第3話 古代人
第3話 古代人
太陽の光に照らされ、海原が煌めいている。空が翡翠色のせいだろうか。その光景は幻惑的だ。全てが夢の中のような景色。否応なく、ジークは感じていた。
ここは自分の知る時代ではない、と。
360度全てを海に囲まれているからだろうか。文字通り右も左も分からないジークは、じくじくとした孤独感に包まれていた。
「目が覚めたらすげー未来でしたとか……マジでやめてくれって話だな……」
デッキで黄昏れつつ、はあ、とため息。途方に暮れるとはまさにこのことだった。
(つーか、なんで俺、冷凍睡眠ポッドになんて入ってたんだ?)
ゼロによれば、どうやらジークが目覚めたカプセルは冷凍睡眠用の機械らしかった。不治の病に罹った者が、治療法を未来に託すための仮初めの棺。
とはいえ、冷凍睡眠になるような心当たりはジークには無かった。身体に異常もない。自覚がないだけかもしれないが、とりあえずは健康だ。病気を患っていたという覚えもない。というか、昨日まで普通の学生生活を送っていたはずだ。
なのに、それが――とんでもない未来。
しかも知らない間に『空母』の所有者になっていて、戦闘機少女から『艦長』と呼ばれるときた。
ため息の一つも出るというものだ。自棄になっていないだけマシだろう。
ちなみに件の戦闘機少女はというと……
「あ、艦長~! この装甲板の間のところ、もふもふしててすごく美味しいですよ~!」
「……とりあえずあんまり拾い食いするなよ」
「大丈夫です! デザートは別腹ですから!」
「……そう言う意味じゃねえ」
すぐ側で甲板の欠片を拾っては、モフモフとかじっていた。気の抜ける光景だった。
「あ、艦長も食べますか? ご飯はみんなで食べた方が美味しいんですよ!」
「……食えるか」
「もう、好き嫌いはメッですよ!」
仕方ないですねえ、と首を振るゼロ。
「違うわ! そもそも俺は人間なんだよ! 甲板なんて食えるか!」
「え? 古代人ってラグナダイト食べないんですか?」
「古代人だろうと未来人だろうと、金属なんて食えるか! というか、そもそも何なんだよ、ラグナダイトって?」
「古代人なのに知らないんですか? ラグナダイト・テクノロジーって艦長たちの居た『古代遺失文明世界』で創られたんですよね?」
「残念だけどな、俺の暮らしてた西暦21世紀には、そんな技術は無かったんだよ」
少なくとも、ジークの知る限り『ラグナダイト』なんて単語は聞いたこともなかった。
「ラグナダイトって言うのは、『自律崩壊素粒子』のことですね。私も詳しくは知らないんですけど、特定のスピンを与えることで、他の元素そっくりに擬態化するんです。私の機体もこの空母も、全部擬態化させたラグナダイトで出来てるんですよ」
「は? じゃあ、今までゼロが食ってた金属って、金属じゃないのか?」
「全部擬態化したラグナダイトですね。中和弾頭の応用で、口に入れることで擬態固定をしているアルタートラップを中和して、元の純粋なラグナダイトにしてるんです。ラグナダイトは私の動力源でもありますから」
「そ、そうか……」
よく分からないが、トンデモ・サイエンスということだけは間違いなかった。
「とりあえず、そのラグナダイトって奴がゼロの身体を作ったり、エネルギー源になってるってことは分かった」
「はい! ラグナダイトはとっても大切な燃料ですから!」
「ごはん、か」
そこでジークは、今まで忘れていたことを思い出した。
空腹だ。
途方に暮れていようが何であろうが、腹は空く。当然だ。食べなければ生きてゆけない。それが人間だ。
なのだが――この空母に、ジークの食べられそうなものは何一つなかった。
ぐぅ、と思い出したかのように腹の虫が鳴き出した。
「やべえ……腹減った……」
「あ、だったらラグナダイトを……」
「だから食えるか!」
先回りして、ジークはゼロの言葉を遮った。
「何はともかく、食い物だけでもどうしかしないと飢え死にだな……」
自分の置かれた状況など、いろいろと疑問はある。しかしそれ以前に、まずは生き延びることを考えねばならなかった。衣食住のうち、衣と住は良いだろう。衣については艦内に着れそうな服があったし、住に至っては空母だなんて立派――もっとも幽霊船並にボロボロだが――な住処がある。理由は不明だが、所有者は自分だ。好き勝手にして良いだろう。
しかし問題は食料だった。飲み水は最悪、海水を蒸留すれば良い。しかし食べ物は確保しないとならなかった。
「こんな大海原のど真ん中で魚が釣れるかもわかんねえしな……」
とにかく人のいるところに行くしかない。ジークはそうつぶやいた。
が――
「あ、でもこの船、動かないですよ?」
「…………」
ほわっつ?
