸地の方は砂地だから」

 陸地を指して言ってみるものの、ウサウサは首を横に振った。

「入ると、戻って来られなくなりそう……」

 吸い込まれそうな海の美しさに伊吹も頷く。ずっと見ていたくなる景色だが、今回の目的は観光ではない。

「僕はケイモという人を探しに行くけど、どうする? ここで海を見てる?」

「私も行きます」

 海を見たがっていただけに、残ると言われる気がしていたが、ウサウサは迷いなく言い切った。

「じゃ、行こうか」

 と言って一歩踏み出したが、どこに向かえばいいのか、検討がついているわけではない。来た道だけは覚えておこうと、たまに後ろを振り返ったり、特徴的なものがないか気にかけながら、伊吹たちは島の中を歩き始めた。

 島の地面には黄緑色の植物が生い茂っていた。形状は杉の葉に似ているが、その間からは細い管が伸び、先端には紙風船のような膨らみがあった。膨らみを踏みしめるたび、フシュ~という力が抜ける音がする。

 少し歩いたのち、白い壁の家が立ち並ぶ場所に出た。家の造り自体はチガヤの家と大差なかったが、大きさ的には半分ほどのものが目立つ。

 その一角では、手足のある魚系種族の他に、ベドジフのような小人系、顔が豚や牛に近い亜人種たちが、葉っぱの上に載せた魚や木の実を指しながら何か話していた。

「オラの魚と、この果実2つでどうだ?」

「そんな小さな魚で、2つは厳しいんだな」

 豚顔の亜人種と小人の会話からすると、物々交換をしているのだろう。よく見ると、それぞれが食料を持ち寄っている。

 彼らがユニットであることは、腕の星印を見ればわかったが、そこにいたのは星印が1つや2つの者ばかりだった。レアリティで言うなら、コモンとアンコモンになる。

 伊吹は道を訊こうと、話し易そうな人を探したが、交換するのに夢中になっている人ばかりで、割って入るのは少々気がひけた。そこに、手ぶらの猫耳少女が家から出てきた。

「あの、すみません」

 すかさず伊吹は少女に声をかけた。

「何だにゃ?」

 猫耳少女は立ち止まって伊吹を見た。

 彼女は猫の耳をしている以外は、伊吹と何ら変わりはなかった。身長も同じくらいで、体型的にも微妙に膨らんだ胸を除けば、同じと言ってもいいレベルだった。上はボロ布を巻き、下もパレオを巻いているだけの格好をしている。腕にある星印は2つだった。

「ケイモさんの所に行きたいんですけど、道を教えてもらえませんか?」

「老師のお客さん、なのかにゃ?」

「そんなところです」

「わかったにゃ! ついてくるにゃ」

 あっさりOKすると、猫耳少女は鼻歌まじりで歩き始めた。伊吹とウサウサは、ズンズン進む彼女の後を追った。

「ここで暮らしてるんですか?」

「そうだにゃ」

「ユニット契約している人も?」

「ボクと契約した人は、ここにはいないにゃ」

「えっ?」

 驚いて伊吹が立ち止っても、猫耳少女は進み続ける。伊吹が慌てて駆け寄ると、少女は前を向いたまま話し始めた。

「強化素材にされそうになったから、ここに逃げてきたにゃ」

「そうだったんですか」

「他のみんなもそうにゃ」

「あっ、さっきの場所にいた人たちのことですよね」

 素材にされれば、この世界からいなくなる。前に見た限りでは、消滅しているように見えた。そのことを知っていれば、素材にされる前に逃げたくなるというもの。問題は逃げた後に、どうやって暮らしていくかだが、この島はそれが可能な場所なのだと、物々交換していた彼らの姿を思い浮かべる。

 コモンとアンコモンばかり目についたのも、不用と見なされやすいレアリティだけに納得がいく。

 しばらく歩くと、木々が無い開けた場所に出た。なだらかな斜面の先には白い壁の家が一軒あり、家の前には海藻をござの上に並べている老人と、老人に話しかけているマスクの男、その男の後ろで立ち話をしている男女がいた。

 老人は白いローブをまとい、マスクの男は茶色のマントを羽織っていた。そのマスクは顔全体を覆う不気味なもので、形状としては鳥の顔を彷彿とさせる。何かの資料で見たペストマスクに似ていると、伊吹は思った。

 立ち話をしている男女は、黒い法衣をまとった大柄な男と、黒いワンピースを着た女性という組み合わせだった。

「ここだにゃ」

 猫耳少女は老人を指さした。

「ありがとうございます」

「バイバイにゃ~」

 道案内が終わると、猫耳少女は来た道を戻っていった。

「行ってみよう」

「はい」

 ウサウサに呼びかけて、伊吹は家へと近づいた。あの事件を起こしたケイモがいると思えば緊張も走ったが、ござに海藻を並べている小さな老人を見ていると、警戒心も薄れていく。

