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第三話 光のアビリティ

「……ウサギ?」

 木箱から飛び出したウサギ耳に伊吹は愕然とした。美女を期待していたのに、まさかのウサギで気が遠くなる。いくら美女の定義が“召喚ユニットを限定する能力を使用している者”によるとしても、これは詐欺じゃないかと泣きたくなった。

 チガヤは持ち上げた蓋を台座の上に置き、箱の中に向かって「立って」とジェスチャーする。ウサギ耳はぴくんっと動いて、ゆっくりとその全体像を見せ始めた。細長い耳の付け根まで行くと、金色の髪の毛が見えてくる。

「あっ……」

 驚く伊吹の前で、木箱から出てきたのはウサギ耳の少女だった。袖の無いチャイナドレスのような服で、白い長手袋を身に着け、少女は涼しげな顔でチガヤを見つめていた。

 「来たーーっ!」と叫びたい伊吹だった。

 ストレートロングの金髪、色白の肌に、アイスブルーの瞳。伊吹的にポイントの高い美女の出現に、踊りたいくらいの心境だった。

 チガヤがウサギ耳の少女の星印に触れると、印はスッと赤みを帯びていった。星印の数は3つ。レアリティはレアを示していたが、伊吹にはどうでもいいことだった。美女であること、それが重要なのだ。

「私の話してること、わかるよね?」

 ウサギ耳の少女は頷いた。星印に触れてユニット契約が成立すれば、『脳内変換』によって言葉が通じるようになる。伊吹の時と同じだった。

「取り敢えず、ここから降りよっか。説明はそれから」

 チガヤは少女の手を引いて台座から降り、伊吹たちの前へとやってきた。

「まずは、自己紹介からだね。私はチガヤ。あなたは?」

「……ウサウサです」

 名前ですら知っている言語に置き換える『脳内変換』が発動しているとはいえ、「この名前はどうなんだ」と、伊吹は誰かに突っ込みたかった。

「いきなり違う世界に来て驚いてると思うけど、順に説明していくから安心してね。えっとね、まず、ここにいるのが私の友達で、あなたと同じユニットなんだ」

 ウサウサは黙って頷く。突然の事態にも、何ら動揺していないように見える。

「ユニットって言うのはね、ガチャで召喚された人のことで、ガチャというのは……」

 チガヤは伊吹にしたような説明をウサウサにも繰り返した。そこそこ長い説明が終わると、ユニット達の自己紹介が始まり、昨日と同じ様な光景が再現された。

 ただ、説明されている時も、自己紹介の時も、ウサウサは一言も発しなかった。黙って頷くだけで、何を言われても顔色一つ変えなかった。そんな彼女を、伊吹は心の中で無口系にカテゴライズしていた。

「それじゃ、能力解析してもらおっか」

 チガヤの一言で隣の部屋へと向かう。

 昨日同様、部屋では能力解析を待つ人が行列を成していた。一番少ない列に並び、順番を待つこと数分、ようやく先頭に立つことが出来た。

 今回の鑑定士は昨日の老婆ではなく、人のよさそうな顔をした中年男性だった。彼の手には星が4つ並び、Sレアであることを示している。

「お待たせしました。次の方、どうぞ」

「お願いしまーす」

 チガヤはウサウサの手を引いて前に出た。

「まずは、規則になっていますので、能力について説明をします。能力はスキルとアビリティの2つに分けられ……」

 と、昨日も聴いた説明が始まる。内容としては同じものだったが、全体的に老婆よりも丁寧な説明だった。

「説明は以上になります。では、能力解析に入ります」

 中年男性はウサウサをまじまじと見つめると、一つ咳払いをして話し始めた。

「アビリティは、隠したいものや、見たくないものを光で覆う『光耀遮蔽』です」

「それって、AVのモザイク処理のような…………いえ、何でもないです。続けてください」

 伊吹は女性陣がいることを気にかけ、AVの話をするのをやめた。もっとも、この場にはAVが如何なるものか、わかっているのは伊吹以外にはいない。

「スキルは、壁を築く能力の『好意防壁』になります。壁の強度は、対象者への好感度に比例します。つまり、好きな相手の前には堅固な壁を作り、そうでもない人の前には脆い壁を作る力になります」

 何てわかり易い好感度パラメータ、というのが伊吹の見解だった。

「ありがとうございました」

 チガヤは礼を言って、次の人に「どうぞ」と声をかける。列は前に進み、次の人に対する能力説明が始まった。

「やっぱり、病気を治す能力って出ないね……。帰ろっか」

 チガヤは笑ってみせると、神殿の外に向かって歩き始めた。彼女について行く形で、ユニットたちは帰路に就く。



「今日は、お風呂を沸かそうよ」

 自宅に着いた後、チガヤの開口一番がそれだった。

「家に浴槽って、あったっけ?」

 伊吹の認識では、チガヤの家にあるのは、両親の寝室、自分が寝た部屋、大きなテーブルがあるリビングだけだ。

「井戸の方にあるよ。ついてきて」

 駆けていくチガヤの後を追い、家の裏にまわると、屋根つきの井戸の傍に、木造の小屋が立っていた。小屋のドアを開けたチガヤは、伊吹に「どうぞ」と微笑む。伊吹は中へと入り、腰の高さほどある樽風呂の前に立った。直径は1.5mはある。

「これに入るんだ」

「そうだよ。前はね、そこにあるカマドでお湯を沸かして入れてたんだけど、ワニックが来てからは、井戸水を樽に入れたらアビリティでボンッだよ」

 樽風呂の近くにはカマドがあり、鍋やナイフが幾つか置かれていた。

「ここで調理もするんだ」

「うん。じゃ、水汲みしよっか」

 近くにあった桶を手に取ると、チガヤは井戸の方へと走っていった。伊吹も近くにあった桶を持って続く。

 まずはチガヤが水をくみ上げる。伊吹は彼女の後ろに立ち、くみ終わるのを待った。水をくみ上げると、チガヤは桶を持って小屋へと向かう。代わりに伊吹が水をくみ上げ、同じように運ぶ……。

 何度か繰り返すうちに、重い水を運ぶのがしんどくなっていく。

「……バケツリレー、しない?」

「バケツリレー?」

 伊吹はチガヤにバケツリレーを説明し、ユニットに集まってもらった。

 ワニックが水をくみ、シオリン、ブリオ、ウサウサ、チガヤ、伊吹の順で桶をまわしていく。最後に伊吹が樽風呂に水を入れればゴールだ。誰かが持ち運ぶ必要はない。

「たくさんいるって、いいもんだな」

 唯一、リレーに参加できないサーヤは、小屋の屋根に座って桶の流れを見ていた。

「数は力。マンパワーってやつかな」

「ふぅ~ん……で、誰から入るの?」

 リレーを提案した伊吹は少し調子に乗って発言したが、サーヤは軽く受け流して話題を切り替えた。

「みんなで入ろうよ」

「えっ……」

「女の子、みんなで」

 チガヤの“みんなで”に驚き、肩透かしを食らう伊吹だった。

「ヤマネイブキは最初に入りたい? 後がいい?」

「僕は後で入るよ」

「それじゃ、私とサーヤとウサウサから。ワニック達は、水浴びの方がいいんでしょ?」

「ああ」

 とワニックが頷き、「そうですねぇ~」「そうなんだな」とシオリン、ブリオが続く。そんなやりとりの間もリレーは続いている。

「あの、ずっと思ってたんだけど……。なんで、フルネームで呼ぶの?」

「フルネームって?」

「僕の名前全部ってこと。山根が苗字で、伊吹が名前なんだけど……」

「ミョウジって何?」

 チガヤの一言で、苗字の概念がないことを知る。

「何て言えばいいのかなぁ……。僕がいた世界では、家の名前みたいなものがあって、それが苗字なんだけど」

「家に名前があるの? それじゃ、おうちがたくさんある人は、ミョウジもたくさんあるんだね」

「いや、そういう訳じゃないんだけど……。まぁ、何と言うか、苗字か名前のどちらかで呼ぶことが多いから……ということを言いたかったんだ」

「そっかぁ。じゃあ、これからはイブキって呼んだ方がいいのかなぁ?」

「うん、まぁ……そうかな」

 伊吹が了承しても、チガヤは不思議そうに「ミョウジ」という単語を繰り返した。

「ミョウジだって……。聴いたことないよね?」

 チガヤが隣にいたウサウサに問いかけると、ウサウサは首を横に振って言う。

「私にも、ありました」

「ありました……って、苗字がなくなることがあるの?」

「はい、私は供物ですから」

 それが至極当然であるかのようにウサウサは答える。伊吹は、彼女が生きてきた世界との違いを感じざるを得なかった。

「供物? 生贄されたってこと?」

 ウサウサは首を縦に振り、不思議そうに周りを見始めた。

「ここはウツシの国では、ないのですか?」

 聴いたことのない地名に、ユニットたちは顔を見合わせ、「知らない」と首を振り合った。気づけば、リレーも止まっている。

「ここはマ国のスコウレリアという街だよ」

「そう……ですか……」

 街の名をチガヤから聴かされたウサウサは、遠く見つめて軽くため息をついたかと思うと、ほんの少しだけ口元を緩ませた。

「言い伝えは、間違っていたのですね」

「どういうこと?」

「太陽が月に覆い隠される年に生まれた王家の子は、17歳の誕生日に王家の名を捨て、聖なる河に流されてウツシの国へと辿りつく。そこで神の為に、その身を明け渡す。神は新たな肉体を得、王家に100年の繁栄を約束する。そう言われ続けてきました」

