第四話 金の力
「あのね、他の従業員がバトルにエントリーしたんだって」
自分たち以外のチームが、スコウレリア第三事務所の代表として出る可能性があることを、チガヤに言われるまで考えてもみなかった。
そもそも、会社の代表戦であるバトルは、従業員登録しているユニットであれば、誰でも参加することができる。今まで、誰も出ようとしていなかったから、続けて出られただけであって、必ず出られるという保証はなかったのだ。
「今まで誰も出ようとしなかったのにぃ~……」
「おおかた、あたいらがバトルで勝ったから、自分らもって思ったんだろうさ」
シオリンとサーヤの会話を聴いて、「ああ、そうか」と伊吹は納得した。成功例が出れば、自分もと思うのは想像に難くない。ただ、疑問もある。
「出たいチームが複数あった場合って、どうなるの?」
「わかんない。今まで、そんなことなかったから……。ちょっと、訊いてくるね」
チガヤは再び受付へと向かった。
「確か、出場するメンバーの変更は、バトル直前までできたよな」
「前にチガヤがそう言ってた気がする」
「なら、エントリーした奴らと話し合えば、代わってもらうこともできるわけだ」
サーヤが出られる可能性を示唆すると、ワニックは怪訝そうな顔した。
「戦いを決意した者の邪魔をするのは気がひける」
「まぁ、確かに横から茶々を入れるのはアレだよね……。いっそ、社内で代表者選抜大会とかやれば、スッキリしそうだけど」
今度はサーヤが怪訝そうな顔をする。
「それで何人か代表者入りしてバトルに勝ったとしても、分け前でもめるのは必至だな。その前に、代表者の選び方でも一悶着ありそうだ」
「それは、ごもっとも……」
「訊いてきたよー」
受付からチガヤが走ってくる。
「あのね、今まで出る人がいなかったから、代表者の選び方とかないんだって。今日のところは、早い者勝ちってことで、先にエントリーしたチームが出るみたい」
「今後は?」
「そのうち考えるって言ってたよ」
「他に、何か言ってなかった?」
「『出る人さえいなかったのだから、そこのところの取り決めはない。決まり事というのはね、何か問題になって初めて作られるもんさ』って、受付の人が言ってた。とにかく、今日のバトルはナシだからね」
チガヤの表情が少し明るくなっていた。他チームがエントリーしたことで、自分のユニットがバトルに出なくて済むのが嬉しいのだろう。
「それじゃ、今日の仕事を発表しまーす。なんと、今日は仕事が2つ! 1つは室内の湿度を上げてほしいって依頼。場所はハイツボだよ。もう一つはスコウレリアで、チラシのモデルになるお仕事」
「二手に分かれるの?」
「うん。モデルの方は複数のユニットが必須ってあるから、私とサーヤ以外はそっちね」
「ハイツボかぁ……。昨日の対戦者も、そこだったな」
昨日の対戦者と聞いて、痩せたがっていたマリーナの顔が浮かぶ。
「僕らはスコウレリアの何処に行けばいいの?」
「ガチャ神殿の近くだよ。はい、地図」
チガヤから受け取った地図には、会社の絵とガチャ神殿の絵、そのふたつを結ぶ道と、目的地を示す×マークがあった。×マークの隣にはドーム型の建物が描かれている。
「ああ、あそこですねぇ~」
シオリンが地図を覗き込んでくる。
「知ってるの?」
「入ったことはないですけどぉ、いろんな噂を聴くところですよ。この建物」
指差したのはドーム型の建物だった。
「噂ってどんな?」
「すごい悲鳴がするとかぁ、中から血だらけの人が出てきたとかぁ、そういった類の……怖い噂を」
「そ、そんなヤバそうな所に行くんだ……」
「行くのは、その近くです。そこじゃありませんよぉ」
「でも、近くだしね……。この仕事、断れないか訊いてみる?」
伊吹とシオリンの話を聴いて心配になったのか、チガヤはユニットたちの顔色を窺った。
「悲鳴に血か……。そこで戦いになるなら、俺が皆の盾になろう」
ワニックが胸を張る。
「近くを通ったら襲われたとか、そういう噂はないから平気ですよぉ~」
噂を話した張本人がチガヤに笑いかける。
「私は興味があります。そこで何が行われているか」
ウサウサは相変わらず、何でも見てみたいようだった。その横でブリオは口に手を入れ、ボーっとしている。腹が減っているのかもしれない。
「イブキは?」
「僕? 僕も平気かな。この仕事を断って、次が来なくなったら困るし……」
「そっかぁ……。じゃあ、そっちの方はお願いね。終わったら、家に戻ってて。市場で何か買って帰るから」
伊吹たちが頷くと、チガヤはサーヤを連れて出て行った。
「僕たちも行こうか」
地図を持った伊吹を先頭に、目的地に向かって歩き出す。
ガチャ神殿が見え始めたところで、シオリンが伊吹の肩を叩いた。
「あそこですねぇ~」
そう言って指差す方向には、ドーム型の白い建物があった。その近くには四角い二階建ての建物も見える。
「あぁ、あれか。あの道を進めば行くんじゃない?」
進行方向にある小道を指して言う。ガチャ神殿へと続く大きな道の他に、右手に逸れる小道があった。伊吹たちは小道へと入り、目的地へと近づいていった。
皆の注目は目的地よりも、噂のドーム型の建物にあったが、拍子抜けするくらいに辺りは静まり返っていた。
「何も聞こえませんね」
ドーム型の建物を見てウサウサが言う。
「まぁ、ただの噂だったってことじゃない」
「そうですねぇ~」
なんてことを話しているうちに、目的地に到着する。玄関らしき場所まで行き、伊吹はドアをノックした。
「チラシのモデルを引き受けた者ですけど」
「おう! こっちだ」
声がした方に目を向けると、建物の陰から派手な身なりの男が姿を現した。その男の顔に、伊吹は見覚えがあった。自分が召喚された後に10連ガチャを回していた男、ヒューゴだ。
建物の陰へと歩き始めたヒューゴの後を追うと、白い石畳が敷かれた場所に出た。広さはテニスコートほどある。石畳の端には、白く塗られた板が立てられていて、その裏には椅子やテーブルが置かれていた。
「集合!」
石畳の中央でヒューゴが手を叩くと、3人の男女が集まった。一人はサラサラ金髪の爽やかそうなイケメンで、白いシャツに黒いズボンとベストというコーディネートだ。もう一人は白いツナギ服の小柄な青年。女性は黒いワンピースを着たナイスバディの持ち主で、彼女のことも見覚えがあった。自分と同じ日に召喚され、強化されていた姿が印象に残っている。
「チラシのモデルが来たから用意しろ。カミルは『形態投影』、オノフリオはカミルの手伝いだ。必要があれば『閃光演出』を加えろ。カリスタは衣装を持ってこい」
三人は返事をして、それぞれの場所に移動した。カミルと呼ばれたツナギ服の青年は、石畳の中央にテーブルと紙を用意する。オノフリオと呼ばれた金髪のイケメンは白い板の近くに移動し、ナイスバディなカリスタは家の中へと入っていった。
三人の動きを確認すると、ヒューゴは伊吹たちの前に歩いてきた。
「俺様が依頼主のヒューゴだ。聴いているとは思うが、やってもらう仕事はモデルになる。何のモデルかと言うとだな、俺様が運営しているユニット買取市場のチラシのだ……って、おいおい、何で同種族がいるんだ? おい、カリスタ!」
ヒューゴは伊吹の顔を見るなり、家の方を向いて怒鳴った。ボロい服を持ったカリスタが慌てて出てくる。
「はい、何か……」
「何か、じゃねぇよ! この国の人間と同じ種族はダメだって言っただろ。何で来てんだよ、依頼時に言わなかったのか?」
「申し訳ございません。伝え忘れました……」
カリスタが深々と頭を下げる。
