ドロバチ編:2 ドロバチ事件
《コラム:野生虫人》
文明と接触せず、社会的文化を持たない虫人。
衣食住や価値観は本能に強く依存しており、ヒューマンスタイルや社会的常識は通用しない。
ただし、理性そのものが欠けているわけではなく、あくまで文明的な教育や規範を持たない存在である。
そのため、行動原理は捕食・縄張り・繁殖・生存本能に大きく左右され、一般社会では危険視されることが多い。
《ドロバチ事件》
アルカディア・ホッパーモール——
三階に設けられた、広々としたフードコート。
昼下がり、三人は思い思いの昼食を広げていた。
港やドック、北西の山々まで見渡せる窓際の席に、明るい光が差し込んでいる。
「魚のフライなんて、何億年ぶりだろ——。」
「え——っ?」
何気ない冗談に、ミオナは思わずスプーンを止め、俺の顔をじっと見つめた。
「あ、えっと——、ユウジさんって、いま何歳なんですか——?」
「冗談よ。」
困惑するミオナの様子に、ユミナが横から口を挟む。
ずいぶん久しぶりなことを、俺はつい“何億年ぶり”なんて大げさに言ってしまったのだ。
「あ、ごめん——今のは俺なりの比喩表現っていうか——」
その謝罪に、ミオナはむっと頬を膨らませた。
「ミオナは相変わらず、そういうの本気で受け取っちゃうんだから。——いちいち真に受けなくていいのよ。」
ユミナはパフェを口に運びながら、呆れたように言った。
「——しかしすごいな。——思ってたより、ずっと人間っぽいっていうか——」
トレイに並んだ、魚のフライにサラダ、スープに飲み物——。
見慣れた昼食が、当たり前に並び、ユミナとミオナはスプーンを器用に持ちながら、パフェをすくっている。
「何言ってるのよ。虫人の世界をナメすぎよ。」
「これも、先ほどユミナちゃんがお話ししてくれたヒューマンスタイルですね。
店のレイアウトや食事マナーなんかも、人間文化に因んでいると聞きます。私はその目で人間世界を見たことはないんですが——」
「え、そうなのか——?」
「虫人を好む人間が、どこにいるっていうのよ。好き放題、旅行に行けたらいいのに——」
「いや、でも、俺は別に何とも——」
「モノ好きなのはアンタだけよ。——ま、私たちだって別に、好きで人間の近くにいる訳じゃないけど——」
「あぁ? それってどういう意味だよ——?」
「そのまんまよ。」
そんなやり取りの中、近くのテーブルから、小声で話す二人組の声が耳に入る。
「聞いたか? また出たらしいぞ、例のドロバチ——」
「え? またかよ。今度はどこだ——?」
「それがまた、倉庫街なんだ。——人気のないコンテナが積まれたあの場所——道を歩いてると、誘拐されるって噂さ。
もちろん、虫人も狙われるって話だ——。」
「またまた。その手の話はいつ聞いても尾ひれがつくよな。——まぁ、虫人への偏見が広まらないことを願うよ。」
「なっ——! ホントなんだって——!」
「あぁん? おめー、声でけぇよ——。」
その会話は、俺たちのテーブルにも届いていた。
俺は思わず、ドロバチという単語に反応した。
「ドロバチ——?」
「狩人バチの一種ね。——野生虫人とも言うべきかしら。」
いつものように、素っ気なく返すユミナ。
ミオナは表情を曇らせ、言葉を添えた。
「文化的接触もなく、ただ本能に従って生きる虫人——それが野生虫人。」
「野生、か——。」
俺は顎に手を当てると、ヒューマンスタイルとの対比を連想した。
「本能に従っているからと言って、理性がないわけではありません。
——ただ、文化との接触をしていないのであれば、社会的常識もまた、通用しません——。」
「誘拐行為も、その延長ってわけね。」
ユミナはパフェを食べ終えると、勢いよく席を立った。
「行くわよ。」
「え——?」
——行くってどこへ? なにしに?