 ケイモと思しき白髪で髭をたくわえた老人は、腰こそ曲がっていないものの、動作が非常にゆったりとしていて、ユニット兵部隊を退けた人物には到底見えない。それどころか、何処となく寂しげで、軽く押しただけで倒れてしまいそうな雰囲気さえあった。

「あら、お久しぶりですね」

 立ち話をしていた男女のうち、女性の方が伊吹を見て柔和な笑みを浮かべた。ケイモに気を取られて気づかなかったが、そこにいたのは同じ日に召喚されたカリスタと、アンフィテアトルムで門番をしていたオスワルドだった。二人ともヒューゴのユニットで、前にバトルで戦ったことがある。

「あっ、どうも……」

「あなた方も、ケイモ老師にお願い事かしら?」

「僕らは会いに来ただけ、みたいな感じですけど、そちらは?」

「『次元転移』を頼みに、ね?」

 カリスタはオスワルドを見て言う。オスワルドは軽く頷くと、腰に巻いていた皮の袋を外し、ジャラジャラと音がする硬貨を出した。

「金貨が100枚貯まったからな。元の世界に戻ることにした」

「寂しくなるわね」

 しみじみ言うカリスタに対し、オスワルドは「フン……」と言うだけだった。

「戻られるんですか。なんだか、勿体ない気がしますね。あんなに凄い力があるのに……」

「凄い力? スキルのことか?」

「はい」

 伊吹はオスワルドと戦った際、彼のスキル『課金地獄』で敗れていた。『課金地獄』は精神的ダメージを与える幻術スキルで、その威力はスキルを使ったユニットを所有している者の課金額に比例している。廃課金者であるヒューゴのユニット向きのスキルと言えるだけに、元の世界に戻ってスキルを失うのが惜しい気がした。

「あれは俺の力ではない。あの方の課金額がなせる業だ」

「それは、そうなんですが……」

「俺は自分の力で生きていきたい。自分で掴み取った力でな」

 オスワルドはケイモの方を向くと、一方的に話し続けるマスク男に目をやった。

「あのマスクの人は先客ですか?」

 小声でカリスタに訊くと、彼女は伊吹の耳元に手を当てて話してきた。

「そうなの、話が長くて困ってるわ。ユニット地位向上協会、俗に言うユニット革命軍のメンバーらしいけど」

「革命軍?」

「前に失敗に終わったユニットの反乱を、今度は成功させようって組織よ」

 伊吹の頭の中で、情報倉庫で聴いた内容が断片的に甦る。革命が成功した暁には、参加者を無償で元の世界に戻すことを約束した反乱軍のリーダー。そのリーダーの交際相手が所有者から暴行を受けたことに端を発した歴史的事件。詳しく聴いたわけではないのに、凄惨なイメージがあった。

「そんな人が、どうしてケイモさんに?」

「革命軍の旗頭にしたいみたいよ、話を聴いている限り」

「ケイモさんが有名だからですか?」

「その言い方は、ちょっとどうかしら。彼らがケイモ老師を旗頭にしたいのは、ユニットの反乱が失敗に終わった原因にあるみたいよ」

 そこまで言うと、カリスタは伊吹とウサウサの手を引き、静かにケイモの家から離れた。革命軍メンバーの声が聞き取りづらい位置まで移動すると、カリスタは再び話し始めた。

「私も、オノフリオやカミルから聴いた程度しか知らないけど、反乱が失敗に終わった原因の1つは、デマだったそうよ」

「デマ? 嘘ってことですか。それって、どんな……」

「反乱軍のリーダー、イェルケルのスキルは『次元転移』ではなく、ユニットを消滅させるものだ……というものよ。『次元転移』が元の世界に戻すスキルというのは知られているけど、実際に“元の世界に戻った人に会った事例がない”ことを突いたのね」

 『次元転移』が元の世界に戻るスキルであることを証明するには、元の世界に戻った後に再びガチャで召喚され、転移したことを知っている人に会って、同一人物であることを認めてもらう必要がある。

「反乱軍に『能力解析』のスキル所持者がいれば、そんなデマは意味を持たなかったんでしょうけど……」

「いなかったんですね?」

「そうなの。だから、元の世界に戻りたいという理由で集まった反乱軍は瓦解したそうよ。イェルケルのいう革命が成功したところで、彼の消滅スキルで消されるだけだと思ったのでしょうね」

「誰が、そんなデマを……」

「誰って、それはデマを流して得する人達でしょう。反乱を起こされて困る側、例えば政府とかね」

 政権を奪取されでもしたら敵わないもんな、と考えたところで、伊吹は別の団体のことが頭をよぎった。

「ガチャの廃止を求める会……じゃなくて、ユニット追放協会って、なかったでしたっけ? あそこもユニットが力を持ったら困りますよね? デマを流した可能性は?」

「ガチャの廃止を求める会は、召喚が非人道的だと主張する人権擁護団体で、活動は穏やかなものだったそうよ。追放協会の方は、反乱に加担した側になるわね」

「えっ? ユニットを追放したい人達なのに?」

「だからじゃないかしら。革命の成功で参加者が元の世界に帰るというのは、この国からユニットを追放したい彼らの望みに合致してるわ。お互いに良く思っていなかったはずなのに、利害が一致するのは不思議よね。たぶん、協会側としては、多くのユニットが帰った後で、残ったユニットを片付けようって腹だったんでしょうけど」