「まぁ、来ちまったもんはしょうがねぇ。今回のモデルは、カエルと魚とワニだ。衣装を着てもらえ。ウサギ耳は、そのままの格好でいいから、白いボードを持たせて『形態投影』だ。画像素材としてキープしておく。準備が出来たら、そうカミルに伝えておけ」
「はい、かしこまりました」
カリスタはワニック、シオリン、ブリオに、持っていたボロい服を渡していく。
「おい、少年」
「僕ですか?」
ヒューゴが伊吹の前に立つ。
「名前は?」
「伊吹です」
この世界に苗字が無いのを思い出し、名前だけを伝える。
「よし、イブキ。俺様についてこい」
言われたままついていくと、ヒューゴは白い板の後ろから椅子とテーブルを取り出して並べた。そこに掛けると、伊吹にも座るよう指示する。
「あの、僕は何を……」
椅子に腰を掛け、ヒューゴに問いかける。
「ン? 何もやることがないから座っとけ。モデルとしては使えないからな」
「どうしてダメなんですか?」
「これを見てみろ」
ヒューゴはコートのポケットからクシャクシャの紙を取り出し、テーブルの上に広げて見せた。人間がボロ服を着て並び、真ん中には何か文字が書かれている。
「これ、何て書いてあるんですか?」
「“あなたが使わないユニットを待っている人がいます”だ」
伊吹は“要らない洋服、買い取ります”という広告を思い出した。ものがユニットとはいえ、やっていることは変わらない。
「これ、何か問題があるんですか?」
「大ありだ。この国の人間、つまりはユニット所有者と同じ種族をモデルにして、“使わないユニット”って書いてみろ。いい気はしないだろ?」
「まぁ、そうですね……」
伊吹の感覚としては、ユニットの買取自体が人身売買のようで嫌な感じがしたが、異形の者が“使わないユニット”の代表としてモデルになっているより、同じ人種がそうなっている方が嫌悪感が強いのは理解できた。
「そういうことだから、この最初に作ったチラシは没だ。人に任せて出来たのがこれだから、俺様が直々に制作にあたってるわけよ」
「直々に制作って……あの、働けなくなる病気に罹る危険性があるんじゃ……」
この国の人間は働くことで、寝ているだけになる病気に罹ることを、前にチガヤから聴かされていた。そのために、働いても病気に罹らないユニットを召喚し、労働力としていることも。
「ああ、社畜病のことか。まぁ、俺様は仕事の指示を出しているだけだしな。それに、あれは……いや、やめておこう」
「そこでやめられると、気になるじゃないですか」
「気になるんなら、スコウレリア情報倉庫で調べればいい。銅貨1枚で色んな情報が買えるぞ」
「お金がかかるんですね……」
「当たり前だろ、タダで何でも手に入ると思うな」
ネットで検索したらタダであれこれ調べられるのに、と思ったところでヒューゴはポケットから細長い紙を取り出した。
「これは?」
「スコウレリア情報倉庫の初回無料券だ。最初の1件だけだが、タダで調べものができるぞ」
「僕にくれんですか?」
「ああ、くれてやる」
「ありがとうございます!」
「タダの宣伝だ、礼は要らん」
「えっ?」
「ここも俺様が運営している。1度使って気に入れば、何度も使うようになるだろう」
ヒューゴはモデルたちを眺めながら淡々と言った。
伊吹もモデルとなったワニック達に目を向ける。彼らはボロい上着を上から着させれ、白い板を背に並べられていた。それを石畳の中央にいるカミルが、『形態投影』のスキルを使って、見ている風景を紙に写している。
「おいカミル、少し暗いんじゃないのか?」
「そうですね、明るくしてみます」
カミルが空中にある透明な紐でも引っ張るような動作をすると、周囲が全体的に明るくなった。
「周囲の明るさを調節する『光源調整』ってアビリティだ。そういや、お前はどんな能力を持ってんだ? レアだからあるんだろ?」
「欲を満たす『快感誘導』と、よくわかっていない『無限進化』です」
「聴いたことが無い能力だな、興味深い。どうだ、うちのユニットにならないか? カリスタのスキル『所持変更』を使えば、今の所有者とのユニット契約を破棄できるぞ」
「……遠慮しておきます」
要らないユニットを強化素材にしているところを目撃しているだけに、ヒューゴのところには心の底から行きたくなかった。
「そいつは、残念だ。……ン?」
ヒューゴが伊吹の顔を凝視する。
「お前、ガチャ神殿で俺様と会ったよな? 召喚された時、変な植物に入ってなかったか?」
「僕のこと、覚えていたんですね」
「ああ、珍しいものに入ってたから気になっていた。ユニットの大半は捕えられた状態で召喚されてっから、袋や檻、箱状のものに入っているのが定番だ。なのにだ、簡単に抜け出せそうな植物に入っていたのがイブキ、お前だ。何故、アレに入る必要があった? 自分から、あんな物に入る理由がサッパリわからん」
「それは……」
伊吹は事の経緯を簡単に説明した。動画サイトに投稿するために、巨大カボチャに入っておもしろ動画を撮影している最中だっと話したものの、ヒューゴにはインターネットの概念すら伝わらなかった。そもそも、ネットは何故つながるのか、デジタルデータとは何かという点は、伊吹もよくわかってはいない。
「なんか、よくわからんが、スゲー面白そうな世界から来たんだな」
あれこれ聴くと、ヒューゴはざっくりとした感想を述べた。
「いやぁ……、面白くないことの方が多いですよ」
「どういうところがだ? 統治者が酷いのか?」
「僕のいた国の統治者は、よく代わりますけど、誰になってもあまり変わらないですね」
「誰になっても変わんねぇ~だと? 本当にそいつが統治者なのか? 実質的な権力者は他にいるんじゃねぇ~のか?」
「……かもしれないですね。僕は政治とか経済は疎いんで」
ヘラヘラと笑って誤魔化すしかない自分を、伊吹は少し恥ずかしく感じた。
モデル業務の方はワニック達から、ウサウサへと代わっていた。ウサウサは白いボードを持って、小首を傾げるポーズを取らされていた。カミルがウサウサに「スマイルぅ~スマイルぅ~」と笑顔を求めているのが聴こえる。
「あの白いボードって、何か意味があるんですか?」
「後で文字を入れるんだよ、こんな風に」
ヒューゴはコートのポケットに手を入れると、またクシャクシャの紙を取り出して広げて見せた。そこにはセクシーな衣装で谷間を強調しているカリスタが、文字の書かれたボードを持っている姿が載っていた。
「何て書いてるんですか?」
「これはイベントの期日だ。ものによっちゃ、同じポーズで“お待ちしています”みたいなメッセージを入れることもある」
「へぇ~……。それで、何も書かれていないボードを持たせたんですね。後で文字を入れられるように。買取市場や情報倉庫を運営されてるって言ってましたけど、本業はチラシ制作なんですか?」
「まさか。俺様の本業は、そうだなぁ……大規模な金貸し、とでも言えばわかるか?」
「大規模な金貸し?」
カリスタが印刷された紙を裏返すと、ヒューゴはポケットから取り出した細い石で絵を描き始めた。まず、人の形をしたものを2つ描く。
「例えば、イブキがカリスタから金貨10枚を期限付きで借りるとする。カリスタにとっては、手持ちの金貨が無くなる上に、イブキが持ち逃げする危険性もあって得が無い。だから、イブキが持ち逃げしても損をしないように、イブキが持っている金貨10枚相当のものを預かることにする。期限内に金貨を返さなければ、所有権が移るという約束付きでだ。こうすれば、最悪の事態が起こっても、預かった物を売ればいいので損はしない。だが、得もしない」
「そうですね……」