 ウサウサが話す内容もさることながら、彼女が長々と喋っていることにも伊吹は驚いていた。

「だから私は、穢れなきまま神の器にならんと生きてきました。いえ、そのように育てられ、生かされてきました。それが……」

 一呼吸おき、再び話し始める。

「実際に、この目で見てみるまでは、わからないものですね」

 ウサウサはシオリンのところで止まっていた桶に手を伸ばして受け取ると、隣にいるチガヤへと渡した。再び、バケツリレーが始まる。伊吹はウサウサにかける言葉を見つけられないまま、まわってきた桶の水を樽風呂に入れて空桶を戻した。戻っていく桶の流れを見ながら考える……

 彼女はおそらく、生贄として河を流れている最中に召喚されたのだ。召喚されていなければ、辿りつくはずの場所へ行っていたかもしれない。にわかには信じがたい言い伝えだが、可能性がないとは言い切れない。

 ただ、以前チガヤが言ったように、ガチャによる召喚対象が“今いる世界を離れたい”と思っている人なのだとしたら、ウサウサは自分が生まれた世界を離れたいと願っていたことになる。辿りついたかもしれない国を含め、そこは彼女にとって居たくない場所なのだ。生贄というさだめを負わされれば、自分だってそう思うだろう。

 思考を巡らせるほどに、何からどう話していいものか、伊吹はわからなくなっていた。

 しばらく無言のままバケツリレーが続いた後、サーヤはウサウサに優しく語り始めた。

「そうだな、実際に見ないとわからないことだらけだ。あたいは長いことガラスケースに入れられていたんだけど、そういう状況でも長く続くと、それが当たり前に思えてくるんだよな。こっちに来るまで、自分の置かれていた環境の異質さを忘れてたし、見ている世界が全てのように思えてた。あたいと境遇が似てるとは言わないけど、何ていうかさ……ここも悪くないから……」

「そうですねぇ~。みんな、色んな所から来てますけど、楽しくやれていますから」

 サーヤの言葉を補うようにシオリンが話す。チガヤはウサウサの顔を覗き込んで微笑んだ。

「仲良くしようね」

「はい……」

 ウサウサの肩から力が抜け、桶の受け渡しもよりスムーズになる。何度かリレーを繰り返すと、樽風呂が充分な水で満たされた。水を汲もうとしているワニックに向かって、伊吹は声を張り上げる。

「もう水はいいよ、結構溜まったから」

「では、やるとするか」

 ワニックが指をパチンッと鳴らすと、樽風呂の水はブクブクと音を立て、湯気を登らせた。伊吹が樽風呂に手を入れて温度を確認する。

「ちょうどいい湯加減になってる」

「すご~い! やったね、ワニック。今日は水で薄めなくてもいいね」

「温度調節がうまくいったのは初めてだ。これは、なかなか爽快だな」

 熱湯風呂になっていたら、またバケツリレーだったんだなと、チガヤ達の会話を聞いて思う。

「それじゃ、男は退散するとしますかね」

 伊吹は小屋を出て家へと向かった。その後にワニックやブリオが続く。

「なんか、空気が乾燥してない?」

 樽風呂から離れてみると、空気の乾き具合が気になった。ワニックが伊吹の横に出て答える。

「『水分蒸発』の効果範囲が、俺の周りだからだろう」

「バトルで使った時は、何も感じなかったんだけど……」

「あの時は、周囲の水を少しずつ集めてるヤツがいたからな」

「ああ、いたね。そんな人……。少しずつ無くなってれば、気づきにくいよね」

 時間をかけて水を集めていた水使いのことを思い出す。ワニックの能力で水が蒸発した様は、可笑しくも切なくもあった。ライターと大差がなかった炎使いといい、人は特別な能力を得ても、そんなに格好よくはなれないような気がする。

「乾いた空気が苦手なら、サーヤにアレを頼めばいい」

「アレ?」

「『加湿香炉』だったか。湿度を上げるアビリティだ」

「そこまでしなくてもいいかな。そういや、まだサーヤの能力って、見たことないなぁ」

 シオリンが後ろから伊吹の服を引っ張る。

「もし、サーヤが『加湿香炉』を使っても、匂いは気にしちゃダメですよぉ」

「どうして?」

「あのアビリティは使った人の匂いを振りまくんですよぉ~。サーヤ、羽根の匂いが虫臭いって、気にしてるんで」

「ああ、そうなんだ」

 確かに、蝶のような羽根をしているなとは思っていたが、匂いも昆虫のそれに近いのは意外だった。歩きながら話すうちに家に着く。ドアを開けて中に入ると、水を入れる桶が目に入った。

「なんか、喉乾いたなぁ……」

 少し飲もうと桶の中を覗くと、水は入っていなかった。ブリオがヒレのような手で、伊吹の脚をペチペチと叩く。

「昨日、汲んだ分は、もう無いんだな」

「じゃ、汲んでくるよ」

 伊吹は桶を持って再び井戸の方へと向かった。さっき、水を飲んでからくればよかったと後悔しつつ、井戸の前まで来ると小屋から光が漏れているのが見えた。

「光ってる……?」

 ランプの灯りにしては、おかしな光り方だった。閉め切られた小屋の壁の隙間から、抜け出すように輝く光は、中で何かが強く発光しているとしか考えられなかった。

 気になって小屋に近づいていくと、チガヤ達の話し声が聞こえてきた。

「すごい明るいね」

「明るいってレベルじゃないって……」

 小屋の前まで来た伊吹だったが、入浴中かもしれない彼女たちに、今起こってることを問いかけても、状況が状況だけに嫌がられるだろうと井戸に足を向けなおす。

「ここ、どうなってるんだろ?」

「あっ……」

 ウサウサの吐息混じりの声がして、伊吹の足が止まる。

「チガヤ、触るなって」

「ごめんね、驚かせちゃって」

 彼女たちが何をしているのか気になりだすと、選択肢はもう残されていなかった。伊吹はゆっくりと、光が漏れている隙間に顔を近づけた。

「あっ、光が弱まった」

 チガヤの言葉にビクッと反応するも、まだ見つかっていないことに安堵し、隙間から中を覗く。視界を妨げる光が徐々に弱まっていくとともに、樽風呂に浸かっている人影が見え始める。

 ゴクリと生つばを飲み込み、光が弱まっていくのを待つ。

 小屋中に広がっていた光が強さを失い、中にいる人の顔が認識できるようになる。あとは体の方も消えれば……と、気になる対象は完全に変わっていた。“光っていて気になる”というのは何処かにいっていた。

 まだか、まだか……と、体から光が消えるのを待つものの、肝心な部分は光で覆われたままだった。不思議なことに、女性陣の体の一部にだけ、光が射している状況が続いているのだ。

「これが『光耀遮蔽』ってアビリティなんだ」

「隠したいものや、見たくないものを光で覆うんだよね」

 中から聞こえてくる会話に、伊吹はガクッとうなだれた。ガチャ神殿でウサウサに告げられたアビリティの効果は、こういうことなのかと思い知る。

 今の状況が“隠したいものや見たくないものを覆っている”のだとしたら、ウサウサは自分の体を見せたくないのだろうし、他の人の体も直視したくないのだろう。ああ見えて恥ずかしがり屋だったという点はいいとしても、彼女がいる限り“女体の神秘”を拝めないという事実は、伊吹にとっては絶望を意味していた。

