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虫人 - Insecter  作者: 虫人プロジェクト
ドロバチ編
9/24

ドロバチ編:2  ドロバチ事件

《コラム:野生虫人》

文明と接触せず、社会的文化を持たない虫人。

衣食住や価値観は本能に強く依存しており、ヒューマンスタイルや社会的常識は通用しない。

ただし、理性そのものが欠けているわけではなく、あくまで文明的な教育や規範を持たない存在である。

そのため、行動原理は捕食・縄張り・繁殖・生存本能に大きく左右され、一般社会では危険視されることが多い。



《ドロバチ事件》


アルカディア・ホッパーモール——


三階に設けられた、広々としたフードコート。

昼下がり、三人は思い思いの昼食を広げていた。

港やドック、北西の山々まで見渡せる窓際の席に、明るい光が差し込んでいる。


「魚のフライなんて、何億年ぶりだろ——。」

「え——っ?」


何気ない冗談に、ミオナは思わずスプーンを止め、俺の顔をじっと見つめた。


「あ、えっと——、ユウジさんって、いま何歳なんですか——?」

「冗談よ。」


困惑するミオナの様子に、ユミナが横から口を挟む。

ずいぶん久しぶりなことを、俺はつい“何億年ぶり”なんて大げさに言ってしまったのだ。


「あ、ごめん——今のは俺なりの比喩表現っていうか——」


その謝罪に、ミオナはむっと頬を膨らませた。


「ミオナは相変わらず、そういうの本気で受け取っちゃうんだから。——いちいち真に受けなくていいのよ。」


ユミナはパフェを口に運びながら、呆れたように言った。


「——しかしすごいな。——思ってたより、ずっと人間っぽいっていうか——」


トレイに並んだ、魚のフライにサラダ、スープに飲み物——。

見慣れた昼食が、当たり前に並び、ユミナとミオナはスプーンを器用に持ちながら、パフェをすくっている。


「何言ってるのよ。虫人の世界をナメすぎよ。」

「これも、先ほどユミナちゃんがお話ししてくれたヒューマンスタイルですね。

 店のレイアウトや食事マナーなんかも、人間文化に因んでいると聞きます。私はその目で人間世界を見たことはないんですが——」

「え、そうなのか——?」

「虫人を好む人間が、どこにいるっていうのよ。好き放題、旅行に行けたらいいのに——」

「いや、でも、俺は別に何とも——」

「モノ好きなのはアンタだけよ。——ま、私たちだって別に、好きで人間の近くにいる訳じゃないけど——」

「あぁ? それってどういう意味だよ——?」

「そのまんまよ。」


そんなやり取りの中、近くのテーブルから、小声で話す二人組の声が耳に入る。


「聞いたか? また出たらしいぞ、例のドロバチ——」

「え? またかよ。今度はどこだ——?」

「それがまた、倉庫街なんだ。——人気のないコンテナが積まれたあの場所——道を歩いてると、誘拐されるって噂さ。

 もちろん、虫人も狙われるって話だ——。」

「またまた。その手の話はいつ聞いても尾ひれがつくよな。——まぁ、虫人への偏見が広まらないことを願うよ。」

「なっ——! ホントなんだって——!」

「あぁん? おめー、声でけぇよ——。」


 その会話は、俺たちのテーブルにも届いていた。

 俺は思わず、ドロバチという単語に反応した。


「ドロバチ——?」

「狩人バチの一種ね。——野生虫人とも言うべきかしら。」


いつものように、素っ気なく返すユミナ。

ミオナは表情を曇らせ、言葉を添えた。


「文化的接触もなく、ただ本能に従って生きる虫人——それが野生虫人。」

「野生、か——。」


俺は顎に手を当てると、ヒューマンスタイルとの対比を連想した。


「本能に従っているからと言って、理性がないわけではありません。

 ——ただ、文化との接触をしていないのであれば、社会的常識もまた、通用しません——。」

「誘拐行為も、その延長ってわけね。」


ユミナはパフェを食べ終えると、勢いよく席を立った。


「行くわよ。」

「え——?」


——行くってどこへ? なにしに?


