森の魔女編:9 森の魔女
《森の魔女》
西の大森林・奥地——
朝日が昇る——。
森の中は依然として薄暗く、ここが日の光に照らされることはない。
ブォォオオ————ン……ッ!!
周囲の木の葉が巻き上がり、ヘリの風切り音のような音が、森の中に響き渡る。
「行くぞ——っ!!」
もちろん、ヘリではない。
翅翼を羽ばたかせたサイチが、アヤカとサヤカに向かって言い放つと、
ホバリング状態から徐々に上昇し、木々の切れ目めがけて飛び立つ。
「行ってらっしゃいませ——!」
聞こえていたかどうかは分からない。
ただ、ミオナの送り出す言葉だけが、そこに残ったのだった——。
「これ、空中からスキャナー展開すれば、よくないか——?」
「ダメよ。森の外にあるならまだしも、中なら木に遮られて分かんないわ。
あんた、この木の密度見ればわかるでしょ?」
ユミナはマットレスを畳みながら、呆れた口調で言う。
「まぁ——それもそうか——スキャナーってどれくらい届くんだ——?」
「そうですね——説明書には一応、3キロと記載がありましたが、空中なら6、7キロは届くんじゃないでしょうか——。」
「そんなに届くのか? なら——」
そうミオナに問いかけた瞬間、ユミナが遮る。
「その距離なら見た方が速いわよ。それよりあんた、口より手を動かしなさいよ。」
ユミナは小さく畳んだマットレスをバックパックに詰め終わると、
焚火のあった場所に水筒の水をじゃぶじゃぶとかけ始めた。
俺はマットレスを力一杯握りしめながら、ベルクロのテープで留め、ようやくマットレスを畳み終えたのだった。
「ふぅ——これ、こんな小さくなるんだな——。」
「当たり前よ。大きかったら戦闘の邪魔じゃない。」
畳まれたマットレスは、十数センチくらいだろうか。
使うときは、身体分のサイズより若干小さめと言った感じだが、これは小柄であるガード仕様、とでも言うべきか。
「周囲の空気を取り込んでスポンジ状に広がりますから——地球上なら、どこでも使えますね。」
「地球上って……急に規模でかいな——。これもガードの装備なのか?」
そこへ、ユミナが俺に近づいてくる。
「そうよ。あんたのは他の同僚に借りたやつだから、帰ったらしっかり洗ってから返しなさいよ。」
そう言いながら、ユミナは俺の水筒を取り出し、器用に自分の水筒に水を注いでいく。
——火の後始末に使った分は、共有ってわけね……——。
そう思いながら、濡れた地面を足で撫で、俺もその後始末を手伝ったのだった。
やがて再び、空から重い風切り音が鳴り響く——チーム・サイチが帰って来たのだ。
硬そうな甲羅に、後ろ翅を器用にしまう三人の姿。
「ふぅー。久しぶりに飛んだから、少し疲れたぜ——。」
サイチは肩を回すと、具足の袖——ショルダーシェルをぐっと引っ張った。
「お疲れさま。どうだった?」
「あぁ——えっと、建物のような物はなかったが、ここから南に行ったところに、こう——白くて丸いものがあった——」
「白くて丸いもの——?」
俺は、なにやら蛾の繭のようなものを想像した。
とにかく、そんな情報があるなら、行ってみるほかない。
「そこにマヤが——。」
「わからねぇ。ただ、俺たちだけで行ってもアレだし、とりあえず行ってみっか?」
「だな——。」
ミオナが大きなバックパックを背負う。
俺たちは白くて丸い、謎の構造物のある方へ足を進めたのだった。
昨日までの林道沿いの森とは訳が違う——。
無造作に生える茂み、折れて落下した枝、そこに生え揃うキノコの群れ——。
森は徐々に薄気味悪くなっていき、魔女が棲むと呼ぶに相応しい場所へと変貌していた。
「空で見たエリアは、この辺ですね……。」
アヤカが、サイチに確認するように言う。
気付くとユミナは、俺の袖をぎゅっと掴んでおり、まるでお化け屋敷に来たカップルのような状況になっていた。
「ホントにあるの? ゆゆ、幽霊とか、出ないわよね——?」
しかし、そんなユミナの言葉に、誰も返さない。
とても言える雰囲気ではない——。
——そこの護衛隊長、そんなにくっつくなって——歩きづらいだろ——……。