 伊吹は静かに小屋から離れ、井戸で水をくみ上げる。精神的なダメージが大きいせいか、バケツリレーの時よりも水が重く感じられた。

 水を汲んで家に戻ると、玄関前でワニックが待っていた。

「どうだった?」

「どうって、何が?」

 ワニックは耳元に口を近づけて囁いた。

「見に行ったんだろ? 小屋の中を」

「いやぁ……それは……」

 何か言おうとしても、ハハハという笑いしか出てこない。

「見えなかったのか?」

「まぁ、そんなところ……というか、もっと酷いかも」

 『光耀遮蔽』の恐ろしさを、伊吹はとつとつと語った。ワニックは黙って聞き、話が終わると伊吹の肩をポンッと叩いた。

「こんな時は、思い切り走って、叫ぶといい。なんなら、『瞬間加速』をかけるぞ」

「じゃ、頼むよ……」

「さぁ、行け!」

 ワニックは伊吹の背中を押すと同時に『瞬間加速』をかけた。倍速で走りだした伊吹はあっという間に家から離れ、開けた場所へと到達する。大きく息を吸い込み、空に向かって吠える。

「クソアビリティがあぁぁぁっ!」

 叫び声が遠くでこだまする……



 チガヤ達の入浴が終わり、伊吹に風呂の順番がまわってくる。彼女たちの残り湯に浸っても、“女体の神秘”を拝めないという事実が頭から離れなかった。

 軽く浸かった程度であがり、あてがわれた部屋に戻ると、そこにはウサウサとチガヤがいた。ウサウサは新たに用意された藁のベッドに座り、チガヤは部屋の中央に大きな布をぶら下げていた。

「何してるの?」

「部屋の線引きだよ。今日から、ここは二人で使ってね」

 二人でということは、ウサウサと寝起きを共にするのか……と、その状況を想像する。テレビで観た“大人カップルの朝”が脳裏をよぎる。

「いやいやいや、それはマズいんじゃ……」

「マズいって、この線引きのこと? 私は要らないって言ったんだけど、サーヤが要るって言うから」

「そうじゃなくて、男女が同じ部屋で寝起きするのは……」

「サーヤも同じこと言ってたけど、何が問題なの?」

 何が問題か訊かれたところで、無垢な瞳を向けるチガヤには説明しづらかった。

「狭くなっちゃうけど、我慢してね。ウチ、他に部屋もないし」

 部屋が無いと言われれば納得するほかないが、線引きした布の薄さには納得しきれない。

「それじゃ、また明日ね。おやすみ」

 バタンッとドアを閉めて、チガヤが出て行く。

 伊吹は自分用に用意された藁のベッドに腰掛け、部屋の奥に設置されたウサウサのスペースを布越しに眺めた。シルエットとして布に浮かび上がっているのは、藁のベッドに座る彼女の姿だった。

 何て声をかけようかと苦慮していると、ウサウサはベッドに横になった。

「おやすみなさい」

 何の動揺も感じない、平坦な声だった。

「おやすみ……」

 反射的に挨拶を返すも、自分一人がドキドキしているのかと思うと、恥ずかしい気持ちになる。彼女は何であんなに冷静でいられるんだ、寝てる間に悪戯されるかもしれないし、何かの拍子で着替えを見られることだって……と想像を巡らせたところで溜め息をつく。

 彼女の着替えを想像した時ですら、あの体を覆い隠す光が再現されたのだ。もはや、トラウマのように、彼女のアビリティは伊吹の心に刷り込まれていた。

 この先、自分は光り輝く裸体しか見られないのかと思うと、生きる楽しみを奪われた気分になってくる。彼女のアビリティを防ぐ手立てはないものかと、ぶら下がる布を見つめて思いを巡らせる。

 ふと、寝ていてもアビリティは発動するのかという疑問を抱く。

 それを確かめるには、寝ている彼女の服を脱がせるしかない。寝ていても発動するなら光るだろうし、発動しないなら“女体の神秘”が拝めるはずだ。

 試してみる価値はある。だが、試す奴に価値は無い。

 伊吹は悶々としながら、手が届きそうで届かない“女体の神秘”について、あれやこれやと考え続けた。

 そして、そのまま朝がやってきた――

 リビングの方で物音がする。昨日の朝も聴いたそれは、窓にはめた板を取る音だ。

 寝不足のままで仕事か……と思いながら、起き上がって部屋を出ると、ワニックが棒を外してまわっていた。

「なんだ、寝れなかったのか? 目の下にクマができてるぞ」

「クマ……?」

 どのくらいクマができているか確認するため、水桶に顔を映してみる。鏡とは違って、揺らめく水面に映る顔ではよくわからなかった。

 鏡はないかと家の中を見回すものの、それらしきものは見当たらなかった。代わりに、玄関のドア下から紙が入れられているのに気づく。手に取って見てみると、それは見覚えのあるガチャのチラシだった。

「おはよう」

 チガヤが起きてくる。ちょうどよかったと、伊吹はチラシを持っていく。

「これ、何て書いてるの?」

「ん~っと、美女ユニット限定ガチャ、好評につき、開催期間延長だって」

「延長って……」

「よくあることだよ」

 延長するなら、何も急いで稼ぐ必要はなかった。バトルに踏み切らなくてもと思うと、体から力が抜けていく。

「また、回したいの?」

「いや、もういいかな……」

 “美女は何人いてもいい”というのは変わらないが、猫顔の美人も出る美女ガチャを回すのは割に合わない気がした。そのうち、人間の美女限定ガチャが開催されることもあるかもしれないし……。そんなことを考えているとアクビが出た。

「イブキ、なんだか眠そうだね」

「うん、ちょっと寝れなくて……」

「そうなんだ。もし寝られそうなら、少し寝た方がいいんじゃない?」

「でも、仕事があるんでしょ?」

「今日はお休みの日だよ」

 こっちの世界の会社にも休日があるんだな、曜日もあるのかなと気になったが、頭がボーっとしてるので訊くのをやめる。

「じゃ、もう少し部屋で横になってるよ」

 トボトボ歩いて部屋に戻り、藁のベッドに倒れ込んだ。


 横になっているうちに眠ったのか、気づくと顔に藁が張り付いていた。大きくひとつアクビをし、藁を払って起き上がる。

「なんか、騒がしいな」

 外から聴こえる声に誘われ、家から出てみると、チガヤが小さな丸太を転がしていた。

「何してるの?」

「あっ、起きたんだ。これはね、歓迎会の準備」

「歓迎会って誰の?」

「イブキとウサウサのだよ」

 チガヤは丸太の皮が付いた部分を下にしてゴロゴロと転がし、運びたいところまで持っていくと垂直に立てた。丸太は円を描くように並べられている。その中央には大きな丸太があり、様々な食材が載せられていた。それをブリオが手を咥えて眺め、シオリンが「まだ食べちゃダメですよ」と釘を刺している。

「僕も何か手伝うよ」

「いいよ、座って待ってて。主役なんだから」

 チガヤに促され、置かれた丸太に腰かける。丸太は7つ用意され、そのうち1つは他よりも細かった。サーヤ用なのだろう。

「あれ? ワニックは?」

 サーヤとウサウサがやって来る。サーヤはワニックの姿を探してキョロキョロしていた。

「お肉を焼きに行ってるよ。そろそろ、来るんじゃないかな」

「そっか。ずっと食べたがってたもんな、焼くのは人に任せられないか」

「そうみたい。何処まで案内してきたの?」

「会社まで」

 ウサウサに近所を案内していたのか、自分の時はそういうのなかったなと、待遇の差を感じる。

「焼けたぞぉ~」

 ワニックは大きな板に葉っぱを敷き、その上に肉の塊を載せてやって来た。香ばしい匂いが食欲を誘う。

「これ、何の肉?」

「さぁな、市場で一番安かった肉だ」

「大丈夫なの?」

「シオリンが『毒素感知』で確かめてる。問題ない」

 毒の有無を確かめるスキルで調べたなら、問題は無いなと安心する。ワニックが中央の丸太に肉を置くと、チガヤはパンパンと手を叩いた。

「は~い、みんな揃ったよね。それじゃ、イブキとウサウサの歓迎会を始めるから、席について」

 それぞれが近くの席に座っていく。全員が席に着くのを見届けると、チガヤは両手を広げて言った。

「イブキ、ウサウサ、ようこそ我が家へ。これから、二人の歓迎会を始めます」

 伊吹は条件反射的に拍手をしたが、ほかに拍手をしている者はいなかった。周りから、何をしているんだろうという目で見られる。どうやら、拍手の習慣もないらしい。

「あの、歓迎会って、何をするの?」

 拍手もない世界の歓迎会が、自分の知っている歓迎会とは違うのではないかと思うと、伊吹は訊かずにはいられなかった。

「食べて、飲んで、お喋りするんだよ」

 なんだ、変わらないなと安堵したところで、一言付け加えられる。

「お喋りはね、1対1でするんだぁ。この家に長く居る人から順に、新しく来た人と話していくの」

「へぇ~……」

 従姉から聞いたカップリングパーティを思い出す。男女がテーブルを挟んで座り、目の前の人と5分話したら、女性陣が横にずれていくというものだ。最初に互いのプロフィールカードを交換し、それをネタに話すことになっているが、話が合わない人はカードの内容を見た時点でわかると従姉は言っていた。ついでに、生理的に受け付けない人との5分は地獄だとも。