そんなこと、聞かずともわかっていた。


「ドロバチを捕まえるのよ。早めに止めないと、危ないじゃない。」

「やっぱり——。」


目の前には、同じく呆れながらも、苦笑いするミオナの姿。









アルカディア・倉庫街——


北東の海港に位置する倉庫街には、点検済みのコンテナがいくつも積み上げられている。


「——通るとき見たとこだな——。」


そんなことを呟きながら辺りを見渡すが、住民や作業員の姿は、一切ない。


「あれ——クレーン、動いてないのか——?」

「昼休みよ。——それに、コンテナ作業自体は、順当にいけば午前中には終わるわ。チャンスね。」


頭上のバイザーを降ろすと、ユミナは倉庫街の入り口を開け、静かに入っていった。


「勝手に入っていいのかよ……。」

「私たちはガードよ。調査のために入るのは、別に問題じゃないわ。」

「ガードは? って、俺はどうなるんだよ——?」

「——倉庫街は立ち入り禁止されていませんから。通行のために、入る分には問題ないですよ。」


俺はなんとなく腑に落ちないまま、ユミナの後を付いて行った。


「——地形情報スキャナー、オン——。」


キュィイ———ン……ッ。

ミオナがそう言い放った瞬間、背負ったアサルトパックの上端から突出した短いアンテナが、電子音とともにランプを点灯する。

そして、バイザーの裏に薄っすらと曲線が光り出し、ミオナはそれを目で追いながら確認する。


「コンテナは全部で109個——。作業員0、通過している人員は少なくとも二名、こちらへ向かっています——。」

「え、そんなこと分かるのか——?」

「ドップラー効果ですよ。アルカディア各地の高所に設置されたものも、データ通信で反映していますから——」


——いや!! さっぱり分からん!! ——ドップラー? データ? 何を言っているんだ——?


「通行用道路は分かりづらいわね——。コンテナ群に入って、足跡を追跡するわよ——。」

「了解。」


ユミナの指示に、ミオナが短く返すと、俺たちはコンテナの合間を縫うようにして歩いていった。


「前方十メートル、新しい足跡があります。——それと、何かを引きずったような跡も——」

「んー、これは違うわね——作業員のブーツだわ。人を引きずったにしては、軽すぎるもの——。」


その後も、コンテナ群を歩き倒したが、痕跡と言えるようなものは見当たらなかった。


「なぁ——目撃情報は確かなんだろ——?」

「……。」


しばらくの沈黙の後、ユミナが口を開く。


「——もし本当に誘拐事件が起きているのなら、地下本部もそれを把握しているはずよ——。」

「それに、野生虫人が現れたという話も——そんな一大事件、本部が見逃すでしょうか——?」


ユミナに続き、ミオナも言葉を添える。

目撃情報すら怪しい——そう答えているのと同じことだった。



その時だった——


「きゃあああっ——!!」


倉庫街の外れ——通行用道路の方から、叫び声が響き渡る。


「今の声は——!」

「行くわよ!」


俺が言いきる前に、即座に走っていくユミナ。

ミオナもまた、走りながらスキャナーを再起動した。


「——道路上! 対象、高速移動中——っ!」

「やっと出番が来たわね——!」


コンテナの隙間を抜け、一気に通行用道路へ飛び出す。

その瞬間、ユミナがブレードを腰から抜き放ち、高速で移動する対象に切りかかる。


「ちょっ——! いきなり——!?」


ブォンッ!!

