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第二話 美女ガチャ

「寝言は寝て言え」

 伊吹のバトル参加提案を聴いたサーヤは、ハンモックに寝転がったまま、冷たく言い放った。

「出ても勝てないと思うよ」

 チガヤは苦笑する。シオリンもチガヤの言葉に頷く。ワニックは何か言いたげな顔をしていたが、うまく言葉にならないようだった。ブリオは、まだ寝ている。

「やってみないとわからない……と思うんだけど。とにかく一度、バトルを見させてください。お願いします!」

 伊吹は頭を下げた。美女ユニット限定ガチャを回す為なら、なりふりかまっていられない。伊吹にとってはチガヤも美女の括りに入るし、サーヤのこともビジュアル的には嫌いじゃない。だが、“美女は何人いてもいい”というのが彼の内なる心だった。

「うん。じゃあ、今日の仕事が終わったら見に行こう」

「はい!」

 心の中でガッツポーズを決める伊吹だった。

 無論、美女ユニット限定ガチャは今日が最終日なので、バトルの見学だけで済ませるつもりは毛頭なかった。



 一時間後、チガヤとそのユニット全員で、スコウレリア第三事務所にやって来ていた。伊吹にとっては初出社である。

 会社はガチャ神殿より近く、徒歩で数分の距離にあった。チガヤの家を極端に大きくしたような建物で、中では大勢のユニットがひしめき合っていた。構成比としては、人型ユニットよりも異形の者が多かった。

 建物に入るとすぐ、伊吹はチガヤに手を引かれ、入り口近くの受付カウンターに連れて行かれた。

「おはようございます、社員のチガヤです。新しいユニットを連れてきました」

「じゃ、これに名前とレアリティ、能力があったらそれも書いて」

 受付カウンターの人は、小さな紙切れをチガヤに差し出した。人と言っても、象のような鼻をしている亜人種だ。

 チガヤは渡された紙に、くさび形文字に似た字を書いて返した。

「はい、どうぞ」

「……ヤマネイブキ、レア。ちょっと、右腕を見せて」

 伊吹が右腕を見せると、受付は星印をこすったり、水で濡らしたりして、印が取れないかを確認した。星印の偽装を疑っているのだろう。

 何度やっても取れないことを確かめると、受付はカウンターに銅貨を並べた。

「勧誘ボーナスの銅貨5枚、それから出社ボーナスの銅貨1枚だよ」

「ありがとうございます」

 銅貨を受け取ったチガヤの顔がほころぶ。

「そして、これが今日の仕事チケット」

「はい、了解しました」

 チケットを受け取ると、チガヤは自分のユニットを手招きした。

「今日の仕事を発表します。え~っと、ユニット交換会のチラシを折って、封筒に入れて、宛名を書く作業です。締め切りは今日中。報酬は銅貨1枚、即日払いです」

 チケットの内容を読み上げると、サーヤが申し訳なさそうに手を挙げた。

「どうしたの? サーヤ」

「ごめん、あたいには厳しいわ。自分より大きな物を綺麗に折る自信が無い」

 サーヤは自分より大きな張り紙の前を飛んでみせた。

「気にしないで、仕方ないもん。作業は私とヤマネイブキでやっておくから、みんなは市場で食べ物を買ってきて」

 伊吹以外が返事をする。チガヤが銅貨を何枚かシオリンに持たせると、ユニットたちは会社から出て行った。

「さぁ、始めるよ。チラシは……っと」

 チガヤは仕事チケットを見ながら、ロッカーのある場所へと移動する。小さな棚のロッカーの中には紙や布、綿などが置かれていた。大きな棚になると、藁の上に置かれた巨大な卵や、水晶のような鉱石も見受けられた。それぞれの棚には、番号が書かれたプレートが貼られている。

「52番は…………あっ、見~つけた」

 52番の棚には大量の紙の他に、塗り薬のような物が入った瓶と、削られた細い石もあった。それらを取り出し、チガヤは近くの席に着く。伊吹もチガヤの真似をして席に着いた。そこは作業台らしく、隣の席では動く樹木が枝から光を出し、白紙に文字を浮かび上がらせていた。チラシに使われていた『形態投影』というスキルなのだろう。

 やり方としては、目の前に貼った紙に枝をかざし、鏡で光を反射させるような要領で、その内容を手元の紙へと写す感じになる。

「じゃあ、私は封筒を作るから、チラシを折ってね。こんな風に……」

 チラシを1枚取り出すと、チガヤは2回折りたたんだ。チラシは家に届いたガチャの物より、紙質も仕上がり具合も段違いに良かった。

 伊吹はチラシを1枚取って折ろうとしたが、印刷されている人物に驚いた。

「あの時の人だ」

 印刷されていたのはガチャ神殿で会ったヒューゴだった。金貨を1枚ずつ指の間に挟み、顔の前でクロスさせるポーズを取っている。

「昨日、神殿で会ったお金持ちの人だね」

「交換会って言うからには、他の人とユニットを交換するの?」

「うん、そうだよ。そのためには一度、ユニット契約を破棄しないとダメだから、契約キャンセル能力が必要になるの」

「そんな能力まであるんだ」

「『所持変更』って言うらしいけど、自分自身には使えないみたいだよ」

「へぇ~……」

 ヒューゴによって強化素材にされたユニットのことを思い出す。もし、『所持変更』を彼らに使えていたら、強化素材にされなくて済んだのではないかと。

 それが出来たとしても、また星印に触れられれば終わりだし、次の契約者が素材にしないとも限らないことを考えると、ユニットを素材にすることを嫌うチガヤの元に召喚されて、本当に良かったと思えてくる。

 彼女が召喚しなければ、ここに来ることさえなかった……という発想は、伊吹には無かった。

「強化された側って、どうなるのかなぁ……」

 チラシに印刷されたヒューゴの顔を折りながら問う。

「強化すると筋力が増すって聞くよ。進化の場合は、それにプラスしてスキルやアビリティの効果が大きくなるんだって」

 チガヤは封筒を造りながら答えた。封筒は紙を筒状にしたところで、重ねた箇所を塗り薬のようなもので接着して平らにする。その後に底を少し折りたたんで接着するという流れで造られていた。

