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15 再会、作業員、感傷(2)

 それからは母の体調が悪くなったり、妹が部活内でいじめられていることが発覚したりなどして、公園を訪ねることがどうしてもできなかった。どちらも僕にとっては重要な案件だったから、それを無視して自分のやりたいことをするわけにもいかなったのだ。母のいる病院におじさんたちと行って、そのつらそうな様子を毎日心配したり、いじめられている妹と、妹をいじめている女の子とが和解するのをじっと見守ったりしていた(二人は家族・親族立ち会いの下で話し合いが行なわれ、表面上はどうにか解消することができた)。そうしているうちに三週間以上が経ってしまった。大学では期末試験が実施された。それから長い夏休み期間に入った。僕は大学の図書館から十五冊の本を借りてきた。


 ようやくすべてが落ち着いたのは八月二十七日だった。家族間のごたごたが大体片付いて、僕は久方ぶりに自由になることができた。霞を探しに公園に行ったのが何だか半年前のように思える。それくらいめまぐるしく、濃密な日々だった。


 その間ずっと、解放感のある田園風景や神社の石段や公園の静けさを考えていた。おかげですぐにでも坊毛町に行きたいという思いが一日ごとに高まり、今ではもう破裂寸前にまで膨らんでいた。あと一日束縛されていれば、次の日には何もかもを無視してそこに駆けつけていたに違いない。決して口には出さないが、やはり僕の心を一番支配していたのは、母や妹のことなどではなく、東堂霞と笛の音だったのだ。そこに気ままな神様も入れてもいいかもしれない。僕の望んでいることは、僕から遠く離れたところにある。あたかも行ったことのないところに理想郷の存在を見出すように。


 朝、食事を済ませると僕はすぐに家を出た。まともな準備などしていない。お金も、これくらいあれば大丈夫だろうというくらいしか持っていかない。他に手元にあるのは一冊のメモ帳と、ボールペンと、携帯電話だけだ。僕の一部としていつもそばにいるはずの小説すら置いてきてしまった。急いで準備をしたから、つい失念していたのだ。だがこれで良かった気もする。本が近くにあるだけで、何だか今考えていることを全部どこかに置き去りにしてしまいそうな予感がしていたからだ。本という特別な世界に入りこんでしまうと、田舎について切望している自分が失われ、同時に東堂霞などについての思いも消え去ってしまいそうだった。自分でも何を言っているのかわからなくなってきたが、そういうことだ。今は本という幻想世界ではなく、東堂霞という現実世界に集中したかったのだ。


 電車の中では外の景色ばかりを眺めていた。本がないので何となく不安になるが、さすがに夏休みだけあって、車内は込み合い、話し声がドラムのように響いている。旅行をするのか、キャリーバックを持った何人かの若者が固まって大声でしゃべっていた。僕はそのちょうど横に立っていたため、うるさくて仕方がなかった。彼らは途中でにぎやかなまま降りていったが、彼らの声はそのあともしばらく頭の中に残っていた。


 今日はそれほど気温は上がらないみたいだった。天気予報では十月上旬並みの気温になるだろうと言っていた。確かに、今日は微かな秋模様が感じられる。田園地帯ではアカトンボの姿が見受けられた。稲穂はもうだいぶ実ってきており、小麦色に煌めいていた。風が涼しいため、汗もさほどかかずに済んだ。


 深田公園の手前の道で、僕は立ちどまってしまった。僕の知っている公園の雰囲気とは明らかに違っていたからだ。こんなところにはほとんど人が集まらないというのに、この日はずいぶんとたくさんの車が停まっていた。しかもどれも、多くの人を乗せるようなワゴン車だ。公園の入口には、灰と緑の混じったような色の作業服を着た男たちが、整列をして立っていた。それに向き合うようにして、一人の私服の男も立っていた。彼は草むらの影から獲物をじっと待つ、チーターのような視線を作業員たちに向けていた。


