第十話 退職してみた
「革命軍? 訪ねる家は、うちで当ってます?」
相手は身なりからして怪しいうえに、数々の問題を起こしている革命軍こと、ユニット地位向上協会だったが、チガヤは特に警戒する様子もなかった。
「はい、イブキ氏に話があって来ました」
「イブキ、お客さんだよ」
革命軍メンバーに背を向け、チガヤは伊吹を呼んだ。後ろから拘束されでもしたらと心配したが、革命軍メンバーは伊吹に顔を向けたまま黙っていた。
よくない噂ばかりの相手と話すのは気が引けたが、突き放すような態度を取って、チガヤたちに危害を加えられることを恐れ、伊吹はゆっくりと彼の元へと近づいていった。
「話って?」
「ここでは……」
革命軍メンバーが親指で外を指す。表に出ろということらしい。
家から離れていく彼の後を、攻撃されない程度の間合いを取ってついていく。
チガヤたちに声が届かないほど家から離れると、革命軍メンバーは振り返って両手を広げた。その手に武器は持っていなかった。
「まずは、昨日の勝利を称賛させて頂こう。アンフィテアトルムでの戦いは、同志イェルケルの耳にも入り、感銘を受けておられる。あの強化された『万物拒絶』の使い手を倒したことは、同じ能力を使うユニット兵部隊の者にも勝てる可能性を見出したとして、興味深いと仰られた」
褒められたところで、嬉しくはなかった。理由が“同じ能力を使うユニット兵部隊の者にも勝てる可能性を見出した”ということなら、彼らが自分に何を期待しているのか、何となく想像できるからだ。
活動の邪魔となるユニット兵部隊に対抗するため、革命軍メンバーとして勧誘しに来た、といったところなのだろう。無論、関わらない方がいいとされる彼らに加担する気はないが、無下にすることで仲間たちに危害が及ぶのは避けたかった。
なので、自分は価値のない人間だと、勧誘するほどの人物ではないことをアピールすることにした。
「褒められるような戦いなんかしてないですよ。たまたま、うまくいっただけで、あの人がインポだったら終わってたし、女性に興味が無くても終わってたし、アソコが小さくても終わってました。というか、うまくいったのは僕の力じゃなく、喘いでくれた女性たちあってこそです」
「いや、しかし……」
「僕の力なんかなくても、彼女が服を脱いだ時点で、勝負は決していたかもしれません。僕だったら、喘ぎ声が無くても下着姿だけでビンビンですよ」
自分を下に見せようと思って喋り始めたが、いざ話してみると予想外に的を射ていて悲しくなった。ちょっとは活躍したつもりでいたが、運がよかっただけだった気がしてくる。
「それが本心だとは思えない。あのとき、多くの力を使った君は、違うことを感じたのではないのか?」
『無限進化』によって、協力する意思のあるユニットの能力を借り、場合によっては強化し、それを使ったときのことを振り返ってみた。『好意防壁』で壁を築いたり、『瞬間加速』で速く走ったり、『可逆治癒』で傷を治したりした。
そこに万能感のようなものはあったが、より鮮烈なイメージで甦るのは、様々な女性を喘がせたことだった。
普通に暮らしていたら、自分とは縁がなさそうな女性が目の前で喘ぐ。お高くとまってそうな女性も、派手な女性も、クールな女性も、大人っぽい女性も、一様に気持ちよさそうな声を上げていた。好きな相手にしか見せそうにない表情を見せてくれた。
そのことを噛みしめると、大きな希望を抱かずにはいられない。
「あのときというか、振り返って思うのは、世界は素晴らしいってことかな」
「は?」
革命軍メンバーが素っ頓狂な声を上げる。
「だって、そうでしょ? 世の中には素敵な女性がたくさんいる。自分には縁がなさそうに思えても、同じ世界に生きているなら仲良くなれるチャンスがある。彼女たちと結ばれる可能性がゼロじゃないんだ。高嶺の花に思える美女とでも、イチャイチャできるかもしれない……。そう思えば、世界は素晴らしいって思えてくるんだ。いろんな人に『快感誘導』を使って思ったのは、そこかな」
「……」
同意を求めてはいなかったが、黙られると静かさが辛かった。革命軍メンバーとしては、予想外過ぎる答えに、開いた口も塞がらない状況だった。
「あれだけの力を使って、君は自分に可能性を感じなかったというのか? もっと大きな存在になれると、特別な何かになれると」
「特別な何かって?」
「例えば、そう……英雄だよ。死後も人々に忘れられることなき特別な存在。存在していたことも忘れられるような人生とは違う、偉業に彩られた輝かしき歴史的な生涯。そこに憧れはないのか?」
自分を“特別だ”と思いたい頃は伊吹にもあったが、今は彼の考えが理解できそうにもなかった。
「いや、別に……」
率直な感想を述べると、革命軍メンバーはフゥーッと息を吐いて腕組みをした。
「価値観が違うようだ。だが、君が大きな力を持っていることは自覚してほしい。そして、それをユニット地位向上協会が欲していることも」
できれば避けたかった本題を切り出され、伊吹は下唇を軽めに噛んだ。
「単刀直入に言うと、我々と行動を共にして頂きたい。我らがリーダー、同志イェルケルの悲願成就のため、ユニット地位向上協会に加わってほしい」
伊吹を歓迎するかのように、革命軍メンバーは胸を開けた。
「悲願って?」
「無論、この国におけるユニットの地位を向上させることだ。現在、この国におけるユニットは奴隷と言って差し支えない。いつ強化素材にされるかもわからない不安を抱えたまま、労働力としてのみ存在を許されている。これが人として、あるべき姿と言えるのか? 否、断じて違う!」
革命軍メンバーは拳を握り締め、それを上げたり、振り下ろしたりしながら、熱弁を振るう。
「我々は彼らの都合で召喚され、彼らの都合で所有物となった。働くと病に罹るという彼らの都合で、選択権の無い労働者となった。これを横暴と言わず、何と言う? 理不尽ではないと誰が言い切れる?」
よろしくない連中だと聞かされてはいたが、彼らの主張を耳にすると道理にかなっているような気がする。ただ、正しさなんてものは何処にでもあるものだし、召喚に関しては気になる点があった。