「そこで、金貨10枚以上の値がつくものを預かったり、金貨を返す時には貸した額に加え、貸した額の数%を要求したりするわけだ。これが、この国でよくある金貸しだ」
2つの人の形の間に矢印が書かれ、貨幣の絵が付け足される。
「しかし、この貸し方では自分が持っている分しか貸せない。当たり前の話だが、財産に余裕のある者しか金貸しは行えないし、それで儲けられる限界も資金量によって決まる」
「そうなりますよね」
「俺様は違う。なぜなら、他人の金も貸せるからだ」
ヒューゴは建物の絵を描くと、その周りに人の形を幾つも描いた。人の形から建物に向けて矢印が伸びる。
「俺様のところに、いろんな奴が“この金を貸してもいいですよ”と持ってくる」
「えっ? どうして?」
「そうすることにメリットがあるからだ。人間、損をしたい奴なんかいるかよ。さぁ、考えてみろ。俺様のところに金を持ってくるメリットを」
「それは……」
伊吹は想像してみたが、これという回答は出てこなかった。
「理由は2つある。まず、俺様に預かってもらった方が安全だからだ。ユニットを使った強盗は少なくない。それに対抗するにしても、そういうのに向いた能力を持ったユニットが必要になる。ガチャで出せればいいが、なかなか出るもんじゃない。だったら、既に強力なユニットを揃えている俺様に預けた方が早いってことになる」
「なるほど」
「次に、俺様のところに預ければ、1年間で0.1~0.5%ほど預けた金額が増える。わずかな額だが、何もせずに入ってくる金だ。これで家に置いておく理由がなくなったわけだ。もちろん、俺様の社会的な信頼があっての話になる」
絵には建物から周囲の人に向けての矢印が書かれ、その傍に貨幣が描かれていた。建物の周りには壁のようなものが加えられている。
「この国の金貸しの中には、10日という期限で貸し、返してもらう時には10%上乗せする輩もいる。それに比べれば、1年間で5~18%しか上乗せしない俺様は実に良心的。金を預けるなら、俺様が運営するスコウレリア大金庫が一番ってワケだ」
「どんな人が借りてるんですか? やっぱり、貧乏な人とか……」
「返せるアテのない奴には貸さんぞ。回収するまで追い続けるなんてのは、時間と労力の無駄だからな。大半は、何か新しいことを始めようとしている連中だ」
「それって、どんな?」
ヒューゴは立ち上がると、ドーム型の建物を指差した。
「例えば、あれがそうだ。国営の闘技場のようなヌルいルールじゃなく、ガチな戦いを観たいヤツ向けの闘技場を造るから、建設費分を貸してほしいと言ってきた」
「あの建物、闘技場だったんですか」
「そうだ。名をアンフィテアトルムと言い、俺様も運営に関わっている。中で行われるのは、10人の出場者が最後の1人になるまで戦い合うバトルロイヤルと、運営側が用意した強者と戦うチャレンジバトルだ。今日はチャレンジバトルの日だが、仕事が終わったら観ていくか? 招待制だから出入りしている知り合いがいないなら、もう観るチャンスは無いぞ」
「なんか、やけに親切ですね……」
伊吹は不気味だった。何の躊躇いもなくユニットを強化するヒューゴが、自分にあれこれ教えてくれるのが。
「なぁ~に、タダの宣伝だ。他意はない」
「それなら、行くかどうか、一緒に来てる仲間に訊いてみます」
「そうか」
モデルの仕事の方に目を向けると、オノフリオが後ろからウサウサの肩に手をのせていた。爽やかな笑みを浮かべる彼の周囲だけが、キラキラと輝いているように見えた……というか、実際に光っていた。彼の周りにだけ、光を反射する何かが浮いているようなキラキラ具合だった。
「彼、輝いて見えますね」
「あれは『閃光演出』というアビリティだ。被写体を良く見せる時に使う……ってか、オノフリオ! 肩に手をのせる必要はねぇ~だろ。ったく、女好きが」
「すみません」
慌ててヒューゴにペコッと頭を下げると、オノフリオはそそくさとウサウサから離れた。
オノフリオがいなくなったことで、カミルが『形態投影』でキラキラ背景付きのウサウサを紙に写した。それを何度か繰り返すと、カミルは今まで写した分の紙を持って走ってきた。
「終わりましたぁ~」
ヒューゴは紙を受け取り、チェックを始める。
「じゃ、僕、バトルを観に行くか訊いてきます」
「おう」
1枚1枚じっくりと確認しているヒューゴを見て、時間がかかると思った伊吹は、仕事が終わってくつろいでいるワニック達の元へと向かった。一足先に、ウサウサが合流している。
「お疲れ様~」
自分だけ何もしていないバツの悪さを感じつつ、ねぎらいの言葉をかける。
「楽な仕事でしたよぉ~」
「立ってただけだからな。こんなことに報酬を支払うとは、理解できん」
「シオリン的には、熱い視線を向けられただけで満足ですよぉ~」
考え込むワニックとは対照的に、シオリンは浮かれていた。
「あの方とは、何を話されていたのですか?」
「まぁ、いろいろ。あの建物の中で行われてるバトルを観てみないかって誘われたんだけど、行く?」
ウサウサに訊かれたのをキッカケに、伊吹はバトル観戦の件を切り出した。“あの建物”として指差されたアンフィテアトルムを皆で見つめる。
「悲鳴や血だらけの噂は、バトルをしてたからなんですねぇ~。シオリン的には、噂の現場をおさえておきたいところ」
「バトルなら、俺も観たい」
「私も気になります」
「ブリオは?」
「オイラも行くんだな」
「じゃ、そう伝えてくるね」
ヒューゴのところに戻ると、ちょうどよくチェックが終わった。
「まぁ、こんなもんだろう。仕事は終わりだが、どうする?」
「行きます」
伊吹の一言を受け、ヒューゴはカリスタに視線を向ける。
「カリスタ、こいつらをアンフィテアトルムに案内してくれ」
「はい、かしこまりました。……では、みなさん、私についてきてください」
カリスタは先頭を切って、アンフィテアトルムに向けて歩き出した。
アンフィテアトルムはギボウシの闘技場と同等の大きさがあった。建物には幾つもの窓があり、ドーム型の屋根の頂きには大剣のオブジェクトが突き刺さっている。
入り口には白髪で大柄な男が立ち、近づく伊吹たちに鋭い視線を送っている。黒い法衣を纏っていることもあり、男の不気味さは際立っていた。
「オスワルド、顔が怖いですよ」
白髪の男にカリスタは笑顔で声をかける。ヒューゴがいないせいか、彼女の声から堅さが取れていた。
「怖いくらいでちょうどいい。ここの門番は」
「あなたがそうだから、怖い噂が立つんじゃない。たまには笑ってよ、ね?」
「フン……」
カリスタに頬を突かれても、オスワルドは微動だにしなかった。
「こちらは、今日の特別ゲストなの。お客さんだから、睨まないでね」
「了解した」
「さぁ、どうぞ」
ドアを開けると、カリスタは中に入るよう促した。伊吹たちは少し警戒しながら、建物の中へと入る。その後ろにカリスタが続く。
入った先は両サイドにカウンターがある細い通路となっていた。その出口には階段状の観客席があり、どの席に座っても中央にある砂地のバトルフィールドが見えるようになっていたが、観客はまだ入っていなかった。
フィールドの形は丸く、位置は一番下の観客席より2mほど低くなっており、壁には武器が掛けられていた。壁は中央で線引きされ、左右で描かれている壁画が異なっている。
「カリスタか、ちょうど良いところに来てくれた」
ヒョロっとした男性がカリスタの元へと駆け寄る。カジュアル化された軍服のような服を着た中年男性だ。
「どうされました? パウエルさん」
「実は、前座を務める予定だったユニットが来られなくなってね。ヒューゴさんのユニット派遣事務所に代役を頼めないか、訊いてくれないか?」