「じゃ、みんな好きなもの取ってね。食べながら、お話ししよう」

 ワニックが真っ先に肉を取りに行く。遅れてブリオも肉を取り、シオリンはひょうたん型の実を手にした。サーヤは何かの種をかじり、ウサウサは皆の様子を窺っている。

 伊吹が取った肉を葉っぱに載せて席に戻ると、チガヤは手ぶらのまま隣の席に座った。

「まずは、私からだね。何を話そうかな…………え~っと、そうだ! イブキがいた世界の話を聞かせて」

「僕がいた世界は……」

 自分がいた世界にあるもの、通っている学校、住んでいる地域の話をしていると、サーヤが飛んできてチガヤの肩にとまった。そろそろ交代らしい。チガヤはウサウサのところに行き、今度はサーヤが話し相手になる。

 サーヤからはウサウサと同じ部屋になっても、問題は起こすなと釘を刺されたくらいで話が終わる。次にシオリンがやって来て、彼女の恋愛観を延々と聞かされ、その後のブリオからは好きな食べ物ベスト10を教えられた。ワニックは戦士としての武勇伝を熱く語ると、意気揚々とウサウサのところに向かった。

「ふぅ……ようやく食べられる」

 次々と話し相手がやってくるお陰で、食べるタイミングを逃した肉は、すっかり冷えて硬くなっていた。何の肉かはわからないが、ひたすら硬いだけの肉で、噛んでも旨味を感じられない。

 無理やり肉を飲み込み、シオリンが食べていた実に手をつける。こっちは皮ごと食べられる柔らかさで、梨に似た食感と味がした。

「これ、いくらしたんだろうな……」

 並べられている食材を見ると、どうしてもそれが気になる。何せ、自分が来た日にチガヤは無一文になって、家にあるのは水だけだったのだ。残っている貨幣を考えると、自分たちのための歓迎会とはいえ複雑な心境になる。

「イブキの番だよ」

 チガヤに言われて振り向くと、ウサウサの隣の席が空いていた。会話の順番がまわってきたのだ。

 伊吹はウサウサの隣に座り、何を話そうかと考えたが、まずは気になっていることから訊くことにした。

「みんなとは、どんなこと話したの?」

「私がいた世界の話、恋愛の話、好きな食べ物の話、戦いの話をしました」

 大体、誰と何を話したのか想像できる。

「あと、私の能力について……」

「あの光で覆うやつ?」

「そちらではなく、壁を築くものです。使ってみましょうか?」

「うん」

 ウサウサが伊吹に向かって右手を向けると、地面から生えるようにして、こげ茶色の薄い壁が出現した。壁と言っても大きさは30cm程度で、大きな煎餅が地面に刺さっているのと大差ない。試しに突いてみると、壁はパリッという音を立てて割れた。

 この煎餅が自分の好感度なのかと思うと、出会ったばかりとはいえ、悲しくなってくる。

「もう使えるようになったんだね」

「はい。対象に向かって念じればいいと聞きましたので、試したらできました」

「他の人にも使ってみたの?」

「ええ、壁の大きさは……」

「いや、そこは言わないで、お願い」

 自分が一番小さい壁、つまりは好感度が低かったら悲しいので、伊吹はウサウサの言葉を遮った。

「あなたの能力も見せて戴けませんか?」

「僕の? 僕のは……片っ方はチガヤに使うなって言われてる上に、そもそも使い方がわからなくて……。もう一方はバトルで使ったことがあるけど、何が起こったのか、よくわかっていないんだけど」

「相手は、どうなったのですか?」

「一人は眠って、一人はゲップをしただけ。訳わかんないよね……」

 ウサウサは少し間を置くと、自分の胸に手を当てた。

「私で試してみませんか?」

「えっ!?」

「受けてみれば、何が起こってるのか、わかると思います」

「そうだけど……」

「いろんなものを見たり、確かめたりしたいのです」

 生贄というさだめから解放され、自由になった彼女のことを思うと、その好奇心を満たしてあげたいような気がしてくる。

「じゃ、やるよ」

「お願いします」

 伊吹はウサウサの肩に触れ、右手に意識を集中させ、『快感誘導』の発動を念じる。伊吹の手から放たれた赤い波動のようなものが、ウサウサの体を駆け巡った。

「ああぁっ!」

 ウサウサの声が響く。それは嬌声と言って差し支えなかった。彼女は地面にペタンと座り込み、息遣いも激しくなっていた。その表情を見ようにも、例の光で覆われていて何も見えない。顔が隠れているということは、見せたくないと思っているか、見たくないかのどちらかだが、この場合は明らかに前者だろう。恥ずかしさを隠すための光に違いない。

 何が起こったのかと周りがざわつく。伊吹は彼女に恥ずかしい思いをさせまいと、嬌声を誤魔化すために自ら叫んだ。

「あぁーーーっ! 大声なら負けないぞぉーーっ!」

 伊吹の叫び声を受けて、「なんだ、大声競争か」という声がする。その声に安心すると、伊吹はウサウサに頭を下げた。

「ごめん……。前と同じような効果が出るって、思ってたんだけど、その……とにかく、ごめん」

 ウサウサの顔色を窺いたかったが、今も光で覆われていて叶わない。

「君にだけ使って、自分には何もしないっていうのもアレだから、僕も……」

 自分の胸に手を当て、『快感誘導』を発動させる。赤い波動が全身に行きわたると共に、急激な眠気が伊吹を襲った。

「あれ? なんだか……すごく、眠くなって……」

 気だるくなると同時に、目を開いているのが辛くなる。自然と瞼が落ちてきて、気づけば仰向けに倒れ、深い眠りへと落ちていた。



 伊吹の目が覚めたのは翌日の朝だった。

 「仕事に行くよ」とチガヤに起こされ、みんなと一緒に会社へと向かう。その道中で眠った後のことを聞かされたが、頭に入ってきたのはワニックがベッドまで運んでくれたことと、眠そうだったから寝かせておいたことくらいだった。

 会社に着くと、チガヤとウサウサが受付カウンターに向かい、伊吹たちは入り口付近で待つことになった。

「自分にスキルを使ったんだって?」

 サーヤが呆れ顔で話しかけてくる。

「うん、使った……」

「なかなか、思い切ったことするよな。で、結果は眠らせる能力だったってわけ?」

「たぶん、それだけじゃない」

「どういうことさ?」

「それは……」

 伊吹は考えた。バトルで使った時の効果は眠りとゲップ、自分に使った時の効果は眠り、ウサウサには嬌声を上げさせる効果があった。ガチャ神殿で言われた効果は『欲を満たす』というもの。

 眠りは眠りたいという欲求を満たした結果、ゲップは食べたいという欲求を満たして満腹感を得た結果、嬌声は性的な欲求を満たした結果なのではないか。それが伊吹の結論だった。

「何ていうか、その……能力を鑑定した人の言うとおり、“欲を満たす”ものだと思うんだ。具体的には、睡眠欲、食欲、性欲を満たすもので、僕の場合は睡眠欲を刺激されたから眠ったんだと思う。昨日、眠かったし……」

「それじゃ、人や状況によって効果が違うってこと?」

「うん……」

 自分の見解を述べたところで、1つだけ腑に落ちないことがあった。自分は眠かったから睡眠欲を刺激されたというのはいい。だが、その理屈でいうならウサウサは欲求不満だから性欲を刺激されたことになる。欲求不満そうには見えないのが引っ掛かっていた。

 もしかしたら、使った相手がどうこうではなく、自分が満たしたいと思っている相手の欲を満たす力ではないか、という考えに行きつく。それなら、酷い話ではあるがウサウサが嬌声を上げたのも納得できる。逆に、バトル時の効果が説明できなくなる。間違っても、ゲップを出させたいとは思っていないのだから。「う~ん」と唸り始めると、サーヤは何か感づいたのか、伊吹から距離を取った。