「召喚されるのは、何かに入った状態で、今いる世界を離れたいって思った人だから、この国の人たちの都合ってだけの話でもない気がするけど……」
実際、チガヤのユニットには離れたい理由があった。
「だとしてもだ! 労働力欲しさに召喚している事実に変わりはない。労働を悪だというのではない。病に罹るから働けないという理由があったとしても、そのすべてを我々に押し付けていいはずがない! 自国の維持の為、他の世界の人間を犠牲にすることを許してはいけない」
チガヤに関して言えば、自分も働いているので当てはまらないが、指摘したところでイレギュラー扱いされるだろう。なので、違う質問をすることにした。
「だから、どうしようと?」
「まずは、強化素材にされることを防ぐため、1人1ユニットまでしか所有できない制限を設けてもらう」
1人1ユニットと聴き、チガヤのユニットが自分だけになった場合を想定してみる。シオリンがいないので毒検知の仕事は来ないし、サーヤがいないので加湿業務もなければ、ワニックもいないので除湿業務もない。収入は減るだろうし、彼らの力を必要としていた人たちも困るだろう。自分一人ではこなせない作業もある。それは、ほかの家にも言えることだ。
「確かに強化素材になる心配はなくなるけど、労働力が足りなくなるんじゃ……」
「足りない分は、工夫でカバーすればいい」
スマートな響きはあったが、彼が使うと根性論に思えた。工夫に関する具体例を挙げていないからかもしれない。
「たくさんユニットを持ってる人にとっては、強制的にユニットが減らされるから、ガチャへの投資が無駄になる気がするんですけど……何か補償とかは?」
「そんなものは必要ない。彼らが費やした金など、我々が知るところではない。次に、ユニットに対する禁止事項を定めたユニット保護法の強化だ。これに関しては、条文作成を進めているところで、本部に行けば見ることが出来る。最後に『次元転移』所有者の拘束を禁止することになる」
ユニット保護法の強化に関しては中身がわからないので置いておくとしても、『次元転移』所有者の拘束を解くことは人道的に思える。ただ、『次元転移』所有者が街に溢れたときのことを考えると、新たな問題が発生することが予測できた。
もし自分が『次元転移』所有者だったら、ケイモと同じ商売を始める。ケイモが金貨100枚で行っているそれを、少しでも安く行えば客が流れてくるハズ。客を取られまいとケイモが対抗すれば、そこに価格競争が生じる。
いずれ価格は落ち着くかもしれないが、安くなれば元の世界に戻る人の数は飛躍的に増えるだろう。勿論、ケイモという一個人が、市場を独占していることで発生している問題もあるので、もっと良い形を模索すべきなのは間違いない。そういった諸々の点を考慮に入れた対策込みでないと、これも労働力の減少に繋がる。
最終的に、マ国は現状を維持できなくなり、様々なものの崩壊に繋がるように思えた。この国の人間なんて知ったこっちゃねぇ……と言えないほど、チガヤは身近な存在になっているし、国自体が傾けばユニットにも悪影響が出るのは自明の理。仲間のことを考えても、やはり乗れない話だという結論に至る。
同時に、伊吹は苦手な類の話にも関わらず、比較的ロジカルに判断できたことに驚いた。それは、この国に来てから、色んな人の理屈を目の当たりにしてきたお蔭なのかもしれない。まだ、見方としては甘いのだろうけど、という思いもあるが……。
「我々の理想が実現すれば、マ国の人間とユニットが、真の意味で共存している世界となるだろう」
「真の意味、ですか……」
“真の意味”や“世間は”という言葉を使う場合、その人の主観が入りまくりなことが多くて嫌だった。
「そう、真の意味での共存だ。ユニットは強化素材になる不安から解消され、マ国の住人に隷属することがなくなる。そのための我々であり、そのための活動をしているのだ」
「活動って、具体的には?」
「多くのユニットを使役し、暴利を貪る者に鉄槌を下す。ユニットが稼いだものを、ユニットの手で取り戻すのだ」
端的に言えば、活動資金の調達だった。
「そして、彼らは知るのだ。ユニットを奴隷のように扱う者には、ユニットによる裁きが下るのだと。我々はユニットを奴隷のように扱う者たちに対する抑止力でもある」
抑止力と聴いて、能力を持たないマ国の人間が、ユニットを強化できるというのも、ひとつの抑止力に思えてくる。中には殺傷能力の高い能力を持ったユニットもいるわけで、そういった者に危害を加えられないよう牽制する力としての価値が、強化にあると言えなくもない。
それは、相手が銃を持っているから、こっちも持っていないと危ないみたいな話で、状態としては健全ではないかもしれないが、クリアな世界よりグレーな方が不思議と均衡を保つ気さえした。
逆に、ユニットを持たないマ国の人間にしたら、そういった力を有していない上に、何らかの能力を持ったユニットが職場に押し寄せていることになる。もし自分が同じ立場だったとして、能力を持つ者に仕事を奪われ、役立たずと見なされていくのだとしたら、考えただけでも鬱になりそうだった。ふと、ブリオはそんな気持ちなのだろうかという想いに駆られる。
「今、明かせる活動内容は先のようなものになるが、この世界を大きく変える計画は動いている。残念だが、その内容は君が我々の同志となった後でなければ、話すことはできない」
「まぁ、そうでしょうね……。あれ? そう言えば、基地局を占拠したことって、なかったでしたっけ?」
ワイバーン乗り場のイゴルから、そんな話を聴かされていた。『脳内変換』を発動させなくして、言葉が通じない不自由さを痛感させた後で、要求を突き付けるつもりだったが、自分たちの言葉も変換されなくなって、要求どころではなくなったという事件になる。
革命軍メンバーは痛いところでも突かれたのか、何か言おうとしてはやめ、その手足は落ち着きをなくしていた。
「あれは、我がイェルケル派のしたことではない……」
「えっ? 派閥があるの?」
「恥ずかしい話だが、我々は一枚岩ではないのだ。メンバーが個々に活動しているところがある。特に、イグナツィオ派などは、力の誇示に重きを置いている節があって……」
「イグ……な、何て?」