「そうか、強化は筋力が増すのかぁ……。経験値が貯まって、レベルアップするんじゃないんだね」

「経験値? 何の経験?」

 隣にいた動く樹木が「経験だなんて、イヤらしい」と言ったのが聞こえる。

「何て言うか、その……前にいた世界でね、そういうのがあるんだ。経験度合いが数字で見れてね、一定の値に達するとレベルアップして強くなるんだ」

 またしても、動く樹木が「どのくらい経験したか数字で見れるなんて、とんでもなく卑猥な世界から来たのね」と言っているのが聞こえた。

「話、変えてもいい?」

「うん」

 伊吹は隣の樹木が気になって仕方なかった。

「会社って、ユニットが多いんだね」

 見渡す限り、星印が付いている者ばかりなのが、少し気になっていた。見たところ、星印が無いのはチガヤくらいのものだ。

「それはね、ちょっと理由があるんだ……」

 さっきまでとは一転して、チガヤのテンションが一気に下がった。

「昔はね、この世界にユニットはいなかったんだよ。ユニットのいない世界で、こんな感じでみんな働いてたの」

 隣の樹木も作業を止め、チガヤの話に聞き入っていた。

「でもね、あるときから働けなくなる病気が流行りだしたんだ。ずっと頑張って働いていた人が、急に何もしなくなって、寝ているだけになる病気で……」

「寝ているだけって……」

「うちのパパとママもそうなんだ。だからね、私、本当は病気を治すスキルを君に期待していたんだよ……。食べ物のスキルよりも」

「そういうスキルがあるんだ……」

「ううん、今まで病気を治すスキルを持った人が出たっていうのは、聞いたことが無い。でも、夢見ちゃったんだ……私」

 伊吹は言葉に詰まった。両親がずっと部屋から出て来ないのはおかしいとは思っていたものの、こんな事実があるとは思ってもみなかった。

「話を戻すね。病気が流行りだした頃に、ガチャの台座が大量に発見されて、ユニットを召喚できることがわかったの。それから、ユニットはさっきの病気に罹らないことも。だからね、会社にはユニットが多いんだよ」

「このこと、サーヤ達は知ってるの?」

「知ってるよ」

「それなのに、働いていれば病気に罹るかもしれないチガヤに……」

 言いかけたところで、それ以上は言うなとチガヤが手で制した。

「みんなも止めたけど、私は嫌なの。自分だけ、働かずに家にいるのは」

「でも……」

「それにね、1分働いたら3分休めば発症しないって、国の偉い人が言ってたよ」

 それは大本営発表的なものじゃないかと、言いたくても言えない伊吹だった。

「あとね、うちのパパとママは、ユニットの召喚に反対する組織にいたような人達だから、奥の部屋には入らないでね。自分の娘がガチャを回してるのは知ってるけど、実際にユニットに会うと……その……」

「わかった」

 伊吹はチガヤの表情が暗くなっていくので、この話題はやめようと、彼女が喋っている途中で返事をした。

 その後、二人は無言のまま作業を続けた。チラシを折り終えた後は、伊吹が封筒造りを担当し、チガヤは宛名書きと封詰め作業に移った。チガヤは宛名はリストに書かれたものを、削られた細い石で書いていった。

 作業を一通り終えて、枚数の確認に入ったところで、食料を買い終えたシオリン達が戻ってきた。ワニックは大きな麻袋を背負っている。

「見て見て、チガヤ~! この大きな袋」

 シオリンは大きな袋を指し、得意げに社内に入ってきた。

「大きいね、何が入ってるの?」

「木の実がたくさん! あの大きさで銅貨1枚だったんですよぉ~」

「すごい、お買い得!」

「サーヤがね、あちこち飛び回って、見つけてくれたんです」

 後から入ってきたサーヤは、照れくさそうに髪をいじっている。

「早く食べたいんだな」

 ブリオは口に手を入れ、物欲しそうに袋を見つめていた。

「じゃあ、ご飯にしよっか」

 チガヤが作業台を片付けると、ユニットたちは彼女の傍に座っていった。全員が席に着くと、朝食なのか昼食なのかわからないが、伊吹にとっては初の異世界での食事となった。



 大きな袋の中身が半分になった辺りで、食事タイムは終了した。

「これ、パパ達に届けてくるね。封筒の枚数確認は終わったから、受付に出しておいて、お願い」

 チガヤは残り半分になった袋を持って会社から飛び出していった。

「これを持っていけばいいんですね。僕がやっておきます」

 伊吹は封筒の束と、棚に入っていた道具を持って受付へと向かった。

 受付には今来たばかりの亜人種がいた。体つきは人間と大差が無いものの、顔には八つの目が付いている。

「社員のザカリーです。今、出社しました」

「はい、出社ボーナスの銅貨2枚ね。こっちが今日の仕事チケット」

「了解しました」

 ザカリーは銅貨とチケットを受け取ると、ロッカーの方へと歩いて行った。

「あの、今、出社ボーナスで2枚貰ってませんでした? 僕ら、1枚なんですけど」

「彼は家が遠いから2枚。あなた、チガヤのところの新人よね? 彼女は近所だから1枚。出社ボーナスは、会社までの距離によるって、聞いてないのかい」

「……はぁ、そうなんですか」

 それなら、交通費と言えばいいのにと思ったが、知らない言語をそう変換しているのは自分の脳だった。

「仕事は?」

「さっき、終わりました。物は、こちらに」

 封筒の束などをカウンターに載せると、受付は軽く確認して、後ろにいる犬顔の人間に渡した。

「52番の仕事、完了棚に入れといて」

「はい」

 犬顔の人は荷物を受け取ると、奥の部屋へと入っていく。受付は銅貨を1枚、カウンターに載せた。

「お疲れさん。報酬の銅貨1枚だよ」

「ありがとうございます」

 安い報酬を受け取り、ジャージのポケットに入れる。皆の所に行こうと何歩か進んだところで、踵を返して受付に戻った。

「まだ何か?」

「バトルのことを訊きたいんですけど」

「出たいのかい?」

「はい!」

 受付は少し驚いた後に、ニヤリと笑った。

「何を訊きたい?」

「どうやったら出れますか?」

「エントリーすれば出られるさ。こっちの方で手続きしておくかい?」

「お願いします!」

 伊吹は一人で出るつもりでいた。バトルは5対5が基本だが、5人未満でも参加できるのは聞いている。1対5では勝ち目がないかもしれないが、何もしないで美女ガチャを諦めるよりはマシだと思っていた。