 そこでいったん話をやめ、革命軍メンバーの動きを確認してから、カリスタは話を再開した。

「結局は追放協会も、デマによって疑心暗鬼に陥った反乱軍の内ゲバに巻き込まれる形で弱体化して、今ではもう過去の存在。オルトドンティウムにあった本部も、もぬけの殻みたい」

「そうだったんですか。それで、ケイモさんを旗頭にしたいっていうのは?」

「『次元転移』の使い手として名高いから、同じデマにやられることもないってところかしら。あそこにいる彼の主張を聴く限りでは」

「なるほど……」

 得心したところで、オスワルドが手招きしているのが目に入る。カリスタもそれに気づき、三人はオスワルドの元に歩み寄った。

「彼の話、そろそろ終わりそう?」

「ああ。いい加減、引き下がるだろう」

 カリスタとオスワルドのやりとりを見て、伊吹は革命軍メンバーとケイモの話に耳を傾けた。ケイモは革命軍メンバーを横目で見ながら、相変わらず海藻を並べている。

「我々の目的は『次元転移』所有者の拘束を禁止すること。強化素材にされることを防ぐための1人1ユニット制限の実現。ユニット保護法の強化で、反乱の時とは違います。とにかく一度、同志イェルケルに会って頂けないでしょうか? きっと、話せばわかると思います」

 マスクのお陰で声がこもってはいたが、その声質から革命軍メンバーは若いような気がした。

「君の言う“話せばわかる”というのは、対話によって相手に自分たちの考えをわからせることなのか、それとも相手の考えを自分たちが理解することなのか……。はたまた、その両方をさしているのか、そこのところは、どうなのかね?」

「……りょ、両方です」

 革命軍メンバーの返答は、言い方からしてその場しのぎの感が否めなかった。

「ならば、こちらの考えを理解することから始めてほしいと、彼に伝えておいてはくれまいか」

 握った拳を震わせながら、革命軍メンバーは一歩後ろへと下がった。

「今日のところは戻りますが、次にお会いするときには色よい返事が聞けるものと、期待しております。あなたの最強の力は、こんな島に埋もれさせておくべきものじゃない。それでは」

 マントをひるがえし、革命軍メンバーは海へと続く急勾配を駆け下りて行った。

「最強の力、か……」

 白髭を撫でながら、ケイモが溜め息混じりに言う。それに対し、オスワルドがケイモの背に語りかける。

「あなたの『次元転移』は、最強と呼ばれるだけの価値がある。視界に入れた者を元の世界に戻す、それだけでも驚異だというのに範囲指定もできる。相手の腕だけ転移させれば、『可逆治癒』でも治せないダメージとなる。ユニット兵部隊を1人で退け、この地を守った事実が、それを証明している」

「弱かろうと強かろうと、人を傷つける力は暴力でしかない。それで何か得られたとしても、暴力ということに何ら変わりはない。そんなものを最強と呼んで、喜ぶのは如何なものかの」

「悔いておられるのですか、ユニット兵を殺めたことを」

 ケイモは海藻を並べるのをやめ、オスワルドと向き合った。

「ヒューゴは元気か?」

「はい」

「そうか……。で、今日はどうした?」

 オスワルドは金貨が入った袋をケイモに差し出した。

「『次元転移』を、お願いしに参りました」

「……遂に貯まったか。まずは、おめでとうと言うべきか」

「ありがとうございます」

「帰るのは、お前さん1人か?」

 オスワルドの横に控えているカリスタを見てケイモが訊く。

「俺だけです」

 ケイモは袋を受け取ると、並べた海藻の傍に置いた。

「中身の確認を……」

「必要ない」

 オスワルドのことをよく知っているから確認する必要がない。彼が金を用意したと言ったら、そこには必ず物がある。そんな風に伊吹には思えた。

「次から、あの方の使いとして来るのは彼女になります」

「お初にお目にかかります。私、カリスタと申します」

 オスワルドに紹介されたカリスタが前に出て名乗る。

「ケイモだ。よろしく」

 ケイモは目を細めて、カリスタの顔を見つめる。見えづらいから細めている、といった感じだった。

「オスワルドよ。心の準備が出来たら、言っておくれ」

「既に気持ちの整理はついています。あとは……」

 オスワルドは右腕をカリスタに向けて出した。その腕には星が5つあり、ウルトラレアを示している。

「カリスタ、『所持変更』を」

「ユニット契約が破棄されたら、言葉が通じなくなりますけど……」

 ユニット契約を破棄するスキル『所持変更』を頼まれ、カリスタはケイモに言葉を求めた。言葉が通じなくなる前に、オスワルドに言うべきことがあればと。

「元の世界に戻れば、その印も消えるだろうが……。まぁ、念には念を入れておくべきか」

 そう言うと、ケイモはオスワルドの背中をポンっと軽く叩き、「元気での」と小さな声で言った。

「老師も、お元気で」

 オスワルドがカリスタを見て頷くと、彼女は黙って『所持変更』を発動させた。星印から赤みが失せ、召喚された時の色へと変わる。

 次の瞬間、オスワルドの体が光に包まれたかと思うと、体の中心部に向かって光が収縮するのに合わせて、その場からオスワルドの姿が消え去った。ケイモが『次元転移』を使ったのだ。