「イグナツィオ派。進化によって最強集団を作ろうとした廃課金者イグナツィオのユニットたちだ。困った連中だが、戦力として失う訳にはいかないのが悩みどころだ」
派閥がある上に問題児集団もあるとか、どんだけ面倒な連中なんだと引いてしまう。
「君は奴らのことを気にする必要はない。彼らとて志は同じはず。いずれ、同志イェルケルが正しき道へと導いてくれることだろう。君は我がイェルケル派のメンバーとして、共に歩んでくれればいい」
「いや、それは、ちょっと……」
さすがに、この辺で断りを入れておかないと、切り出しにくくなりそうな気がした。
「同志には、なれないと?」
「はい……」
断ったことで、強硬手段に打って出るかも……と身構える。
「そうか……。残念だが仕方あるまい。今日、話を持ちかけられて、すぐに了承するのは難しい。また日を改めるとしよう」
「また、来るんですか……」
「来るとも、君の心が変わるまで。我々には、君が持つ最強の力が必要なのだ」
また、この人も“最強”を口にするのかと思うと、嫌な流行だな辟易した。
所詮、大きな力というのは、手にしたら誰かが利用しに来る“厄介事への片道切符”なんだということを知る。
「今日は挨拶といったところだ。明日は、他の同志もつれて来る。もしも、誰かに我々が来ることを伝えた場合は、それ相応の覚悟はしてもらいたい。では」
勝手に来て口止めを要求して去っていく姿に、彼らが疎まれている理由が嫌というほどわかった。
伊吹はしつこい訪問販売に会ったような顔をし、トボトボと歩いてチガヤの家に戻った。みんなは起きて様子を見守っていたのか、玄関前まで行くと家から一斉に出て来た。
何か言われるのかと思って黙っていたが、みんなは伊吹の言葉を待っているようだった。
「僕のこと、何処で知ったんだろうね。革命軍に入らないか……だってさ」
「入るわけ?」
「まさか……」
割と真剣に訊いてきたサーヤの言葉を即座に否定する。
「危ないことしちゃダメだよ」
「うん」
チガヤが心配そうに言うので頷く。次に訊いてきたのはウサウサだった。
「あの人は、浮遊島の……?」
「たぶん、同じ人だと思う。浮遊島の話はしてないけど、そんな感じがする。名前も何も知らないけどね」
「能力なら、マユタンが知っているのだ。えへんっ!」
『能力解析』が使えるマユタンが胸を張る。マスクをしていようと、ユニットであれば能力は判別できるようだ。
「どんな能力を持ってるの?」
「自分の指紋が残ってる物を呼び寄せるスキル『物質転送』と、自分の周りに炎の壁を出現させるアビリティ『爆炎障壁』なのです」
「どっかで聴いたような……」
「昨日、見たな」
ワニックに言われて、マントを羽織った青年のことを思い出した。確か、誰かの護衛役として来ていた。
「それじゃ昨日、目を付けられたってワケか……。でも、なんでイブキなんだ?」
「“君が持つ最強の力が必要なのだ”とか言ってたけど……。おかしいよね、最強だってさ。あの人、ことあるごとに、それを口にしてるんだよね」
「表現力が無いんだろ」
一蹴するサーヤの横で、チガヤは“最強”という単語を繰り返したかと思うと、井戸の方へと走っていき、地面に生えていた細い葉を1枚取ってきた。
「じゃーん! マ国の代表的な最強さんだよ」
「この雑草が?」
「ザッソウ? マ国にはザッソウって名前の植物はないよ」
雑草は固有名詞ではないと説明しようとしたが、雑草という区分け自体が無い気がしてやめる。雑草という名の草はない、どの草にも名前はある……と、元いた世界でも誰かが言っていた。
「何処にでも生える植物で、すごく生命力が強いんだよ。茎が這って伸びるから、取るのも大変なんだ。だからね、マ国では世界最強の植物って言われてるの」
「へぇ~。で、名前は?」
「私と同じだよ。このくらい元気に育ってほしいと思って、つけたんだって」
名前の由来が雑草かと思うと、キラキラネーム以上に気の毒に思えたが、自分がいた世界とは価値基準が違うからかもしれないと思い直す。
その葉を受け取ってよく見てみると、元いた世界にも生えていたように思えた。見れば見るほど、何処にでも生えていそうな気がして、それでいて何度となく雑草として抜き捨てた気がして、確かに厄介な強さを持っているなと納得する。
「あの人が最強を求めてるなら、この草を渡してあげればいいと思うんだ。そろそろ時間だし、会社に行こう」
ズンズンと歩き出したチガヤの後を追い、ユニットたちは会社へと向かった。
会社で渡された仕事チケットは2枚だったが、チガヤは片方の紙を左手に握り、右手に持った方だけを読み上げた。
「今日のお仕事は、ガチャ神殿での能力鑑定だよ。能力鑑定士が会議に出るから、今日だけ臨時でお願いしたいんだって。報酬は銀貨5枚も貰えるよ」
「破格だな」
「国の依頼だからだろ」
報酬の額に驚くワニックにサーヤが理由を話す。
「能力鑑定だから、『能力解析』が使えるマユタンと私で神殿に行こうと思うの」
「了解なのです!」
ピンと背筋を伸ばして、マユタンが足を揃える。自分のスキルを活かして稼げるからか、どことなく誇らしげだった。
「シオリン的には、能力鑑定士が出る会議が気になりますねぇ~。あの人たちを集めて、何を話すのやら」
「バトルに関する会議に出るみたいだよ。今、バトルのルール改正が検討されてて、使用を制限する能力についても話し合われるんだって。だから、呼ばれたんじゃないかな」
「なるほどぉ~。能力のことなら、あの人たちが一番詳しそうですからねぇ~」
このタイミングで動きがあると、昨日の一件が関係しているような気がしてならない。バトルは会社をPRする場だから、観客の印象を悪くする行為はしないだろうが、意図せず観客を巻き込んでしまいそうな能力があるとも限らない。
「それでね、会議で結論が出るまで、バトルは行われないんだって」
「なん……だと……」
ワニックは口を半開きにして、フラフラとよろめいた。楽しみを奪われて愕然としているといったところだ。
「それじゃ、私とマユタンはガチャ神殿に行くから。他のみんなには、市場で何か食べ物を買っておいてほしいの」
マユタン以外が返事をすると、チガヤはシオリンに銅貨を何枚か手渡した。
「食事はマユタンが選びたかったのですぅ~……」