 バトルを見に行く約束をしているから、開始までには連れて行ってもらえるだろう。あとは、そこで何とかすれば……という気でいた。

「あの、今日のバトルって、いつ始まるんですか?」

「3時間後だよ。闘技場に行ったら、ユニフォームに着替えて、コールされるのを待つんだね」

「ユニフォームがあるんですか?」

「何にも知らないんだね。いいかい? バトルは会社をPRする格好の場なんだよ。社名入りのユニフォームを着て戦って勝つ。できれば、スキルやアビリティを駆使してね。そうすれば、戦いを見た人の中から、この事務所に仕事を依頼しようとする人が出てくる。あのスキルがあるなら、こういう仕事を頼みたいとか、あのチームに仕事を任せたいっていう風に思えるからね。仕事が増えれば会社が潤う。君らは勝利ボーナスが貰える。お互いにウハウハだよ」

 受付は何かを掴み取るような仕草を見せた。

「ウハウハですか」

「ウハウハだね」

 低い声で受付は笑った。つられて伊吹も笑う。

「うちの事務所は臆病者が多くてね。ずっとバトルには不参加だった……。出てくれる人を待ってたよ」

「あの、期待はしないで下さいね」

「まぁ、初戦だからね。期待はしないでおくよ。そうそう、身に着けられるのはユニフォームだけだから。他には何も身に付けられないし、持って入ることもできない。これを破ると反則負けになるから、気をつけな」

 伊吹は軽く会釈して、サーヤ達の元へと戻った。

「受付で何を話してたのさ?」

 戻った途端、サーヤが肩に座ってきた。

「いろいろ……。出社ボーナスのこととか」

「ふぅ~ん……」

「あっ、今日のお給料を貰ったよ。ほらっ」

 ポケットから銅貨を出して、サーヤに差し出す。

「あたいに渡されてもね……。持ち運ぶだけで、疲れるんだけど。シオリンに渡しなよ」

「はい」

 銅貨をシオリンに渡し、伊吹は席に着いた。

「チガヤは、まだ戻ってないよね? 3時間以内に闘技場まで行けるかな……」

「大丈夫ですよぉ~。闘技場のあるギボウシは、歩いても40分あれば着きますから」

 シオリンが答える。間に合うと聞いてホッとしたものの、いよいよ戦うんだと思うと、緊張の高まりを抑えられなかった。死にはしないとはいえ、何でもありのバトルを控え、伊吹は胃が痛むというか、実際に腹の調子がおかしかった。

「顔色が悪いな」

 ワニックが心配そうに、伊吹の顔を覗き込む。

「急に、お腹が……」

 それは便意だった。

 緊張したせいで、お腹がキュルキュルと言いだし、冷や汗も少し出ていた。思えば、こっちに来てから、トイレに行っていなかった。

「トイレ、行きたいんだけど……」

「案内しよう、こっちだ」

 社外へ向かうワニックの後をついて行く。

 少し歩いたのち、かまくら型の茶色い建物の前に着いた。ワニックに促されて中に入ると、石床の上に黄色くて丸い生き物が山ほど転がっていた。その丸い体からは細長い脚が4本伸びている。

「何か、いるんだけど……」

「この黄色いのはサニタだ。この国のトイレなら、何処に行ってもいる。気にするな」

「この建物、中に囲いがないから、外から丸見えなんだけど……」

「何だ? 見られるのが嫌なのか? 変わった奴だな」

 人に見られても気にしないとか、文化が違い過ぎると思っているうちにも、お腹の方は限界に近づいていた。

「で、出そう……」

「さっさとすればいい。出す用意をすれば、サニタが周りを囲むから、誰からも見られないぞ」

 何で囲むのかという疑問は捨て、伊吹はしゃがむと同時に下半身を露出した。その瞬間、目を閉じていたサニタ達が、一斉に大きな一つ目を開け、伊吹の周りに壁を作る。

「何、こいつら……」

 驚きのあまり、お腹の制御を失う。排泄物が出ていくと同時に、サニタ達は長い舌を伸ばして、それを綺麗に舐め取っていく。

「う゛わぁぁーーーーっ!」

 と叫ぶ伊吹に、ワニックは込み上げる笑いを抑えられなかった。

「ハッハッハ……。すまんすまん、あまりの驚きっぷりに、おかしくなってしまった」

「ハァ……ハァ……」

 一通り出し終えて、伊吹は少しだけ落ち着きを取り戻した。一方、サニタ達は舐め取った排泄物を飲み込み、次はまだかと待機している。これが彼らの食事だと思うと、複雑な心境になる。

「俺も最初は驚いたが、慣れると便利なものだ」

「これに慣れるのは、時間がかかりそう……」

「そうかい? 案外、すぐクセになるぞ。これは、いいものだ」

「僕は嫌ですね、こんなトイレは」

 元いた世界のウォシュレットが恋しくなる。

「どんなトイレが好みだ? 隣国のような投げ捨て型か?」

「投げ捨て型?」

「ああ、まだ知らないか。隣国では、室内でオマルにした後、それを窓から投げ捨てている。長年そうしているもんだから、地面が徐々に高くなって、やがては家が埋まるらしい」

「それじゃ家に入れないじゃないですか」

「そうだ。だから、元あった家の上に家を建てる。お陰で、どの家に行っても地下があるという訳さ」

「そんなのは最低ですよ……。大体、そんなことしてたら、路上が臭くなるじゃないですか」

 ワニックは手を叩いて、「それだ!」と伊吹を指差した。

「道理で……。だから、匂い系能力者の人気が高いのか、あの国は」

 納得するワニックを見ながら、用を足した伊吹は服装を整えた。もう何も出さないと察したのか、サニタ達はサーッと波がひくように元の場所へと戻っていく。

「そもそも、排泄物をそのままにしておくのは不衛生です。病気の温床になるんですよ」

「ほぉ~」

 伊吹は手を洗う場所を探したが、水が入っているものは見当たらなかった。仕方なく、手をパンパンとはたいて、トイレの外に出ることにした。

「今のは、何かの儀式か?」

「いや、そういうんじゃないんですけどね……。みんなのところに戻りましょう」

 異文化交流は大変だなと苦笑しつつも、いつの間にか伊吹の緊張はほぐれていた。



 トイレから戻って数十分後、戻ってきたチガヤと合流し、闘技場のあるギボウシへと向かった。

 隣街のギボウシはスコウレリアほど大きくはないものの、多くの人が行き来する街で、闘技場の大きさではマ国で二番目と言われていた。一番は首都オルトドンティウムのものになる。国営の闘技場は地域単位で建設されていて、人口の少ない地方に行くほど、小さくなっていた。