 一人の人間がいなくなり、辺りに静寂が訪れる。

 体の大きなオスワルドがいなくなったことで、海風の当たりが強くなったように感じられた。

 オスワルドがいた場所を見つめ、伊吹はケイモが何人ものユニットを見送ってきたことに想いを馳せ、少しだけ寂しい気持ちになった。

「そちらさんは?」

 ケイモが伊吹たちに声をかける。

「僕たちは、あなたに会いに来たというか、見に来たというか……。知りたかったんです、あなたがどんな人か」

「ほう……」

 白髭を撫でながら、ケイモは口元を緩ませた。

「で、感想は?」

「もっと怖い人かと思ってましたけど、そうじゃなかったって言うか……え~っと……」

 急に印象を訊かれ、伊吹は答えに窮した。

「遠慮はいらんぞ」

「割と、普通の爺さんかなと」

 率直な意見にカリスタが苦笑し、ケイモはニヤッと笑った。

「そうか、そうか……。そう見えたか。そちらの、お嬢さんはどうかの」

 ケイモの視線はウサウサに向かう。

「不憫に思いました」

「不憫とな?」

「能力や過去のことばかりに触れられて、今のあなた自身を見ている方がいないように思えたので……」

 隣で聴いていて伊吹はドキリとした。能力や過去の事件でしか、彼を見ていないところが、自分にもあるような気がしたからだ。

 また、生まれた時から生贄という役割を背負ってきた彼女が、それを指摘したことも大きかった。ずっと生贄として見られてきた彼女だからこそ、人柄よりも先に周りが望む有り様に目を向けられることの辛さを、知っているように感じられた。

「なかなか、興味深い客人だ。お前さん方は、元の世界に戻る気はないのかね?」

「僕は、いずれは……。今は、お金が無いんですけど」

 今はどうこうできないものの、いつかは戻らなくてはいけない気がしていた。向こうには家族がいるから、急にいなくなって心配しているかもしれない。この世界で自分を取り囲む人に愛着も湧いてきたが、ここがいるべき場所には思えないところがあった。

「私は戻るつもりはありません」

 伊吹とは逆に、ウサウサは居続けることに迷いはなかった。

「供物として流された身なので」

「そうか……」

 生贄が生きて戻ったとなれば、その風習を信じている人にとっては、良いことではないのは想像に難くない。戻ったところで同じ運命が待つのであれば、彼女としては残る以外に選択肢はないのかもしれない。

「お金が無いなら、こういうのはどうかしら」

 カリスタは文字が書かれた紙を伊吹に手渡した。

「これ、何ですか?」

「明後日、アンフィテアトルムで行われるユニット交換会の招待券よ。交換会ではバトルイベントもあって賞金が出るの。この券があれば、参加できるわ」

「へぇ~……出てみようかな」

 と言ってみるものの、招待券の文字が読めないので、どんなバトルイベントなのかは不明だ。

「招待券、ありがとうございます」

 礼を言って券をポケットに入れる。

「お礼はいいわ。あの人風に言うなら、他意はない、タダの宣伝だ……といったところかしら」

 ヒューゴのことを思い出し、ハハハと笑う。

「この後、どうするの? 老師を見に来たって話だったけど」

「そろそろ戻ります。乗ってきたワイバーンの貸し出し時間もあるし、今日のバトルにも出たいので」

 確認の為にウサウサを見ると、彼女はコクリと頷いた。

「そうなの。それじゃ、ここでお別れね」

「まだ、ここにいらっしゃるんですか?」

「ここに迎えが来る予定だから」

「そうなんですか、それじゃ」

「またね」

 微笑みかけるカリスタに会釈して、伊吹はウサウサを連れてケイモの家を後にした。


 ワイバーンが降り立った地に戻り、寝ていたベドジフを起こした伊吹は、彼に手綱を握らせて来た道を戻ることにした。

 スコウレリアのワイバーン乗り場に着くと、イゴルが出迎えてくれた。

「どうでした? 浮遊島は」

「ケイモさんに会えたんで、よかったです」

 地面に座ったワイバーンの背から、ウサウサ、伊吹、ベドジフの順で降りると、イゴルは麻縄で杭とワイバーンを繋いだ。

「危なそうな連中とか、いやせんでしたか?」

「革命軍なら、いましたよ」

「いたんですか……」

 イゴルが汚い物でも見るような目をする。

「変なマスクにマントをしていましたよ。顔を隠してるってことは、お尋ね者か何かなんですか?」

「そりゃ、国が捕まえようとしてるのもいやすが……。革命軍とは無関係のユニットを装って暮らすために、素性を隠して行動してるのが大半って聴きやすけどね。だから、謝礼を払えそうにないのに島へ行くのは、そっち関係か所有者から逃げてる人かと……いやぁ~、何でもない何でもない」