「あたいには使うなよ、そのスキル。絶対だからな」

 それだけ言うと、チガヤの方へと飛んで行った。チガヤは仕事チケットを手にし、ユニットたちを手招きしていた。伊吹が駆け寄ると同時に、チガヤが話し始める。

「今日も勧誘ボーナスもらったよ。それでね、今日のお仕事なんだけど、私とシオリンだけでいいかな」

「私だけって、どんな仕事なんですかぁ~?」

「市場での毒検知だよ。この前のバトルを見た市場の人がね、あのスキルを使って欲しいって頼んできたんだって」

 バトルに出た影響が良い方向で出たことで、ユニット達から「おお」という声があがる。

「報酬もね、銀貨1枚も貰えるんだよ。すごいよね」

「仕事の報酬と言えば銅貨だったのを考えると、何かの罠かと勘繰りたくなるが……」

「そうじゃないよ、ワニック。誰でもできそうな仕事と、やれる人が限られてる仕事の差なんだよ、この銀貨と銅貨の違いは」

「ふむ、そういうものなのか」

 受付の人が“バトルは会社をPRする格好の場”と言った意味が、ようやくわかってきた気がした。社名入りのユニフォームを着て、スキルやアビリティを駆使する意義を考えると、前のバトルはアピール不足だったように思えてくる。

「仕事に繋がるんなら、もっとスキルやアビリティをアピールした方がよかったね」

「たとえば、どんな風に?」

 思ったことを口にしたら、サーヤに具体案を求められ、伊吹は慌てて考えた。頭に浮かんだのは、必殺技を叫ぶ特撮ヒーローだった。

「たとえば、スキルを使う前にスキル名を叫ぶっていうのはどう? ついでに、効果も解説しちゃったりとかして」

「そりゃ、アピールになるけど、相手に次の行動を教えるようなもんだろ」

「あぁ、言われてみると、そうだよなぁ……。なんで、ヒーローは必殺技を叫ぶんだろ?」

「だから、アピールしたいんだろ? 誰かに……。どこのヒーローか知らないけどさ」

「誰かって……誰? 敵? いや、視聴者か。観ている人を楽しませないといけないもんなぁ。それに、技を叫んだ方がわかりやすいし、格好いいし、印象にも残るし。だからヒーローがつけてるグッズが欲しくなって……そうか! ヒーローが必殺技を叫ぶのは、玩具を売るための営業行為だったんだ」

 一人、納得する伊吹を他のユニットたちが不思議そうに見つめる。

「ああ、気にしないで。前にいた世界のことで、わかったことがあっただけなんだ。アハハハ……」

 乾いた笑いをする伊吹の肩をサーヤが突っつく。

「話を戻すけどさ、スキル名を言えばアピールには繋がるけど、それが原因で負けに繋がるかもしれない。結果、勝利ボーナスが貰えなくなる可能性が高くなる。スキル名を言わないのはアピール不足かもしれないけど、相手に次の行動や能力を知られないで済む。結果として、勝利ボーナスを貰える可能性が高くなるかもしれない。まぁ、一長一短だと思うけど、たださ……」

「ただ?」

「スキル名を言って戦うのは、たぶんアホっぽいんじゃない?」

「そうかなぁ……」

 憧れていたヒーローの姿を思い浮かべると、どうしてもそうは思えない。

「で、今日もバトルにはエントリーするんだろ?」

 ワニックは当然といった感じで訊いてくる。

「えっ、また戦うの……」

 チガヤは心配そうに伊吹を見つめた。自然と、伊吹がエントリーするか否かを決めるような雰囲気になる。伊吹は何も考えずに、「多数決で」と言おうとしたところで思いとどまる。

 理由は、多数決に良い思い出がないからだ。多数決というのは、やりたくないことを誰かに押しつけるときに取られる手段のような気がして好きではなかった。それなのに、ついつい提案しているのだから厄介だ。取り敢えず、バトルに出る利点と欠点をまとめてみる。

「バトルに出るメリットは、勝てば勝利ボーナスが貰えるのと、今日みたいに仕事を依頼されること。デメリットは、痛いってことかな。怪我しても治療してもらえるし、致命傷を受ける前に転移してくれることを考えると、出るメリットの方が大きい気がする」

「確かに……」

「でも、痛いのは大きいですよぉ~……」

「オイラも、痛いのは嫌なんだな」

 サーヤが同調するも、シオリンとブリオは嫌そうな顔をする。その横で、そっと手を挙げ、ウサウサが発言する。

「壁があれば、戦いは変わりますか?」

「変わるんじゃないかな。相手の攻撃を避けやすくなるかも」

 煎餅みたいな壁じゃないのなら、と付け加えるのを伊吹は忘れた。

「でしたら、出場の際には私も入れて戴けませんか」

「戦いが好きなのか?」

「戦ったことがないので、わかりません。ただ、いろんなものを見たり、確かめたりしたいのです」

 ワニックの質問に対するウサウサの答えは、聴いたことのある理由だった。昨日同様、彼女の好奇心を満たしてあげたい気持ちになってくる。

「バトルは僕の方でエントリーしておくから、出たい人は言ってね。僕は一人でも出るから」

 それが伊吹の出した答えだった。

「出ることに反対はしないけど、無理はしないでね。約束だよ!」

「うん、わかった」

 憂えるチガヤに、伊吹は笑って頷く。

「私はシオリンと市場に行くけど、バトルに出る人は気を付けてね。それとね、仕事は遅くまでかかるみたいだから、バトルは観に行けないと思う」

「……ということは、シオリンは出られないのか」

「私がいないと寂しいんですね、ワニックは」

 何か勘違いしてそうなシオリンに、ワニックは顔を引きつらせた。

「じゃ、行ってくるね」

「そっちも無理すんなよ」

 シオリンと手を繋いで出ていくチガヤに、サーヤは小さな手を振って見送った。チガヤ達の姿が見えなくなったところで、ユニットたちの視線が再び伊吹に集まる。

「エントリーしてくるけど、僕の他に出る人は?」

 ワニック、サーヤ、ウサウサが手を挙げる。慌てて、ブリオもヒレのような手を必死に挙げた。

「ブリオも出るの?」

「オイラだけ、仲間外れはイヤなんだな」

 予想通りの回答だった。


 エントリーを済ませた伊吹たちは、闘技場のあるギボウシへと向かった。家に帰ってもすることがないので、早めに行って作戦会議をしようというサーヤの提案に乗り、会社から直行することになったのだ。

 闘技場の控室へと入り、円になって座る。

「何か良い作戦とかある?」

 伊吹が訊くと、サーヤが手を挙げて発言する。

「作戦っていうほどのもんじゃないけどさ、旗を取られたら負けだから、旗の傍に1人は居た方がいいんじゃない?」

「なるほど、一理ある」

 ワニックが頷く。

「ポジションを決めるのはいいかもね。旗を守る人がゴールキーパー、旗に近づけさせないのがディフェンダー、旗を取りに行くのがフォワードみたいな」

「ポジションねぇ……。相手の情報がゼロだから、細かく決めたらやりづらい気もするけど。例えば、どんな配置にする気?」

 伊吹はスポーツのディフェンス、オフェンスというより、RPGでいう前衛と後衛で考えてみた。

「フォワードはワニックかな、肉弾戦に向いてるし。ディフェンスはウサウサだね。後ろから全体を見ていた方が、『好意防壁』を使いやすいだろうから。残りは……ゴールキーパーかな?」

「どんだけ守る気だよ。ワニック一人で、旗が取れるかっての」

 サーヤに一蹴される。少し間をおいて、ワニックが手を挙げる。

「それなら、女性陣が旗の守り。男性陣が前に出て戦うのはどうだ?」

「悪くはないけど、女だからって理由で後ろに下げられるのはな……。まぁ、あたいは小さいから仕方ないけどよ」

「ワニックは、やっぱりバトルに女性を巻き込みたくないの?」

「それが正直なところだ。味方に限らず、な」

 そういう気持ちは伊吹にもあった。バトルに出てきた女性をボコるのは気がひける。できれば、力技以外で抑え込みたいと思っていた。もし、そんな方法があるならば……

「あっ!」

 伊吹は力技以外で、女性を無力化する手段があることに気付いた。

「どうした?」

 サーヤが目の前まで飛んでくる。

「いや、ちょっとした発見があってというか、ある決意を固めたんだ」

「決意?」

「ワニックは女性と戦うのは避けたいよね?」

「そうだな」

「だったら……」

「だったら?」

「女の子は僕が倒す!」

 伊吹は決め顔でそう言った。

「得意げに言う言葉かっ!」

 サーヤが伊吹の額を軽く蹴り上げる。「イテッ」と仰け反るも、姿勢を戻したときにはドヤ顔になっていた。

「僕には痛みを与えずに、女の子を倒す技がある……と思う」

 それはウサウサに使用したスキル、『快感誘導』のことだった。



 あれこれ話しているうちに開始時間となった。話し合いで決まったのは、ブリオが旗を守るということと、伊吹が女の子を倒すということだけだった。決定という訳ではないが、『好意防壁』の関係でウサウサは前には出ないという方向性も示されている。

