第1話 日常/非日常
第1話 日常/非日常
夜眠るときに、こう考えたことはあるだろうか。
『もし、目が覚めなかったらどうなるのだろうか?』――と。
もちろん、それは仮定の話だ。目は覚める。どんな夢を見ようと、どんなにファンタジーな世界に身を寄せようと、時間が来れば夢は覚め、いつもと同じ退屈な日常が始まる。
ジーク・ヤマダという少年にとっても、それは当たり前のことだった。
ジークの生活は、ほとんど毎日変わらなかった。目覚ましの音で目を覚まし、ベッドの上でしばらくぼんやりする。母親の声でノロノロと動きだし、代わり映えのない食卓を囲む。食パン一枚にジャム、牛乳一杯。いつも通りのメニューを平らげ、洗面をすませば登校の時間だ。慌てて着替え、鞄を抱えて高校に向かう。学校での生活もルーチンだ。悪友たちと他愛もない話題で盛り上がり、退屈な授業を受け、クラブに顔をだして……そうやって一日が過ぎ、また眠りにつき、そしてまた目覚める。
なんの代わり映えもない、平凡で、平穏な日々の繰り返し。ヤマダ・ジークという少年の日常。
だから、その日もジークはそんな日常が始まるものだと思っていた。愛すべき日常が。
しかし――その日常は、何の前触れもなく消失するのだった。
◆ ◇ ◆
その日、ジークは珍しく目覚まし時計のシャウトを聞かずに目を覚ました。
珍しい、とぼんやり思う。ジークは時間が許せば何時間でも眠れるタイプだった。これまでの最長睡眠時間は30時間。それですら、母親に起こされて途切れた記録だ。邪魔さえ入らなければ、36時間はいけたと自負している。まあ、自慢できることではないが。
(でもそれにしては、すげー眠った感があんだよなあ……)
そんなことがあるはずない、とはジークも思う。昨日も今日も普通の平日だ。睡眠時間だって7時間くらいだろう。10時間は寝ないと寝足りないのが自分という人間だ。なので、寝た感があるのはずいぶんとおかしい。
とはいえ、寝た感があるのは良いことだ。これなら、学校で居眠りして先生に文句を言われることもないだろう。
たまには良い授業態度でも見せるかなぁ、などと思いながら、ジークはゆっくりとカプセルの中で身を起こした。
ん? カプセル?
「……はぁっ!?」
がばっ。おそらく高校生になってからベストワンになるだろう勢いで、ジークは起きあがった。周囲を見る。無機質な金属の壁に囲まれた小部屋だった。大きさは6畳ほど。床には腕ほどもあるケーブルが乱雑に走っている。
ちなみにそれらのケーブルは、全て部屋の中央に鎮座する棺桶のようなカプセルベッドに繋がっていた。ジークが横たわっていたカプセルに、である。
「いやいやいやっ! いつから俺のベッドはカプセルになったんだよ! てか、えっ? どういうこと? 寝起きドッキリ?」
良い感じに混乱しながら、ジークは一人で突っ込む。見知らぬ場所で目を覚ますなんてことは人生初だった。当然の反応だろう。
と、そこでジークは、自分の身体が見たこともない服装に包まれていることに気づいた。
「ウェットスーツというか……全身タイツ? おいおいおい、なんだよコレ? 本格的になんだよコレ……」
身体にフィットする黒いボディースーツ。よく見ればそこかしこにコードが繋がっている。まるで点滴か、あるいは入院患者をモニタリングするセンサーのように。
いよいよもって、背中が薄ら寒くなる。何度も言うが、この日もジークはいつも通りの目覚めが待っているものだと思っていた。平凡な日常の始まるスタート地点。
しかし、今日のスタート地点はジークにとって全くの『不可解』だった。
(なんだよ、これ……もしかして俺、寝てる間に病気かなんかになって運ばれたとかか……?)
一応、夢オチの可能性も考慮して頬を抓ってみた。痛い。感覚もはっきりしている。これはリアルだ。
とにかく、このままここにいても仕方がない。そう思い、ジークはカプセルベッドから降りた。冷たい床の感触。身体に違和感はない。病で倒れたというわけではないっぽい。
『ロック』されている『自動ドア』に『手をかざし』、『開く』。出た先は細長い通路だった。赤色灯に照らされ、全てが紅い。同じくサッと『手をかざし』、白色灯に『切り替える』。それが『当然』であるかのように。
ジークはゾッとなった。
「な、何だよこれ……わかんねぇのに……わかる……?」
なぜ自分でもそうしたのか、ジークには分からない。しかし、分かる。どうすればロックがはずれるのか、どうしたら明かりを切り替えられるのかが、わかってしまう。まるで質問のないクイズの解答だけを知っているかのように。
けれど――ここがどこか、自分がどうしてここにいるのかが、わからない。
(なんだよこれ、なんだよこれ、なんだよこれ……!)