 自分が貧乏なチガヤのユニットだけに、そっち関係に思われたんだろうなと、伊吹は苦笑した。所有者から逃げてる方だったとしても、イゴル的には逃がすのを手伝ったと見なされ、所有者に責められることを考えれば、島行きを歓迎しない気持ちもわかる気がした。

「で、何かされやしたが?」

「別に、何も」

「それは何より」

 揉み手をしながら、イゴルはうんうんと頷いた。

「何かするような人達なんですか?」

「そいつはもう……。今までに色んな事件を起こしていやすからね。ここいらで有名なのは、活動資金を得ようとして、スコウレリア大金庫の主、ヒューゴ氏の関係者をさらった事件でやすかね。あれ以来、氏の関係者は街中でヒューゴという名を口にしなくなったとか」

「そんなことがあったんですか」

「他にもありやすよ。間抜けな話でいったら、基地局を占拠した事件でやすかね。『脳内変換』を発動させなくして、困らせたところで要求を突き付けるつもりだったようですが、自分たちの言葉も変換されなくなって、要求どころじゃなくなったっていう……」

 生活に必要な拠点を抑えることの意義みたいなものは何となくわかったが、この件に関しては本末転倒過ぎて呆れるところがあった。

「まぁ、関わらない方がいい連中ですよ」

「そうですね」

「はい。ご利用、ありがとうございやした~」

 ニコッと笑ったイゴルに会釈し、伊吹はウサウサと共に闘技場へと向かった。



 闘技場に入ると、観客席でワニック、マユタン、サーヤ、ブリオが輪になって話し合っていた。

「まだ始まってないよね?」

 そう声をかけ、伊吹は輪の中に入っていった。

「ああ、まだだ」

 答えたワニックは隣にいたマユタンとの間隔を空け、そこに伊吹とウサウサを座らせた。

「何を話してたの?」

「対戦相手についてだ。今日の相手は、ギボウシ探偵事務所らしい」

「どんな人が出てくるの?」

「知らん」

「は?」

 知らない相手について話していたのかと思うと言葉もない。黙っているとサーヤが話し始めた。

「あたいらも探ってはみたんだけどさ、今のところは対戦表に書かれた名前しか知らないんだ。何て書かれているのかも、人に訊いて知ったくらいでさ」

「相手は何処に?」

「ずっと控室にいるってさ」

「そうなのです。お陰でマユタンの『能力解析』も出番がないのだ」

「じゃあ、相手の能力がわかるのは、バトル開始前になってからか」

 戦う前に能力がわかれば、綿密な作戦を練られたのに……と、少し残念になる。無論、控室は対戦相手とは一緒にならないので、そこで会うということもないし、相手の方に入ることもできなくなっていた。

「相手がユニフォームを着て出てくれば、そこに書かれた文字と対戦表の文字を照らし合わせて、こいつらかってわかるんだけどさ……」

「まぁ、そうだよね。ところで、参加できるのは5人までなんだけど……どうするの?」

「俺は出るぞ」

 伊吹が言い終わる前に、ワニックが言葉をかぶせてくる。

「ワニックには出てもらわないとね。戦い向きな人って、他にいないし……。あと、相手の能力を知るためにも、マユタンには出てほしいかな」

「えへん!」

 マユタンが得意げに胸を張る。

「俺は女には手を出さん。女を相手にするヤツが必要だ」

「ああ、それは僕がスキルで……。これで3人。今まで戦ってきた経験から言うと、ウサウサの壁があると助かるし、飛べるサーヤに全体を見ていてほしいし、ブリオにも……」

 と言いかけたところで、言葉が続かなかった。ブリオが出て助かったことを思い起こそうにも何一つ浮かばない。

「ブリオ以外ってことだな」

 そうこうしているうちに、ワニックがまとめてしまう。

「オイラだけ、出ないんだな……」

「今回は、って話だ。あたいらの誰かがいないときに、また出番が来るさ」

「そうだよ。ブリオ向きの戦いだって、あるかもしれないし……例えば、水中戦とか」

 ブリオが落ち込まないようにと、サーヤと伊吹がフォローを入れる。その気を知ってか知らでか、ブリオは口の中に手を入れてボーッとしていた。


 そんなやりとりから数十分後、準備をするようにという合図係の案内があり、伊吹たちはユニフォームに着替えて、バトルフィールドに整列することになった。左からワニック、サーヤ、伊吹、マユタン、ウサウサの順で並ぶ。

