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16 再会、作業員、感傷(3)

 道を歩く人は驚くほど少なかった。乳母車を引いた老婆と足を引きずりながら歩く老人を見かけたが、あとは誰にも会わなかった。霞に会って、神社まで歩く間、気温はどんどん下がっていくようだった。先ほどまで心地良いと感じていた風は、冬の突風みたいに鋭くなり、腕や首に突き刺さった。夏にこんな風が吹くなんて、僕には驚きしかなかった。


 神社にも人はほとんど、あるいはまったくいないようだ。僕たちは鳥居をくぐって、その先の石段に腰かけた。一旦腰を落ち着かせると、気分も穏やかになり、ようやく冷静に景色を見渡すことができた。空は曇ってきていた。雨が降らなければいいのだけれど、と淡い期待を抱いた。


「悪いな。ここくらいしか休めるような場所が思いつかなかったのだ」と霞は単調な声で言った。別に大丈夫、ここは気に入っているから、と僕は言った。


「それにしても、今日は寒いな……」と言って、霞は体を小さく丸めた。胸と膝をくっつけて、その中に顔をうずめている。今日の彼女はホットパンツに薄手のシャツという格好だった。裸の脚に当たる風は、ずいぶんと冷たく感じることだろう。だが僕としてもどうしてやることもできないため、黙っていた。


「あの公園、一週間以内にはもうなくなっているだろう」と霞は僕の耳に届くか届かないかくらいの小さな声で話した。


「私にはわかるのだ。あそこは近いうちに『死』を迎えることになるだろう、とな。この話を聞いて、私を心霊めいた不審な存在だとは思わないでほしい。ただ、私には昔から、そういった『死』の予兆を感じ取ることができるのだ」


「その予兆は、過去に的中させたことはあるの?」


「私の知る限り、予兆はすべて当たっている」と霞は言った。「『死』を迎える時期までぴたりと当ててしまってな。だから今回も、きっと当たるだろう。公園は一週間で消える」


 霞はとてもさみしそうだった。いいや、さみしいという言葉では足りない。見たところ、彼女はもっと大きな悲しみを抱いているように思えた。


「あそこには相当の思い入れがあるみたいだね」


「まあ、な」と霞は歯切れの悪い言葉を口にした。「ずっと一緒にいたから、もう私の一部分と化していると言ってもいいくらいだ。あそこがなくなってしまうということは、つまり私の一部分も同時に失われてしまうということなのだ」


「それは大変だ。あの作業員たちを止めないと」


「それはできない」と霞は立ちあがろうとする僕を言葉で止めた。「きっと計画は滞りなく進行するだろう。お前一人で、あるいは私とお前の二人で何ができるというのだ? ある程度の邪魔はできるだろう。しかし、もし邪魔ができたとしても、それは計画には何の支障も与えない。公園のなくなる時期を少しばかり遅らせるだけだ」


「でも、君だって計画を阻止したいと思っているんじゃないのか? たとえ無駄だとわかっていても、行動したいと心から願っているんじゃないのか?」


 彼女は黙っていた。その顔は不思議なくらい落ち着いていた。その淡々とした態度は僕の感情を少なからず刺激した。僕はむかむかしてきたので勢いよく立ちあがった。そして、公園の方角へと走ろうとした。だが、その脚を彼女が止めてしまった。彼女は僕の手を掴んで、そのまま彼女自身の方へと引っ張ってきた。その力は大したものじゃなかったのだけれど、僕は停止しなくてはならなかった。


