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13 祭り、福満神社、神様(2)

 神殿の裏は、他よりも闇の濃い場所だった。携帯の光もここではあまり機能してくれなかった。あまりに暗いために、光がその闇に呑みこまれてしまうのだ。僕は手探りで進んでいった。ちょうど何かの手すりがあったので、それにつかまって歩いていった。どこまで続いているのかわからないまま、ひたすらに。階段を下りているような感覚があったので、今僕が歩いているのは、神社の裏道なのだなと見当をつけた。ここが実は、後日耳にした、のぼりが楽な道だったのだ。だが明かりのないこの道を行くのは一苦労だった。これなら正面の道を苦労して行く方がましだ。周囲は真っ暗で何も見えない。ただ足元だけをかぼそい光で照らしながら、慎重に下りていった。ちょっとした音でも震え上がるような状況ではあったが、周囲には何の音もしなかった。


 しばらく進んでいくうちに、何かの音が聞こえてきた。どうやらそれは人の声であるらしかった。それも泣いている声だ。音は歩くごとに明瞭になっていった。ますます大きくなる泣き声に僕は恐怖ではなく憐れみの感情を抱いた。もしかすると、僕のように理不尽にここに連れてこられた人なのかもしれない。それで彷徨っているうちに暗い場所に来てしまい、思わず泣き出してしまったのだ。僕は最初、そう思っていた。けれども、音の聞こえる場所に着いてみると、その予想がまったくの的外れだということがわかった。


 泣いていたのは女性だった。こちらに背を向けて、段差に腰かけていた。暗くて何も見えない状態であっても、彼女の姿だけははっきりと認識できた。彼女はまるで、天使のように光っていたからだ。ローブのような衣服に身を包み、身体中から薄ぼんやりとした光を発している。髪は黒く、触手のように長い。その髪に隠れていて、彼女の表情はよく見えなかった。


 僕は声をかけようとした。だが、そうする前に、突然泣き声は止んでしまった。その女性はいきなり立ちあがってこちらを見た。


「どう? 泣き真似、うまかったかしら?」


 そのときの表情は、たとえすべての記憶を失ったとしても、ずっと憶えていられるに違いない。彼女の顔は、すごく生き生きとしていた。満面の笑みを浮かべ、目は勢いよく見開かれている。騙されて、呆気にとられている僕を嘲笑う、悪質な顔だ。その時点で僕の中にあった憐れみの感情は吹き飛んだ。あとに残ったのは、どうしてこんなところまで来て、こんな光る女の泣き真似に付き合わされなければならないのだという怒りだけだった。


「あなたならここまで来てくれると思っていたわ」と女性は言った。彼女の顔は、もうこちらを馬鹿にしてはいなかった。


 僕は彼女の表情と、その話しぶりに気になるところがあったので、ちょっと気分を落ち着かせた。「それはいったい、どういう意味ですか」


「どういう意味もないわよ。単に、ここまで来られるくらいあなたは勇敢だって私が確信していたってだけの話」


 僕は黙っていた。僕は彼女のことを知らないが、彼女は僕のことをどうやら知っているようだった。「あなたは誰ですか」と考えるよりも先に言葉が出た。


「ふふ。知りたい?」

「別に、無理に訊こうとは思いませんが」

「じゃあ、教えないでおこうかなー」


 女性は余裕の態度だ。彼女の身体をよく観察してみれば、彼女が僕より年上なのだということは自ずとわかってくる。声の調子は若干若いようなので、二十代後半あたりだろうと僕は見当をつけた。この決めつけはそれなりに的を得ているようにも思えたし、まったくの的外れにも思えた。


「じゃあ、真剣に頼みます。あなたのことを教えてください」

「そこまで言われると、ちょっと悩むなー」


 女性は光る体をもぞもぞと動かしていた。ときたまちらりと僕の目を覗くところが、何だか気に食わない。黒い髪は、体の動きと連動してさらさらと流れていた。しばらくその動作を続けたあと、彼女は動きを止めた。そして、片目をつぶり、右腕を自分の胸に持っていった。