 対する相手は全員女性だった。

 ボーイッシュな感じのショートカット少女、八重歯が印象的な茶髪のポニーテール、知的な感じの黒髪ストレートロング、伏し目がちな銀髪ストレートロング、釣り目の金髪ボブカットという面々だった。

 肩出しワンピースを着た若い女性陣は華やかだったが、ワニックは別の意味で面食らっていた。女性とは戦わない彼にとっては、戦う相手のいない最悪の状況になる。逆に伊吹にとっては、全員が攻略対象ということになる。

「今回は、旗でも守るとするか……」

 力なく言うワニックのガッカリ感はハンパなかった。

「これは凄いのだ!」

 対戦相手を確認し終えたマユタンが楽しそうに飛び跳ねる。

「どうしたの?」

「全員、同じ能力なのです! 通り抜けるスキルの『物体通過』に、霧の中にいる同一型ユニットを透過させるアビリティ『透過濃霧』なのだ。でもでも、目だけは透明にならないのです」

「透明になる上に通り抜けるの? そんなの、どうやって相手したら……」

 触ろうにも通り抜けられるし、そもそも姿が見えないとくれば、相手の旗を取るしか勝つ方法が無い気がする。旗を取るにしても、相手の方が有利な訳だが。

「嘆くのは、そこではなくてよ」

 伊吹の正面にいる黒髪女性が、髪の毛をいじりながら言う。彼女の揃えられた前髪と白い肌は日本人形を連想させる。

「美しいものが見られなくなる。それこそが、悲しみというもの」

「はぁ……」

 伊吹には彼女が何を言わんとしているのかピンと来なかった。実際には、透明になったら綺麗な私が見られなくなるから、そっちの方が悲しいでしょというナルシスト発言である。

「いえ、違うわね。喪失を嘆くほどの美に出会ってしまった……。その事実こそが悲しみ。あぁ、美しさとは何と罪深い」

 ポエマーなのかなと思って聴いていた伊吹だったが、周りを見てみると誰も彼女の言に耳を貸していなかった。彼女の仲間ですらも。

「彼女、何を言ってんの?」

「あっ、マーヤのこと? 気にしないで。あの子、ちょっと病気なの」

 サーヤが目の前にいたポニーテールに訊くと、彼女は苦笑して返した。

「聞こえていてよ、エミーリエ」

「アハハ……」

 黒髪のマーヤに名前を呼ばれ、ポニーテールのエミーリエは笑って誤魔化した。

「いつの世も傑出したものを持つ存在は、曖昧な概念で表現される悲しき運命を背負うもの。責めてはいなくてよ、エミーリエ。ただ、私は寂しいだけ」

「早く始まんねぇ~かな」

 マーヤが話しているにも関わらず、端にいたボーイッシュな子が愚痴る。

「ねぇ、審判の人。まだぁ~?」

「審判を急かすな。暴言ととられたら負けになる」

 金髪ボブカットが審判団の方に声をかけ、それを銀髪のストレートロングがたしなめる。そんな彼女たちの様子を見ながら、何て意識がバラバラなチームなんだろうと思う伊吹だった。

 そうこうしてるうちに審判団による説明が始まって終わり、合図係による開始のサインを待つだけとなった。

 互いに開始の時を待つこと数十秒、笛の音が場内に鳴り響いた。

 ワニックは開始と同時に旗の前まで走っていき、ウサウサも後ろで『好意防壁』を発動するタイミングを窺う。サーヤはジャンプしても届かない位置まで飛び、伊吹とマユタンは前に出て身構えた。

 相手は各々の体から霧を出すと、目と服以外を透けさせた。目は開いていれば気づくことが出来たが、伏し目がちな銀髪の女性に至っては、服しか見えない状態になる。

 気づけば、彼女たちから発せられた霧は、フィールド中に行き渡っていた。

「服が透けないなら、場所もわかっ……」

 場所もわかるから攻撃できると思った伊吹の前で、5人の服が宙を舞った。一斉に脱ぎ捨てたのだ。

 脱ぎ捨てられた服が砂地に落ち、相手が何処にいるのかわからなくなる。ワンピースを脱いだら見えないというのは、誰も下着を身に着けていないことを意味していた。

「見えないのだ……はぅっ!」

 攻撃を受けたのか、マユタンが腹部を押さえる。

「見えなくても、旗さえ取れば!」

 相手の旗に向かって走りだした伊吹の後頭部に、バシッという音ともに打撃が加えられる。

「あたっ!」

 砂地に手を着いた伊吹に、容赦のない攻撃が繰り返される。勿論、攻撃自体は見えない。

「ぐっ……」

 下を見て痛みに耐えていると、砂地に足跡がつくのが目に入る。この足跡がついた瞬間を狙えば、相手を捕まえられるかもしれない。伊吹は新しくついた足跡の少し上を掴みにかかった。