「動か、ない……?」
「はい。航行システムとか、全部消し飛んじゃってるみたいですし、第一、燃料用のラグナダイト・タンクが空っぽですから。非常用タンクもさっきの出撃の時に使い果たしちゃいましたし」
あはは、と脳天気に笑うゼロ。対してジークはと言うと、
「……もう、やだ」
真っ白に燃え尽きていた。
◆ ◇ ◆
ジークが真っ白になっていた、その頃。
幽霊船のような空母を、一機の戦闘機が上空から見下ろしていた。高々度。静音飛行。レシプロ機だ。単発のプロペラ機。ずんぐりとしたシルエットだ。
「――見つけた。おっきい船」
抑揚のない、けれど舌っ足らずな声。
「――そっちでも見えてる、お兄?」
『もっちろん見えてるわよん、ヘルちゃん』
還ってきたのは、少々気色の悪いお姉口調だった。
『それよりもお姉さんは悲しいわよん、ヘルちゃん。お兄じゃなくて、お姉って呼んでって言ってるじゃないの』
「――どうして? 男の人を姉とは呼ばないと、ライブラリにのってたけど?」
『心よ、コ・コ・ロ! あたしは心が女なの。だからお姉でもOKなのよん』
「――良くわかんないけど、わかった」
『んふふぅ。そうそう、やっぱりヘルちゃんは素直ねえ。還ったら一杯、ラグナダイトをあげちゃうわよん』
『――ヘルキャットだけ、ずるい』
そこで別の声。こちらも抑揚のない、舌っ足らずの声だ。
「――ずるくない。ちゃんと仕事してる」
『――なら、ワイルドキャットも出る。お菓子、欲しい。お仕事お仕事』
『こらこら、ノラちゃんもヘルちゃんも喧嘩しないの。ちゃーんと二人にご褒美あげちゃうからねん』
そこでお姉口調は、声色をあきれたようなものに変えると、
『それにしても、微弱なラグナダイト反応があったから来てみたけど……ずいぶんとオンボロな船ねえ? 幽霊船かしらん? サイズはとんでもなく大きいみたいだけど、あれだけボロボロじゃあ、船としては売れないわねえ』
「――お姉、あの船、全部お菓子みたい」
『……へ?』
全部お菓子。その言葉の意味を悟り、お姉口調の声に驚愕が浮かんだ。
『うっそ……ヘルちゃん、それホントなのん?』
「――ほんと。全部お菓子で出来てる船」
『フル・ラグナダイト? そんな艦、今時、軍用艦ですら存在しないっていうのに? てことはアレ、もしかしてロストシップってこと?』
んふふふふ、という小さな笑い声。その声はだんだんと大きさを増してゆき、
『あははは! すごいわよん、大発見よん! あれがロストシップなら、一生遊んで暮らせるくらいのお金になるわよん! ううん、売るなんてもったいないわ! アタシたちの新しいホームにするわよん!』
「――お部屋、広くなる?」
『もちろんよん、ヘルちゃん! もうすっごいおっきな部屋になるわよん! しかもフルラグナダイトってことは食べられる部屋よん!』
『――お菓子の部屋?』
『そうよん、ノラちゃん! 二人にとってはお菓子の部屋ねん!』
やった、と二人分の声。
『ヘルちゃん、一旦ホームに帰還してちょうだい。装備を調えたら行くわよん。ノラちゃんも準備よろしくねん』
「――ヘルキャット、了解」
『――ワイルドキャット、了解』
数秒後、上空を旋回していた機体が光に包まれた。
「――セーフモード解除。変身する」
光が晴れた先には、可変デルタ翼を持つ戦闘機の姿があった。プロペラはなく、ジェットノズルが後ろに伸びていた。単発機だ。
「――ステルス・モジュール、正常稼働。帰還する」
ほとんど音を立てず加速し、超音速で去ってゆく戦闘機。そんな戦闘機に向かって、無線からジットリとしたお姉口調が響いた。
『さあて、カラスのお仕事よん』
身に迫る脅威を、ジークは知らない。
◆ ◇ ◆
睡眠。それは人間にとって、数少ない癒しの一つだった。眠っている間は、現実から離れることが出来る。リアルからのつかの間の逃避。それが睡眠だ。
というわけで――
「……俺、もう寝るんだ」
冷凍睡眠ポッドのある部屋に向かって、ジークは歩いていた。虚ろな笑みを浮かべながら。足取りも危うい。夢遊病者か、あるいは自殺志願者のようだった。