 いったい何が行なわれるのだろうと気になって仕方がなかったが、彼らに話しかける勇気もなかったので、そこから少し離れたところで待機することにした。彼らのざわざわした声は、僕のところに届く前に空気に溶けていった。何が話されているのか一向明確にならないし、たとえ聞こえたとしても、それでこの状況が全て了解できるとも限らない。帰ろうとも一瞬思ったが、それにしては足は動こうとしない。僕は今までに感じたことのない気持ちを抱えたまま、その場で立ち尽くしていた。そのうちに私服の男が作業員たちを黙らせたようだった。そして彼らに演説するようにして話しかけた。その声はわずかながらこちらにも届いた。


「えー、では、あとのことはよろしくお願いします。後日別の者がここを担当することになると思いますので、詳しくはその者に訊ねてください。ほぼ計画通り事は進むと思いますが、思わぬ変更ももしかしたら起こると思いますので、そのときは彼の指示に従うようにしてください。今日のところは以上です。不明な点があったら私が訊いておきますので、このあとに個別に携帯等で質問をするようお願いします。では、それぞれ定められた規定に沿って見回りを行ない、それが終わり次第解散という形にしたいと思います。では……」


 私服の男は一礼して、作業員たちのもとを去った。そして近くに停めてあった白いスバルの軽自動車に乗って走り去った。あとに残された男たちは、何言か囁きあってから、急に打ち解けた雰囲気になり、どやどやと公園内に入って行った。僕はその様子を逐一観察してから、同じように公園に入った。


 男たちは僕が来たことに気づいてはいるものの、特に話しかけてはこなかった。彼らは三人組を作って、それぞれ公園内に散らばり、木に印をつけたりしている。作業は緩やかで、雑談をしながらわいわいやっているようだ。僕もそこに加わって雑談に参加したくなるくらいだった。ある三人組は、祠のある公園の奥まで行った。彼らはしばらく戻らず、僕を焦らせた。何だか僕だけがぽつんと取り残されてしまったみたいだ。学校の教室で、みんなが誰かしらとグループを作って話をしているのに、僕一人だけがそれに加わることができず孤立してしまったような、そんな気分だった。


 いろいろなことが不明のまま、僕はひとまず公園を出た。木々によって遮られていた陽射しはその瞬間に僕を捉えた。だが今日はまったく暑くはない。むしろ公園の中にいるときは、涼しいというよりも寒いと感じたくらいだ。男たちが長袖で厚ぼったい服を着ていたのも納得できる。


 公園を抜けて辺りを見回すと、女の子が一人立っていた。それは東堂霞だった。彼女は木に囲まれた公園を、脇道からさみしそうに見つめている。両手は胸のあたりでぎゅっと握られている。寒いというより、つらいといった感情を表しているようでもある。その光景は胸打たれるものだった。彼女が醸し出すさみしさは、決して表面上のものではなく、まさに自分の思っているものを全部さらけ出しているかのような強烈なものだった。その青い感情は僕にも伝わってきた。彼女がどういう心情で公園を見ているのか、僕にもある程度理解できるような気がした。


「おはよう」と僕は声をかけた。霞は亡霊のようにゆっくりとこちらを向いた。初め、僕が誰なのかがうまく理解できないみたいだったが、やがて「ああ」と言った。


「ずいぶんと久しぶりだな。今まで何をやっていたのだ」


 僕はやむを得ぬ事情があって長期間ここに来ることができなかったんだと説明した。そのことについて、いくらかオーバーぎみに謝ったりもした。だが彼女はさほどこの問題については関心がないみたいだった。思っていたよりも彼女は僕のことなんかに注意を払っていなかったのだ。それがわかって安心もしたけれど、同時に悲しくなった。


「ところで……公園で何かが始まろうとしているようだけれど」


「そうなのだ」と霞は僕に詰め寄った。「何かが始まろうとしている。でも、何が始まるのかはよくわからない。父にも訊いてはみたのだが、一向に要領を得ない。怪しげな計画が着々と進んでいるようで、恐いのだ」


「いろいろ見回っていたし、祠にも何かしらの用があるみたいだったね」

「お前はその意味がわかるか?」

「いいや……大体の予想はつくけれど、まだわからない」


 すると霞は黙ってしまった。三十秒ほどの空白のあとで彼女は言った。


「場所を変えて話さないか? ここだと落ち着いて話ができないのだ。近くに福満神社という場所があるから、そこまで行ってみよう」


 僕はうなずいた。

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