「仕事があるんじゃ、仕方ないだろ。まぁ、好きそうなのを選んでおくよ」
「大いに期待してるのだ!」
大きな期待を受けて、サーヤが少し困った顔を見せる。それを見て笑うチガヤの左手には、ずっと中身を知らされていない仕事チケットが握られたままだった。
「そっちは、仕事チケットじゃないの?」
伊吹が指摘すると、チガヤは左手を開いてチケットを見せた。
「仕事チケットだけど、こっちは断るから関係ないよ」
「断るって、どうして?」
「こんな危ない依頼は受けられないもん」
「危険な仕事って?」
「革命軍への潜入と情報収集……。だから、これはナシ。受付に返して終わり。さぁ、マユタン、神殿に行こう」
チガヤはマユタンの手を引いて受付に行くと、そこで仕事チケットを返却して外に出て行った。
またしても、このタイミングで……と思う仕事内容だった。まるで、自分のところに革命軍が勧誘に来ることを知っていたかのような依頼に、嫌な予感がしてならなかった。知らない誰かに、自分の運命の糸を握られている。そんな不気味さを感じていた。
何だかスッキリしない気持ちのまま、伊吹は市場へと向かうサーヤたちの後をついて行った。
市場は活気があって、賑やかな場所だった。位置的には、前に来た情報倉庫やスコウレリア大金庫の並びにあるが、市場と呼ばれている区画に入るのは初めてだった。
鉄の棒でテント生地を広げて作った屋根の下では、動物の肉が吊り下げられた状態でスライスされていたり、奇怪な形をした木の実が並べられたりしていた。
チガヤの家よりも一回り小さな白い建物が複数あり、入り口には図形が描かれた板が掛けられている。描かれている図形は、青い塗料で描かれた菱形、白で描かれた逆三角形が目についた。
「あの建物は何?」
「あれは冷蔵販売してる会社だよ。入ればわかるから、ついて来な」
サーヤに言われるがまま、菱形の図形が板に書かれた建物に入ると、その中はひんやりとしていた。腰の高さほどあるガラスケースが所狭しと並べられ、その中には魚が入れられている。後からブリオも入って来て、小魚が入っているケースを口を開けて眺めた。
「ここ、寒いね」
「冷気を出すの能力で、冷やしてるからな」
「この寒さも能力なんだ」
よく見ると、部屋の奥で座っているガタイの良い男は、かなり着込んでいるのに、寒そうに体を震わせていた。
「冷やすことで鮮度が保てるけど、能力を使うヤツは体が冷えて大変らしい」
「だろうね……」
ガタイの良い男を気の毒に思って見ていると、小人が来てガラスケースの魚を指さした。男は指定された魚を取り出すと、大きな葉にくるんで指を3本立てた。
小人は棒状の金属を3本取り出して男に手渡し、代わりに魚を受け取って店から出て行った。
「あの金属の棒は何? 魚と交換してたけど」
「あれは旧貨幣さ。現行の貨幣じゃ物に対しての価値が大き過ぎるってんで、価値が銅貨より下の旧貨幣が使われてるところもある」
「へぇ~……。なら、昔のままの方がよかったんじゃない?」
「まぁ、ここだけ見ればな。何でも、ガチャの台座が見つかった頃に合わせたんだと。ガチャをまわせる形と適した額に」
ガチャが国の在り方を変えたんだなと改めて思う。ポケットに入っていた丸い銅貨を手にし、棒状だとガチャに入れられないなと頷く。
「あの旧貨幣って何で出来てるの?」
「あれも銅が入ってるらしい。あとは……」
「えっ? 銅貨よりも棒の方が体積がありそうだけど、価値的に大丈夫なの? あれを溶かして銅貨を造ったら……」
「人の話は最後まで聞け。銅が入ってるって言ったけどさ、含有率は全然違うから」
「含有率? あっ、合金なんだ」
ポンッと手を叩いて一人納得する。
「まぁ、そういうことさ。あたいが元いた世界じゃ、金属の強度を増すために、金や銀なんかに違う金属を混ぜるのが普通なんだけど、お前がいたところは違うわけ?」
「ん~……どうだろう? あまり、そういうことに興味なかったからなぁ……」
元いた世界のことを訊かれても、知らないことは答えられない。
不意に、ヒューゴの質問にうまく答えられなかった時のことを思い出し、つくづく自分は何を見ていたのだろうという気持ちになる。世界や社会がどうだとか言えるほど、知識が無いことを実感する。
「貨幣は何がメインなんだ? あたいがいたところは、産出量の関係で銀貨だったけど」
「紙幣だよ」
紙と聴いてサーヤが唖然とする。
「紙だって!? そんなん、すぐ偽造されるだろ?」
「簡単には真似できないようになってるから大丈夫だよ。透かしが入れてあったり、見る角度によって色とかが変わったり、文字が浮かび上がったりするようになってるんだ」
「何だそりゃ……。それって、本当に紙なわけ?」
「うん、たぶん……」
間違いなく紙だが、疑問視されると不安になってくる。自分の方が間違ってやしないかと……。
「スゲー世界から来たんだな……。にしても冷えるな、ここは。そろそろ出ようか」
寒そうに腕を擦りながら外に出るサーヤの後につづく。
彼女が隣の建物に入って行くので、後を追って逆三角形の図形が描かれた建物に入る。そこには大きな棚が幾つも並べられ、中には丸められた布地が置かれていた。
奥の方では華やかな雰囲気の女性が、『形態投影』で地味な感じの女性の姿を紙に写し、それに布地を重ねて何か話していた。
「ここでは、服を注文できる」
「へぇ~」
感心しながら建物内を眺めていると、客らしき女性たちが伊吹の顔を見て、刺さるような視線を向けてきた。
「なんか、睨まれているような……」
「あっ、女性向けの店だった」
慌てて外に出ると、シオリンとぶつかりそうになる。
「おっと」
なんとか仰け反って避けると、シオリンがニヤついた顔で近寄った。
「女装に興味があったんですかぁ~?」
「ないよ! 女性向けの店だって、知らなかったんだ」
疑わしげな目を向けるシオリンの上をサーヤが飛んでくる。彼女はバツが悪そうに頭を掻いていた。
「悪い悪い、いつも来てる感覚で入っちまった」
「まぁ、そういうこともあるよね。ちょっと、他の店を見てくるよ」
彼女にしては珍しいなと思いながら、他の建物にも目を向けてみる。また女性向けの店に入ってはいけないので、外から様子を見て歩くと、男性向けの服を扱う店、様々な道具を販売している店、幾つも樽が置かれた建物があった。