 スコウレリアを出発して30分ちょっとで、伊吹たちはギボウシの中心部まで来ていた。ここもスコウレリア同様、建物の壁が苔で覆われていたが、その苔から黄緑の葉っぱが伸びていることもあった。

「ここが闘技場だよ」

 チガヤが闘技場の前に立つ。

 闘技場は3つの正方形状の建物から成っていた。中央の大きな正方形はバトル会場で、左右の小さな正方形は出場者の控室になる。

「さぁ、入ろう」

 バトル会場に入っていくチガヤを、ユニットたちは追いかけた。

 中に入ってみると、階段状の観客席がバトルフィールドを取り囲む形となっていた。四角いフィールドは、観客席よりも人の身長分ほど低い位置にあり、端から端まで砂地になっている。

「砂地なんですね」

 無人の砂地フィールドを見て、伊吹は走りにくそうだという感想を抱いた。

「始まるまで、まだ時間があるよね。近くを散歩しない?」

「いいですねぇ~」

 チガヤの提案にシオリンがのり、他のみんなもついて行こうとする中、伊吹の目はバトルフィールドに向けられたままだった。

「一緒に来ないの?」

「僕は、ここにいるよ」

「そっか。じゃ、また後でね」

 伊吹は観客席に腰をおろし、砂地での戦いを考えた。

 バトルは旗を取れば勝者になるので、何も相手とガチでやり合う必要はない。となれば、いかに相手の攻撃を避けて、旗のもとに辿りつくかが重要になる。1対5だとしたら、5人の集中攻撃をかわすのは至難の業だ。避けるのは無理だと言っていい。なんとか、5人を相手にしなくて済む方法は無いものか……

「う~ん……」

 腕組みして唸り声をあげる。

 2~3人でいい、相手の動きを止められれば……という結論に至る。どうしたら動きを止められる? 自分だったら、何をされれば動きを止める?

 答えの1つとして、目の前で美女が脱ぎ始めたら、目を奪われるから止まるというものが浮かぶ。これは、自分が男である時点で不可能だし、相手がスケベな男性でなければ意味がない。それでも、やることは同じことだと気づく。相手の目さえ、奪えばいい。目さえ、奪えば……。

 バトルフィールドの砂を見つめ、「これだと」と指をはじく。

 砂で目潰しという小学生がやりそうな手を思いつき、伊吹はもう勝ったつもりになっていた。開始早々に相手の目を潰し、視界を奪った隙に旗までダッシュして抜き取ればいい。完璧だと、心の中で自画自賛した。

 あとはバトル開始まで体力を温存しておこうと、体の力を抜いて仮眠を取ることにした。


 周囲の騒がしさに目を開けると、観客席に人が集まり始めていた。

「あっ、起きた起きた」

 隣には散歩から戻ったチガヤ達が座っている。

「もう始まる時間?」

「うん。最初のバトルが始まるよ」

 バトルフィールドを見ると、既に白い旗が両サイドに突き刺さっていた。フィールド中央では、バッファローの顔をした亜人種5人と、下半身が蛇の女性2人と骸骨3体が向き合っている。そこに3人の女性たちが近づいていく。

 女性たちは揃いのローブを身にまとい、手には金色の杖を持っていた。

「あの女の人たちは?」

「運営スタッフだよ。真ん中の人が審判で、隣にいるのが回復役と転移係だよ」

「あの人たちが……」

 出場者への説明を終えると、三人はバトルフィールドの隅へと移動し、持っている杖を重ね合わせた。それを見て、観客席にいた男が角笛を吹く。

 笛の音が場内に鳴り響くと同時に、バッファロー顔の者達が力任せに殴りに行く。その初撃を蛇女と骸骨が下がって避ける。

 今度は蛇女たちが尻尾を伸ばしてバッファロー顔2人を、ぐるぐる巻きにして動きを封じると、骸骨たちはその2人に飛びついて顔面に噛り付いた。5対2の状態になったことで、バッファロー顔3人がフリーになったが、彼らは旗を狙わずに飛びついた骸骨に殴り掛かった。

「えっ!? 旗は無視……?」

 伊吹には納得がいかなかったが、目の前で行われている戦いは、相手を潰すことだけを目的としているようにしか見えなかった。そんな戦いぶりに観客席は盛り上がっていったが、チガヤは見たくないのか目を逸らしていた。

「な、平和的じゃないだろ?」

 サーヤが伊吹の肩に胡坐をかいて言う。

「旗を取れば勝てる。けど、仲間が殴られたら、殴り返さないと気が済まない……ってのが多いんだよ」

「気持ちは、わかるけど……」

「それにさぁ、致命傷を受ける前に転移させる係がいるけど、メンバー全員が転移したら負けになるんだよ。バトルが続行不能になるから。つまり、相手をぶっ潰す方が確実だと考える奴がいても、おかしくないって話。出なくて正解だろ?」

「そう……だね……」

 伊吹の顔が引きつる。

 そんな話をしているうちに、バトルフィールドではバッファロー顔に殴られた骸骨3体が転移され、残った蛇女も尻尾を掴まれてブンブン振り回されていた。もう勝敗は決したも同然だった。

 蛇女は投げ飛ばされると同時に転移され、対戦相手がいなくなったバッファロー顔チームの勝利が確定した。会場に割れんばかりの拍手が起こり、興奮したバッファロー顔たちが雄叫びを上げる。