何かを抱えた虫人は、即座に横へロールする。

そして、ブレードを空振りしたユミナをそのまま蹴り上げ、コンテナ群の方へ吹き飛ばした。


高速移動中——それは、走っていたのではなく、飛行していたのだ。

黒く光る外殻に、TEXSのような装備は見当たらない。


「何だあいつ——!」


背中で風を切る茶色い翅、細い腹部、そして動きやすそうなスポーツ着の女性虫人——。


「ドロバチね。」


立ちあがったユミナが、吐き捨てるように言う。


追いかけていたのは、荷を奪われたらしい仕事帰りの虫人女性——。

荷袋の口からは、財布や大きなタブレットのようなものが覗いている。


「ま、待て——ッ! 」


ドロバチは振り返りもせず、羽音を残しながら、路地へ飛び込んだ。


「追うわよ! こっち!」


短く言い捨てると、ユミナはヘルメットを脱ぎ捨て、コンテナ群へ入っていった。

小柄な体が、信じられない加速で、コンテナの合間を縫っていく。


「お前、どこに——!?」

「近道よ! こっちの方が近いわ!」


まるで、敵の逃走経路を把握しているかのように、即座に判断するユミナ。

俺とミオナは困惑しながらも、何とかユミナの後を追いかけていった。


そして、突如としてミオナが叫ぶ。


「進路!中心街方面! ——コンテナ群を抜けた先、接触します——!」

「任せなさい——ッ!」


俺も二人の後を追って走り出す。

倉庫街の狭い脇道を通り抜け、ユミナはただ走っていく。


すると正面に、トタン板で囲まれた行き止まりが見える。


——え? 行き止まり——?