俺はそんなことを想いながら、何とかユミナを剥がすのに成功する。
「おかしい——……。」
急に立ち止まるサイチの様子に、誰もが視線を釘付けになる。
「何がおかしいんだよ——?」
「この辺なんだ……俺たちが見たのは……。」
「あぁ? ——いや、ここ何もないだろ……見間違えだったんじゃないのか——?」
すると、後ろから突如、木々の揺れる音がする。
ガサ——……ッ。
「下がれ、罠だ——ッ!!」
突如として、声を荒げるサイチ。
その言葉は、後ろの俺たちに対し、前へ行けということを意味していた。
全員が武器を構える。
チーム・サイチが、一斉に腰の刀を抜き放つ——。
ミオナはライフルを握りしめ、さっきまで怖がっていたユミナもまた、焦りつつ両腰のブレードを抜き放った——。
「行くわよ!」
すかさず、ユミナとミオナが走り出し、それに俺も続く。
それに応じるかのように、サイチがこちらへ向かってくる。
その瞬間——
全員が足を止め、その場に倒れ込む。
否、足を止めたのではない——足が何かにくっつき、足が止まってしまったのだ。
そして、上半身から勢いよく地面に倒れ込み、手や頭でなんとかそれを防ぎきる。
「後ろだ——ッ!! ユウジ——……ッ!!」
「ユウジぃ——……ッ!!」
直後、徐々に遠のいてくサイチやユミナの声。
俺の足元で、とてつもない勢いで風が吹き荒れる——。
俺は何かに引っ張られ、高速で木々の間をすり抜けていたのだ——。
声のする方に顔を向けると、遠くで這いつくばったまま、顔を上げるサイチの姿——。
ミオナは仰向けになりながらも身体を起こし、俺の方に銃口を向けたまま制止していた——。
「——くそ……ッ! 何が起こって——ッ!」
ガサ……ッ! ガサササ、ガサ……ッ!!
やがて、俺の身体は樹上の木々にぶつかりながら、その移動を停止した。
木の枝にかき回されたおかげで、身体の節々が痛い——。
そんな樹上から見渡すが、既に皆の姿は見えない。
「……だいぶ、飛ばされたみたいだな——……。」
正確には、何かに足を引っ張られた、に近い。
しかし、足元を確認するが、それらしい物体は見当たらない。
そこへ、木の葉を踏む音が徐々に近付いてくる。
動物——いや、足音から察するに、それは二足歩行だ。
限られた視界の中、足音が木下まで来たと思うと、それは急に止み、微かに枝たちが少し揺れた気がした。
「何ヲシニ——来タ——。」
耳元で発されるような、不気味な声——。
「どこだ、何者だ——!」
俺は動かない身体でもがきながら、声の主に質問する。
——か、身体が動かない……? なんで——……。
ようやく俺はそこで、さっきまで動いていた身体が動かないことに気付く。
「何ヲシニ——来タ——。」
繰り返される、不気味な声——。
ひとまず俺は、その声をマヤと仮定し、ドロバチの神経毒で昏睡状態にある虫人の話をする。
「——助けてほしい人がいる……! ドロバチの神経毒で眠ったままなんだ——頼む!」
沈黙する森——。
だが、そんな中、俺はめげずに続ける。
「昔に、医療研究チームで優れた研究員がいたって——それでこの森に来たんだ——……! 頼む……!」
「人間ハ、人間ノ医療ヲモッテ、ソレヲ修復——昔ノ様ニ、私ハオ前タチヲ、許シタリハ、シナイ——。」
再び、沈黙が走る。
下を見下ろすが、やはり何もいない——何故なら、そいつはずっと俺の目線の上——木の上に居たからだ。
薄暗い森の中、黒い体表に複数の腕——通常の虫人のそれとは根本に違う何か——。
翅翼はなく、睨みつける八つ眼は、すべてが俺に向けられていた——。
俺はその姿を見て、改めて言葉を発しようとする。
「——助け——が——……ッ!」
だが、上手く声にならない。
唾を飲み、もう一度声を出す。
「——助けて欲しい方がいるんです。お願いです。力を貸してください——。」
平常心を保とうとするが、身体は恐怖に狩られ、ただ小刻みに揺れていた。
「——タイカ——。」
——タイカ? 対価のことか……? つまり、取引をする——今この状況で——……?