 一方、転移された骸骨や蛇女たちは、回復係によって元の状態に戻されていた。

「スキルもアビリティも使用しない肉弾戦とは……面白い!」

 ワニックは一人興奮し、武者震いしていた。

「えぇ~……ワニック、こういうの好きなんだ。私は苦手だなぁ……まだ、観るの?」

 チガヤが伊吹の顔を覗き込んできた時、さっき角笛を吹いた男が会場に大きな声で呼びかけた。

「次の試合は、イクビ畜産事務所VSスコウレリア第三事務所です。出場選手の方は、準備してください」

 所属する事務所名が呼ばれたことで、伊吹の周りがざわつき始める。

「うちの事務所から誰か出んの?」

 とサーヤ。

「何かの間違いじゃないですかぁ? うちの事務所で、こういうのに出る人なんて、いませんよぉ~」

 シオリンが否定する。

「そうだよね。もう何年も参加していないって言うし」

 チガヤも続いたところで、伊吹はゆっくりと手を上げた。

「僕が出ます」

 少しの間をおいて、皆が一斉に突っ込み始める。

「はぁ!? バカじゃないの!」

 というサーヤの罵声が飛び、

「いつエントリーしたの!?」

 チガヤが疑問を投げかけ、

「つ、つまらないジョークですねぇ……」

 シオリンが受け入れられないでいた。ただ、ワニックだけは拳を握りしめ、伊吹に熱視線を送っていた。ちなみにブリオは、天井をボーッと見ている。

「えっと、その……まずは、勝手にエントリーしてすみません。エントリーは受付の人に頼みました。出場するのは僕一人なので……」

 その点は安心して……と言おうとしたが、泣きそうになっているチガヤを見て、何も言えなくなった。

「さっきのバトル、見たでしょ?」

「う、うん……。凄かったね」

「1人で出たら、もっと酷い目に遭うよ。私、そんなの見たくない……。棄権しよう、ね?」

 優しく語りかけるチガヤの肩に、ワニックがそっと手を置く。

「戦いを決意した者を止めるべきではない」

「ワニックは、ヤマネイブキが酷い目に遭ってもいいの?」

「よくはない。だが、一度決めたことを投げ出すのは、それ以上によくない」

 ワニックは伊吹を見据え、二度頷いた後に話し始めた。

「時として、戦いに身を置かねばならないこともあるものだ。理由は訊くまい。君にも、譲れない何かがあるのだろう。だが、一人で戦うことはない。俺も出よう」

「ありがとう、ワニック。でも、ルール的には大丈夫なの?」

 訊かれたチガヤは、言いたくなさそうに答える。

「それは大丈夫だよ。エントリーした事務所のユニットなら、誰でも出られるし、メンバーもバトル直前まで変えられるから」

「それなら、あたいも出るよ。役に立てるか、わかんないけどさ」

「サーヤまで……」

 サーヤの意外な申し出に、チガヤは一瞬ふらっとした。

「チガヤは心配しすぎなんだよ。死にはしないんだ、もう少し軽く考えたらいい。それよか、一人でも戦うっていうんだ。こいつの戦う理由こそ、重く受け止めた方がいいかもな」

「サーヤがそう言うなら、シオリン的にも手助けしないワケにはいきませんねぇ~」

「オ、オイラだけ、仲間外れはイヤなんだな」

 次々に参加を表明され、伊吹は嬉しさ半分、申し訳なさ半分だった。申し訳なさは、戦う理由が“美女ガチャ”目当てというところにある。

「ありがとう、みんな! 僕は嬉しいよ」

 何となく、いい雰囲気になりかけたところで、「スコウレリア第三事務所の選手の方、いらっしゃいますか?」と探す声がした。

「いまーす! ここにいまーす。すぐ準備するので、待ってください」

 伊吹はジャンプしながら、自分たちを探す男に手を振って答えた。

「取り敢えず、ユニフォームに着替えよう」

 全員が頷き、急ぎ控室へと向かった。


 ユニフォームに着替えた伊吹たちは、バトルフィールドに整列した。

 スコウレリア第三事務所のユニフォームは、タンクトップに短パン、それから大き目のリストバンドというシンプルなものだった。サイズも各種取り揃えられていたが、さすがにサーヤに合うものは無かったので、リストバンドをスカートのように身に着けていた。

 相手チームは赤髪の少女、長髪のイケメン、巨乳の女性、豚顔の男が2人という面子だった。ユニフォームは様々で、少女とイケメンはローブ、巨乳の女性は胸元が開いた肩出しワンピース、豚顔の男たちは前掛けを身に着けていた。こちらも全員がリストバンドをしているので、両陣営ともに腕の星印が隠れて、レアリティがわからない状態となっている。靴はお互いにサンダルだった。

「どんな能力を持った相手かわからないって、ちょっと怖いかも」

「まぁ~ね」

 伊吹の近くを飛ぶサーヤは、指の関節をならしていた。

「せめてレアリティがわかれば、能力のあるなしの参考になるんだけど……」

「向こうの代表として来てるんだ。全員、何か使えると思っとけばいいさ」

「そうかもね……」

 サーヤと会話しながら、みんなで出るなら作戦を共有する時間が欲しかったと、今さらのように思う伊吹だった。作戦と言っても、砂で目潰しするというだけなのだが。

「準備は、よろしいようですね」

 審判、回復役、転移係が両陣営の端に並び、中央にいる審判が一歩前に出る。審判は金髪の落ち着いた雰囲気の女性だった。

「私は、このバトルの審判を務めるニーナです。右が回復役のソフィー、左が転移係のフォンシエ。本日の運営スタッフは、私たちの三名と、観客席にいる合図係のゴドフリーになります」

 回復役のソフィーは銀髪の長身女性で、束ねた髪を前に垂らしている。転移係のフォンシエはチリチリした黒髪の少女で、他の二人に比べると子供っぽく見えた。

「では、ルールを説明します。勝利条件は、相手陣地の旗を取る。相手チームを全員、強制離脱させる。このいずれかになりますが、指定された物以外を持ち込んだ場合は、その時点で反則負けとなります。また、運営スタッフに暴言を吐く、正常な進行を妨げる行為があった場合も、反則負けとなります。それ以外に関しては、特に制限はありません」

 審判のニーナが説明を終えると、今度は転移係のフォンシエが前に出た。

「バトル中、生命に危険が生じた場合や、致命傷を受けると判断した場合は、私の方で『強制離脱』スキルを発動させ、その場から転移させます。この時点で対象者はバトルとは無関係になります」

