11 田舎、想像、電車(2)
もうやることもなくなったので、僕は自分の部屋に行った。そこで疲れるまで本でも読んでいようと思っていた。ここに来て飽きるくらい読んできたが、まだまだ読み足りない。失われた時間を埋め合わせるには、まだ多くの努力が必要だった。
部屋で本のページを開いていると、扉がノックされた。僕が返事をすると、おばさんが入ってきた。両手で抱えた盆には数種類の和菓子が乗っている。
「この前、お客様にあげたものの残りなんだけどね。よかったら食べてちょうだいな」
「ありがとう、おばさん」
おばさんは持ち前の痛快な笑顔で部屋を出ていった。
菓子を食べながら本を読み進めていく。外からはセミの声が聞こえ始める。その声に耳を傾けていると、自分が夏という季節に心身が吸い込まれてしまいそうになる。自然と一体化して、季節が終わるまで現世を離れるのだ。僕は人間の体を失い、魂だけの存在になる。鳥の目を借りて、空から人々の様子を観察する。もしそういうことができたらどんなに楽しいだろうなと思った。この妄想はおそらく、おじさんから貸してもらった本に影響されたものだった。彼は哲学書だけでなくファンタジー小説も揃えており、有名どころからまったく聞いたことのないものまで、ありとあらゆる幻想小説が本棚に並んでいた。少年時代はそういう本を読んで成長したのだろう。僕はそれを何冊か読んで、子供時代のぶっきらぼうな自分を思い返していたのだ。難しいものばかりではなく、たまにはそういった夢のあるものを読むのも心の滋養になって良いなと実感していた。
本を置いて想像の世界に耽る。すると過去のいろんな出来事が頭の中を自由に飛行する。
そこで僕は、東堂霞のことを思いだした。なぜだかわからないが、今まで彼女の存在をすっかり忘れてしまっていたのだ。彼女は今、何をしているだろう? そういえば、と僕は思った。もう一度会うという約束を彼女としていたじゃないか。母のトラブルがあって、それに気を取られている間にその約束を反故にしていた。僕はすぐに彼女に会いたくなった。絶対に怒っているだろうから、ちゃんと謝るのだ。あるいは、僕に愛想を尽かせて、もうあの公園には二度と来ないのかもしれない。あれからもう三週間が経過しているのだ。僕がもうあそこには来ないとわかったら、彼女はいさぎよく僕のことなど忘れるだろう。彼女には彼女の人生があるのだから。
でも、約束を頑なに信じて、今でもあそこをたびたび訪れているのかもしれないと思うと、心がじくじくと痛みだした。今すぐにでも彼女のところに行きたかった。でないと僕は、今日という日を無為のままに過ごしてしまいそうな気がする。思い立ったらすぐ行動をするべきだ。
しかし、どういう心の働きかは知らないが、どうしても公園に行こうという気にはなれなかった。いざ行こうと決意すると、足がすくんでしまうのだ。これはどういうことだろう? 公園に行ってはいけないと、別の僕が訴えているのか? それは何の理由があってのことだ? 一方では霞に今すぐ会いたいと願い、一方では公園には行きたくないと訴えかけてくる。両者のせめぎ合いで体が真っ二つに引き裂かれそうだった。どちらに従えばいいのか、だんだんわからなくなってきた。
十分間、悩んだ。部屋の中をうろうろして、自分の中で起こっていることを見極めようとした。自分がどういった選択をすればいいのかを検討していると、自分が現実から妙に浮遊しているような感覚になった。その間、脳内ではずっと、霞の演奏してくれた二つの曲が、交錯するように共鳴して流れていた。二つが混ざり合い、別の曲に変化していくみたいだった。それは決して出来の良いものではなかったが、不思議と僕の気を惹いた。そして、最終的に、ぜひとも霞に会いに行きたいと決断した。
初めからこの結果は必然的なものだったのだ。ただ、こちらから約束を破ってしまったから、それに引け目を感じていたのだろう。だから公園にあまり行きたくないと、心のどこかで思っていたのかもしれない。彼女に嫌な顔をされたり、彼女がもう公園には来ないのだと悟ったりするのが恐かったのだ。現実に正面から向き合わなくてはならない。自分の行動に責任を持たなくてはならない。
おじさんとおばさんに、これから出かけるということを伝えた。それから数分後にはすぐ家を出ていた。門を抜ける前、妹が僕のところまで来て、心配そうな表情を浮かべた。どうしてそんな顔をするのかはわからなかった。僕が危険な場所にでも行こうとしていると勘違いしていたのだろうか? 僕は妹に、すぐ戻るさ、と声をかけて、近くのバス停まで駆けていった。すぐ戻れるはずがないことはわかっているのだが、そうでもしないと妹までついてきそうだったので、これは許される嘘だろう。
バスの本数は少ないため、待ちぼうけをくらうことになった。バスは二十分後にようやく来た。乗客はそれなりに多い。その九割は老人だった。彼らは数人で固まり、謎めいた発音で謎めいた会話をやり取りしていた。けっこう盛り上がっているみたいで、ときどき大きな笑い声が聞こえた。歯の悪い人に典型的な、内側にこもった仰々しい笑いだった。