不安。恐怖。いつしかジークは走っていた。何かに急かされるように。細長い通路を抜け、正面に見えたエレベータに乗り込む。動かない。オフラインになっていた電源を復活させる。どうしてそんなことが出来る? わからない。ガチャガチャと全ての階のボタンを押す。上昇。
無人。無人。無人。
扉が開くごとに、人気のない通路が顔を覗かせる。赤色灯に照らされた、暗い通路だ。先をのぞき込む勇気はない。即座に扉を閉め、上へ。
最上階。コンソールパネルの液晶に『R』の文字。扉が開く。
またしても通路。しかし唯一違うところがあった。通路の先に光が見える。その光めがけ、ジークは走っていた。光の中に身を投げる。
とたんに目に飛び込んできたのは――圧倒的な『紺碧』と『翡翠』だった。
「なんだ、よ……これ……」
眼前に広がっていたのは、どこまでも続く大海原と、見たこともない翡翠色に染まった空だった。陸地や人工物は一切見えない。360度、紺碧と翡翠のみの世界だ。
いや、それよりも……
「これ……空母って、やつか……?」
学校の運動場よりも遙かに広い『飛行甲板』。背後にはビルのような『艦橋』がそびえている。
大海原にポツリと浮かぶ――『航空母艦』。
その飛行甲板に、ジークは立っていた。
「目覚めた場所は空母でしたとか……意味わかんねえええええっ!」
まったくだった。
◆ ◇ ◆
(お、落ち着け、俺! こう言うときは偶数を数えるんだ! 2、4、6、8……って、普通は素数じゃねえのかよ、おい!)
などという寒いノリ突っ込みを小一時間脳内で繰り広げ、ようやくジークは落ち着きを取り戻した。表面上では、だが。
だだっ広い甲板上であぐらをかく。ボディースーツ一枚なので潮風が冷たい。しかし、混乱した頭を冷やすのにはちょうど良かった。
「とりあえず現状で分かるのは、ここが空母? っていうことと、誰もいないってことだけ……だな。空が見たこともない色してるけど、さすがに地球じゃないってオチまではないだろ」
言葉にしながら確認する。
あれからあちこち……といっても甲板から見える範囲だが……を回った結果、この空母は無人らしかった。初めは気づかなかったが、よく見れば甲板は風雨にさらされたのかボロボロだった。艦橋も同様だ。幽霊船とまでは言わないが、長いこと人の手が入っていないのは間違いない。放置された、と表現するのが適切だろう。エンジンも動いていない。
「空母で漂流とか、どんだけ贅沢なんだよって話だよな。なんで漂流してるのかってのはこの際無視するとしても……とりあえず救助待ちって感じか……無線とか生きてたらSOSとかした方がいいんだよな……?」
正直に言えば、ジークは叫びたい気分だった。なにせ何も分からないのだから。責任者出てこい、と怒鳴り散らしたいところだ。
とはいえ、無人なのだから仕方がなかった。疑問だらけではあるが、とにかく生き延びることを最優先に考えるべきだろう。想定外の事態に弱いが、切り替えだけは早い。それがジークという少年だった。
とにかく建物の中をさ迷ってみるかと、ジークは立ち上がる。そのときだった。
「んっ?」
ジークの目が捉えたのは、翡翠色の空にポツンと浮かび上がる小さな影だった。錯覚か? いや、違う。あれは……
「飛行機……か……?」
距離があるため、判別は出来ない。しかし空に浮かぶソレがUFOということは無いだろう。となれば飛行機だ。そして飛行機と言うことは――人がいる。
狙ったようなタイミングではあるが、かまう余裕はない。ジークは大きく手を振った。おーい! と叫ぶ。
「こっちだ! こっち!」
偶然か。あるいは本当にジークに気づいたのか。徐々に黒い点が大きくなってゆく。それにしたがって、その姿が少しずつ露わになった。
生理的な嫌悪をもたらす、その姿が。
「おーい、こっちだ! こっち……だ……」
尻つぼみになってゆく声。ジークは目を見張った。
空を舞う飛行体。それはとてもではないが『飛行機』とは呼べない代物だった。
巨大なアンモナイト。そう呼ぶべき『ナニカ』だった。赤黒い色をしており、無数の触手が蠢いている。巨大だ。20メートルはあるだろうか。
(おいおい……実は地球じゃないってオチまで考慮しないとダメなのか……?)