 次に回復役のソフィーが前に出る。

「バトルで傷ついた体は、私の『可逆治癒』で元の状態に戻しますので、思う存分やり合ってくださいね。激しく……フフッ」

 ニーナが咳払いをすると、ソフィーは小さく舌を出した。

「観客席で合図係が笛を吹いたらバトル開始です。それでは、良いバトルを期待します」

 気持ちのこもらない一言をニーナが残し、審判たちはフィールドの端へと移動していった。

「いよいよだな」

 ワニックが身構える。

「なんか、緊張してきた……」

 伊吹がしゃがむ準備をする。

「あら、かわいいボーヤがいるじゃない」

 相手チームの巨乳女性が声をかけてくる。伊吹は強調された谷間に目が釘づけになった。

「ねぇ、ボーヤ。バトルが始まったら、お姉さんのところに来なさい。あたしの体の好きなところを触らせて、あ・げ・る」

 投げキスを飛ばされて、伊吹は戦いのことが何処かに行きそうだった。心なしか、彼女の方から良い香りが漂ってきているように思える。

「ウフフ……」

 巨乳女性が笑うと同時に、観客席で角笛が吹かれる。

 伊吹はふら~っと、巨乳女性の方に足を踏み出していた。

「さぁ、おいで……」

「行ってはダメですぅ~!」

 シオリンが伊吹を巨乳女性から突き放す。

「シ、シオリン?」

「あの人、毒を持ってますっ!」

「えっ!?」

 邪魔されたことで、巨乳女性は激昂していた。

「黙れっ! カエル風情がぁーーっ!」

 突進してきたかと思うと、巨乳女性はシオリンの肩を鷲掴みにする。

「な、何を?」

「あたしのポイズンで痺れさせてやるっ!」

 巨乳女性は大きく息を吸い込むと、シオリン目がけて吐き出す。

「ブリオ、ヘルプぅ~!」

 シオリンはブリオに助けを求めた、というかブリオを盾にした。急に引っ張られたブリオの頭部が、巨乳女性の口を塞ぐ。

「ふごっ……ふごっ……」

 口を塞がれて息を吐けなくなった巨乳女性は、もがきながらもブリオを払い投げた。

「ぷはっ……」

 塞がれていた口が自由になると同時に、巨乳女性は大きく息を吸い込んだ。自分が息を吐いた、その場所で。

「しま……った……」

 自分の毒を吸い込んだ巨乳女性は、全身を痙攣させながら足元から崩れ落ち、みっともないアヘ顔を伊吹たちの前に晒した。

「い、痛いんだな……」

 巨乳女性の横では頭に歯型のついたブリオが倒れていたが、伊吹とシオリンは互いの顔を見合わせてホッとしていた。

「毒を持ってるって、なんでわかったの?」

「あの人、見るからに怪しいじゃないですかぁ~。だから、食べ物じゃないですけど、『毒素感知』のスキルを使ったら、引っ掛かりました」

「なるほど」

「呑気に話してる場合じゃない!」

 サーヤに軽いキックをお見舞いされ、伊吹は「痛っ!」と声を上げる。

「ワニックを助けて!」

 ワニックは1人で赤髪の少女と豚顔の男たちが旗に向かおうとするのを阻止していた。長髪の男は数歩下がった位置で両手を天にかざしている。

「今行くよ、ワニック」

 砂を蹴って、伊吹はワニックの元へと駆けつけた。

「チッ、増えやがったぜ」

 豚顔の一人が舌打ちする。

「やっぱり、旗を狙うより倒した方が早そうね」

 赤髪の少女は人差し指を立てると、その先に炎を出現させた。

「炎の能力者!?」

 ゲームや漫画で見聞きした能力に、伊吹は少しワクワクしたが、その危なさも充分に感じていた。いつ、その炎が飛んでくるか、どうしたら避けられるか、そのことで頭が一杯だった。

 だが、いつまで経っても炎は飛んでこなかった。それどころか、赤髪の少女は炎を宿した指先を伊吹に向け、一直線に突進して来る。

「たぁーーーっ!」

「その炎、飛ばさないの?」

「飛ばせるんなら、とっくに飛ばしてるわ!」

 少女と伊吹の追いかけっこが始まる。それは汚い物を同級生に付けようとする、小学生の悪戯を彷彿とさせる光景だった。

 一方、ワニックは豚顔の男たちと肉弾戦を繰り広げていた。

「ふんぬっ!」

 と殴り掛かる豚顔の攻撃を避けると、ワニックは膝蹴りを胸部に決めた。だが、もう1人が横から組んだ両手を振り下ろしてくると、片手で受け止めるのがやっとだった。

「うっ……」

 痛そうな顔をしたのは、攻撃した豚顔の方だった。

「痛ってぇ……硬い野郎だぜ、まったく」

 痺れた手を振りながら豚顔が言う。膝蹴りを食らった方は、何とか立ちあがって唾を吐いた。

「大した奴だが、2対1なら勝てない敵じゃない」

「それは、どうかな」

 ワニックは『瞬間加速』のスキルを自分に発動させた。4秒間だけ2倍のスピードで行動可能だが、その後に4秒間だけスピードが半減するスキルだ。見た目的には何も変わらない。

「行くぞ」

 ワニックは一瞬にして、膝蹴りを当てた豚顔の前に移動すると、そのままの勢いで肘鉄を食らわせた。豚顔は後ろに跳ね飛ばされ、落ちたところにワニックのフライングクロスチョップが決まる。

 豚顔は気を失い、転移係の判断で『強制離脱』が適用される。ブンッという音と共に、豚顔は審判団の方に移動し、回復役による治療を受けることになった。

「さて、次は……お、ま、え、だ」

 もう一人の豚顔の方に体を向けようとしたワニックだったが、動くスピードがゆっくりになっていた。加速時間が終わっていたのだ。

「何だ? 急にぎこちなくなりやがって……」

 豚顔は警戒していたが、チャンスには変わりないと思ったのか、覚悟を決めてワニックに殴り掛かった。速く動けないワニックは、攻撃をもろに受けて後ろへと倒れ込んだ。豚顔はマウントポジションを取り、ワニックをボコボコ殴り始める。なるべく、柔らかそうなところを狙って。

 ワニックがそんなことになっているとは知らない伊吹は、相変わらず赤髪の少女に追いかけられていた。途中から、巻き込まれる形でシオリンも参加している。もちろん、逃げる側として。