そんなこと、聞かずともわかっていた。
「ドロバチを捕まえるのよ。早めに止めないと、危ないじゃない。」
「やっぱり——。」
目の前には、同じく呆れながらも、苦笑いするミオナの姿。
アルカディア・倉庫街——
北東の海港に位置する倉庫街には、点検済みのコンテナがいくつも積み上げられている。
「——通るとき見たとこだな——。」
そんなことを呟きながら辺りを見渡すが、住民や作業員の姿は、一切ない。
「あれ——クレーン、動いてないのか——?」
「昼休みよ。——それに、コンテナ作業自体は、順当にいけば午前中には終わるわ。チャンスね。」
頭上のバイザーを降ろすと、ユミナは倉庫街の入り口を開け、静かに入っていった。
「勝手に入っていいのかよ……。」
「私たちはガードよ。調査のために入るのは、別に問題じゃないわ。」
「ガードは? って、俺はどうなるんだよ——?」
「——倉庫街は立ち入り禁止されていませんから。通行のために、入る分には問題ないですよ。」
俺はなんとなく腑に落ちないまま、ユミナの後を付いて行った。
「——地形情報スキャナー、オン——。」
キュィイ———ン……ッ。
ミオナがそう言い放った瞬間、背負ったアサルトパックの上端から突出した短いアンテナが、電子音とともにランプを点灯する。
そして、バイザーの裏に薄っすらと曲線が光り出し、ミオナはそれを目で追いながら確認する。
「コンテナは全部で109個——。作業員0、通過している人員は少なくとも二名、こちらへ向かっています——。」
「え、そんなこと分かるのか——?」
「ドップラー効果ですよ。アルカディア各地の高所に設置されたものも、データ通信で反映していますから——」
——いや!! さっぱり分からん!! ——ドップラー? データ? 何を言っているんだ——?
「通行用道路は分かりづらいわね——。コンテナ群に入って、足跡を追跡するわよ——。」
「了解。」
ユミナの指示に、ミオナが短く返すと、俺たちはコンテナの合間を縫うようにして歩いていった。
「前方十メートル、新しい足跡があります。——それと、何かを引きずったような跡も——」
「んー、これは違うわね——作業員のブーツだわ。人を引きずったにしては、軽すぎるもの——。」
その後も、コンテナ群を歩き倒したが、痕跡と言えるようなものは見当たらなかった。
「なぁ——目撃情報は確かなんだろ——?」
「……。」
しばらくの沈黙の後、ユミナが口を開く。
「——もし本当に誘拐事件が起きているのなら、地下本部もそれを把握しているはずよ——。」
「それに、野生虫人が現れたという話も——そんな一大事件、本部が見逃すでしょうか——?」
ユミナに続き、ミオナも言葉を添える。
目撃情報すら怪しい——そう答えているのと同じことだった。
その時だった——
「きゃあああっ——!!」
倉庫街の外れ——通行用道路の方から、叫び声が響き渡る。
「今の声は——!」
「行くわよ!」
俺が言いきる前に、即座に走っていくユミナ。
ミオナもまた、走りながらスキャナーを再起動した。
「——道路上! 対象、高速移動中——っ!」
「やっと出番が来たわね——!」
コンテナの隙間を抜け、一気に通行用道路へ飛び出す。
その瞬間、ユミナがブレードを腰から抜き放ち、高速で移動する対象に切りかかる。
「ちょっ——! いきなり——!?」
ブォンッ!!