いろいろと見て回っているうちに情報倉庫の前に辿り着く。チラッと中の様子を窺ってみると、ウサウサが受付の女性と話していた。
「記憶に関する能力について、調べたいのですが……」
「記憶ですか? え~……少々お待ちください」
受付は厚紙の束を取り出すと、ページをめくって言った。
「記憶に関する能力では、近くにいる人の脳内にあるイメージ、つまりは記憶を映し出す『脳内映写』というアビリティが確認されております。当倉庫にある情報ですと、記憶に関する能力は、こちらだけになりますが、如何なさいますか?」
「そうですか……。お手数をおかけしました。知りたい情報がなさそうなので、今日のところは……」
「それでは、ご利用される日をお待ちしております」
建物から出てくるウサウサと目が合う。彼女の表情は相変わらず涼しげなものだが、ウサ耳はピクッと動いた。
「何か調べもの?」
「はい、記憶を消す能力はないかと」
「何でまた、そんな能力を……」
ウサウサは伊吹に近づくと、うつむいて小声で話し始めた。
「昨日の醜態を無かったことにしたくて……」
「醜態? みっともないことなんか、したっけ?」
「多くの人の前で、服を脱ぎました」
思い出して恥ずかしいのか、ウサウサの顔は『光耀遮蔽』の光に覆われた。もう何度となく見てきた、隠したいものや見たくないものを覆う光だ。
「醜態だなんて、とんでもない。みんなを助けたひと脱ぎだよ? 綺麗だったし、恥じる必要なんかないって……って言っても、恥ずかしいものは恥ずかしいか」
「はい……」
ウサウサの耳が、ふにゃっと折れ曲がる。
「じゃ、せめて僕だけは、何も見なかったことにするから」
「ありがとうございます」
「でも、助けられたことは忘れないよ」
『光耀遮蔽』の光で覆われた顔に、ウサウサは手を持っていった。少し頭を垂れているが、光が邪魔で何をしているのかわからない。彼女の気持ちを汲み取ろうにも、顔が見えないと、もどかしさばかりが募っていく。
“表情を隠す癖が治ったら、笑顔を見せてね”なんて話をしたこともあったが、いまだに表情と言えるものは見ていなかった。昨日、喘いだ顔は見たが……。
それはそれとしても、自分に協力してくれたことに、お礼が言いたかった。
「あのときは、ありがとう。来てくれなかったら、僕はタダのバカ野郎で終わってた」
「私が行かなくても、あなたは何とかしていたと思います」
「それは買いかぶり過ぎじゃないかな」
トビアスにスキルを発動した後、油断して酸の海と化したバトルフィールドに叩き落された詰めの甘さを思うに、そこまで自分を高くは評価できなかった。むしろ、最後の決め手となったウサウサこそ、彼女自身を評価してほしかった。
「僕のことより、もっと自分を褒めてあげてよ、醜態を晒したとか思わずに。あんな危ない人の前に、能力を持たない状態で飛び出したんだよ? 勇気がなきゃできないことだって」
あのときのウサウサは、伊吹に能力を貸し出した状態だった。トビアスが攻撃してきても、いつも以上に守る術がなかった。
「昨日の私は、どうかしていたんです。あの場に飛び出していくことへの恐怖がなかった……」
「えっ?」
「あなたの狙いがわかった。それが嬉しくて、あなたのことが理解できた気がして、それで頭の中がいっぱいでした」
ウサウサは情報倉庫の壁に背中を当てると、そのまましゃがみ込んで膝を抱えた。伊吹は彼女の隣に行き、同じように膝を抱えて座る。
「そっかぁ……」
何て言っていいかわからずに、取り敢えず相槌を打つように言う。
彼女が何か言うのを待ったが、続く言葉はなく、会話の無い時間が過ぎていった。不思議と、それは気まずさのない、むしろ心地いい時間だった。
「お~い、イブキ~、ウサウサ~」
伊吹たちを呼びながらサーヤが近づいてくる。彼女の後ろには荷物を持ったワニックと、手ぶらのシオリン、ブリオがいた。ワニックが両手に持っている荷物は、大きな葉で何かをくるんだ物だった。
「あっ、サーヤたちだ」
立ち上がってお尻をパンパンと払い、サーヤたちに合流する。ウサウサも伊吹の後に続く。
「今日の食事は買ったから」
「何を買ったの? マユタンが好きそうな物にした?」
「一応はな。前にマユタンが買ったのと同じなら、文句もないだろ」
ということは、ワニックが持っている荷物の中身は、お椀型のゼリーということになる。肌色のゼリーの頂には、赤い実がトッピングされていて、あるものを彷彿とさせた。
お陰で、ウサウサに“何も見なかったことにする”と言った後なのに、昨日見た彼女の下着姿が頭の中で呼び起こされていた。
マユタンが鑑定業務を終えて家に戻ると、すぐさま食事ということになった。形的にアレなゼリーが置かれたテーブルを皆で囲み、プルンプルンするそれを手づかみで食べる。
「あぁ~、食べているときが一番幸せなのです。やはり、人は生きる為に食べるのではなく、食べる為に生きているのです」
バクバクと凄い勢いで食べながらも、マユタンが食事への想いを語る。あまりの勢いに、「食べ過ぎると太るよ」という定番の一言を言いたくなるが、彼女に対しては意味のない言葉だと思いとどまり、代わりに違う話題を振ってみる。
「なんか、面白い能力はあった?」
「ん~っと、あっ、限定能力を初めて見たのです!」
「限定って、ガチャで出るのを限定するヤツ?」
「そうなのです! それも『変人限定』という誰が回すんだ的な限定能力なのだ」
変人しか出ないガチャの需要を考えてみたが、さすがに必要な理由がパッと思いつくことはなかった。
「変人って、どういう人が出るのかなぁ? ねぇ、サーヤはどう思う?」
「イブキみたいなのが出るんだろ」
「僕は普通だよ」
皆が一斉に伊吹を「大丈夫か」という目で見る。
「お前が普通だったら、この世に変人はいないっての。昨日、あの状況で、あんなことを思いつくのは、変わり者以外の何者でもないから」
「え~そうかなぁ……。あっ、でも、ウサウサは僕の狙いがわかったよね?」
話を振ったウサウサは『光耀遮蔽』の光で顔を覆い隠した。ウサ耳がくねっと曲がっている。照れくさいのかもしれない。