樹上の虫人——マヤは続ける。
「——対価ヲ、言ウ——オ前ハ、何ヲ差シ出セル——カ——。」
俺は必死にその言葉に考える。
——金か、それとも別の何かか……、今ある者はユミナから預かったヘッドシェルとライフルと……。
いや、ライフルはどこかへ落としてきてしまったし、そもそも相手が欲するものではない筈だ——。
「——ゾウキ——肝臓、モシクハ——セ—ボネ——。」
——コイツは何を言っているんだ……? 臓器?肝臓?……背骨と言ったのか……?
俺の頭の中では、ますます訳が分からなくなっていた。
——何を言っている——それに何故、俺の身体の一部を欲する——……?
この虫人は、過去に医療研究チームのメンバーだった。
そして、この森で彼女が密かにできること——それは研究と、研究のための材料を探す他ならない——。
要するに、俺は身体の一部を差し出さなければ、この虫人と取引することはできない——。
そう考えるべきだろう。
改めて、マヤがいかに危険な虫人か、俺は気付かされることになった。
「——右腕——セキ髄——、カイ馬——眼——スイ晶タイ——」
呼称する度、動く目先——。
八つの眼は俺を見ていたのではない——すべて俺にある身体の部位を見ていたのだ。
もちろん、臓器なんてあげられない。
その後も、俺は考えた。
他に、神経毒に対する抗薬が作れる方法があるのなら、取引をしないことだって可能だ——。
しかしそれがかなわない今、ここまで来てしまった今——。
取引して、命が保証されるとは限らない——。
だがせめて、命に代わらぬ何かを差し出すのが、この場において、一番の得策だろう——。
知識なんてない——だが、ない頭で必死に考え、それに対する答えを口にした。
「——血……血なら、とっても死なないだろ——……。」
もちろん、摂りすぎて死ぬことは充分にある。
しかし、今俺が差し出せるのは、それしかない——それしか、思いつかない。
「——血——……」
後ろに控えた三本目の右腕が、ゆっくりと注射器を圧縮していく。
取引は、恐らく成立した。
——え、あ、ここで……?
声にもならない俺の感情が、ただそう言った。
見えない何か——蜘蛛糸で支えられた虫人が、徐々に俺に近づいてくる。
恐らく俺の四肢も、この蜘蛛糸で撒かれている——抵抗の余地などない。
黒く細長い腕が、俺の皮膚に注射針を突き付ける——。
その瞬間、新鮮な赤い血が、太い管の中を満たしていく——。
——何ミリ——いや、何リットル入るんだ——……。
近くで見たその管は、想像以上に大きく、そして太い。
だがそれは、この状況による視覚的な錯覚、或いは誇張だったのかもしれない。
数秒、数十秒——俺の血が、ただ管の中をいっぱいにしていく。
今ここでこの管が割れたら、きっと俺は血まみれになるだろう——。
——まだか——! ——これ、死ぬやつか——……?
そんなことを考えながら、俺は見ていることしかできなかった——。
やがて、針は抜かれ、赤で満たした瓶がその手元に収まる。
「……終わった、のか——……。」
その瞬間、地面に落下し、俺はコマのように回転した。
そして、そのまま地面に叩き付けられる。
ドォン——ッ……!!