「かしこまりました。……あの、ちょっと失礼しますね」
伊吹たちに断りを入れると、カリスタは来た道を急いで戻っていった。
「君たちは、ヒューゴさんのユニットかい?」
「いえ、違います。僕らはモデルの仕事で呼ばれたんですけど、バトルを観ていいって言われたので」
「ああ、そうなんだ。じゃ、代役を頼むわけにもいかないか」
頭を掻きながらパウエルが苦笑する。その手に星印は1つもなく、彼がユニットではないことを示していた。
「前座って、何をするんですか?」
「国営の闘技場でやっているようなバトルだよ。ここのバトルは、国営のそれよりも激しいのが売りだからね。比較の為に、敢えて前座として国営ルールのバトルを見せて、その凄さをアピールしているんだ」
「そんなに激しいんですか……」
「そりゃもう桁違いだよ。向こうのバトルは、普段は普通に仕事してるユニットが出てるだろ? だけど、こっちは戦う以外に脳が無い連中が出てるからね。悪く言えば、危なすぎて就業できない奴らのストレス発散場。よく言えば、バトルを本職としている者達の命がけのショーってところか」
そんなのを集めていれば、悲鳴が上がるような戦いになるだろうなと、例の噂のことが伊吹の頭をよぎった。
「俺たちが相手をしていたのは、まだ理性がある方だったのか……」
「そうみたいですねぇ~」
ワニックとシオリンのテンションは少し下がっていた。自分たちがしてきたバトルのレベルが低いように言われれば無理もない。
「別に、国営の方を否定しているわけじゃないんだ。あっちには会社のPRや、能力の売り込みといった側面もあるからね。こっちとは目的からして違う。まぁ、出ているユニットの所有者の資金レベルも違うんだけど……」
国営バトルのフォローを始めたかに思えたパウエルだったが、より詳細を語ろうとして話が逸れていった。それでも、フォローし直そうと戻したりするうちに、話だけがやたらと長くなり、伊吹たちはずっと聴かされるハメになった。
そんなパウエルの長話を聴いていると、ヒューゴが自分のユニットを引き連れて戻ってきた。チラシ造りに携わっていたオノフリオ、カミル、カリスタのほかに、コウモリの羽根が背中に生えている童顔の男性もいた。その男性はタンクトップにズボンという格好で、額には小さな角があった。
「あっ、ヒューゴさん」
ヒューゴの存在に気づき、パウエルが長話をやめる。
「話はカリスタから聴いている。結論から言えば、うちの派遣事務所から人は出せる」
「それじゃ……」
「だが、今回は出さない」
「ど、どうしてですか?」
「何度も同じ面子を出してるからな。飽きられていてもおかしくない。そこで、だ」
ヒューゴの視線は伊吹たちに向けられた。
「ちょうど、ここにユニットが5人いるわけだが……」
「僕たちに出ろと?」
「無論、強要はしない。参加報酬として銀貨1枚を出す。さらに、勝利すれば金貨100枚を約束しよう」
「100枚!?」
伊吹たちは声を揃えて額を口にし、お互いの顔を見合わせた。
「出る?」
「100枚は大きいですよぉ。シオリン的には出る一択」
「100枚あったら、たくさん小魚を食べられるんだな」
「額がどうあれ、俺は戦いには出る」
「みなさんのお力になれるのでしたら」
各々の回答を受け、伊吹はヒューゴを向いて強く頷いた。
「出ます!」
「決まりだな」
「それで、彼らの対戦相手は?」
パウエルの質問を受け、ヒューゴは連れてきた自分のユニットを親指で指した。
「えっ? 彼らは戦闘向きじゃないのに……」
「だからこそ適任だ、前座として。対戦相手は見るからに戦闘向きじゃないってのに、こっちだけ戦闘向きなのを集めたら面白くないだろ」
「そうですけど……。カリスタ、オノフリオ、カミルにヨナーシュですか。う~ん……おや? 1人足りなくないですか?」
「オスワルドを出させる。そろそろ、アンタのところのチャドと門番を代わる時間だろ」
「えっ、彼を出すんですか? それこそ、面白くならないんじゃ……」
「心配するな。いきなりアレを使わせるような真似はしない。そうだ、カリスタ」
ヒューゴは振り返り、カリスタの手を突いた。
「いいか、『所持変更』は使うな。ユニット契約が解かれれば、言葉が通じなくなって厄介だ。俺様のユニットにできるなら構わないが、そういうわけじゃないからな」
「かしこまりました。あの、アビリティは使っても構わないのでしょうか?」
「許可する。あと、ヨナーシュ」
「はい」
コウモリ羽根の男性が返事をする。見た目は完全に男性だが、声質的には女性でもいけそうな高さだった。
「お前はアビリティを使うな。客から苦情が来る」
「了解です」
「それじゃ、準備といこうか」
ヒューゴが手を叩くと彼のユニットは返事をし、前もって言われていた各々の作業に取りかかった。
様々な準備が終わり、少しずつお客さんが入り始めた頃、伊吹たちはバトルフィールドに降り、円になって作戦会議を開いていた。
「作戦を考える前に、今回は相手の能力が少しわかってるから確認するよ」
伊吹はモデル業務時のことを思い出しながら、それぞれの能力を振り返った。
「まず、金髪イケメンのオノフリオ。彼のアビリティ『閃光演出』は、周りをキラキラさせるだけだから、バトルにおいては役に立たない。スキルは不明だから、こっちは要注意……と」
「シオリン的には、あのルックスが要注意ですねぇ~」
シオリンが頬を緩ませるが気にしない。
「次に、『形態投影』のスキルで皆の姿を写していたカミルだけど、彼は周囲の明るさを調整する『光源調整』も使える。周りが多少、明るくなったり、暗くなったりしても、そんなに影響はしないと思うから、彼が一番やりやすい相手かもしれない」
「やりやすいか……。では、俺が最初に叩こう」
「頼むよ、ワニック」
ワニックが任せろと、ドンッと胸を叩く。前回は女性ばかりで出番がなかったせいか、今日は張り切っていた。
「さっき、紹介されたヨナーシュは、背中に羽根があるのが気になるよね。アビリティは禁止されたけど、スキルと上からの攻撃には注意が要るかも。開始早々に飛んで、旗を狙ってくるかもしれないから、その時は旗のガードを頼むよブリオ」
「オイラ、小魚の為に頑張るんだな」
「門番をしていたオスワルドだけど、あの人たちの会話からすると、一番の要注意人物かもしれない。何か凄いものを持っているらしいけど、いきなり使ってくることはないみたいだから、相手が使う前に旗を取れればベストかな」
相手の男性陣について語り終え、伊吹はふぅ~と息を吐いた。いよいよ本題というか、自分が倒さなくてはいけない相手の話をする、そんな気持ちがあった。
「最後に、唯一の女性であるカリスタ。彼女は『所持変更』を持っているけど使えない。アビリティは不明だけど、こっちは使ってくる」
「何を使おうと、俺にとって女は対象外だ」
「あれ? いつから対象外に?」
前回のバトルにいなかったシオリンが不思議がる。
「ワニックは女性と戦いたくないから、そういう方向性でって、前のバトルの時に決まったんだ」
「それじゃあ、相手の女性は誰が?」
「女の子は僕が倒す!」
伊吹は決め顔でそう言った。
辺りはシーンと静まり返り、微妙な空気が漂う……。
「何も言われないと、調子が狂うんだけど……。てっきりサーヤ辺りが突っ込んでくるかと……って、彼女はいないんだった」
サーヤはチガヤと一緒に加湿業務でハイツボに行っている。それは伊吹もわかっていたが、思わず彼女の名前が口から出ていた。
「道理で話がポンポン進むわけだ……。彼女がいたら、1回や2回は何か指摘されていたよね」