「待ちなさいよ!」

「0.01秒なら待ってあげますよ」

「それじゃ待つ内に入らないわよ!」

 低次元な会話をしながら、砂地のダッシュを繰り返す。

「ハァ……ハァ……ひぃ~……もう限界ですぅ~。何か手は無いんですかぁ~?」

 シオリンの息があがり始める。

「そんなのあったら、とっくに……あっ!」

 忘れていた砂で目潰し作戦を、伊吹はようやく思い出した。

「反撃は、これからだ!」

 伊吹はしゃがみ込むと、砂をギュッと握りしめた。

「てやっ!」

 しゃがみ込んだ伊吹を目がけ、赤髪の少女は足元の砂を蹴り上げた。砂が伊吹の顔面に直撃する。

「うわっ! ぺっ……ぺっ……」

 幸い、とっさに瞼を閉じたので、目には入らなかったものの、口の中に何粒か入ってしまう。口から砂を出したところで顔を上げると、赤髪の少女が不敵な笑みを浮かべていた。

「私の全力を見せてあげるわ」

 少女が手を開くと、5本すべての指先に炎が揺らめいた。さしずめ、炎の爪といった感じだが、見た目的には格好の良いものではなかった。

「今、温めてあげる!」

 少女が手を振り下ろすと、炎が伊吹のタンクトップをかすめ、燃え移った炎は徐々に広がっていった。

「熱っ!」

 堪らずタンクトップを脱いだ伊吹は、少女に向かってそれを投げつけた。タンクトップの炎は少女のローブに移り、今度は少女が熱がり始める。

「いやっ! 熱い!」

「凄い手ですね」

 シオリンは伊吹の作戦だと思って感嘆していた。

「えいっ!」

 赤髪の少女が両手を広げると、ローブの炎は一気に消え去った。

「どう? 私には火を消す力もあるのよ」

 自慢する少女に対し、伊吹は「一人火災現場かよ」と心の中で突っ込む。同時に、彼女が調子こいている今がチャンスだと、握りしめた砂を彼女に向かって投げつけた。

「キャーーッ!」

 慌てて顔を覆おうとするが間に合わず、少女は目に砂を入れることになった。彼女が目をこすり始めたのを見て、伊吹は相手陣地の旗を奪おうと走り出した。

「行かせるか!」

 後ろに控えていた長髪の男が伊吹の前に立ちふさがる。天井に向けられた彼の手のひらの上には、大きな水の球が浮いていた。

「何、それ……」

「驚いたか? これが俺の能力『水分操作』だ! ここまで水を集めるのに時間がかかったが、これだけ溜まればこっちのもの。お前ら全員、溺れさせてやる!」

 水と聞いて、伊吹はワニックのアビリティ『水分蒸発』を思い出した。

「ワニック! この水を……」

 声をかけたワニックは豚顔にマウントポジションを取られ、ボコボコと殴られている最中だった。それでも、ワニックは右手を上げると指をパチンッと鳴らす。

 長髪の男が集めた水はブクブクと沸騰し始めたかと思うと、きれいさっぱり蒸発してしまった。

「何ーーーっ!?」

 集めた苦労が水の泡となり、長髪の男は呆然と立ち尽くす。

「あとは頼んだ。俺は少し休む……」

 疲れやすいと自ら言っていたワニックは、ボコられながら眠りについた。寝息を立てて。

「寝たんなら、もういいか。こいつは硬くて敵わん」

 ボコ殴りしていた豚顔は立ち上がると、伊吹の前へとやって来た。そこに、長髪の男も並び立つ。

「集めた水の仇を取ってやる!」

「手伝うぜ」

 豚顔と長髪の男が伊吹に近づいてくる。伊吹は周囲を確認したが、ワニックは眠り、ブリオは倒れたまま、シオリンは赤髪の少女に追いかけられていた。サーヤの姿は見つけられない。

 自分で切り抜けるしかないと知り、伊吹は有効な手を考えた。また、砂をかけようかとも思ったが、うまくいくとは限らないことを学んだので他の手段を模索する。何か手はないのかと自分の手を見た時に、ガチャ神殿で言われた言葉を思い出した。

 『発動条件は接触。効果は欲を満たす』

 それは、いまだ発動させたことのない自分のスキル『快感誘導』に関する言葉だった。相手の欲を満たして、どうなるものか……。そう思わないでもないが、もはや賭けるしかないと覚悟を決める。

 伊吹は近づく男たちを睨み付け、全速力で突進する。

「おい、突っ込んできたぜ」

「ヤケになったか」

 余裕を見せる男たちの前で、伊吹はヘッドスライディングする。砂地を滑り、二人の足を左右の手で掴み、スキルの発動を強く念じる。

「何か起こってくれーーっ!」

 叫んだ瞬間、伊吹の手を通して、赤い波動のようなものが、男たちの体を下から上へと駆け上がっていった。

 波動が全身を駆け巡ると、長髪の男は重くなった瞼を閉じ、後ろに倒れるようにして眠りについた。豚顔はゲップをしただけで、すぐに拳を振り下ろしてくる。避けることもできずに、伊吹は背中に鈍い痛みを感じることになった。

「うっ……っく」

 もうダメか、そう思った時だった。

「勝者、スコウレリア第三事務所!」

 審判の判定と共に、角笛が吹かれる。

 伊吹は何が起こったのか、わからなかった。

「旗を取られただと……」

 豚顔の一言で誰かが旗を取ったのだと知り、相手陣地に目を向けると、サーヤが自分よりも大きな旗を持ち上げていた。彼女はずっと、旗を持ち上げようとしていたのだった。

「やっと抜けた……ふぅ」

 サーヤが手を放すと、旗はパタンと砂地に落ちた。

「うわぁぁ~! サーヤぁ~!」

 思わぬ勝利に感激したシオリンがサーヤに抱きつこうとする。それを避けたサーヤが冷や汗を流す。

「おいおい、あたいを潰す気かよ」

「えへへ、嬉しくって……あはは」

 二人はお互いを見て笑いあった。その光景に、伊吹は今まで感じたことのない充実感を覚えていた。ふと、周りを見てみると大勢の観客が歓喜している。その観客の中で、チガヤだけが泣いていた。

 こうして初めてのバトルは勝利で幕を閉じた。


 今日、予定されていたバトルが終了すると、その結果を伝える役目を負った飛行ユニットたちが各地へと飛んで行った。

 バトルで怪我をした箇所は回復役のソフィーに治してもらい、普段の服に着替えた伊吹たちは、スコウレリアの事務所へと戻り、バトル初勝利ボーナスの金貨1枚を手にしたのだった。