「はぁァーーッ!!」


しかし、そんな状況にも、ユミナの足は止まらない。

左右のコンテナを蹴り上がっていき、高々とジャンプすると、行き止まりの向こうに着地した。


ドサッと壁の向こうから聞こえる衝突音。


続いてミオナも、コンテナを蹴り上がり、壁の向こうに着地する。

行き止まりに、ただ取り残された俺。


「ミオナ! ロープよ!」

「はい——!」


気付くと、力強く羽ばたく音もやがて、聞こえなくなっていた。








アルカディア・倉庫街——


夕焼けが倉庫群のコンテナを照らし、巨大な影を作りあげている。

俺は被害者の女性と合流すると、二人がいる道路の方へ向かっていた。

その途中、ユミナのヘルメットも回収していく。


「やっと来たのね。遅いわよ——!」

「はぁ、はぁ……お前がヘルメット置いてくからだろ——?」

「ヘルメット——? あぁ、バイザーシェルのことね。」

「いや、なんだそれ——……。」


もはや、質問する気力もない。

先ほどの窃盗犯は、両手足と翅翼を縛り上げられ、抵抗する素振りは一切見当たらない。

そんな中、ヘッドセットに手を当てながら、ミオナは淡々と報告している。


「——こちらミオナ。窃盗犯のドロバチを捕獲、警務チームを要請します——。」

「……ザザ……こちら本部。了解、警務を派遣します。待機せよ——……ザ……ッ。」


無線の声が聞こえなくなると、ミオナは回収した荷物を被害者の女性へ差し出した。


「——こちらです。ご確認ください——。」


被害者の女性はそれを受け取ると、中身を確かめるように荷袋を開いた。


「——間違いありません、私の荷物です。——この度は、ありがとうございました。」

「いえいえ。ガードの役目ですから——。」


俺たちは互いに顔を見合わせ、小さく頷き合った。


「これで一件落着だな。」

「ですね——!」

「ったく、何が誘拐犯よ。全然話と違うじゃない——。」


ユミナが吐き捨てるように言うと、ドロバチが反応する。


「——誘拐? はは。——まぁ、そう思われても仕方ないかもね——。」

「何か心当たりあるのか——?」


俺は犯人の様子を窺いながら、静かに問いかけた。

先ほどのユミナやミオナの話によると、少なくともガードには、誘拐事件の報告など一切入っていないからだ。


「——最初にそんな噂が立つようになったのは、いつだっただろうな——」


ドロバチは低く続けた。


「私は、友人と二人で生活していた。——中心街の外れの狭い部屋——

 ただ、職場で仲良くなって、そのまま同じ部屋で生活し、休日は一緒に出かけたりもした——そんな毎日だった——。」


その話の先を、遮れる者はいなかった。


「ある日、あいつはサプライズを用意していたんだ。——フルーツで飾ったホールケーキ、小さな箱のプレゼント——。

 ——自分でもなぜ、そうなったのか分からない。驚かすつもりだったのかもしれない——気付いたときには遅かった。

 ——反射で私の針が、あいつの外殻を貫いていた——」


「——神経毒、ですね——。」


ミオナがわずかに目を伏せる。事情を察したのか、それ以上は何も言わなかった。

彼女は乾いた声で続けた。


「——大した量じゃないと思った。でも、そのまま動かなくなって——すぐに私は病院に運んで行った——倉庫街の近道を抜けて——。」


——誘拐と噂されていた話の始まりは、これだったのだろう。


「一命は何とか取り留めた——だが、そこから先は何もできない——」

「——医者は何て言ったんだ?」


俺は俯く彼女に、恐る恐る聞き返した。


「蜂の神経毒を治す薬なんて存在しない——入院費の支払いと、医療研究チームへの研究費は、すべて私が受け持つことになった——」

「——でも、そんな事情があるなら、機構への申請も通るはずです。——人道支援の支援金も出るはずですから——」


ミオナが静かに言う。


「そんな悠長に待ってなどいられるか——……!」


彼女は声を荒げたが、深呼吸をひとつすると、なんとか落ち着きを取り戻した。


「——取り乱してすまない。——それでは遅いんだ……承認が出るまで時間がかかる——だから金が必要だった……。

 ——今すぐ使える入院費と、その薬の研究のための金が……——。」


縛られた彼女の手は、小刻みに震えていた。


払えなければどうなるか——誰でも想像がつく。


機構への支援金申請はしていた——。

しかし、承認が下りるまでには時間を要する——入院費は、今すぐ必要なのだ——。

だから、彼女は盗むしかなかった——それだけの話だった。


その場にいた誰もが、口を開けなくなっていた。







夕焼けに染まった倉庫街に、風の音だけが流れていく。

やがて、中心街へ続く道の奥から、警務チームが到着した——。


ユミナやミオナと同じ外殻装備を纏った兵士たち——。

無機質な装備音が、さっきまでの沈黙を現実へ引き戻した。


「——よろしくお願いいたします——。」

「——対象を確認。地下本部まで護送します——。」


ミオナが短く告げる。

警務の虫人たちが、縛られたドロバチの身柄を受け取った。

その手が触れた瞬間、彼女の肩がわずかに震える。


「なんか、可哀想だよな——。」

「そうですね……。ですが、窃盗は犯罪ですから——。」


そんな中、ユミナは倉庫街のクレーンを見上げたまま、いつもの調子で言った。


「法は法——そして法は私たち、ガードよ。」


連行されていくドロバチは、振り返らない。

俺たちもまた、その背中を、黙って見送ることしかできなかった。


「お前、時々残酷な部分あるよな——。」

「そうかしら。」

「……だって、あの人——罪人は罪人かもしれないけど、別にそこまで悪い奴じゃないだろ——?」

「すぐ出られるわよ。」


あまりにも素っ気ない返答だった。

だが、いつもの吐き捨てるような冷たさとも少し違う。


「え、そうなのか?」

「窃盗でしょ? 一週間もすれば出てくるわよ。」


歩き出すユミナの後を、俺たちは追っていく。


助けたかったから盗んだ——。

しかし、アルカディアにはアルカディアの法がある。

その線を引くのが、ガードの役目なのだろう。

ユミナはきっと、そう言いたかったのだ。








《コラム:アルカディア法》

「法は法。そして、法は私よ。」 By ユミナ

アルカディア国内における法律。

治安維持、犯罪の取締り、拘束、引き渡し、裁定などの基準となり、国内秩序を支える根幹でもある。

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