「信じるか信じないかはあなたの勝手だけどね。私は、この土地を代々守ってきたありがたい神様なの」


 そう言われて、すぐに反応できるわけがない。だが別段驚きもしない。あるいは僕の無意識下に、彼女が神様なのではないかという疑いに似た確信が潜んでいたのかもしれなかった。


 僕はさらに質問を続ける。「あなたは何だか、僕のことをかなり知っているように感じますが」


「そりゃあね。私はあなたが小さい頃のことだって知っているんだから」

「それ、本当の話なんですか」

「本当に決まっているでしょ。神様は何だって知っているんだから。あなただけじゃない、あなたの妹のこととか、お母さんのこととかもみーんな知っている。どこで生まれて、どんな風に育って、今はどういった生活をしているのか。他の人たちにしても同じ。私にわからないことなんてないのよ。自慢するわけじゃないんだけどね」

「失礼ですが、あなたは一体何年生きて……」

「はあっ?」


 女性の目つきが急に悪くなった。大きくなったり縮んだり、忙しい目だった。僕はその質問をしたことを忘れることにした。


「あなたが神様だってことは信じます。でも、神様がこんなところで一体何をやっているんですか。どうして僕を、こんなところに連れてきたんですか」


「神様はね、気まぐれなのよ」と女性はいたずらっぽく言った。先ほどの怒りは忘れてしまったみたいだった。「気分の良いときは豊作を約束するし、気分の悪いときは雨を降らせないで作物を駄目にしてしまう。大火事を起こすこともあれば、たった一人の幼子の命を救うことだってある。それと同じ感覚で、あなたをここに招いたの。

 ここはいわば、私の世界。神様の世界。ここからだと世界はこんな風に見えるのよ。人間の姿なんてどこにも見えない。見えるのは、彼らの魂だけ。あなたにはそんなものは見えないだろうけれど、私には、ここ一帯をうろついているいくつもの魂を目にすることができる。肉体は全然見えないにしてもね」


「僕にそれを伝えるために、わざわざ招いてくださったんですか」

「まさか。ただの気まぐれよ。あなたはどうしてか、私の気を惹いたの。このまま放っておけないと思ったのかしら? 自分でもわからないけれど。でも、とにかくあなたは私にこうしてじきじきに呼ばれることになった。これは光栄なことなのよ? もっと喜びなさいな」


 そう言われても、どう喜んでいいのかがはっきりしなかった。飛びあがって思い切り叫べばよかったのだろうか? それとも、女性に「ありがとう!」と言いながら抱擁したりすればよかったのだろうか? 彼女が僕の何に期待しているのかが不明だったから、とりあえず「そうですね」とそっけなく返しておいた。


「何よ、その喜び方! 私は残念だわ。これまで何人かの人間を、あなたのようにここまで連れてきたけれど、少なくとも感謝の言葉はくれたわよ。なのにあなたときたら、そんな言葉一つ知らないのね」

「すみません。もともとそういう人間なので」

「まったく」


 僕たちは自然と隣り合わせになって段差に座った。女性の顔は僕のすぐ近くにあった。僕たちはしばらく何も話さず、互いの目を見つめ合っていた。そのとき、僕は自分でも知らないうちに、彼女に対して魅力を感じていたらしかった。十秒ほど眺めつづけていたのだと思う。そのあとはっと意識を取り戻し、ちょっと恥ずかしい気持ちで彼女の顔から目をそらした。それからちらりと彼女の顔をもう一度覗いたのだが、彼女はこちらからまだ目を離さず、こちらを愛おしそうに見ていた。


「……もちろん、あなたには何の特別な能力もないし、誰かを救えるほどの力はないわ」と女性はしばしの沈黙のあとで言った。僕は若干のショックを受けた。


「そんな言い方はないんじゃないですか。 一応、あなたも神様でしょう」

「だって、本当のことじゃない。あなたごときの人間が、正義のために活躍するスーパーヒーローになれると思って?」

「それはもちろん、憧れはしますがなれるとは思いませんよ……」

「それじゃあ納得してくれるわよね? あなたには何の力もない。何もできないのよ」


 確かに、一部は真実だろうが、それでも苛立ちを抑えることができなかった。神様がこんなに酷薄な女だということに僕は少なからず絶望していた。こんな神に今まで守られていたのかと思うと虫唾の走る思いだ。