いないことで彼女の存在の大きさを改めて感じる。普段、一番話しているのは、サーヤではないかとさえ思えた。
「彼女がいないと寂しいですか?」
と、ウサウサ。
「うん。まぁ、そうかな……」
「そう……ですか……」
いつもよりテンション低めに言うと、ウサウサは目線を下げた。
伊吹は彼女の様子が気になったものの、作戦会議を続けることにした。
作戦会議で決まったのは、ブリオが旗を守る、前衛は男二人、カリスタは伊吹の担当、ウサウサは後方から『好意防壁』でサポート、シオリンは中間ポジションで臨機応変に対応。ただし、相手に隙があれば、誰が旗を狙いに行ってもOKということだった。
バトル開始の時間になると、観客席は大勢の人で埋め尽くされていた。観客の話し声で騒がしい中、両陣営はバトルフィールドの中央に整列する。相手は左から、ヨナーシュ、オスワルド、カミル、オノフリオ、カリスタ。自軍は左から、ブリオ、ウサウサ、ワニック、シオリン、伊吹の順で並ぶ。
「お手柔らかに」
伊吹の正面に立ったカリスタが微笑みかけてくる。
「こちらこそ……」
会釈して微笑み返しながらも、敵意の無い相手はやりづらいと思う。今までのような、出会ってすぐにバトルというのではなく、相手を知ったうえで戦うということにも、調子が狂うところがあった。
「ウサウサちゃん、ちょっと僕を見てくれないかなぁ?」
猫撫で声でカミルがウサウサに視線を求める。ウサウサが困った顔を向けると、カミルは『形態投影』のスキルを使って、自分の白いツナギに彼女の姿を縮小して写した。
「カミル、お前、何を……」
隣にいたオスワルドが訝しげに問うと、カミルはツナギの中に頭を隠して答えた。
「カミルって誰? 私、ウサウサぁ~」
服の上にウサウサが印刷されているとはいえ、誰が見てもカミルでしかなかった。
「そこのワニさん。ウサウサのこと、殴らないでね。仲間なんだから」
カミルはワニックに向かって体をくねらせた。その瞬間、ツナギに印刷されたウサウサの顔が光に照らされ、まったく見えなくなってしまった。それは、隠したいものや見たくないものを光で覆うウサウサのアビリティ『光耀遮蔽』によるものだった。
そんなやり取りをしている間に、審判、回復役、転移係の男性が両陣営の端に並ぶ。真ん中のごつい男が前に出て話し始める。
「俺が審判のヤスペルだ。いいか、よく聴けよ。このバトルのルールは簡単だ。旗を取るか、相手を全員ぶっ倒せば勝ちになる。逆に、俺らに文句を言ったら反則負けだ。他にもあった気がするが……まぁ、そんなところだ」
今度は、メタボ気味の男性が前に出る。
「私は回復役のユーインです。みなさんの治療に当たらさせて戴きます」
最後に、おでこの広い男が前に出て話す。
「転移係のギュンターだ。死にそうな奴は、俺が転移させてやるから感謝しろ。以上だ」
ユーインとギュンターが一歩下がると、再びヤスペルが声を張り上げる。
「いいか、相手を殴っていいのは笛が鳴ってからだ。それまでは辛抱しろよ」
必要事項を言い終えると、審判たちは肩で風を切るように、フィールドの端へと移動していった。
「私、ウサウサ。ワニさん、スマイルぅ~スマイルぅ~」
審判がいなくなると、カミルは再びウサウサのフリをし始めた。
それを見ながらワニックは無言で指の関節を鳴らす。そのポキポキという音を打ち消すように角笛が吹かれる。
「フンッ!」
開始早々にワニックの蹴りが炸裂し、「ぐはっ!」という声と共にカミルは3mほど後ろに吹き飛んだ。
その一撃を確認しながらも、両陣営のユニットは各々の持ち場へと向かった。ブリオが旗の前、その前にウサウサが立ち、伊吹はワニックと横並びの位置に着く。シオリンはウサウサとワニックの間に立った。
相手は旗の近くにカリスタとオスワルドが並び、ヨナーシュとオノフリオが前に出ていた。吹き飛ばされたカミルは、前に出た二人の間で転げまわっていた。
「何、バカなことしてんだよ、カミル……」
ヨナーシュが呆れ顔で、のたうち回るカミルを見つめる。
「仲間の顔が印刷されてたら……攻撃されないかと思って……」
「逆効果だったみたいだね」
オノフリオは、あくまでも爽やかに指摘する。
「カミルは、そこで寝てなよ。ボクが決着つけるからさ」
ヨナーシュはコウモリのような羽根をはためかせると、砂埃をあげて舞い上がった。
「来るぞ!」
ワニックがブリオを見て叫ぶ。
予想通り、ヨナーシュは旗を目がけて急降下した。ブリオは自分の体で旗を隠すように立ったが、ヨナーシュはブリオの前で急上昇すると、背後を取ってゆっくりと舞い降りた。
「マズい!」
ワニックは自分に『瞬間加速』をかけ、瞬時に旗のもとまで駆けつけ、そのままの勢いでヨナーシュに対してジャンプキックを繰り出した。
ヨナーシュは慌てて上昇し、ターゲットがいなくなったワニックは、空を蹴って砂地を滑ることになった。攻撃した側と避けた側が、上と下で睨み合う。
「速っ……。これは、慎重になった方がいいかもね」
驚くヨナーシュにワニックは笑って見せた。だが、『瞬間加速』を使ってしまった以上、加速タイムの4秒が過ぎた後は、スピード半減タイムの4秒が待っている。ワニックの無言の睨みは、相手の警戒心をあおり、その4秒を埋めるためのものだった。
ワニックが対峙している間、伊吹は起き上がったカミルの相手をしていた。
「私、ウサウサ。お兄ちゃん、攻撃しないでぇ~」
カミルは懲りずにウサウサのフリをする。
「攻撃しないから、おいで~」
「わ~い」
諸手を上げて走ってくるカミルの手にタッチし、伊吹は『快感誘導』を発動させた。手から放たれた波動が体を流れると、カミルは足元から崩れるように眠りについた。
「まず、一人」
伊吹はオノフリオを標的に定め、じわじわと距離を詰めていった。
「カミルに何をしたんだい?」
「ちょっと眠ってもらっただけだよ」
「それを聴いて安心した」
オノフリオは爽やかな笑顔を見せると、『閃光演出』で自分の周りをキラキラと輝かせた。
「うわっ、目がチカチカする!」
間近で見たせいか、伊吹は目が痛くなり、思わず瞼を閉じてしまった。その隙をつかれ、オノフリオに足払いを食らわされて転倒する。オノフリオは倒れた伊吹を無視し、カミルの元へと走った。
「油断した……」
伊吹が起き上がって振り返ると、オノフリオはバックをキラキラさせながら、カミルにキスをしようとしていた。
「な、何を!?」
予想外の光景に素っ頓狂な声を上げる。
伊吹の声も耳に入らないのか、オノフリオはごく自然にカミルの頬にキスをすると、白い歯を輝かせた。伊吹は男同士のそれに顔を覆ったが、オノフリオたちの顔には、ウサウサの『光耀遮蔽』は発動しなかった。伊吹は、そのことが少し不満だった。「隠したくないのかよ」と。
「あれ? オノフリオ?」
『快感誘導』で眠ったはずのカミルが目を覚ます。まさかの展開に伊吹は言葉を失う。
「おはよう、カミル」
「おはようって、僕は眠ってたの?」
「ああ。だから、僕のスキルで起こしたんだ」
「ゲッ……お前、アレを使ったのか……」
カミルが青ざめる。
「爽やかな目覚めだろ? これが僕のスキル『覚醒王子』の効果さ♪」
歌い上げるように言うオノフリオを見ながら、「死体にキスする、どこぞの王子様かよ」と、伊吹は心の中で突っ込んだ。
一方、シオリンは体半分を砂に潜らせて旗へと近づいていた。オスワルドとカリスタが話し始めたのを見て、この隙に旗を手にしようと思ったのだ。
じわりじわりと音を立てずに近づき、あと数歩というところで砂から出てると、シオリンは旗に向かって全速力で駆けだした。
「来たぞ、カリスタ」
「はいは~い」