 伊吹たちはスコウレリア第三事務所のユニフォームに着替え、バトルフィールドに整列した。対戦相手のハイツボ何でも相談所は、女性3名に馬顔の亜人種、鹿顔の亜人種という構成で、ユニフォームは女性陣がキャミソールにホットパンツ、亜人種はスパッツを履いているだけだった。

 遅れてやってきた相手チームが、伊吹たちの前に並び立つ。中央にいた長身女性は一歩前へと踏み出すと、ウェーブがかった髪をかきあげ、妙なポーズを取って名乗り上げた。

「私はSレアのマリーナ! スキルは自分より軽い物を動かす『物体移動』、アビリティは感度を上げる『敏感革命』よ!」

 続いて、マリーナの右隣にいたスレンダー女性が前に出る。口元にあるホクロをなぞり、これまた奇妙なポーズで名乗り上げる。

「私はシモンヌ! スキルは球体を作り出す『球体錬成』、アビリティは卑猥な単語に音をかぶせる『淫語消滅』なの!」

 マリーナの左隣にいた小柄な女性は、恥ずかしそうに前に出ると、照れながら奇妙なポーズを取ってボソボソと話し始めた。

「……サラです。スキルは触れた相手の肉体の何処かを……こ、硬直させる『肉体硬直』、アビリティは周囲の音にエコーをかける『音響反射』です」

 サラが話し終わると、両端にいた馬男と鹿男が同時に前に出て、同時に奇妙なポーズを取ると、同時に名乗り上げて、何を言っているのかわからなかった。

 馬男と鹿男の自己紹介が終わると、会場中がシーンと静まり返った。

 伊吹はサーヤの傍により、小声で問いかける。

「これって、仕事に繋げようと思って、自分たちのスキルをアピールしてるのかな?」

「あたいには、ただのアホに見えるんだけど……」

 その意見に異論はなかった。

「さぁ、あなたたちも名乗りなさい。お互いに能力を公表したうえで、正々堂々と戦いましょう!」

 マリーナの提案を受けて、伊吹たちは顔を見合わせる。サーヤとワニックが渋そうな顔をしているのを見て、伊吹は相手の誘いに乗らないことを決めた。

「“正々堂々”と“手の内をさらす”はイコールじゃないと思うんで……」

「何ですって~!」

「マリーナ、ここは抑えて。これは、私たちを怒らせて、平常心を失わせようとする作戦かもしれないわ」

「そうね、シモンヌ。危うく敵の術中にハマるところだったわ」

 何をどう捉えればそうなるのか、伊吹には理解できなかった。

 呆気にとられていると、審判団がやってきて両陣営の端に並んだ。今回も前回と同じ面子の運営スタッフだった。

 審判のニーナがルール説明に入る。初参加だった前回よりも余裕があるせいか、前は聞き流してしまった箇所も耳に入ってきた。“指定された物以外を持ち込んだ場合は、その時点で反則負け”“運営スタッフに暴言を吐く、正常な進行を妨げる行為があった場合も反則負け”というのがそれだ。

 説明が終わると、審判たちはフィールドの端へと移動していった。

「おい、小僧」

 馬顔が伊吹に話しかける。

「僕?」

「そう、お前だ。貧弱そうなお前に見せたいものがある」

 ボディビルで言うところのモストマスキュラーというポーズを取ると、馬男は大きく息を吸い込んで叫んだ。

「筋肉肥大!」

 ただでさえ筋肉質だった馬男の肉体が、よりムキムキでキレのあるマッスルボディへと変化した。

「どうだ、羨ましいか」

「そ、そうっすね……ちょっと、触らせてほしいかも」

「いいぞ、特別に触らせてやろう。お前を叩くのは、それからでも遅くない」

「ハハハ……」

 伊吹の力のない笑い声を消すように、観客席で角笛が吹かれる。

 バトル開始と同時に、伊吹は馬顔に近づき、その厚くなった大胸筋に触れた。

「どうだ、硬いだろ? フハハハ」

 調子に乗る馬男に笑顔を見せたまま、伊吹は『快感誘導』の発動を念じた。赤い波動が全身にまわると、馬男はバタリと倒れて寝息をかき始めた。

「貴様、何をした!」

 急に倒れた味方にマリーナが動揺する。他のメンバーも驚きを隠せない様子だった。

「マリーナ、彼は危険よ。今すぐ離れましょ」

 シモンヌの提案を受けて、相手チームは自陣の旗の近くまで後退した。この間に、ブリオは旗の前に移動し終え、取られないよう守りに入る。ウサウサも後ろへと下がり、『好意防壁』を使うタイミングを窺う。ワニックは腕を組んで仁王立ちし、サーヤは手が届かない高さから戦況を見守っていた。

「近づいたら、何をされるかわからないわ。まずはアイツを遠距離攻撃で倒すのよ!」

「マリーナ、アレを使うのね?」

「そうよ、シモンヌ。私たちの“とっておき”を見せてあげましょう」

 シモンヌは両手を前に出すと、見えない空気の球を撫でるように手を動かした。

「行くわよマリーナ、球体錬成!」

 小さな球体がシモンヌの手の間に現れたかと思うと、あっという間に野球のボールほどの大きさまで膨らんだ。ボールは次々と作られては、ボトッ、ボトッと砂地に落ちていく。

「さぁ、ボールたち、アイツ目がけて飛んでいきなさい。物体移動!」

 マリーナが叫ぶと、砂地に落ちたボールは浮かびあがり、伊吹に向かって一斉に飛んでいった。パスッ、パスッという軽い音と共に、伊吹の体にボールがぶつかっていく。

「どうかしら、私の能力は」

「あまり、痛くないんだけど……」

 伊吹がボールを拾って握ると、簡単にぺしゃんこになった。感触的にはプラスチック製のボールに近い。

「バカな!? そんなハズは……」

「マリーナ、あのアビリティを忘れているわ」

「ハッ! 私としたことが、アビリティを使い忘れるだなんて……。本番はこれからよ! 敏感革命!」

 マリーナが拳を突き上げて叫ぶと、彼女を中心に紫色の霧が広がっていった。

 さっきまで当たっても何ともなかったボールが、徐々にぶつかると痛いものに変わっていく。

「痛っ! ボールが硬くなった?」

「ボールは何も変わっていないわ。変わったのは貴様の感じ方だ! そう、私の敏感革命は、この霧の中にいる者の感じ方を変えるアビリティなのよ」

 ドヤ顔で説明するマリーナの周りも、紫の霧で覆われていた。それは、敵味方関係なく、敏感になっていることを意味している。

「イテッ……イテッ……」

 ボールは断続的に伊吹に当たり続ける。その度に、伊吹は痛みで体をよじらせた。

「マリーナ、特大のボールを用意したわ」

「ナイスよ、シモンヌ。さぁ、これでも食らいなさい! 物体移動!」

 1mほどのボールが伊吹に向かって飛んでいく。顔面直撃かと思われた時、伊吹の前に2m以上ある巨大な鉄壁が出現してボールを跳ね返した。跳ね返ったボールはマリーナの頭部に命中する。

「アタッ!」

「何よ、この壁は……」

 シモンヌは突如として現れた壁を見上げた。それは、ウサウサが『好意防壁』で生み出したものだった。

 伊吹は自分の前に現れた巨大な壁に驚くも、これが『好意防壁』によるものだということは理解できたし、バトル中に使用されることも想定していた。ただ、この大きさは想定外だった。

「この壁の大きさ……。よっぽど好かれてんだな、ウサウサに」

 伊吹の目の高さまで降りてきたサーヤは言う。

 『好意防壁』は対象者への好感度に比例した強度の壁を築く能力。つまりは、ウサウサの伊吹に対する好感度は、いつの間にか煎餅レベルから鉄壁レベルに変化していたことになる。

「好感度を形にされるのって、何だか照れくさいね」

「スキルを使った本人は、照れくさいどころじゃないみたいだけど」

 ウサウサの顔は光に覆われ、普段は真っ直ぐ立っているウサギ耳が、へにゃっと折れ曲がっていた。彼女の『光耀遮蔽』が発動しているということは、今は顔を“隠したいか、見たくないか”のどちらかになる。自分の気持ちが形になったのが恥ずかしいから、顔を隠したいのだということは伊吹にもわかった。

「何をしたら、こんなに好かれるんだか」

「僕も知らないよ」

 『快感誘導』で喘がせたのだから、嫌われていた方が納得できた。それが好かれているというのだから、その理由は皆目見当がつかない。

「まぁ、好かれた理由はおいておくとして、これからどう攻める?」

「旗を取りに行くにしても、あの『物体移動』は厄介だよ。痛覚が過敏になってることもあるけど、あれを食らってちゃまともに進めない。でも、皮膚が硬いワニックなら……って、そういえば、今日はずっと腕組みしたままだね」