 社内は勝利の報告を受け、少しどよめいていた。

「なんか、見られてる気がする」

「そりゃ、珍しいことが起きれば、誰だって注目するさ」

 周囲の視線に戸惑う伊吹とは対照的に、サーヤは平常心だった。

「なんだか、視線が熱いですねぇ……これは、もしかすると私に気が……」

 シオリンは何か勘違いしていたが、誰も何も言わなかった。本人が幸せそうなので、そっとしておこうと思っているところがある。

「戦いに勝利した後は、宴と決まっている。今日こそは肉を」

「そうだね。みんな、頑張ったもんね」

 ワニックの要望にチガヤは即答する。

「肉、食べたいんだな」

 ブリオは口に手を入れ、よだれを出していた。

「肉か……」

 伊吹は、この世界の肉料理がどんなものか想像したが、さっきまで戦っていた豚顔のことが脳裏をかすめ、肉を食べる気が失せていった。

「そういえば……今日の対戦相手って、畜産事務所だったよね。普段、家畜の世話をしているようには見えないけど。特に、あの毒を吐く人とか……」

 巨乳女性のことを思い浮かべたところで、伊吹は大事なことを忘れていることに気付いた。美女ユニット限定ガチャが、今日までだということに。

「あの、ガチャ神殿に行きたいんだけど……」

「どうしたの? 唐突に」

 チガヤが不思議がる。

「限定ガチャを回して欲しいんだ」

「限定って……どんなのあったかな?」

「ここに貼ってあるよ、チラシ」

 社内に貼られたチラシまで飛んでいき、サーヤが軽く壁を叩く。チラシの傍まで行き、チガヤが読み上げる。

「必要貨幣は銀貨1枚。飛行ユニット限定、小型ユニット限定、美女ユニット限定があるけど?」

「美女ユニット限定でお願いします」

 伊吹の迷いのない一言に、一瞬の静寂が訪れる。

「百歩譲ってガチャを回すのは良しとしても、なんで美女ガチャなのさ」

 サーヤが食いついてくる。

「それは……」

 それは美女だから、である。伊吹に他の理由なんて無い。

「今日の勝利は、お前がいなけりゃなかったから、あたいは別に回すのは構わないけどさ……。どうせなら、飛行ユニットの方が良くない? 乗れるくらい大型のが出れば、あたいらの移動スピードが何倍にもなるけど、美女ってそういうのなくない?」

「美女が出れば、僕のやる気が何倍にもなります!」

「あ、そう……」

 ドヤ顔の伊吹に、ドン引きするサーヤだった。

「ダメかな?」

 捨てられた子犬のような目をチガヤに向ける。

「いいよ。私も女の子の友達、欲しいし……。じゃ、神殿に行こっか」

 あっさりOKが出て、いささか伊吹は拍子抜けしたが、神殿に向かって歩き始めたチガヤの後を追うことにした。



 ガチャ神殿に着いた一行は金貨を銀貨に両替し、美女ユニット限定ガチャの列に並んだ。ガチャの台座の横には、スキンヘッドの男性が胡坐をかいて座っている。

「あの人、何をしてるんだろう?」

「ガチャで出るユニットを限定する能力を発動させてるんだよ」

 伊吹はチガヤの説明を受け、限定する能力を持っていたら国に届け出がいると、能力解析の人が話していたのを思い出した。こんな能力を許可なく使われたら、困るんだろうなというのは容易に想像がつく。

「どんな美女かは、あの男次第ってワケだ」

 スキンヘッドの男性を眺めてサーヤは言う。

「どういうこと?」

「美女だと思う基準は、能力者の趣味嗜好が関係するって話。そもそも、何を綺麗と思うかなんて、人それぞれだろ?」

 伊吹は嫌な予感がしてきた。

「確かに、好みは人によって違う。俺は美女と聞けば、同種族の者を思い浮かべるが、彼の者がイメージするのは人型だろう」

 自分で言って納得しているワニックの横で、伊吹は“自分好みじゃない美女”が出てくるという、最悪の展開を想定せずにはいられなかった。

 ドンっという音と共に台座の上に木箱が落ち、中から人型の者が出てくる。女性らしい丸みを帯びたフォルムではあったが、顔といい、体表といい、完全に猫のそれだった。品種で言うならロシアンブルーに近い。

「ほぉ~。彼の者はアレもイケるらしい」

 意外そうにワニックは目を細める。

「わぁ~、綺麗な毛並み」

 チガヤは猫系ユニットに目を輝かせた。

「違う……」

 伊吹は小声で嘆いた。自分が求めているのはそれじゃない、自分が痛い思いをして戦ったのは、こういうことじゃないと心の中で繰り返す。

「箱に入ってるんですねぇ」

 シオリンの注目ポイントは他と違っていた。あちこちの台座を見ては、何に入ってくるかを注視している。

「袋や壺もあるぞ。にしても、必ず何かに入っているのは何故だ?」

「何かに入ってないと、召喚できないからだよ」

 ワニックの問いにチガヤが答える。

「召喚されるのは、何かに入った状態で、今いる世界を離れたいって思った人だけなんだって。そうじゃなかったら、私はガチャを回してなかったかな」

 言われてみれば、伊吹自身も思い当たる節があった。カボチャの中で考えていたのは、住んでいた場所への不満だったと。

「シオリン的には、離れたいというより、助けて……って感じでしたねぇ~。あのとき」

「大きな袋に入っていたよね」

「はい、人さらいに遭って大変でした。ブリオは大きな壺で、ワニックは棺桶みたいなのに入っていましたよねぇ~」

「あれは棺桶じゃない、拷問具だ。俺は敵に捕らえられ、拷問を受けていたんだ」

 物騒な話が続いたせいか、伊吹のガチャを見る目も変わっていく。

「ブリオは、何で壺に入ってたのさ?」

「壺に小魚が入っていたんだな」

「それを食べる為に?」

「中に入って食べたら、眠くなったんだな。気づいたら、蓋をされて閉じ込められていたんだな」

 サーヤは質問しておきながら、やっぱりなという顔をした。

「そういうサーヤは、何に入っていたんですかぁ~?」

「あたいは鑑賞用のガラスケースだよ。もう、察しはつくだろ」

 そう返され、シオリンが頷く。

 話しているうちに順番がくる。チガヤは台座の前に歩み出て、銀貨を入れると突起物をまわした。ガシャガシャという音と共に、台座の上に黒い霧が現れ、木箱が落ちてきた。それを受けて、台座を囲む集団が演奏を始める。

 演奏はしばらく続いたが、木箱の中からは誰も出てこなかった。

「寝ているのかなぁ……」

 チガヤは台座に上ると、木箱の周りを一周した。

 しばらく考えた後、箱の蓋を掴み、そっと持ち上げていく。ぴょんっと、ウサギの耳が箱から飛び出したのが、下にいる伊吹からも見えた。

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