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14 再会、作業員、感傷(1)

 思い出を辿っていくうちに福満神社にまた行きたくなったので、僕は進路を少し変更した。神社も公園も、方向としてはあまり変わらない。だから寄り道しても問題にはならない。


 右に曲がるところを左へと曲がる。それから真っ直ぐ続いている道をずっと歩く。途中で仲のいいスズメが地面まで下りてきて、脇道の雑草の中でぴょんぴょん跳ねていた。首をカクカクと動かして、その鋭い目で僕たちには捉えられない何かを探し求めている。二匹のうち、一匹はきびきびした動作ではなくてわりとのんびりしていた。人間が一人近づいているということにそいつは気がついていないようだった。もう一匹はこちらを警戒して、もう自由に飛び跳ねることをしなくなったというのに。そろりそろりと足を忍ばせて、スズメの近くを通り過ぎようとしたのだが、スズメはチュンチュン鳴きながら南の方に飛び立ってしまった。鋭い一匹が颯爽と飛びだすと、呑気な一匹がそれに続いた。二匹は交差しながら飛行し、やがて豆粒ほどの大きさになって消えた。


 気持ちが和やかになったところで、神社に着いた。石段を上る前に、僕は周りの景色を一望する。遠くの方では、山のふもとに小さな集落が形成されているようだった。そこを起点として、周辺に点々と家が建っている。その多くは伝統的な日本家屋だった。どれも庭が広く、家は灰色の塀に囲まれている。おそらくどの家にも犬がいるのだろう。犬の狂ったような鳴き声が、あっちからもこっちからもよく聞こえたからだ。よりたくましくて立派な血筋の犬を飼うということが、ここの人間のステータスであるのかもしれなかった。実態はどうなのかは僕にはわからないのだけれど。


 石段を慎重に上る。おおよそ一年ぶりだ。それにこれが二回目の訪問ということになる。記憶にある通り、段差の傾斜はきつかった。十全に気をつけていないと転げ落ちてしまう、というほどのひどいレベルではないにしても、上りきるころにはへとへとになっていた。ここに毎日来ていれば足腰が昔の洗濯女みたいに丈夫になるだろう。僕は自分が腰の太くなった姿を想像してみた。それなりにさまになっているようでもあったが、あまりに幅を取りすぎて、電車の中で周りの人たちに苦労をかけそうだった。鍛えるのはほどほどにした方がよさそうだ。


 もしかしたら、あの神様が僕を待っていてくれるのではないかと淡い期待を描いていたが、もちろんそんなロマンティックな展開にはならなかった。境内では数人の歳をとった人たちがあてもなくさ迷い歩いていた。しばらく彼らの動向を眺めていたが、どうやらただの散歩らしかった。ここには多くの木々が立ち並び、いろんな色の花が咲いている。散歩にはもってこいの場所だ。ここまで上るにしても、裏の道を使えば済むことなのだから。そうまでしてくる価値は確かにありそうだった。僕が一人の老人に挨拶をすると、向こうは驚いたように目を丸くしてからお辞儀を返した。きっと何もないこんなところに若者が訪れることが珍しいのだ。きちんと挨拶を返してくれるあたり、拒絶はされていないらしい。迷惑さえかけなければ、誰であってもここでは歓迎されるようだった。


 賽銭箱に十円玉を投げ入れて、鈴を鳴らす。目をつぶって、取り留めのない祈りに耽る。あの神様は今も元気でいるだろうか? 人間に愛想を尽かすことなく、僕たちを見守ってくれているだろうか? そこで僕はあることに気がついた。僕は、あの女性にもう一度会うことを望んでいるのだ。会ってどうするとか、そういう話ではない。ただ、叶うなら、あと一度だけでもいいから、彼女の隣に座りたかったのだ。そして二人で、人間と神による摩訶不思議な対談を始めるのだ。あれ以来、僕はだいぶ様変わりした。これほどたくさんの本を読ませてくれて、人生の見方みたいなものを変えてくれたのは間違いなく彼女なのだ。そのお礼もぜひ言っておきたかった。


 けど、望めば望むほど、彼女に会える可能性が少なくなっていく気がした。彼女自身も言っていたとおり、神様というのは気まぐれなのだ。そして気まぐれな人は、往々にして他人の期待を避けたがる(人間のそういう特徴が果たして神様にも当てはまるのかどうかは疑問だけれど)。一年前のあの夜のことは、何百年に一度しか起こらないような貴重な流星群みたいなものだったのだ。どれだけ切望しようが、人間の力ではどうにもならない。期待するのをあきらめて、それが起こる瞬間をじっと待たなければならない。それが来るのを今か今かと待ちつづける思いが強いほど、それまでの時間がとても長く感じられてしまう。そうならないように、一つのことに囚われないことが肝要なのだ。それでも僕は、もしかしたら……という思いを込めて神に願った。そして最後に一礼をして、神社をあとにした。