ジークの背中に嫌な汗が流れる。なぜだか分からない。本能か、あるいは知らないうちに刻まれた『知識』か。ジークにはあのアンモナイトが『よくないもの』であることが分かった。
あれは――『相容れないもの』だ。
ジークの身体が硬直する。UFOとすら呼べないアンモナイトもどきは、迷うそぶりすら見せず一直線にこちらに向かってくる。何本もの触手の先には赤黒い光が灯っていた。
そして数秒後、ジークが身を翻したのと、触手の先からレーザーのような光の束が打ち出されたのは、ほとんど同時だった。
「っ!」
ジュッ、という焼き焦げるような音。次いで爆発音と衝撃波。巨大な空気のハンマーで背中を殴打され、ジークはもんどり打った。ボロボロの甲板の上を転がる。全身が痛い。
「く、そったれ……何なんだよ、いったい……!」
理不尽だ。ジークはそう思う。しかし嘆いている暇はない。背後を振り返ると、甲板には焼き切られたような亀裂があった。幅は2メートル、長さはその倍はある。自分が食らえばどうなっていたか、想像もしたくない。
ちなみに件のアンモナイトもどきは――さらにこちらに近づいてきていた。
「チクショウ! 全部ドッキリだったら絶対に企画者を訴えてやる!」
などと叫びながら、ジークは地面を蹴った。とにかく逃げねば。建物の中へと繋がるドアに向かって走る。背後から迫るアンモナイトもどき。触手の先端が赤黒く光る。ジークは足の筋肉を必死で動かした。だが、しかし……ダメだ! 間に合わない!
再び襲い来る脅威。ジークはとっさに進行方向を90度変更した。足をくじきながら横っ飛びに跳ぶ。ジュッという音。前髪が数本焼け落ち、目の前の甲板が焼き切られる。
どこかに身を隠さねば! ジークは周囲を見る。焼き切られた甲板。とっさにジークはスライディング。裂け目に身体を滑り込ませた。レーザーは綺麗に甲板に穴を空けていた。
浮遊感。衝撃。数メートルの高さから墜落し、ジークは全身を強く打ち付けた。瓦礫がクッションになったのだろうか。命に別状はない。しかし衝撃のあまり肺が引きつり、息が出来ない。数秒間、身体を丸めて呻く。
「ぐ、ぅ……な、んとか……逃げれたか……?」
打ち付けた箇所をかばいながら、ジークは立ち上がった。泣きたい気分だった。痛みもさることながら、精神的ショックで。当然だろう。ジークの記憶では、つい数時間前まで自分は自室のベッドで寝ていたはずなのだ。また明日も学校かぁ、と思いながら。変わらない日常の、変わらない一コマ。
しかしその日常は、今や全て消失していた。訳の分からない出来事の連続。極めつけがアンモナイトもどきに殺されかけると来た。泣きたくなるのも当然だ。いや、事実ジークの顔は半泣きになっていた。
「くそぅ……俺が何したってんだよ……!」
ジークは漏れ出しそうになった嗚咽をグッとこらえた。泣いたら負けだ、などと思う。少なくともここで泣いたら、理不尽に負けたような気がするからだ。
とにかく今は身の安全が最優先だった。ジークは周囲を見渡した。暗い。天井に開いた亀裂から翡翠色の空が顔を覗かせている。が、そこからの光だけではほとんど何も見えない。仕方なく、ジークはサッと手を掲げた。気味が悪いからやりたくはないのだが、今は贅沢を言っている場合ではない。ライト、点灯。
闇に閉ざされていた空間に光が満ちる。まぶしさに一瞬、ジークは目をくらませた。しかしすぐにそれに慣れる。
そこは巨大な格納庫のような場所だった。打ちっ放しの金属の壁に床。天井にはいくつものレールが走っている。クレーン用だろうか。
いや、それよりもジークの目を引くものがそこにあった。
格納庫の中央。スポットライトに照らされ、それは存在していた。
深い緑色の装甲。大きく張り出した主翼に、そびえ立つ垂直尾翼。そして機体の横に描かれた――『白地に赤丸』。
ただの高校生に過ぎないジークですら、その戦闘機をテレビや映画で見たことがあった。
太平洋戦争において、赫々たる戦果を上げた鋼の翼。帝国海軍の虎の子。敵国兵から『ジーク』と呼ばれ恐れられた戦闘機。
通称――『ゼロ戦』。
ジークの前にあったのは、彼ですら歴史の中でしか知らない過去の戦闘機だった。
「ゼロ……戦……?」
呆然とジークはゼロ戦を見上げる。なぜだか分からない。けれどこのとき、ジークは目の前の戦闘機に懐かしさのようなものを感じていた。偶然にも自分と同じ名前で呼ばれていたからだろうか。よくは分からない。
けれど、確かに懐かしい。ジークは今までの理不尽も何もかも忘れ、ゼロ戦に歩み寄った。月に手を伸ばす子どものように、ゼロ戦の装甲に手を触れる。