何かを抱えた虫人は、即座に横へロールする。
そして、ブレードを空振りしたユミナをそのまま蹴り上げ、コンテナ群の方へ吹き飛ばした。
高速移動中——それは、走っていたのではなく、飛行していたのだ。
黒く光る外殻に、TEXSのような装備は見当たらない。
「何だあいつ——!」
背中で風を切る茶色い翅、細い腹部、そして動きやすそうなスポーツ着の女性虫人——。
「ドロバチね。」
立ちあがったユミナが、吐き捨てるように言う。
追いかけていたのは、荷を奪われたらしい仕事帰りの虫人女性——。
荷袋の口からは、財布や大きなタブレットのようなものが覗いている。
「ま、待て——ッ! 」
ドロバチは振り返りもせず、羽音を残しながら、路地へ飛び込んだ。
「追うわよ! こっち!」
短く言い捨てると、ユミナはヘルメットを脱ぎ捨て、コンテナ群へ入っていった。
小柄な体が、信じられない加速で、コンテナの合間を縫っていく。
「お前、どこに——!?」
「近道よ! こっちの方が近いわ!」
まるで、敵の逃走経路を把握しているかのように、即座に判断するユミナ。
俺とミオナは困惑しながらも、何とかユミナの後を追いかけていった。
そして、突如としてミオナが叫ぶ。
「進路!中心街方面! ——コンテナ群を抜けた先、接触します——!」
「任せなさい——ッ!」
俺も二人の後を追って走り出す。
倉庫街の狭い脇道を通り抜け、ユミナはただ走っていく。
すると正面に、トタン板で囲まれた行き止まりが見える。
——え? 行き止まり——?
「はぁァーーッ!!」
しかし、そんな状況にも、ユミナの足は止まらない。
左右のコンテナを蹴り上がっていき、高々とジャンプすると、行き止まりの向こうに着地した。
ドサッと壁の向こうから聞こえる衝突音。
続いてミオナも、コンテナを蹴り上がり、壁の向こうに着地する。
行き止まりに、ただ取り残された俺。
「ミオナ! ロープよ!」
「はい——!」
気付くと、力強く羽ばたく音もやがて、聞こえなくなっていた。
アルカディア・倉庫街——
夕焼けが倉庫群のコンテナを照らし、巨大な影を作りあげている。
俺は被害者の女性と合流すると、二人がいる道路の方へ向かっていた。
その途中、ユミナのヘルメットも回収していく。
「やっと来たのね。遅いわよ——!」
「はぁ、はぁ……お前がヘルメット置いてくからだろ——?」
「ヘルメット——? あぁ、バイザーシェルのことね。」
「いや、なんだそれ——……。」
もはや、質問する気力もない。
先ほどの窃盗犯は、両手足と翅翼を縛り上げられ、抵抗する素振りは一切見当たらない。
そんな中、ヘッドセットに手を当てながら、ミオナは淡々と報告している。
「——こちらミオナ。窃盗犯のドロバチを捕獲、警務チームを要請します——。」
「……ザザ……こちら本部。了解、警務を派遣します。待機せよ——……ザ……ッ。」
無線の声が聞こえなくなると、ミオナは回収した荷物を被害者の女性へ差し出した。
「——こちらです。ご確認ください——。」
被害者の女性はそれを受け取ると、中身を確かめるように荷袋を開いた。
「——間違いありません、私の荷物です。——この度は、ありがとうございました。」
「いえいえ。ガードの役目ですから——。」
俺たちは互いに顔を見合わせ、小さく頷き合った。
「これで一件落着だな。」
「ですね——!」
「ったく、何が誘拐犯よ。全然話と違うじゃない——。」
ユミナが吐き捨てるように言うと、ドロバチが反応する。
「——誘拐? はは。——まぁ、そう思われても仕方ないかもね——。」
「何か心当たりあるのか——?」
俺は犯人の様子を窺いながら、静かに問いかけた。
先ほどのユミナやミオナの話によると、少なくともガードには、誘拐事件の報告など一切入っていないからだ。
「——最初にそんな噂が立つようになったのは、いつだっただろうな——」
ドロバチは低く続けた。