カリスタが右手を前に突き出すと、彼女の周りに電気の網が出現した。それは放電するゴールネットのようだった。
全速力で駆けだしたシオリンは止まることもできずに、その電磁ネットへと飛び込んでいった。
「ぶばば……」
電気の網に痺れたシオリンは、白目をむいてひっくり返った。『強制離脱』が適用され、審判団の元へと転移させられる。
ヨナーシュと睨みあいを続けていたワニックは、相手が攻撃できない位置で羽ばたいていることに苛立っていた。
「いい加減、降りてきたらどうだ。男が逃げ回っているのは、みっともないぞ」
「男が、ね……。それって、ボクが女だったら話は別なワケ?」
「ああ、俺は女とは戦わんからな」
「いいこと聴いちゃった」
クスッと笑うと、ヨナーシュは額の角に触れ、何かをぶつぶつと言い始めた。
「何をする気だ?」
問いかけるワニックの前で、ヨナーシュの体をピンク色の膜が包んでいく。何処から出てきたのかわからない膜によって全身が覆われると、ヨナーシュの体つきが徐々に丸みを帯びたものに変わっていった。胸部に膨らみができ、腰元が引き締まり、臀部が大きくなる。
ピンク色の膜がはじけ飛ぶと、女性化したヨナーシュが姿を現した。
「何と……」
あまりの変化にワニックは目を疑った。
「どうかしら? これがボクのスキル。素敵でしょ?」
女性化したヨナーシュはワニックの目の前に降り立った。
「これで、女性とは戦わない貴方は……ごふっ!」
ヨナーシュが言い終わる前に、ワニックはアッパーを打っていた。ヨナーシュは軽々と宙に浮き、そのまま砂地へと落下した。
「女性とは戦わないんじゃ……まさか、ボクのスキルが、体つきの変化だけだと気づいたとでも言うの!?」
疑問を口にしながら、ヨナーシュは砂を払って起き上がる。しかし、立ち上がった時には既に、ワニックが回し蹴りの態勢に入っていた。
「ふんぬっ!」
腹部を蹴られたヨナーシュは、回転しながら自陣の旗の方へと飛んで行った。その進行方向には、カリスタが展開した電磁ネットがあった。
「う゛あ゛あぁ……」
シオリン同様、電気の網に痺れたヨナーシュは、『強制離脱』が適用されて審判団の元へと転移させられた。
「雌の匂いがしない者に容赦はしない。ふぅ~……やはり、全力を出すと、疲れるのが早くていかん」
体力が切れたワニックは砂地に座り込み、そっと瞼を閉じて寝息を立て始める。
その頃、伊吹は旗に向かおうとするオノフリオとカミルの相手をしていた。自分を避けて通ろうとする二人の前を塞いでは、『快感誘導』を発動させようと掴みにかかっていた。
「どうやら、君のスキルは触らないとダメみたいだね」
相変わらず爽やかにオノフリオが笑う。
「掴まれなければ怖くないし、やられてもオノフリオがいれば問題ない。起こし方には問題があるけど」
カミルも余裕の笑みを見せる。
伊吹は一人ではどうにもならないと考え、辺りの様子を確認する。シオリンは既に転移させられ、ワニックは眠りについている今、頼りになりそうなのはウサウサしかいなかった。ちなみに、ブリオは旗の前に座って口を開けている。
「そろそろ道を開けてくれないかな。僕は旗を取って終わりにしたいんだ」
オノフリオはアビリティで周囲をキラキラさせると、伊吹に向かってウインクした。その仕草にイラッとしつつも、伊吹はウサウサに視線を送り、水平にした左手の下から右手を出して見せた。それは地面から生えるように出現する壁を表現したもので、『好意防壁』を欲している合図になっていた。使用のタイミングまでは決まっていない。
ウサウサが頷くのを確認し、伊吹はオノフリオを挑発し始める。
「僕を避けて旗を取りに行くなんて、二枚目のすることじゃないんじゃないですか? 金髪のお兄さん」
「むむ……」
「観客席の子猫ちゃんたちは、お兄さんの格好良い姿を期待していると思うんですよ。例えば、ジャンピングキックで相手を倒すとか」
「なるほど……。それは確かに格好良さげだね」
言っているそばから、オノフリオはバックして助走をつけ始めていた。
オノフリオは猛然と突っ込んでくると、伊吹の手前で地面を蹴ってキックの態勢に入った。もう少しで命中というところで、伊吹の前にガラスの壁が現れる。勢いよく地面から突き出た壁に、足を擦られる形となったオノフリオは、バランスを崩して倒れ込んだ。
「ガラス……なんだ」
伊吹の胸中は複雑だった。相手への好感度が形となって出る『好意防壁』だけに、前回の鉄壁から今回のガラス壁への変化には思うところがあった。
「か、壁……?」
オノフリオが壁に驚いているうちに、伊吹は彼の元へと駆け寄って『快感誘導』を発動させた。オノフリオは寝顔も爽やかだった。
「これで、もう起こす人はいなくなったよ」
「私、ウサウサ。虐めないで」
カミルは再び印刷したウサウサの顔を前面に出してきた。
「ウサウサは、そんなこと言わない……」
少しの沈黙の後、さすがに無駄な行為と知ったのか、カミルはウサウサのフリをやめて真顔になった。
「一瞬でも、バトルが見られなくなったら、お客さんは怒ると思う?」
「急に何を……。まぁ、一瞬なら、そんなに怒らないと思うけど」
突然の質問に戸惑いながらも答えると、カミルは空中にある透明な紐を引っ張るような動きを見せた。それは、モデル業務の際に見せたものと同じだった。
辺りは電気が消えたように真っ暗になり、見えるのはカリスタが展開している電磁ネットだけになる。暗闇に閉ざされたことで、伊吹は彼のアビリティである『光源調整』の明るさ調整の効果範囲を甘く見ていたことを後悔した。
カミルがいた位置を狙ってパンチを繰り出すも空振りに終わる。何も見えない状況では音だけが頼りだったが、静かに歩いているのか、カミルの足音は聞こえなかった。このまま静かに進行され、旗を取られたら負けると焦りだす。
「光さえあれば……」
思わず口にした言葉に答えがあった。
伊吹はウサウサの『光耀遮蔽』を発動できないかと考えた。隠したいものや見たくないものがあれば、ウサウサのアビリティは発動する。問題は彼女が何を見たくないのか、何を隠したいと思うかにあった。
印刷された自分の顔、裸全般、恥ずかしいときの自分の顔……。記憶の糸を辿り、彼女が照れることを言うという結論を導き出す。
「ウサウサ!」
「はい……」
静まり返った暗闇の中で、二人の声だけが響いた。
「君って、かわいいよね」
それは心にもない言葉ではなかった。美女ガチャで出た時から、ストライクゾーンのど真ん中なのは、伊吹自身が認識していた。
気づけば自軍陣地の方が明るくなっていた。恥ずかしさのあまり、自分の顔を隠したいと思った彼女が、その顔を光で覆ったのだ。ウサウサの体のラインと共に、近くを進む人影を発見する。
「そこかっ!」
全力で走って人影を捕まえると同時に『快感誘導』を発動させる。人影は倒れて周囲に明るさが戻っていった。
元の明るさとなり、倒れているのがカミルだと知る。
「あと二人……」
相手陣地にいるカリスタとオスワルドに目を向ける。二人の前には今も電磁ネットが展開されていた。
「さっきの言葉は、私のアビリティを発動させる為の方便だったのですね」
顔を覆う光が無くなったウサウサが平坦な声で訊いてくる。
「狙いはそうだけど、別に嘘じゃないから」
「えっ……」
再びウサウサの顔が光で覆われ、いつもピンッと立っているウサギ耳が、フニャッと折れて交差する。伊吹は思わず正直に答えたのが、後から恥ずかしくなった。
「とにかく今は、あの電気の網を何とかしないと!」
バトルに集中する為に語気を強める。
「そうですね」
ウサウサの声には少し動揺があった。