森に響く衝突音。
「いっ……てぇ……——。」
見上げた先に、マヤの姿はもうない——。
枝の間に反射した、蜘蛛糸だけが静かに揺れているのが見える。
立とうにも、力が入らない——。
俺はそのまま、気を失った。
西の森・奥地——
「——……ウジ……ユウジ……! 起きろ! 起きなさい——!」
その声は、どこか聞いたことがある——。
いや、この耳を劈くような声は、アイツしかいない——。
「——ユ……ミナ……?」
「何寝ぼけてんのよ! 心配したんだから!」
ユミナが、倒れた俺を叩き起こす。
寝ぼけているわけではない。
ただちょっと、血が足りないだけだ——。
「ユウジさんその右腕——ど、どうしたんですか——……!」
ミオナに言われるまま、俺は手で抑えた場所を見た。
流れ出た血が腕を伝い、そこで固まっていた。
ユミナが無理矢理体を起こさせる。
「細い針跡ね。」
それを聞いたミオナはすかさず、自分の服の裾を躊躇いなく、切り破った。
「——お、おまえ……なにしてんだよ……——?」
しかしミオナは夢中になり、ただ出血した右腕にぐるぐると包帯のように撒いていく。
「だ、大丈夫だよ……これぐらい——」
「大丈夫じゃないですよ。消毒はできませんが、創傷の保護はしなくてはいけません。ばい菌が入りますから——。」
なぜか俺は、そんなミオナの説明にただ一人、安堵の息を付いていた。
——なんか、帰って来たって感じだな——。
連れ去られたのは、一瞬だったのかもしれない。
それでも俺は、このメンバーに囲まれている空間に、落ち着きを取り戻していった。
そして、その救護処置が終わるともう一度、歪んだ視界の中、一人ひとり顔を確認していく。
「——アヤカ——サヤカ——サイチ——ミオナ——全員いるな……——。」
すると突然、肩を貸したユミナが、怒鳴るような声で耳元で叫び出す。
「ちょ、ちょっと! なんで私だけ確認しないのよ!」
容赦ない大声のおかげで、余計に頭がガンガンする——。
「——あ、あぁ……ユミナは声でわかるから……これで、全員だ……——。」
声でわかる——そう、良くも悪くも。
しかし、見えない死角の中、ユミナはわずかに照れ隠しをしていたのだった。
そんな中、唐突にミオナが屈みこむ。
「あれ、これは——?」
「どうした、ミオナ——。」
何かを見つけたように言うと、サイチもそれを覗き込みにいった。
地面に置かれた、ポリマー製の白く小さなケース——。
ミオナはその白いケースを拾うと、皆に見せるようにゆっくりと開けた。
「——注射器?」
ユミナのそんな言葉に、俺は先ほどのトラウマを掘り起こされるような感覚に陥る——。
「1、2、3、4、……こんなにあれば、患者が何人いても、安心だな……。」
白いケースの中身を確認すると、俺は先ほどあったことを皆に話していった。
タイカ——。
それはきっと、神経毒に対する抗薬——。
マヤの言っていた対価の答えだったのだ。
その後——
俺、ユミナ、ミオナはそれぞれチーム・サイチの三人に抱えられると、
空中を飛行し、急いでアルカディアへと戻っていった。
その途中、俺は空から西の大森林を見渡したが、サイチたちが見たという白くて丸い構造物は、見当たらなかった——。
だが一瞬、日の光で反射して見えた、巨大な蜘蛛糸の巣が、確かにそこにはあった。
飛行開始から数分後——。
アルカディアの西方検問所が見え、ミオナが通信を取ると、再びその西方検問所が門を開ける。
到着後、そのまま病院へ向かい、薬を渡すついでに、なぜか俺はそのまま診断室送りになってしまった。
ケースの注射器は全部で三本——。
森で数えたあの数は、俺の眩暈によるものだったらしい。
その内の一本は医療研究チームにて解析が行われ、薬品としての効果が確認されると、
神経毒で昏睡状態だった虫人——レイカは無事、目を覚ましたのだった。