それを見て隣に座っていたシオリンが嬉しそうに肘で突いてくる。「何で嬉しそうなの?」と訊こうとしたところで、サーヤの声がかぶさってくる。
「ホント、最後の最後まで、何をする気なのかサッパリだったな」
「あれ? 説明しなかったっけ?」
「してねぇ~よ、何も。力を貸せ、人の心は常に丸裸だ……くらいしか言ってないっての」
「あはは……」
「まったく、何が心は常に丸裸だよ。それじゃ、心は風邪をひき放題だっての」
「うん、そうだね。いつ誰がひいても、おかしくない感じだ……。だから、寄り添った方が良いんじゃない? 裸でも寄り添えば温かいよ」
「ふぅ~ん……」
訝しげな目をサーヤが向けてくる。元々はオスワルドが言っていたのだが、それを彼を知らないサーヤに言っても仕方ない。
彼女の視線に堪えられないこともあって、話を軌道修正することにした。
「そういや、限定ガチャって、今も美女限定や飛行限定なの?」
「今日やってたのはね、幼女限定ガチャ、少年限定ガチャ、中年限定ガチャの3つだったよ」
「へぇ~、変わったんだ。前の限定ガチャみたいに、銀貨で回すの?」
「少年限定ガチャは銀貨だけど、幼女限定ガチャは金貨で、中年限定ガチャは銅貨」
「中年って安いんだね……」
世間の需要というものに哀しさを覚える。
「幼女が金貨とは……。何というか、こう……金貨で回すなら、勇ましい者が出てほしいと思うのは俺だけか?」
「ワニック以外にも、そう思うのはいるだろうさ。まぁ、強さを求めるっていうと、あたいは今朝のアイツを思い出しちまうけどな」
「革命軍か……」
今朝のことに話題がシフトしたことで、場の空気が少しだけ重くなる。
「奴の正体は、わかったようなものだが、何か行動を起こさなくていいのか?」
「例えば?」
「奴の所有者に正体を明かして、革命軍としての活動を辞めさせるとかだな。アイツらは厄介な連中なのだろう?」
「厄介だからこそ、下手な手は打てない。正体を知られたからには殺す……ってなるのは勘弁してほしいね」
明日、正体に関して揺さ振りをかけてみようと思うところがあったが、サーヤの言葉を聴くとリスキーな気がしてくる。では、どう打って出るのが妥当なのか、そのことを考えながらの食事となった。
翌日、訪ねてきた革命軍メンバーは2人だった。浮遊島で会った男のほかに、背の高い男が一緒だった。彼らの主張は変わらなかったが、同じ主張でも言う者が2人いると、自分の意見を言いにくいところがあった。
その次の日には4人に増えていた。大柄な男と華奢な女性が加わったが、相変わらずマスクをしているので顔はわからなかった。4人に同じ主張をされると、自分の意見が少数派で、間違った考えのように思えて嫌だった。
やがて、1ダース分の革命軍メンバーが、朝には必ず訪れるようになった。ここまで来ると、彼らがどうこうよりも、自分がいることで仲間に迷惑をかけていることが心苦しくなっていた。
さすがに何か手を打たないと……という気持ちで、あれこれ対策を考えながら会社に行く。
前にあった革命軍への潜入依頼を断るべきではなかったのかも、という想いに駆られたが、潜入したらしたで抜け出すときに面倒そうな気がした。
自分がいなくなるのがベストなのは考えてすぐにわかったが、強化したと嘘をついたり、ユニット交換で他のところに行ったりする方法では問題があった。嘘をついた場合はつき続けなくてはいけないし、それを続けるのは自分ではなくて仲間になる。ユニット交換にしても、行った先に厄介事を持ち込むことになる。
彼らの狙いが能力、おそらくは『無限進化』なのだから、この能力を失ったということでもいいのだが、器用に能力だけを消す方法は聴いたことがなかった。誰も協力する者がいなければ、何も無いに等しいアビリティだが、革命軍に入ったら協力者だらけになるので、そこをアピールしても仕方がない。
このアビリティさえなかったら……と思うと、何故かケイモの顔が頭に浮かんだ。彼も『次元転移』さえ持っていなければ、違った人生を歩んでいたのかもしれない。
なんてことを考えているうちに会社に着き、いつものようにチガヤが受付から仕事チケットを貰ってきた。
「今日のお仕事は『次元転移』の確認だよ。浮遊島に行ってケイモ老師が『次元転移』の能力者であることを、『能力解析』で確かめて欲しいんだって。報酬は金貨1枚、経費として銅貨を3枚まで使えるよ」
仕事チケットを読み上げたチガヤは、『能力解析』が使えるマユタンではなく、伊吹を真っ直ぐに見つめた。何か言いたげな面持ちだったが、ワニックたちは金額に驚いていた。
「金貨1枚だと!?」
「シオリン的には怪しいと思いますねぇ~。ケイモ老師が『次元転移』を使えるのって、有名じゃないですかぁ~。それを確かめるって……」
「チガヤ?」
ずっと伊吹を見たままのチガヤにサーヤが寄り添う。それでもチガヤの視線は伊吹に向いていた。
「さっき言った内容の割には、チケットの文字数が多いな……」
仕事チケットを見て、サーヤが眉をひそめる。
「うん、続きがあるんだ……」
「続き?」
「『能力解析』でケイモ老師が『次元転移』の能力者であることがわかった場合、イブキを『次元転移』で元の世界に戻すこと。転移の為に必要な金貨100枚は依頼主側で用意……」
「何だそりゃ……」
ユニットたちがどよめく。内容もさることながら、帰る人物として伊吹が指名されていたからだ。依頼主は伊吹のことを知っていて、マ国からいなくなることを望んでいることになる。
「誰の依頼なのです?」
「この仕事に関しては、依頼者は教えられないって……」
「何で僕なんだろう? 僕がいなくなって、誰が得をするって言うんだろう……」
トビアスのように危ない力を持ち、それを行使しようとする者なら、いなくなってもらった方がいいのはわかる。自分が彼と同じような類の人物には思えないし、思いたくもなかった。
ただ、もしも革命軍に勧誘されていることを依頼人が知っていて、自分が戦力として彼らに加わることを恐れているのだとしたら、それはそれでわかるような気がした。
「イブキが嫌なら断るよ。でもね、元の世界に戻りたいなら……」
下を向いたチガヤの表情は、前髪で隠されてよくわからなかった。サーヤは心配そうに彼女を見つめている。他のユニットたちは、伊吹が言葉を発するのを待っているようだった。