「私は、友人と二人で生活していた。——中心街の外れの狭い部屋——
ただ、職場で仲良くなって、そのまま同じ部屋で生活し、休日は一緒に出かけたりもした——そんな毎日だった——。」
その話の先を、遮れる者はいなかった。
「ある日、あいつはサプライズを用意していたんだ。——フルーツで飾ったホールケーキ、小さな箱のプレゼント——。
——自分でもなぜ、そうなったのか分からない。驚かすつもりだったのかもしれない——気付いたときには遅かった。
——反射で私の針が、あいつの外殻を貫いていた——」
「——神経毒、ですね——。」
ミオナがわずかに目を伏せる。事情を察したのか、それ以上は何も言わなかった。
彼女は乾いた声で続けた。
「——大した量じゃないと思った。でも、そのまま動かなくなって——すぐに私は病院に運んで行った——倉庫街の近道を抜けて——。」
——誘拐と噂されていた話の始まりは、これだったのだろう。
「一命は何とか取り留めた——だが、そこから先は何もできない——」
「——医者は何て言ったんだ?」
俺は俯く彼女に、恐る恐る聞き返した。
「蜂の神経毒を治す薬なんて存在しない——入院費の支払いと、医療研究チームへの研究費は、すべて私が受け持つことになった——」
「——でも、そんな事情があるなら、機構への申請も通るはずです。——人道支援の支援金も出るはずですから——」
ミオナが静かに言う。
「そんな悠長に待ってなどいられるか——……!」
彼女は声を荒げたが、深呼吸をひとつすると、なんとか落ち着きを取り戻した。
「——取り乱してすまない。——それでは遅いんだ……承認が出るまで時間がかかる——だから金が必要だった……。
——今すぐ使える入院費と、その薬の研究のための金が……——。」
縛られた彼女の手は、小刻みに震えていた。
払えなければどうなるか——誰でも想像がつく。
機構への支援金申請はしていた——。
しかし、承認が下りるまでには時間を要する——入院費は、今すぐ必要なのだ——。
だから、彼女は盗むしかなかった——それだけの話だった。
その場にいた誰もが、口を開けなくなっていた。
夕焼けに染まった倉庫街に、風の音だけが流れていく。
やがて、中心街へ続く道の奥から、警務チームが到着した——。
ユミナやミオナと同じ外殻装備を纏った兵士たち——。
無機質な装備音が、さっきまでの沈黙を現実へ引き戻した。
「——よろしくお願いいたします——。」
「——対象を確認。地下本部まで護送します——。」
ミオナが短く告げる。
警務の虫人たちが、縛られたドロバチの身柄を受け取った。
その手が触れた瞬間、彼女の肩がわずかに震える。
「なんか、可哀想だよな——。」
「そうですね……。ですが、窃盗は犯罪ですから——。」
そんな中、ユミナは倉庫街のクレーンを見上げたまま、いつもの調子で言った。
「法は法——そして法は私たち、ガードよ。」
連行されていくドロバチは、振り返らない。
俺たちもまた、その背中を、黙って見送ることしかできなかった。
「お前、時々残酷な部分あるよな——。」
「そうかしら。」
「……だって、あの人——罪人は罪人かもしれないけど、別にそこまで悪い奴じゃないだろ——?」
「すぐ出られるわよ。」
あまりにも素っ気ない返答だった。
だが、いつもの吐き捨てるような冷たさとも少し違う。
「え、そうなのか?」
「窃盗でしょ? 一週間もすれば出てくるわよ。」
歩き出すユミナの後を、俺たちは追っていく。
助けたかったから盗んだ——。
しかし、アルカディアにはアルカディアの法がある。
その線を引くのが、ガードの役目なのだろう。
ユミナはきっと、そう言いたかったのだ。
《コラム:アルカディア法》
「法は法。そして、法は私よ。」 By ユミナ
アルカディア国内における法律。
治安維持、犯罪の取締り、拘束、引き渡し、裁定などの基準となり、国内秩序を支える根幹でもある。