終点の餡味駅まで乗りつづけていた老人はほとんどいなかった。彼らはだいたい途中のバス停で降りていった。残ったのは僕を含めて三人だった。彼ら全員に共通しているのは、バスに乗る際に仲間をつれていなかったということだった。仲間と一緒に乗っていた人たちはみんな途中で姿を消していった。人数が減るごとに笑い声は少なくなり、駅に着く頃には息苦しい沈黙が車内を満たしていた。
駅で切符を買い、電車を待つ。ここでも再び長い時間を待たなくてはならなかった。時刻表を見ると、次の電車は四十分後だった。どうやら、僕が駅に着いた直後に電車は発車したらしい。本当なら、バスを降りて、そのまま時間をおかずに電車に乗れるようなタイムスケジュールになっていたのだろう。だが、途中で降りていった老人たちがあまりにもたもたしていたので、予定が狂ってしまったのだ。運転手にしても、僕が降りるときにちらりと見てみたのだが、明らかにのんきそうな六十歳くらいの男だった。停車している間、運転手は鼻歌を歌ってみんなが降りるのを待っていた。安全運転をしてくれるのは悪いことではないのだが、もう少し急いでほしかった。
餡味駅は小さな木造の駅で、ちょっと強い風でも吹けば屋根が吹き飛ばされてしまいそうなほど、ぼろかった。中は薄暗くて、幽霊屋敷みたいな趣がある。二十一世紀になってもまだ古風な造りを保っているのは素直に感心してしまう。だが、この駅もいつかは取り壊されたりするのだろうか。近代化の波にのまれて、鉄筋コンクリートへと姿を変えてしまうのだろうか。強度を考えたらそうしなければならないのだろうが、しかしそうなることを想像するのはつらいものだった。
あちこち観察していると時間は案外あっけなく過ぎていき、電車はわりかしすぐにやって来た。乗り遅れたら大変なので(その次は三十三分後だ)、僕は急いで改札を抜けて、電車に乗り込んだ。休日だけあって混んではいたが、都会の通勤ラッシュ時に比べたらまるで問題にならなかった。
最初の電車には二十分ほど乗った。それから乗り換えをして、さらに二十分ほど電車内で揺れていた。車内で見かける人の数はだんだんと多くなっていった。人々のざわざわという声がよく目立つようになった。休日はやはり仲間連れが大半を占めている。早く霞に会いたいとそのときに強く思った。
降車口の前に立って、外の景色をじっと観察していた。途中、乗り換えをした駅で外の様子を見てみると、二車線道路の両側に、大なり小なりの建物が並べられているのがわかった。酔った人間が、何でもいいから配置を決めてくれと頼まれたら、きっと同じようになるだろう。それくらい、雑多だった。これならば東京の方がよほど洗練されて見えるくらいだった。
鵡白駅で降りると、僕は辺りを見回した。すぐに帰ってきたなという思いに襲われる。都会と田舎の、中間に位置するような人たちばかりだ。都会の雰囲気をどうにか纏いたいがために、無理をしているようなぎこちない動き。久しぶりにこの町に来たため、死ぬほど懐かしかった。出口に辿り着くまで、すれ違う人たちはみな僕の顔を一瞥していった。そのお返しとして、僕もいちいちすれ違う人たちの顔を睨んでいった。
出口を抜けて、西に向かって歩く。駅から南に十分ほど歩けば、もう自宅に辿り着く。だが今回は自宅に戻るつもりはまったくない。僕が目指すのは坊毛町、そしてそこにある深田公園だけだ。
坊毛町には今でも電車が通っていない。何もないし、人々もそんなものを求めたりしないから、線路が敷かれるという話すら聞いたことがない。興味本位であの町を訊ねる人なんてほとんどいないのだ。それに地元同士の繋がりも強固で、よそ者が入ってくることをあまり歓迎しない。こっちは勝手に生きているのだから、これ以上新しいものを持ち込まないでおくれ、と人々は体で語っているようだった。坊毛町はそういうところなのだ。
都会と田舎の境界線ははっきりしていないが、歩くうちに空気が変わったということに気がつく。まだ完全には移行していないが、派手な格好をした若者の姿が少なくなってきている。大きな建物も減っていき、道路が狭くなる。もう少し進んでいけば、やがては雄大な田園風景が姿を見せてくれることだろう。
歩いているうちに汗をかいてきた。今日も暑い日だ。季節は夏本番で、気温はまだまだ上昇している。大学は試験期間に入っているため、授業はからっぽだった。そして試験が終わってしまえば、大学生の特権である大規模な夏休みが始まる。僕はハンカチで汗を拭きながら、夏休みの過ごし方について思いを巡らせた。その期間にいったいどれだけの本を読むことができるのだろう? 休みなく読書を続けていれば、三、四十冊は読めるに違いない。それほどたくさんの知識を蓄えることができるというのはまさに夢のようだった。去年はだらけてしまって何もすることができなかったが、今度の夏はきっと充実した日々を送ってやろうと思っていた。
目的地の公園に辿り着くまで僕は、去年の夏のことを考えていた。