「僕は……」
いつかは戻らなくてはいけない気がしていたものの、急に言われて戸惑うところがあった。向こうには家族や友達がいるから、いなくなって心配しているかもしれない。それはわかっているが、目の前にいる仲間たちと別れることにも辛さがあった。
それでも、伊吹は1人1人の顔を見て腹を決めた。
「僕、元の世界に戻るよ」
最終的には戻ろうと思っていたことだし、革命軍に目を付けられている現状もある。仕事の依頼として来ているのなら、ここは引き受けるべきだと判断した。
「帰りたかったのか?」
「まぁ、いつかは……って思っていたけど」
訊いてきたサーヤの声はいつになく優しかった。無理して帰るんじゃないか、というのを憂慮してのことだろう。
「帰りたかったんだね。ガチャで出して、ごめんね……」
チガヤが膝をつき、両手で顔を覆う。ガチャから出るのは、今いる世界を離れたい人だと思えばこそ、ガチャを回すことが出来ていた彼女にとって、“帰りたい”という一言は重過ぎた。
「いや、謝らなくていいよ。こっちに来て、楽しいことも、たくさんあったし……みんなとも会えたし……」
仲間の顔を見てみると、シオリンは少し涙ぐみ、ワニックは腕組みをして頷き、サーヤは優しく微笑み、マユタンは体を揺らしていた。ブリオは口に手を入れたまま天井を眺め、ウサウサは胸元に手を当てて伊吹を見据えていた。
「仕事の依頼でいなくなっちゃうわけだけど、これって退職ってことになるの?」
「会社都合での退職になる。勧誘ボーナスを貰ったのに、90日未満で退職したら返せって言われるけど、それは自己都合の場合だから、そこんところは心配しなくていい」
「そうなんだ」
「まぁ、細かいことは気にすんな」
「うん……」
サーヤに言われてホッとする素振りを見せる。心配も何も、知らないから気にかけようもない。
それよりも、お通夜のように暗くなっている仲間たちの方が気がかりだった。別れとはこういうものかもしれないが、沈んだ空気にしてしまったのが自分だけに、どう声をかけたらいいのかわからなかった。
「みんなもさ、帰りたいヤツが帰るっていんだ、あんまり湿っぽい顔すんなよ、な?」
しんみりしている仲間たちに言うと、サーヤは小さな手でチガヤの肩を叩いた。
「うん、わかったよ……サーヤ。それじゃ、浮遊島に行こっか」
チガヤは立ち上がるとすぐに背を向け、会社の外へと出て行った。彼女の後に仲間たちがついて行く。
ワイバーン乗り場へと向かう道中、伊吹の肩にサーヤがとまる。
「少し、昔話をしていいか」
「うん」
伊吹の肩に座ったサーヤは、頬杖をついて語り始めた。
「前にも言ったけどさ、あたいは一番の古株だ。チガヤにとっては、最初にガチャで出したユニットになる」
「そうだったね」
「あたいがチガヤの家に来た時には、もう両親は病気になってた。彼女は一人で働いてて、寝ているだけの両親の世話をしてたさ。大変だったろうし、寂しかったんだと思う。それで、ガチャを回したんだ……」
彼女が何を求めてプレミアムガチャをまわしたのか、それを考えれば当時の状況が目に浮かぶようだった。
「この国じゃ、多くの人が働かせる為にユニットを召喚してる。だけど、ガチャで出てきたあたいにチガヤが言ったのは“友達になって欲しい”って一言だった。まぁ、だから何だってワケじゃないんだけどさ、そんなことを話したくなったんだ」
初めて会った時に言われた“ユニットは友達”という言葉が甦る。伊吹は何となく遠くの空を眺めた。
「向こうに戻っても、この世界に友達がいることは忘れないよ」
「ありがとな」
耳元で囁いたサーヤは、前を歩くチガヤの元へと飛んで行った。
ワイバーン乗り場に着くと、イゴルがワイバーンたちに水を飲ませていた。水桶に顔を突っ込むワイバーンの頭を撫でながら、チガヤの姿を見つけたイゴルが話しかけてくる。
「あ~、どもども。今日はどちらまで?」
「浮遊島まで、『次元転移』を確かめに。島の場所はイクビ海岸のままかな?」
「ええ、そうですが……何名様でしょうか?」
人数を訊かれてチガヤは後ろを振り返った。さっきまで一緒に歩いてきていたはずのシオリンとワニックの姿が見えなかった。
「シオリン的には、やっぱりワイバーンは……」
声がした方を見ると、乗り場から離れた建物に隠れ、シオリンが震えながらこっちを見ていた。その傍にはワニックもいる。
「あっ、ごめんね。ここまで来させちゃって……。ちょっと、ボーッとしてたかも」
チガヤはコツンと自分の頭を叩いた。
シオリンはワイバーンが苦手で、ワニックの場合はワイバーンの方が彼を苦手としていた。
「オイラ、高いところは苦手なんだな」
チガヤの服の裾をブリオが引っ張る。
「それじゃ、私とイブキ、サーヤ、ウサウサ、マユタンの5人で行くね。あっ、でもサーヤは重量的にノーカウントだから4人分で。ライダーは要らないから」
「はい、ワイバーン1匹3時間の利用で銅貨2枚になりやす」
銅貨2枚を渡して、チガヤは言葉を足した。
「あとね、領収書の宛名はスコウレリア第三事務所で」
「了解しやした。戻る頃までには用意しておきやす」
チガヤがお目当てのワイバーンに駆け寄ってまたがると、マユタン、伊吹、ウサウサの順で続いた。鞍と繋がっているベルトを締め、前の人に抱きつく格好になる。
伊吹の後ろに座ったウサウサが腕をまわしてくると、彼女の柔らかな胸の膨らみが伊吹の背中に当たった。
以前、二人で島に向かった時は、軽く腰に手をまわされただけだったが、今は離れないようにしっかり掴まっている。胸が当たって嬉しいハズなのに、伊吹は少し切ない気持ちになった。
「お達者でぇ~」
「元気でな」
建物の陰からシオリンとワニックが手を振っていた。そこにブリオも加わって、ヒレのような手を激しく振る。
「シオリン、ワニック、ブリオも元気でね」
伊吹が手を振り返すのを確認したチガヤは、ワイバーンの頭を撫でて手綱を引いた。ワイバーンは翼を広げると、大きくはためかせて宙に舞った。ある程度の高さに達したところでサーヤがチガヤの肩にとまり、ワイバーンは浮遊島に向かって飛び始めた。