「行かないでくれ」と霞はかすれた声で言った。「もうどうしようもないんだよ。これはもはや報われないものなんだ。私がどうしてここまでしてお前を止めようとしているのか、わかるか? お前が頑張っている姿を見たくないからなんだよ。頑張って、頑張り抜いて、最後にはすべてが無駄に終わってしまうのを、私は見たくないんだよ。それよりも、私は別のことをお前に願う」そう言ってから、彼女は僕の正面まで来た。そして僕の肩をつかんだ。「どこにも行かずに、そばにいてほしいんだ。お前と再会して、こうして話していて、ようやく私は、お前が大事な存在だということに気がついた。お前だけなんだよ、私の笛の音を真剣に聴いてくれたのは。他の人間は、みんな私の音楽なんかに耳を傾けてはくれなかった。誰の耳にも届かないで、長い間無視され続けていた。お前には伝わっていなかったのかもしれないが、一ヵ月前、私が演奏するのをじっとして聴いているお前を見て、私はすごく嬉しかったんだ。やっと誰かのもとに私の音楽が届いたんだと、自分の一切が報われたような気がしたんだ。お願いだ、どこにも行かないでくれ。公園がなくなるのはもうどうしようもない、それはあきらめるしかない。計画を阻止しようとするよりも、残された時間を使って、私の演奏を聴いてほしい。あと一週間、私の笛の音を忘れないでいてほしい」


 彼女の言葉には魂がこもっていた。僕は誰かにこんなにも必要とされたことがなかったため、正直戸惑っていた。だが、彼女の真剣さは本物だ。それは僕にも理解できる。だから僕は、彼女によくわかるようにしっかりとうなずいた。


「わかった。君のそばにいることを約束するよ。もう一度改めて謝っておかなくちゃいけないね。今まで君のところに来られなくて、ごめん。本当はもっと早くに再会したかったんだけど、どうしてもできなかったんだ」

「いいや、そのことはもういい。こうしてまた会えたのだから、私としては満足だ」


 彼女はそう言って、初めてかもしれない、満面の笑みを僕に見せてくれた。


「この一ヵ月間、君は何をして過ごしていたの?」と僕は訊いた。


「特に何もしていないさ」と彼女はあっさりと答える。「前に披露したオリジナルの曲があっただろう? あれを完成させようと、努力をしていたのだがな」


 僕たちは並んで神社まで戻っていき、石段を上りはじめた。足は羽根でもついたみたいに軽やかに動いた。これなら百段だって千段だって楽に上れそうだ。僕たちは上から誰かに引っ張ってもらっているかのように、おそるべき速さで石段を制覇していった。その間、僕たちは新しい曲のことを話した。


「とすると、曲はまだ未完成なのか」

「どうしても、うまくメロディーが繋がらなくてな。全体の構想はすっかり出来上がっているのだが、ある部分だけ欠けてしまっていて、そのせいで全体が締まらない。損なわれた部分を補おうとあらゆるアイデアを詰め込むのだが、そのたびに一段と悪くなっているようなのだ」


「曲はどのくらい長いのかな」

「そうでもないぞ。今のところはすごくゆっくりと演奏しても六分くらいにしかならん。急げば四分くらいで演奏は終わってしまう。この曲はな、演奏者が自由に速度を決めていいんだ。どのスピードで弾いても良く響くようなメロディーにしておいたからな」


「かなり自信があるようだね」

「無論だ。なにせ私が初めて作った曲だからな」


 僕たちは石段を上りきり、敷き石の参道を歩いていった。両側には青々とした若々しい木々がそびえ立ち、僕たちを高い視点から見下ろしていた。人はいないみたいだ。ここに人があまり寄りつかないということは最初からはっきりしているから、全然違和感がない。ここはあらゆる点で神秘的な場所なのだ。


 僕たちが拝殿まで歩くと、賽銭箱の上に笛が置いてあった。どうしてこんなところに笛が? 僕の考えていることが彼女に伝わったかのように、彼女はすぐに答えてくれた。


「公園に行く前に、ここにちょっと寄っていたんだ。そのときに、ここに置いてきた」

「でも、賽銭箱の上にわざわざ置く必要はなかったんじゃないか」

「どこでもよかったんだ。ただ、目に付いたのがここだったから、仕方なく、な」

「誰かに盗られたりする心配はなかったの?」


「たとえ盗られたとしても、きっと大丈夫だ」と彼女は何かしら根拠があるのか、それともただ呑気なだけなのか、よくわからない調子で答えた。「この笛は、私の一部だ。どこに行こうが、どこにいるのかは勘でわかる」


「そういうものなのかな」

「そういうものなんだよ」

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