「言っておくけれど、あなたの考えていることはすべてお見通しだからね」


 僕は考えることを止めた。


「とにかく。あなたはそれを自覚しなければならないということよ。これまであなたは何でもできると思い込んでいた。何もしないくせに、いざとなったらあらゆることができるんだとうぬぼれていた。でも、そんなことは絶対にないってわかりなさい。想像だけで人を、世界を救えるなんてことはない。それには実体がなければならないの。想像を超えた何かが、そこに含まれていなければならないの。あなたはそれほど強く、想像力を働かせたことがある? たとえ嘘であっても、その嘘をまるで本当のことのように自分の中で立ち上げた経験はある?」


 僕は首を振った。


「そうでしょうね。あなたにはこれまで、真剣に何かを考えたことなんてないんだものね。お母さんの症状が発生したときにも、あなたは無感情でいられたほどだから。でも、これからはそういう自分から脱却しないといけない。いつか本当に大変なことが起こるの。そういうことが起こる前に心の準備を済ませておかないと、絶対に後悔することになる。私は神様だから、嘘を言うことはないわ。あなたの身には、近いうちに運命的なことが起こる。それにあなたがどう対処していくのかは管轄外だけれど、それに対する心構えを示すことはできる。用心してね。くれぐれも、自分を見失わないように」


「人間、そこまで強くはなれないと思いますけどね」と僕は言った。


「その言葉、私は……」女性はそこまで言ったあと、首を振って言葉をつぐんだ。「いいえ。すべてはあなたに任せるわ。どうなるのかを静かに観察するのも面白そうだしね」


「あなたが味方なのか敵なのかがわからなくなってきました」


「神というのはそういうものなのよ。言ったでしょ? 神様は気まぐれなのよ」女性はそう言ったあと、僕を抱きしめた。僕もそれにつられるままに彼女を抱きしめた。そのときに僕は、彼女の背中が思っていたよりも小さいことに気がついた。神様という言葉に惑わされていたのかもしれない。彼女は僕よりも背が一回り低いのだ。


「ありがとう」と女性は僕から離れて言った。「私は人間に加担しすぎているみたいね。おかげでこんなにも人間のことを好きになってしまった」


 僕は複雑な気持ちだった。


「あなたみたいな危なっかしい人を見ると、ああ、これからも守ってやらなくちゃなって思う。だから、たとえ他の神様が人間を見捨てるようなことがあっても、私は絶対に見捨てないから……安心してね?」


 わかりましたと僕は返事をした。そして、特にタイミングを合わせたわけではないのだが、僕たちは同時に立ちあがった。


「ここをずっと下っていけば、出口に辿り着くわ。また会う日が来るかはわからないけれど、それまで元気で」


「さようなら」と僕は言って、段差の緩やかな石段を下りていった。


 階段を下りきってしまうと、僕はいきなりすっきりした感覚に襲われた。どうしてこんな気持ちになるのだろうと自分を検討してみると、どうやら心の中を蹂躙していた何かが、すっかりなくなっていたようなのだ。つっかえがとれて、淀みがなくなったとも言える。そしてそれによって生じた空白の部分には、彼女と話したことが漏れなく入っていた。だがそれでも空白をすべて埋めるには少なすぎた。これはこれで気持ちが良いものだが、何とかして空白を埋めていきたいとこのときに誓った。それからは憑りつかれたように本を読むようになった。あれから一年ほど経っているけれど、未だに空白をすべて埋められてはいない。だからこれからも狂ったように本を読んでいくと思う。


 そのあとは体の浮遊感がなくなり、現実に戻ったのだという感覚になった。僕は急いで階段を上って、上で待っていた妹たちと再会した。母たちはいったい僕がどこに行っていたのかと質問をした。すごく心配したのよ、と母はそれこそ血相を変えていた。


「どこにも」と僕は思わずにやにやしながら言った。「ただ、ちょっと話をしていただけだよ」

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