「あっ……」

 姿は見えないが、伊吹は足首を掴んだ気がした。掴んだ時に聴いた声は、金髪の子のものだった。

「てめぇ~、離せ!」

 『快感誘導』を放とうにも、休みなく足蹴にされては集中できない。

「カトリナ、通り抜け!」

 銀髪の女性の声がしたかと思うと、次の瞬間には伊吹の手は空を掴んでいた。『物体通過』のスキルで、通り抜けられたのだと気づく。

「最悪の組み合わせじゃないか……」

 相手の能力に無力感を味わう。

「キャッ!」

 女性の悲鳴と同時に、目の前の砂が人の形に象られる。雪が降った後に倒れ込んで作る“雪の妖精”の砂版だった。

「何、これ……」

 不思議に思って、かたどられた縁に触れようとすると、人の肌の感触が手に伝わってきた。

「触るなっ!」

 バチーンと頬を叩かれるが、相変わらず姿は見えない。ただ、この人の形はスキルで通り抜けした際に、そのまま倒れ込んで出来たものに思えた。おそらくは、体が半分くらい沈んだところで、通り抜けスキルの使用をやめたのだろう。通り抜けるからには、地面も対象のようだった。

 伊吹が金髪の子と対峙している頃、ウサウサは砂地につく足跡を見ながら、マユタンやワニックの前に壁を作っていた。突如として現れる石壁に、対戦相手の声が上がる。

「痛っ! なんだよ、この壁」

「あのウサ耳の子が出してるみたい」

「じゃ、そっちを最初に叩こうよ」

「賛成」

 ボーイッシュな子と、エミーリエの声だった。

「ウサウサ、来るよ! 自分の前に壁を作んな」

 宙を舞うサーヤからの警告を受け、ウサウサが自分に対して『好意防壁』を発動させる。しかし、そこに壁が出来ることはなかった。

 対象者への好感度に比例した強度の壁を築けるスキルだが、彼女に対しては何も起こらなかった。自分をよく思っていない、ということになる。

「あんた、自分のこと……」

 サーヤが驚いているうちにも、三人分の足跡がウサウサに迫る。攻撃が来ると思った瞬間、ウサウサが身を屈めると対戦相手の声が響いた。

「痛っ!」

「ちょ、待っ……」

 仲間同士で殴り合ったようだった。互いに見えないので無理もない。

 一方、伊吹は金髪の子の攻撃を受けつつも、彼女が残した砂版の“雪の妖精”を見て妄想していた。

 この体のラインの子が傍にいる。それも、一糸まとわぬ姿で。そう考えるだけで、何だかハッピーな気持ちになっていた。

「全裸の子が傍に……」

 目をつむってイメージを膨らませたい心境だったが、金髪の子の当たりが強くなってできない。

「見えないからノーカウントだ!」

「大丈夫、心の目で見るから」

「やめろーっ!」

 腹に連打を食らい、よろけて倒れると、そこには脱ぎ捨てられたワンピースがあった。そのワンピースを掴むと、あるアイデアがひらめいた。伊吹は「これだ!」と叫んで、脱ぎ捨てられた服の回収に走った。

「お前、何を!?」

 金髪の子の声がしたが、気にせずに5人分の服を集めて勝ち誇る。

「人質ならぬ、服質だよ。これで、ずっと全裸のまま……」

 伊吹が言い終わるよりも早く、誰かがワンピースを引っ張る。姿は見えないものの、次々に伊吹の前に足跡が増えていった。

「返せ、この変態!」

「ちょっと、それは勘弁してぇ~」

 服を取り返そうとする相手と、渡すまいとする伊吹の攻防は、傍目には伊吹がパントマイムをしているように見えた。そのドタバタぶりに、ウサウサも『好意防壁』の発動タイミングを逃し続けていた。