その瞬間だった。
ドクリ。ゼロ戦の機体が、わずかに拍動した。同時に装甲にいくつもの輝線が走る。それはあたかも血流のようだった。
「っ!」
突然の異変に、ジークはサッと手を引く。しかし異変は収まらない。数秒後、どこからともなく『声』が響いた。無機質な、しかし可憐な少女の声が。
『――マスターデータ、取得。最上位アドミニストレーター権限保持者であることを確認』
『――最上位アドミニストレーター権限発動。既存マスターデータ、オールリセット』
『――システムチェック、コンプリート。セーフモード解除。スカイモードに移行します』
次の瞬間、機体からすさまじい光がほとばしった。まるで数万の蛍が一斉に飛び立ったかのようだ。あまりの光に、ジークは目をかばう。
数秒後、ジークは目の前の光景に口をあんぐりと開けた。
「……はぁ!?」
ジークの目の前にあるもの、それは戦闘機だった。しかし、その姿は全く違う。丸みを帯びたシャープなシルエット。鋭いデルタ翼。二機のエンジンが大きく後ろに張り出している。色は深緑のままだが、『日の丸印』はなく、替わりにアラビア数字の『0』をモチーフにしたような意匠が描かれている。
つい先ほどまでが『骨董品の戦闘機』だとしたら、これは――『近未来の戦闘機』
「は? 変形した? トランスフォーム?」
いや、どちらかと言えば『変身』だろうか。どちらにせよジークの常識では考えられない状況だ。
あまりのことに呆然と立ちつくすジーク。しかし、それも次の瞬間までだった。頭上から再び爆発音が響く。同時に格納庫が大きく揺れた。脅威は去っていない。
一瞬、ジークの脳裏にあることが浮かんだ。
(アレだよな……? これがマンガとかだったら、この戦闘機に乗って戦えとか言われる場面だよな……?)
だが、とジークはすぐにその考えを否定した。そんなことが出来るのは物語の主人公だけだ。自分はそんな存在ではない。ただの、何の変哲もない高校生だ。日常に生きる一般人。
とはいえ、もはや『一般』と呼べる状況ではなかった。かといって、戦うという選択肢が取れるはずもない。
どうすることも出来ず、ジークは立ちつくす。そんな少年の心の内を察したのか、はたまた偶然か。再び、戦闘機の表面に輝線が走った。またしても声が響く。
『――ラグナダイト反応、確認。IFFチェック、応答無し。悪魔と認定』
『――最上位命令【アドミニストレーターの保護】の条項が満たされています。これより、当機は戦闘行動を開始します』
『――ネットワーク、オンライン。ホームデータ、取得。エラー。出撃システムがダウンしています』
『――特記事項2-4を適応。強行アクセス。エネルギーが不足しています。非常用ラグナダイト、インポート。外部コントロールにてジェネレータを強制始動』
ヴォン、という低い鳴動音がジークの身体を襲った。格納庫がわずかに振動している。いや、格納庫ではない。振動しているのはこの艦全体だ。
『――出撃シークエンス、スタート』
「うおっ!?」
突然の揺れに、ジークは思わずよろめいた。床が動いている? いや、違う。これは床ではない。これは――
「……エレベータ……?」
深緑色の戦闘機ごと、床がせり上がっていた。傍らにジークを載せて。天井が二つに割れ、翡翠色の空が顔を覗かせる。
甲板上に出る。すでに甲板にはそこかしこに亀裂が走っていた。艦橋の一部も崩れている。一方的に攻撃された証拠だ。
そして攻撃をした主は、こちらを見下すように直上を悠々と旋回していた。触手の先端には、赤黒い光。
しかし、アンモナイトもどきの攻撃が放たれることはなかった。
『――リニアカタパルト、チャージ完了。アレイスターエンジン、始動。オールコーションライト、クリア』
突如として、二つのエンジンノズルから青白い光が溢れた。キィィン、という甲高い駆動音。すさまじい推力が吐き出されているのだろう。まるで獲物を前にした猛禽の如く、グッと機体が前のめりになる。前輪は、いつの間にかカタパルトに接続されていた。
そして呆然と見守るジークを前に、可憐な少女の声は言い放った。
『――スカイエルフ【ゼロ】。発艦します』
カタパルト、イグニッション。光の尾を引き、深緑色の翼が空へと舞い上がる。
「……ゼロ……スカイエルフ、ゼロ……」
少女の声が告げたその名を、ジークは噛み締めるようにつぶやく。
この日、ジーク・ヤマダという少年の日常は喪失した。
そして、新たな日常が始まる。
翡翠色に染まった『牢獄の空』の下での『日常』が――