「電気の網か……。あそこの前で壁を作ったらどうなるんだろ? 壁の表面を電気が走ると思う? それとも、壁のところで電気が止まるかな?」
「壁の質によるのではないでしょうか……」
「やっぱ、そうなるよね。もし、壁のところで電気が止まったら、壁をどけた隙に進めたらいいんだけど……」
「よせなくても、壁なら消せますよ?」
ウサウサはガラスの壁に手を向けると、一瞬にして消滅させてみせた。
「あの壁、消せたんだ……」
今まで出してきた壁も、いつの間にか無くなっていたが、消していたんだなと納得する。
伊吹とウサウサが電気の網対策を話し合っている頃、オスワルドはカリスタにアビリティの使用をやめるよう促していた。
「カリスタ、そろそろ頃合いだ。『電磁結界』を解いてくれ」
「は~い」
カリスタが手をかざすと、電気の網はスッと消えてなくなった。
「前座が長過ぎるのは問題だ。もうアレを使ってもいいだろう」
オスワルドは一人、相手陣地へと向かった。
さっきまで展開されていた電磁ネットが無くなり、今まで動かなかったオスワルドが出てきたことに、伊吹は嫌な予感がしていた。一番の要注意人物と位置づけた男が何をするのか、それを考えるだけで緊張で汗が滲んだ。
オスワルドは口笛を吹きながら砂地を進む。伊吹は彼の前に飛び出し、『快感誘導』を食らわそうと身構えた。
それを見たオスワルドは口笛を止め、素早い動きで伊吹に殴り掛かった。伊吹は彼の動きの速さに驚き、防御の体勢を取ってしまう。その二人の間に割って入るように鉄壁が出現する。
オスワルドは拳を止めて後退し、いきなり出てきた壁を見つめた。
「壁か……」
伊吹は壁から顔だけを出し、オスワルドの様子を窺った。
「どんなに強固な壁があろうとも、鎧を纏うとも、人の心は常に丸裸だ。お前は、自分の心を守る術を知っているか?」
「えっ……」
「スキルを使わせてもらう」
オスワルドが左手のひらに右手の拳を打ち付けると、何もないはずの天井から山のような貨幣が降り注いだ。それは金貨や銀貨が綺羅星のように輝く、煌びやかな光景だった。
いつの間にか、伊吹の体は貨幣の中に埋もれていた。
「お、お金?」
伊吹が目の前にある貨幣を掴むと、深い悲しみが胸に押し寄せてきた。それは、期待していたのに、結果が伴わなかった時の感情を思い起こさせた。
「感じているだろ? 湧き起こる悲しみを。それは、レア以上が確定している10連ガチャで、レアしか出なかった時のものだ」
「なんだか、心が折れそうだ……」
あがくようにして別の貨幣を掴むと、今度は酷く惨めな感情が押し寄せてきた。
「それは、高レアリティ確定ガチャで、使えないスキルのユニットを掴まされた時のものだ」
「騙された感が半端ない……。いったい、これは!?」
「これが俺のスキル『課金地獄』だ」
「課金地獄?」
「お前の周りにある貨幣は、あの方が今まで課金した額に等しい。その1つ1つにガチャに対する負の感情が詰まっている。いわば、課金額に応じた精神的ダメージを与えるスキル、それが『課金地獄』だ」
伊吹は自分の周りにある貨幣に触れるだけで、何とも云えない絶望感に苛まれ、身動き一つとれなくなっていた。
それなのに、貨幣で満たされたはずのバトルフィールドを、まるで何もないかのようにオスワルドは進んでいく。伊吹にはオスワルドの周りにある貨幣が、自ら避けているように見えていた。
「ま、待て……」
声に出した時には既に、オスワルドは伊吹たちの陣地にある旗を手にしていた。
「勝者! ヒューゴ・パートナーズ」
判定が下り、角笛が吹かれる。
フィールドを埋め尽くしていたはずの貨幣は消え、気づけば元の砂地に戻っていた。
「お金が消えた?」
「貨幣など、最初からなかったのだ。お前は、俺のスキルによって幻を見ていたに過ぎない」
「幻術に負けたんだ……」
初の敗北に悔しさが込み上げる。
「気にすることはない。所詮、この世はバシーンゲー。誰よりも課金している、あの方に勝つのは難しい」
それだけ言うと、オスワルドはカリスタの方へと歩いて行った。
前座としてのバトルを終えた伊吹たちは、回復役であるユーインの『可逆治癒』で傷を治され、当初の目的だったチャレンジバトル観戦の為に観客席へと戻っていた。最前列に伊吹とワニック、その後ろにウサウサ、シオリン、ブリオが座る。
「ふぅ~……」
精神的に疲れ切って、伊吹は溜め息ばかりが出た。『可逆治癒』の効果は、あくまでも肉体的な回復でしかない。『課金地獄』の精神的ダメージは引きずったままだった。
「やぁ~、お疲れさん、お疲れさん」
バトル前とは打って変わって、少し陽気になったパウエルが伊吹に歩み寄る。
「お蔭さんで、いい具合に盛り上がったよ。これならチャレンジバトルもヒートアップしそうだ」
「それはどうも……」
「そうそう、参加報酬をヒューゴさんから預かってきたんだ」
パウエルは伊吹の手を開くと、銀貨1枚をのせて握らせた。
「ヒューゴさんも感謝してたよ。それと……」
伊吹の耳元に口を近づけると、パウエルは小声で話し始めた。
「魚のユニットを使い続けてるのを不思議がってましてね。自分だったら、強化素材にしてるって……」
「進化や強化はしない方針なんですよ、うちは」
「ヒューゴさんもそうじゃないかと言っていましたよ。ああ見えて、あの人も昔はそうでしたから」
「えっ!? あの人が?」
てっきり、最初から何の躊躇いもなくユニットを素材にする人だとばかり思っていた。
「いつだったか、一部のユニットから苦情が出たんですよ。ロクな働きをしていない奴と同じ待遇なのは納得がいかないってね」
パウエルは昔を懐かしむように語る。
「それで、働き具合に応じた査定をするようになったんですが、今度は査定方法に不満が出たり、評価点ゼロで食えないユニットが出たりで苦労したそうですよ。使えないのは、いくらフォーローしてもダメだったみたいで……。それで、自分にルールを課したんだとか」
「ルール、ですか……」
「ひとつ、使えないと判断したら直ちに素材にする。ふたつ、所有するユニットには強化の瞬間を必ず見せる。みっつ、素材にしたユニットの今後をお祈りする。とまぁ、こんな感じでね。これを守ることで、働き具合の悪いユニットがいることでの不満を減らし、素材にされるという危機感を与え、先のような問題を解消したそうです」
『課金地獄』の悲しみが深い理由が、少しだけわかった気がした。
「また、話が長くなってしまいましたね。そろそろ始まりそうなので、この辺で失礼しますよ」
パウエルは中腰のまま観客の間をかき分け、何処かへと歩いて行った。
伊吹は話題に上がったブリオの顔を眺め、「好きで能力なしのコモンになったワケじゃないのに」と心の中で呟いた。
パウエルが立ち去ってから1分も経たないうちに、観客席にある大きな銅鑼が打ち鳴らされた。それが合図だったのか、バトルフィールドの上の空間に、赤い服を着たユニットが飛んでくる。
「ようこそ、アンフィテアトルムへ。私は本日のチャレンジバトルの司会、ヨアキムです。どうぞ、よろしく」
ヨアキムはヨナーシュと同じ種族のようだった。背中にコウモリの羽根が生え、額に小さな角がある。ルックス的には渋めの中年男性で、その声は会場中に響き渡っていた。
「私の声は『拡声調整』というスキルで大きくしていますが、聴こえないという方はいらっしゃいますか? ……はい、いませんね。そうですよね、聴こえなかったら反応できませんからね」
場内のあちこちで笑い声がする。