「……そうだ、寝るんだ、俺。そして起きて学校に行くんだ。数学の小テスト受けて、友達に借りてたゲームディスクを返すんだ……」
「お、落ち着いてください、艦長! コールドスリープしたって、過去に戻れるわけじゃないんですよ!」
「だあああっ! 止めるな、ゼロ! 良いから寝かせろ! 頼むから寝かせてくれぇ!」
「艦長が乱心ですー!?」
服の裾をつかむゼロをズルズルと引きずりながら、ジークは一心不乱に通路を進んでいた。どうやら色んなストレスが限界値を超えたらしい。目が虚ろだった。
「俺は寝るんだああああああっ!」
睡眠という救いを求め、ジークは進む。通路を抜け、目覚めた場所へ。
冷凍睡眠ポッド。人一人がようやく収まりそうなカプセルが、薄暗い部屋にポツンと置かれてあった。そのカプセルに手をかける。
そのときだった。
「……置いていかないで、下さい」
「っ!」
突如背後から響く、少女の声。ゾッとするような冷たい、しかし悲痛さを感じさせる声色だった。
肩越しに振り返る。ジークは息を飲んだ。それまでコロコロと表情豊かだったゼロの顔から、一切の表情が抜け落ちていた。しかし目だけは違う。金色の瞳には、悲哀とも憎悪とも取れる光があった。一筋の涙が、ツゥと頬を伝っている。
「……ゼロ?」
呆然とするジークに、戦闘機の少女は悲哀に満ちた声で、
「……お願いします、もう私を一人にしないで下さい……約束したじゃないですか……私の『帰る場所』になってくれるって……私の『居場所』になってくれるって……なのに、艦長は先に居なくなっちゃって……私、その言葉を信じてずっと艦長を待ってたのに……」
「お、おい、ゼロ! どうしたんだよ!」
壊れたようにブツブツとつぶやくゼロ。明らかな異常だ。ジークはとっさに少女の肩に手をかけた。前後に揺する。
数秒後、ゼロはハッと顔を上げると、
「あれ? どうしたんですか、艦長?」
キョトンとした表情で、言った。
「どうしたって……お前の方こそどうしたんだよ?」
「えっと、何がですか?」
「何がって、お前が言ってたんだぞ。約束したとか、ずっと待ってたとか、先にいなくなったとか……」
「え? え? 何のことですか?」
「覚えてない……のか?」
明らかに異常といえる先ほどまでのゼロの状態。しかし、当の本人は自覚がないようだ。
(というか……ゼロは、俺のことを何か知ってるのか?)
小さくて良く聞き取れなかったが、確かにゼロはつぶやいていた。約束したと、先にいなくなったと、ずっと待っていたと。
あくまでもそれは、自分とは無関係のことなのかもしれない。しかし、ジークは妙に気になっていた。ゼロがつぶやいた『艦長』という言葉。なぜか、それが『自分のことを指している』と思えてならない。
そもそも、とジークは思う。『自分がなぜ空母にいるのか?』という疑問ばかりが先走ってしまって思いつかなかったが、ゼロについても同じことが言えるのではないだろうか。
すなわち――自分同様、ゼロはなぜ空母に居るのだろうか、と。
「……なあ、ゼロ? 一つ聞いてもいいか?」
「あ、はい! なんですか?」
「ゼロは、どうしてここにいるんだ?」
「どうしてここにって……むむ、えっと、そんなテツガクなこと聞かれても」
「……いや、そうじゃなくてだな」
カクッと首を落としつつ、ジークは再度訪ねようとする。
しかし、その問いが投げかけられることはなかった。
「あれ? ラグナダイト反応?」
ふいにゼロが顔を上げた。きょとんと目を瞬かせる。しかしそれも一瞬。すぐに怪訝なものに変わる。
「どうしたんだ、ゼロ?」
「今、すぐ側でラグナダイト反応が……悪魔、じゃないですね……この圧縮率は……」
と、次の瞬間だった。
『――メーデー、メーデー、メーデー!』
ゼロの羽がピクリと振動。同時に空中にスフィア・ディスプレイが浮かび上がった。赤い文字が回っている。
これは――救難信号?
「これ、スカイエルフの反応です! どこかのスカイエルフが、この艦に強行着艦しようとしてます!」
「は? 強行着艦?」
ジークはぽかんと口を開ける。
数秒後、ズシンという振動が艦全体を揺らした。何か重たいものが落ちたかのような。
睡眠という安息を得る機会はなさそうだった。