 ワニックはバトル開始からずっと、腕組みをして仁王立ちしている。

「誰かさんが、“女の子は僕が倒す”って言ったからでしょ。向こうの鹿男が動くまで、ああやってるんじゃない?」

「そっか……。自分で言ったんだから、向こうの女性陣は何とかしないとね」

 伊吹たちが話している間、相手陣営では壁対策が話し合われていた。

「何なのよ、あの壁は! 向こうだけ壁があるなんて、ズルいじゃない!」

「壁なら、こっちも用意できるわよマリーナ。球体錬成!」

 シモンヌは直径2mほどの球体を目の前に作り出した。

「……壁って、丸いんですか?」

 マリーナたちの後ろに控えていたサラがポツリと呟く。

「仕方ないじゃない、私は丸いものしか作れないんだから。でも、これで向こうの攻撃を防ぐことができるわ。30秒だけだけど」

「30秒?」

「サラはウチに来たばかりだから知らないでしょうけど、シモンヌが作った球体は30秒後には消滅してしまうのよ」

 言っている間にも大きな球体は透けていった。

「……片づけなくていいんですね」

「そんな利点は要らないわ!」

 マリーナに大声を出され、サラが萎縮する。

「マリーナ。壁があるなら、上から落とすしかないんじゃない?」

「私もそれを考えていたのよ、シモンヌ。他に手はなさそうね」

「あ、あの……」

 恐る恐るサラが口を開く。それに気付いたシモンヌが声をかける。

「どうしたの? サラ」

「『物体移動』で、相手の旗を狙った方が早くないですか? 自分より軽い物を動かせるんですよね?」

 サラの一言で、シモンヌとマリーナは、雷に打たれたように固まった。

「あのぉ……」

「どうして今まで、そのことに気付かなかったのかしら……。私って、もしかして……」

「落ち込まないでマリーナ。これはきっと誰かの陰謀よ。でなければ、おかしいわ。何度もバトルしてるのに、こんな簡単なことを思いつかないなんて」

「そうね、誰かの陰謀だわ。そして、その陰謀は私が打ち砕く!」

 マリーナは相手の旗を見据えると、人差し指を立てて宣言した。

「お遊びはここまでよ! 1秒で終わらせてあげるわ! 物体移動!」

 マリーナがスキル名を叫ぶと、砂地に刺さっていた旗が左右に動き、スポッと抜け出した。だが、まだ敵の手に落ちたわけではない。

「ブリオ、旗を押さえて!」

 相手の狙いが旗だと気づいたサーヤが叫ぶ。ブリオは慌てて旗の棒を掴むが、ブリオの体ごと宙に浮いてしまった。

「ブリオまで持ちあがるなんて……」

「言ったハズよ。私の『物体移動』は、“自分より軽い物”を移動させることが可能だって」

「つまり、ブリオより体重があると」

「私が太ってるみたいに言うなーーっ!」

 伊吹がマリーナと話している間も、宙に浮かんだブリオと旗は自軍陣地から離れていく。

「要は、重さが足りないんだろ? 俺に任せろ!」

 ワニックは『瞬間加速』を自分にかけると、猛スピードでダッシュし、ブリオごと旗を掴んで着地した。ブリオがワニックの下敷きになる。

「チッ! 重過ぎて動かせない」

 ワニックが加わったことで重量オーバーになり、動かせなくなったマリーナが舌打ちする。その光景を壁の後ろで見ていた伊吹とサーヤが小声で話し合う。

「何とか防げたけど、これじゃワニックが旗から離れられない……」

「ワニック抜きで、勝負をつけるしかない。ウサウサも、ここに呼んだ方がよくない?」

「そうだね」

 伊吹はウサウサと目を合わせ、来るように手で合図を送る。ウサウサは相手の様子を見ながら、伊吹の元へと駆け出した。

「行かせないわよ!」

 マリーナの『物体移動』でウサウサが後ろへと吹き飛ぶ。飛ばされたウサウサも驚いたが、飛ばしたマリーナの方が驚いていた。

「嘘でしょ……」

「どうしたのマリーナ? 何かあったの?」

 シモンヌが揺さぶっても、マリーナは呆然としていた。そんな二人をよそに、サラは飛ばされたウサウサを見て感動していた。

「凄い……。もしかしたら、太ったら最強になれるんじゃないでしょうか」

 サラの一言で、マリーナの何かがブチッと切れる。

「デブは嫌なのよ、デブは! あの子を飛ばせたのだって、何かの間違いよ! きっと誰かの陰謀よ! 私はダイエットしたの! 重いハズないの! だから、人は飛ばせないって思ってたのに……」

 怒涛のように喋ったかと思うと、マリーナは急に落ち込んだ。その様子を壁の後ろから眺めていた伊吹が言う。

「それで、明らかに軽そうな物だけ飛ばしてたんだ」

「体重を勘繰られない為に、ね……」

 サーヤは少し同情しているようだった。そんな想いは露知らず、相手陣営では次なる一手を模索していた。

「マリーナ、あの子を飛ばしたのは錯覚。見間違いよ、気のせいだわ。でなければ、誰かの陰謀よ。さっきのことは忘れて、壁の裏にいる連中を何とかしましょう」

「わかったわ、シモンヌ。で、何か策はあるの?」

「そろそろ、アイツにも働いてもらうのよ」

 シモンヌの視線の先には、ぬぼ~っと突っ立ったままの鹿男がいる。

「彼、使えるの?」

「自発的には動かないけど、言われたことはやる男よ。鹿、ちょっと来なさい」

 呼ばれた鹿男が駆け寄る。

「あなた、スキルを持ってたわよね」

「へい」

「どんなスキルだったかしら?」

「あっしのスキルは生物の体を温める『熱線照射』でやんす」

 鹿男のスキルを聴いたシモンヌ達は顔を見合わせた。

「何で、この男をメンバーにしたの? シモンヌ」

「私は入れてないわよ。まさか、サラが?」

「私じゃないです。あの……馬の人が」

 馬男は今も眠り続けている。

「そうでやんす。馬の旦那があっしを呼びやすた。何でも、筋肉を温めるのにちょうどいいとかで……」

「これだから脳筋は……」

 マリーナが頭を抱える。

「あと、馬の旦那からは、旗を取られない秘策を……」

「もういいわ。あなたは壁でも温めてなさい」

「そう言われましても、さっきも言いやんしたが、温められるのは生物の体だけでして……。壁に熱線を放っても、すり抜けるんでやんす」

「えっ? すり抜けるの? ちょっとやってみなさいよ」

「へい」

 鹿男は鉄壁の正面に立つと、両手を前に出して手のひらを合わせ、それをゆっくりと開いていった。合わせた手首付近から、赤みがかった光が照射される。

「な、何だ? 体が温まっていく!?」

 急に体が温まり始めた伊吹は、何が起こったのかと自分の周りを確かめ、壁をすり抜けてくる光に気づいた。

「大丈夫?」

 心配するサーヤに、伊吹は余裕の笑みを見せる。

「全然平気。サウナに入ってるみたいで気持ちいいよ」

「サウナ? 何それ」

「蒸し風呂のことだよ。こっちにはないの? 僕のいた世界では、よくダイエットとかに……」

 ダイエットという単語で、マリーナの顔が浮かぶ。

「サーヤ、『加湿香炉』をお願い。いいことを思いついた」

「わかった」

 サーヤが深呼吸を繰り返すたびに、周囲の湿度が徐々に上がっていった。同時にサーヤの羽根の匂いが周囲に広がっていく。

 敏感革命の効果が続いていることもあって、伊吹は尋常じゃない蒸し暑さを感じることになった。『熱線照射』と『加湿香炉』の組み合わせは、擬似的なスチームサウナ装置と言っても過言ではなかった。伊吹はみるみるうちに汗だくになっていった。

「汗かいてるけど、いいの?」

「これでいいんだ。これから、『物体移動』を使う人の注意をひきつけるから、サーヤは隙を見て彼女に攻撃を仕掛けて。弱い電気でも、痛覚が過敏になってる今なら効果があると思うから」

「その後はどうするのさ」

「『物体移動』がなければ、相手に近づくのは難しくないと思う。近づいたら、僕のスキルで一気にケリをつける。全員倒すか、旗を取るかしてね。それじゃ、行くよ」

 伊吹は壁を背に、敵の正面に立つ。

「壁から出てくるとは愚かな。シモンヌ、またアレを……」

「ちょっと僕の話を聞いて!」

 伊吹の叫びにマリーナは動きを止める。

「僕の汗を見てほしい。凄い量でしょ?」

「確かに凄い量だけど、それが何だというの?」

「流した汗だけ、痩せるとしたら?」

 マリーナの眉がピクッと動く。

「僕がいた世界ではサウナというものがあって、そこでは汗を流すことで様々な効果が得られるんだ。ダイエットはもちろん、肌トラブルの改善による美肌効果、不眠症の緩和に、冷え性の解消といった効果もある」