 段差を下りて、鳥居をくぐろうとしたとき、どこかから鳥の悲痛な叫び声が聞こえた。




 それからは深田公園に向けて一直線に歩いた。だが目的地に辿り着き、公園に誰もいないのを確認してしまうと、僕はすぐにでも帰りたくなった。せっかくここまで来たというのに、僕の望んでいるようなものは何一つとして手に入らないのだ。自分勝手な理屈ではあるが、それでも胸の中にぼんやり浮かぶ苛立ちを無視することはできなかった。


 結局僕は帰らなかった。むしろ絶対に帰るものかと思った。霞には大きな迷惑をかけてしまった。彼女にはすぐに謝らなければならない。彼女がここに来るまで、僕はここを離れるものか。そう決意して、どっかりとベンチに腰かけた。以前はここで、公園の中央に立つ霞を見つめたのだ。そして彼女が優雅に笛を吹いているのを放心状態で眺めたものだ。僕にはその思い出がひどく懐かしく思えた。そしてそんな女の子をふいにしてしまった自分自身に、とんでもない罰を与えたくなった。ここに来ようと思えば、すぐに来ることができたのだ。だが僕はそれをしなかった。環境に甘えて、おじさんの家でのんびりと暮らしてしまった。彼女はきっと怒っているだろう。もしかしたらもうここには来ないのかもしれない。あるいは、彼女はそれほど怒っていないのかもしれない。僕が公園に来ることは、初めからまったく期待していなかったのかもしれない。どちらにしたって、彼女のそういうところを想像するのは心が痛い。彼女が本当に考えていることを知るために、そして三週間も約束を引き延ばしにしていたことを謝るために、どうしても彼女と会う必要がある。思っていた以上に、僕は彼女に惹かれているようだ。あの神様と同等か、それ以上に。


 一時間待っても彼女は来なかった。それから時は魔法みたいに過ぎていき、あっという間に四時間が経過した。彼女は来なかった。


 考えてみればそれはたいして不思議なことではない。彼女が毎日ここに来ているということを仮定すること自体がおかしな話なのだ。彼女にだってさまざまな用事がある。今日は一日中、友人とどこかに出かけている可能性だって少なくはないのだ。それか今頃は、忙しいと言っていた父の仕事を一生懸命手伝っているのかもしれない。僕がずっとここに来られなかった以上、彼女の不在に文句を言える立場ではなかった。何も言わずにただ待つことしかできないのだ。


 夕焼けが見え出して、ついに日が暮れてしまってから、僕は重い腰を上げた。一日の活動時間のおおよそ半分をベンチに座って過ごしたことになる。しかし僕は虚無感とか脱力感はまったく感じなかった。彼女が訪ねてこなかったことで、より一層彼女と再会したいという思いが強くなった。明日は月曜日で、期末試験は午前中に行なわれる。だったら午後にここに来てしまおう。公園内で本を読めば、読書時間を削らなくて済む。今後の予定を次々に立てていくうちに、僕の中で闘志が燃え上がっていくようだった。


 帰り道、完全に真っ暗になってしまった道を歩いているときに考えたことがある。僕は果たして彼女に会いたがっているのか、それとも彼女の吹く笛の音に会いたがってるのか、ということだ。どちらも僕にとって大切なものになりつつあるのだが、一方のことについて考えていると、もう一方が、まるでだまし絵みたいにして消えてしまうのだ。二つ同時に考えようとすると、必ずどちらか一方が見えなくなる。東堂霞と笛の音は一体のものではなくて、互いに独立した個別的なものらしかったのだ。それは奇妙な話だった。彼女についての思い出と笛の音についての思い出が別々になっているのに気がついてしまうと、恐怖にも似た感情が芽生えてきた。二つのものが相容れないもの同士だと僕が勝手に思い込んでいる可能性もなくはない。しかし、もしそうだとしても、この違和感を自分だけの力で払拭することはどうやらできなさそうだった。


 彼女の話す声。凛とした笛の音。写真。


 どうやら長時間じっとしていたせいで、頭がおかしくなっているらしかった。どうしてここで、写真のことが頭に思い浮かぶのだ。僕の家族が写った写真と、東堂霞という女の子とは何の関係もないはずだ。それがどうして、さも関連性のある項目同士みたいに連結しているのだろう。どう考えても変だ。


 この一日で様々なものを失ったような思いだった。本来日曜日というのは英気を養わなければならないはずなのに、逆に大いに消耗した気分だ。明日からきちんと大学に行けるかどうか心配だった。これがトラウマにならなければいいのだけれど。

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