「そういやさ、霧って水蒸気だよな」

 敵が伊吹に集中したことで、冷静になったサーヤがワニックに語りかける。

「そうなるな」

「水蒸気ってことは、水だよな。『水分蒸発』で消せないわけ?」

「俺の『水分蒸発』は純粋な水にしか反応しない。これは体を透けさせる霧だ。タダの水ではないだろう」

「やるだけ、やってみたら?」

「そうだな」

 ワニックは右手を上げると指をパチンッと鳴らした。

 辺り一面を覆っていた霧は晴れ、今まで隠れていた5人の女性の姿が浮かび上がっていく。

「おおっ!」

 驚いたのは伊吹だった。いきなり霧が晴れたかと思うと、透明化していた相手の体に色が付き始めたのだから、何が起こったのか理解しきれなかった。

 ただ、全裸が見られるという高揚感で、服を持つ手に力が入らなくなる。ファサッと砂地に服が落ちたときには、彼女たちの透明化は解けていた。

「キャーーッ!」

 胸元や股間を手で押さえ、彼女たちは悲鳴を場内に響かせた。

 例え手で押さえても、その指の隙間から乳首なんかが……という伊吹の期待は、見慣れた光によって打ち砕かれる。彼女たちの裸を光が覆い隠したのだ。

 それは、隠したいものや見たくないものを光で覆うアビリティ『光耀遮蔽』だった。

 伊吹はウサウサの顔をチラリと見ては、アビリティを憎んで人を憎まずと、自分に言い聞かせた。

「美しさは隠せない。これも運命だというの?」

 透明化が解けて全裸があらわになってもなお、マーヤだけは体を隠そうとせず、旗の前で黄昏ていた。

「誰か、早く旗を取って終わりにして!」

「なら、あたしが!」

 エミーリエのリクエストに、金髪の子が応える。彼女は胸元を手で隠したまま、旗を取りに走った。

「させるかっ!」

 伊吹が慌てて彼女の背中を追う。

 胸や股間だけだった『光耀遮蔽』の光が、お尻まで隠し始めたのを見て、伊吹の何かが吹っ切れる。

「クソアビリティがあぁぁぁっ!」

 怒りのエネルギーは速さに変換され、金髪の子の肩を捕える。掴まれて体勢を崩した彼女に対し、伊吹は『快感誘導』を放った。

「あっ、ああぁんっ! いやぁんっ!」

 艶っぽい声を出して彼女が倒れたものの、必要以上に光で隠されていたことで、伊吹の欲求不満は募るばかりだった。

「もう光は、たくさんだ!」

 その不満をぶつけるかのように、相手の旗に向かって全速力で走る。途中、体を隠しながらも3人の女性が立ちはだかったが、片っ端から『快感誘導』を放っていく。

「あはぁんっ!」

「んふぁぁっ!」

 快感に体を打ち震わせ、膝をつく彼女たちを避け、マーヤの前まで来る。彼女は行く手を塞ぐ素振りは見せなかったが、それがかえって不気味に思えた。その不気味さを振り払う為に無力化しておこうと、彼女の手を掴んで『快感誘導』を放つ。

「あぁっ……す、すごいわ……ふふふ……」

 スキル発動後の彼女の反応を見て、単に変わった人だったんだなという結論を抱き、伊吹は守る者がいなくなった相手の旗を手にした。

「勝者、スコウレリア第三事務所」

 判定と共に角笛が吹かれた。

「何だろう、この虚無感は……」

 初めてバトルで旗を手にしたのに、伊吹の心は満たされないものがあった。一言で言えば、それは“見たかった”という気持ちなのかもしれない。


 バトルを終えて家に帰ると、テーブルの上にはゼリー状の物が2つ並べられていた。お椀型で色は白に近い肌色、大きさは人の頭ほどあり、その頂には赤い実がトッピングされている。

「これ、何……?」

「マユタンが選んだ今日のご飯」

 チガヤにご飯と言われても、伊吹には別のものに見えていた。バトルで見たくても見られなかったそれに、形が酷似していたからだ。

「プルンプルンしてて、美味しそうなのだ!」

「オイラ、早く食べたいんだな」

 マユタンとブリオが席に着く。

「どうぞ、召し上がれ~」

 チガヤのOKが出るとマユタンとブリオが手づかみで食べ始めた。そこにワニックとシオリンも加わる。サーヤは赤い実を1つ持ち上げると、ハンモックの方に持っていった。

「僕も……」

 伊吹も席に着き、食事に手をつけた。手に掴んだ感じとしては硬めのゼリーだったが、味の方は酸味が効いていて思わず顔をしかめた。

「マユタン、あのですねぇ~」

 食べながら、シオリンがマユタンを呼ぶ。

「なぁ~に?」

「シオリン的には、アレを聴きたいんですねぇ~」

「アレ?」

「あの黒くて丸っこいのから音が出る……えっと、アビリティでぇ~……」

「了解なのです!」

 シオリンが求めているものに気付いたマユタンは、テーブルを離れると両手を前に出し、手のひらからポコポコと黒い球体を浮き出させた。離れている場所の音を拾うアビリティ『遠隔受信』を発動させたのだ。

 マユタンが球体の1つに触れると、その球体を通して音が聞こえてきた。

「次の試合は、ハイ掘削所VSスジイタチ野鍛冶事務所です」

 大勢の人がざわついている音と先の声は、闘技場以外に考えられなかったが、今もバトルが行われているのは、伊吹としては意外だった。ギボウシの闘技場を出るときには、残り試合は少なかった気がする。

「これって闘技場?」

「会社名からすると、これはオルトドンティウムの闘技場かな」

 チガヤに言われて、地方ごとに闘技場があることを思い出す。

「オルトドンティウムは人が多いからね。試合数も凄いんだって」

「へぇ~」

「試合時間を短縮するために、5対5から3対3に変わったって聴くよ」

 そんなことを話している間にも笛が鳴っていた。心なしか、二度は鳴ったような気がする。

「始まったの?」

「もう終わったのだ」

「へ?」

 あまりの試合時間の短さに呆気にとられる。終わったことを告げたマユタンも、納得いかなそうな顔をしている。

「一体、何が起こったの? まさか、とんでもない能力とかで……」

「しーっ!」

 マユタンに静かにするように言われて黙り込むと、球体から幼い女の子の声が聞こえてきた。

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