前に来た時とは少し位置が異なっているものの、浮遊島はイクビ海岸の近くにまだあった。ケイモの家は既に知っているので、家へと続くなだらかな斜面にワイバーンを降下させる。
ウサウサから順に、ベルトを外して降り立ち、最後にチガヤが手綱を握ったまま降りる。
家の前ではケイモが地面に座って、ぼんやりと空を眺めていた。
「お久しぶりです」
相手が自分を覚えているかわからないが、伊吹は自分から声をかけることにした。
「おお、あのときの……」
ケイモは立ち上がると、白髭を撫でながら歩み寄ってきた。その手には1枚の紙を手にしている。
「今日は仕事の関係で来ました。仲間と一緒に」
振り返ると、ワイバーンの手綱を握ったままチガヤが歩いてきていた。その傍らにはマユタン、サーヤ、ウサウサがいる。
「仕事とな」
「はい。ケイモさんの能力を『能力解析』で確かめてほしいって依頼なんですけど、協力してもらえないでしょうか?」
「構わんよ」
どうぞと言わんばかりに、ケイモは両手を広げてみせた。伊吹がマユタンを見ると、既に彼女はケイモを見つめていた。
「ユニットを元いた世界に帰すスキル『次元転移』と、知らない言語を知っている言葉に置き換えるアビリティ『脳内変換』なのです。『次元転移』は視界に入った者が対象で、範囲選択も可能。『脳内変換』も効果範囲の選択が可能で、他者が使う同一アビリティへの干渉もできるのだ」
進化によって強化された『次元転移』を持っていることはわかっていたが、『能力解析』の結果として言われると重みが違った。視界に入った者が対象で、範囲選択も可能ということは、いつ腕だけ吹き飛ばされてもおかしくない。そういう意味で、怖い人物なのだと今さらのように思い直す。
「これで、『次元転移』の能力者だって、わかっちゃったね……」
違う結果が出ることを望んでいたのか、チガヤは残念そうに目を潤ませた。
「うん、そうだね。話を進める前に、これを渡しておくね」
ポケットに入れっぱなしだった銅貨を掴んで渡すと、その中にはクシャクシャになった情報倉庫の会員カードもあった。
「ここのお金を持って帰っても、使えないからね。あと、そのカードは……」
「大切にするね」
捨てておいてと言おうとしたところで、カードに写っている伊吹の姿を見つけたチガヤが笑顔になって言う。
クシャクシャになったカードのしわを伸ばすチガヤを見てると、申し訳ない気持ちになってくる。
「じゃあ、本題に入るよ……」
伊吹はケイモと向き合い、自分の胸に手を当てた。
「僕を元の世界に戻してくれませんか? 謝礼は依頼主側で払うと聴いてきたのですが……」
「ああ、聴いとるよ。既に、使いの者から受け取っておる」
ケイモは持っていた1枚の紙を広げた。そこには直立不動の姿勢で、パーテーションを背にしている伊吹の姿があった。『形態投影』のスキルで写されたものだ。
「少年よ。心の準備が出来たら、言っておくれ」
今一度、仲間たちの顔を見ておこうと、伊吹は後ろを振り返った。チガヤは泣きそうな顔になっていたが、サーヤとマユタンは笑顔を見せている。ウサウサは普段通りの涼しげな表情をしているが、その手は胸元を押さえていた。
「元の世界に戻っても、元気でね」
「うん、チガヤも……」
「色々、ありがとうなのです」
「こっちこそだよ、マユタン」
「じゃあな、イブキ」
「うん、サーヤ」
何も言ってこないウサウサと目が合う。何か言わないといけない気がしていたが、何も言葉が浮かんでこなかった。
少しの沈黙の後、彼女が口を開く。
「どんな世界に戻られるのですか?」
「普通の世界だよ、僕にとっては。僕のレアリティが決まってなくて、スキルやアビリティも決まってなくて……というか、自分で身につけていくものなんだけど」
なんだか、よくわからない気持ちになって頭を掻く。
「まぁ、正直言って語れるほど、よく知らないってことが、こっちに来てわかったんだ。だから、もっと色んなものを見てみたいと思うし、やってみようって思う。何事も経験だからね」
ウサウサが小さく頷くのを確認し、ケイモに「お願いします」と声をかける。ケイモは伊吹の背に手を当て息を吐いた。
伊吹は、この地を離れる最後の瞬間まで、仲間たちの顔を見ているつもりだったが、気が付けばウサウサだけを見ていた。目を奪われたと言っていい。
彼女の笑顔に――
それは、いつも見ていた涼しげな表情からは想像できないほど、あどけなさが残るものだった。笑っているのに、涙が頬を伝っていた。
初めて見る彼女の笑顔に、胸が締め付けられる想いだった。
今まで、『光耀遮蔽』というアビリティで隠されてきたものの大きさが、初めてわかった気がした。
彼女が抱いている気持ちに、ようやく触れられたと思った。
それと共に、隠したいものを光で覆うアビリティが発動していないことで、彼女の心の内を察することが出来た。
表情を隠そうとする癖があった彼女が、表情を見せているということは、その笑顔を隠したくないのだと。自分に見せたいのだと……。
あの日の約束を果たすために。
伊吹は彼女の笑顔を目に焼き付けるように、ずっと見つめ続けた。
ふと気が付くと、伊吹はカボチャの中にいた。
中身をくり抜いたカボチャに入っている。右手にあった3つの星印はなく、学校指定のジャージは、カボチャの汁が付いて気持ち悪かった。
真ん中で切断されたカボチャの上半分を持ち上げると、見慣れた畑が広がっていた。おもしろ動画を撮ろうとセットしたデジカメもある。
カボチャから出てデジカメの画面を確認してみる。
録画状態を示す赤い丸が点滅していた。録画時間は10分と経っていない。
録画を停止して最初から再生してみると、カボチャに向かって走っていく自分が映っていた。
カボチャの上半分を持ち上げた後、中に入って揺り動かしている。近所の人の声も入っていた。
この後、どうなるんだろうというところで、突如として差し込んだ光によってカボチャが覆い隠される。
「クソアビリティが……」
思わず口にした言葉に、色んなことを思い出す。
さっきまでいた世界のこと、自分が手にした能力のこと、出会った人々のこと、最後に見た笑顔のこと。
あのアビリティがなかったのなら――
そんなことを考えそうになった自分を抑えるように、伊吹は停止ボタンを押した。