「ほほぉ~……」

「今、僕の仲間が使っている湿度を上げるアビリティと、この体を温める光によって、僕はサウナに入っているような状態なんだ。本当に気持ちがいいよ」

「それは……よかったな……」

「この世界でサウナを味わうなら、湿度を上げる能力が一番。今、この時を逃すと味わえない。痩せるための絶好のチャンスは、今しかない!」

「絶好のチャンス……」

 マリーナの意識は戦いとは違うものに向いていた。

「さぁ、この体を温める光を自分に向けさせて、初めてのサウナを体験しよう! 痩せたいなら、今すぐやるしかない!」

「おい、鹿……私に、あの光を……」

「ダメよ、マリーナ! きっと罠よ、目を覚まして」

 シモンヌがマリーナの頬をペチペチと叩く。

「罠でも、痩せられるなら……ン? なんか、虫臭くない?」

「虫臭くて悪かったな!」

 こっそりと上から近づいていたサーヤが急降下し、『電気操作』のスキルでマリーナの首筋に電気を流し込む。

「ひぎぃ~っ!」

 不意打ちの電気ショックでマリーナが痺れる。敏感革命の効果によって、その威力は何倍にもなっていた。

「今だ!」

 マリーナが痺れているのを見て、伊吹は相手陣地へと突進する。目の前にいた鹿男が自ら避けたお陰で、難なくマリーナの元へと辿りつく。

「いつの間に!?」

 驚くマリーナの手を掴み、『快感誘導』を発動させる。赤い波動がマリーナの全身を巡る。

「いっ、いやあぁんっ!」

 敏感革命の使用がアダとなり、強烈な刺激がマリーナを襲う。突き抜けるような快感に体を痙攣させると、マリーナは白目をむいて倒れた。口を半開きにして、よだれを流して気絶している様は、自分の毒にやられた前回の対戦相手を彷彿とさせる。

「マリーナがアヘ顔に……。いったい、どんなセクハラ攻撃をしたの!?」

「セクハラって……」

 シモンヌの一言を否定できない伊吹だった。

「恐ろしい男ね。せめて、言葉のセクハラだけでも防がないと! 淫語消滅!」

 キーンという音がシモンヌを中心に広がった。

「これで、どんな卑猥な言葉を使っても、音がかぶせられて聴こえないわ」

「そんなこと言わないって……」

 シモンヌと話している間に、サーヤが低空飛行で相手の旗へと近づいていた。それに気付いたサラがサーヤの後を追う。

「サーヤ、後ろ!」

 伊吹の言葉より先にサラが捕まえにかかる。サーヤはギリギリ避けたかに見えたが、羽根の動きがおかしくなっていた。

「あたいに何をした?」

「……すみません、スキルを使いました。触れた相手の体を、一箇所だけ硬直させるものです」

「それで羽根が……」

 サラが再び捕まえにかかるのを見て、伊吹は助けに入ろうとするも、行く手をシモンヌに遮られる。

「行かせないわよ、セクハラ男」

「いいや、イッてもらう」

 伊吹は殴ると見せかけて、シモンヌの足を踏む。そこから『快感誘導』の波動を流し込み、シモンヌの性欲を満たした。

「あっ、ああぁっっ! 私の……○×△□がぁ…………」

 強烈な刺激によがるシモンヌの言葉は、途中からホラ貝の音がかぶせられ、何を言っているのかわからなくなった。『淫語消滅』によって、卑猥な単語がかき消されたのだろう。

 シモンヌは仰け反るように倒れ、ヒクヒクと体を痙攣させた。

 伊吹が再びサーヤに目を向けると、彼女はサラによって掴まれようとしていた。

「サーヤ!」

 思わず叫んだとき、サーヤの前に1.5mほどの石壁が現れ、サラを突き上げる形となった。腹部を突き上げられたサラは、鉄棒に腹を打ち付けた体操選手のようだった。

 伊吹が後ろを見ると、ウサウサがサーヤの方に手を向けていた。この石壁も彼女のスキルによるものだろう。

 ホッとした伊吹は相手の旗を取りに行こうとしたが、さっきまであった場所には無かった。

「あれ? 旗は?」

 旗を探して辺りを見回すと、鹿男が自軍の旗をフィールドの隅に埋めようとしていた。

「旗を隠せば、敵に取られないでやんす。馬の旦那、見ててくだせぇ~。あっしが、旦那の秘策を実行しますんで」

 大きな独り言が伊吹の耳に入る。

 あれもアリなのかと思っていると、「勝者、スコウレリア第三事務所」という判定と共に角笛が吹かれた。

「おや? おかしいでやんすね」

 納得がいかない鹿男の周りを審判団が取り囲む。

「正常な進行を妨げる行為は反則とみなします」

 審判のニーナは、侮蔑の眼差しを鹿男に向けていた。



「なんか、勝った気がしないんだけど」

「あんな終わり方だったからね」

 バトル後の帰り道、サーヤと伊吹は勝ち方に物足りなさを感じていた。

「終わり方以前に、俺には戦う相手がいなかった」

「今回は女の子が多かったからね……。多いときは、ワニックも女の子と戦う?」

「それは、やめておこう。次の対戦相手が屈強な男子であることを祈るだけだ」

 旗を守ることに終始したワニックは、フラストレーションがたまっているようだった。そんなワニックを見て、サーヤが伊吹の耳元で囁く。

「欲求不満そうだな、ワニック。イブキのスキルで、その欲求を解消できたらいいのにな」

「まぁね。でも、どんな欲でも満たすことができたら、僕らは勝つことができなかったんじゃないかな」

「どうして?」

「物体移動を使う人が一番望んでいたのって、痩せることだったと思うから」

「ああ、そうなるか」

 今のところ、対女性に関してだけ言えば、『快感誘導』の効果は性的な欲求を満たすものだ。これは相手が欲求不満だからというより、別の理由によるものじゃないかという考えに変わっていた。

 男性はイッたら終わりだけど、女性はそうじゃないと何かに書いていた。そういう違いによるものではないかと推測するも、女じゃないので確信は持てない。ただ言えるのは、男がアレな声を出すのは嫌だという揺るぎない何かだった。

 自分のスキルを分析していると、ウサウサが肩を叩いてきた。

「ん? 何?」

「サウナというのは、作るのが難しいものでしょうか?」

「入りたいの?」

「はい、興味があります」

 作れるか検討しようにも、どういう仕組みなのかイマイチよく知らなかった。

「乾式と湿式があるんだけど、どっちも作ったことないから、わかんないや……。ごめん」

「そうですか……」

「あっ、でも、お風呂に入った時にでも、サーヤに湿度を上げてもらえば、似たような体験ができると思うよ。やり過ぎはよくないけどね。体への負担が大きいらしいから……」

 危険性に触れると、サーヤが伊吹の顔を覗き込んでくる。

「大丈夫なわけ? バトルで似たようなことしたけど」

「あれくらいなら平気だよ。湿度が高すぎると、そこそこの暑さでも大変なことになるらしいけど。まぁ、あの程度なら余裕」

 そう話しながら、熱中症になった際に保健室で言われたことを思い出した。湿度が85%を超えると、気温34℃でも体温の限界に達して危ないとか何とか……。湿度が熱の発散を邪魔するとか何とか……。今さらのように、自分がしたことにゾッとする。

「なんか、顔が青ざめてない?」

「そんなことないよ」

 笑って誤魔化すものの、明日からもっと慎重になろうと思う伊吹だった。



 翌日――

「今日もバトルに出るの?」

 仕事チケットを貰うついでに、バトルへのエントリーを頼むと、チガヤは困った顔をした。

「ダメかな?」

「ダメって言っても、一人ででも出ちゃうんでしょ、イブキは……。いいよ、エントリーしてくる」

 少しすねたものの、チガヤは了承して会社の受付へと向かう。ユニットたちは入り口付近で彼女が戻るのを待った。

 しばらくして、仕事チケットを持ったチガヤが走ってくる。今までなら、みんなを呼んで仕事内容を発表していたのに、彼女は慌てて戻ってきた。

「た、大変!」

「どうしたの?」

 あまりの慌てぶりに、伊吹は嫌な予感がした。

「もうエントリーが終わってたの!」

「えっ!? どういうこと?」

 伊吹には話が見えなかった。

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