「皆様の笑い声がするということは、どうやら声は届いているようですね。では、まずはルールを説明させて頂きます。チャレンジバトルは1対1の戦いになります。勝利条件は1つ、相手を戦闘不能にすること。戦闘不能と言っても心配しないでください。回復役に転移係もいますので、自分のユニットを失う心配はございません」
ヨアキムはフィールドの端に待機している審判団の周りを飛んでみせた。彼らの紹介のつもりらしい。
「戦う相手は運営スタッフが用意した強者達ですが、彼らを倒した方にはランクに応じた賞金が用意されています。我こそはという方は、ご自慢のユニットを戦わせてみましょう。対戦料金は1回につき金貨5枚になります」
壁に掛けられた武器の前を飛びながら、ヨアキムは説明を続ける。
「チャレンジバトルでは武器の使用が認められていますが、使えるのは壁に掛けられている物に限られます。使う武器は対戦前のくじ引きによって決められますので、挑戦者が良い武器を使えることもあれば、その逆もあります。ただし、同じ武器は使えませんので、戦い続ければ必ず良い武器で戦うことができます。同一ユニットでの挑戦は10回までとなりますので、その点はお忘れなく」
ヨアキムが最初の位置へと戻ってくる。
「本日、最初のファイターはA級クラスのゲオルクです!」
銅鑼が激しく打ち鳴らされ、バトルフィールドに2m以上ある大男が現れた。一瞬での登場は、転移スキルの『強制離脱』に似ていた。
ゲオルクは岩石のような肌を持ち、その岩の間から長い毛が伸びていた。眼は赤く血走っていて、鼻息も荒く、既に興奮状態のようだった。
「ゲオルクのスキルは強烈な風を起こす『衝撃波動』、アビリティは周囲に電気の網を巡らせる『電磁結界』です。賞金は金貨200枚。どなたか、挑戦される方は、いらっしゃいませんか?」
「はい!」
恰幅の良い中年男性が名乗り出ると、ヨアキムが彼の元へと舞い降りた。
「お名前は?」
「私はロブレヒト。うちのカイルを出そう」
ロブレヒトがヨアキムに金貨を渡す。
「チャレンジ、ありがとうございます! 本日の第一チャレンジャーは、ロブレヒトさんに決まりました!」
観客席から歓声が上がる。
「さぁ、行けカイル」
ロブレヒトは近くに座っていた豹顔の亜人種の背中を押した。カイルは立ち上がると、観客席からバトルフィールドへと続く階段を降りて行った。
「それでは、ロブレヒトさん。まずは対戦相手であるゲオルクの武器を決めましょう。どうぞ、こちらのカードから1枚お取りください」
ヨアキムは異なる武器の絵が描かれた10枚のカードをロブレヒトに見せると、それを裏返した。ロブレヒトは中央にあるカードを引き、ヨアキムへと渡す。
「ゲオルクの武器はモルゲンステルン」
バトルフィールド上では審判のヤスペルが、ゲオルクに鉄の棒の先に鉄球が付いたものを渡していた。その鉄球には棘が付いている。
「さぁ、次は挑戦者であるカイルさんの武器を決めましょう」
ヨアキムは先のカードとは違う裏地のものを10枚出すと、同じようにロブレヒトに引かせた。
「カイルさんの武器はボーラ」
場内が溜め息で包まれる中、カイルに渡されたのは、ロープの先に鉛の重りが付いた武器だった。
ゲオルクの武器はフィールド中央より右側の壁から取られ、カイルの武器は左側の壁から取られていた。残っている武器は右側が9つ、左側も9つだった。
「運の要素が強いな。武器に違いがあり過ぎる」
ワニックは壁に掛けられている武器を見て指摘する。モルゲンステルン、ボーラ以外では、短剣、長剣、槍、弓と矢、ハンマー、ドリルを2つ並べた物、鎖に繋がれた鉄球、皮の鞭が掛けられている。それを見ながら伊吹は思う。
「確かに、差が激しいというか、ダメージが少なそうなのがあるというか……。でも、これって、戦いを面白くして、続けて挑戦したくなる工夫なんじゃないかな」
「そうなのか?」
「武器次第で戦いが変わるからね。同じユニットの組み合わせでも新鮮味があるし、変な武器を引いても、二度とそれを引かないわけだから、次こそは……って、なるんじゃない?」
伊吹は夜店で当たりが出るまでくじを引いたことを思い出していた。
「チャレンジバトル第一戦、開始!」
角笛が吹かれ、バトルフィールドでは両者が身構える。
先に動いたのはカイルだった。ボーラのロープを握って振り回して勢いをつけると、ゲオルクの足元を狙って投げつけた。
ゲオルクが大きく息を吸い込んで吐くと、それは強い風となってボーラを吹き飛ばした。彼のスキル『衝撃波動』だった。カイルは戻ってきたボーラをジャンプしてかわすと、1秒程度でゲオルクの元へと走り寄り、相手の喉元に飛び蹴りを食らわせた。
だが、ゲオルクは何事もなかったかのように、カイルの頭を狙ってモルゲンステルンを振り下ろした。カイルは直撃を避けたものの、擦れた肩が腫れ上がった。
カイルは間合いを取り、負傷した肩に手を当て、『可逆治癒』のスキルで元の状態へと戻した。
「挑戦者の方が分が悪いな」
「うん。でも、回復できるのは強みかも」
ワニックと伊吹が戦いの感想を言っている間も、カイルはヒットアンドアウェイを繰り返していた。スピードはカイルの方があったが、ゲオルクの力と硬さの前に苦戦しているのは、誰の目にも明らかだった。
カイルは落ちていたボーラを拾うと、ゲオルクが繰り出す『衝撃波動』を避けながら、背後を取って大きく跳躍した。ゲオルクの肩に飛び乗り、ボーラのロープで首を締め始める。
「ぐおぉ!」
ゲオルクはモルゲンステルンを投げ捨て、首に巻かれたロープを取りにかかるが、なかなかロープを掴めないでいた。岩の肌の間にロープが食い込み、取りづらくなっていた為だ。
カイルが更に締め付けると、ゲオルクは右手を前に突き出し、自分の周りに電気の網を出現させた。それはカリスタも使っていた『電磁結界』だった。
ゲオルクが電気の網にカイルの体を押し当てる。
カイルだけでなく、ゲオルクにも強い電気が走ったが、押し当てる力を弱めることはなかった。それどころか、苦しむカイルの声を聴いて笑みを浮かべた。
『電磁結界』によって痺れたカイルが絞める力を弱めると、ゲオルクはカイルを掴んで地面に叩きつけた。
「ぐはぁっ!」
叩きつけられたカイルの体がピクピクと痙攣する。ゲオルクはモルゲンステルンを拾うと、カイルの頭を殴りつけた。
血しぶきがあがった……かに思われたが、気づけばカイルの顔が光で覆われて見えなくなっていた。突如として発生した光に、場内がざわつき始める。
「あの光、どこかで……」
ワニックの言葉に伊吹はハッとした。あれは隠したいものや見たくないものを光で覆うウサウサのアビリティ『光耀遮蔽』ではないかと。
このままではクレームに繋がると思った伊吹は、後ろにいたウサウサの手を握ると、観客の間を縫って外へと飛び出した。
慌てて走ったせいか、息が上がるのも早かった。
「ハァ……ハァ……あれって、君のアビリティだよね」
ウサウサは黙って頷いた。
「ああいうの、ダメなんだね……」
「そうみたいです……。ごめんなさい」
「いやまぁ、仕方ないよ。でも、見続けるわけにはいかないよね。あちこち光で隠しちゃったら、観戦にならないし……」
伊吹たちの後を追ってワニック達がやってくる。
「何かあったのか?」
「挑戦者の顔を覆った光なんだけど、ウサウサのアビリティなんだって……。どうしても発動しちゃうみたいだから、今日の観戦はここまでにしよう」
「残念だが、そういうことであれば仕方ない」
「シオリン的には、もう充分ですねぇ~」
「じゃ、帰ろっか。きっと、チガヤ達が待ってるよ」
“チガヤ達が待ってる”と言って帰路に就いた伊吹たちだったが、家のドアを開けてみると、中にいたのはチガヤではなく見知らぬ男女だった。