第14話 野営
《野営》
アルカディア西方・西の大森林・奥地——
辺りは次第に暗くなっていく。
昼まで差し込んでいたわずかな光も途絶え、森は遂に本格的な闇に沈んでいた。
一体どれくらい歩いただろうか。
何キロ、或いは何十キロ——。
延々と続く闇の中、誰一人として音を上げはしない。
——むしろ、俺だけが音を上げそうだ——。
そんな様子に、ミオナが優しく声をかけてくる。
「ユウジさん、大丈夫ですか——?」
「あ、あぁ——何とか——。」
ユミナから渡されたヘルメットのせいで、やけに頭が重い。
それに、ライフルのスリングもまた、ずっと付けていると汗や蒸れのせいか、
その部分だけが擦れて妙に痛痒くなっていく。
「ちょっとミオナ! よそ見しないのよ! しっかり前見なさい!」
「は、はい——! ——ユウジさん、頑張りましょうね。もうすぐですから。」
「お、おう——。」
もはや、そんな言葉に気の利いた返しをする余裕もなかった。
アルカディアの汎用TEXS——LM-2の肩に追加装備されたフラッシュライトだけが、前方の地面を白く照らしている。
——今、何かクマのようなハンターが出てきた場合、俺たちは成す術なくやられてしまうのだろうか——。
そんなことを考えながら、ただ歩き続ける——。
すると、ユミナが足を止める。
「休憩。各人周囲警戒!——ミオナ!」
「は、はい!」
「今すぐ周囲地形をスキャンよ!」
「りょ、了解です!」
ミオナはバイザーを降ろすと、静かに呟き始める。
「——地形情報スキャナー、オン。サーマルビジョン、ナイトモード——。」
キュィ———ン……ッ。
静かな森の中、小さな機械音が鳴る。
俺はチーム・サイチと一緒になり、その様子を見守った。
「何やってるんだ……じゃなくて、ですかね——?」
「ん? あぁ——地形スキャンだよ——俺もよく知らないですけど——」
「はぇー……。アルカディアのTEXSって、便利なんだ……、で、ですね。」
——こいつ、敬語慣れてなさすぎじゃないのか——?
十五の俺が言うのもなんだけど、ふっつうーの一般人なら、敬語くらい使えるだろ……。
俺はとうとう、その覚束ない口調にしびれを切らした。
「な、なぁ、サイチ——さん——?」
「な、なんだね——ですか——ユウジ——さん——。」
「その敬語、もうやめませんか——? かえって話しづらいですし——サイチ——さん——。」
「あぁ——でも、ユミナ様がそれをお許しになるかどうか————ユウジ——さん——。」
「なら、せめて俺と話すときだけでも——無理に気を回してると戦術的な遅れが出るんじゃないですかね——サイチ——さん——。」
「そ、そうか——? 俺は、ちゃんと話せてるもんかと——……。」
「——んじゃ、そういうことで——。よろしくな、サイチ。」
「んな、急に呼び捨て!? おめぇ、ダチかなんかかよ?」
「だってその方が話しやすいし——。」
「お、おう……そうなのか——? そういうもんか——?」
俺とサイチのそんなくだらないやり取りの中、ミオナの地形スキャンは終わったみたいだった。
「——報告します。地上に敵影なし、小動物を複数確認。——現在、樹上スキャンを継続中——。」
「了解よ。ミオナはそのままスキャナー展開してて!
「了解です——。」
ユミナに報告を終えると、ミオナは引き続き、周囲を歩きながら樹上のスキャンを行っていく。
「ユウジ!それとチーム・サイチ!」
すると突然、ユミナから名前を呼ばれる。
「あ、はい!」
「はぁい!」
「あんたちは薪集め! ミオナからバックパックを預かって私のところへ持ってきて!」
「了解!」
俺たちは声を重ねながら返事をする。
その直後、俺はサイチと顔を見合った。
「なぁ、サイチさん——俺は一応、護衛対象なんだし、お前がミオナのバックパック取り行けよ。」
「なぁ、ユウジ殿——俺の状況を知っているだろ? ユミナの元へ行ったら、何をさせれるか、分かったもんじゃない。そうだろ——?」
「ならここで、ジャンケンと行きましょうか、サイチ・さん——?」
「望むところだぜ——ユウジ・どの。」
俺たちは互いに向かい合い、運気の神に授かれし、右手に思いきり力を込めた。
「ゆくぞ!」
「来い!」
「最初はグー!!」
「ジャンケン——……ッ!!」
その時だった——
冷え切った空気が、俺たちのすぐそばを掠めた気がした——。
「アンタたち——何をしているの——?」
只ならぬ殺気を放つユミナ——。
いつもと一味違う——低い声が、俺たちに向けて発せられる——。
——なっ……! いつの間に——!?
「アンタたちがくだらないやり取りをしている間に、よ——。」
「心を詠んだだと——っ!」
「ば、バカな!?」
「誰が馬鹿ですって——? ——私はユミナ。超一流のエリート。頭もいいし体力もそこそこある——。
戦闘能力だって申し分ないくらいには備わっている——アルカディアは私を、大変重宝している——。
そんな私を——誰がバカですって——?」
ユミナの眼がギロリと光り、サイチを見下ろす。
そこへ——
ドサッ!!
アヤカがバックパックを持ってやってくる。
「ユミナ様、お待たせして、申し訳ありません。ミオナ様からバックパックを借用してまいりました。」
「あ、アヤカ! で、でかした——!」
サイチは思わず安堵の息をついた。
しかし、ユミナの表情が変わることはない。
「——四十八秒——。」
「へ——?」
「私の命令から、バックパックがここまで運ばれてくるのに掛かった時間よ——」
「あー……。えっと——。」
——サイチ……俺は喋ることができない——今喋ったら余計にユミナの逆鱗に触れるだけだ——。
頼むサイチ——気付いてくれ。もう喋るな——……。
「えー……そのー、ジャンケンして決めようと——」
ズガァ——ッ!!
森に響く、重い衝撃音——ユミナの回し蹴りが、サイチの顔面めがけて直撃したのだ——。
「サイチぃぃーーーーッ!!!」
「サイチ様っ!!」
サイチはそのまま、帰らぬ人となってしまった。——二十分間くらいは。
「ユウジ。」
「は、はい! 何でしょうか!」
「薪を集めてきなさい。私は今、非常に怒っている。」
「はい、ただいま! い、行って参ります!!」
——すまん、サイチ……! お前を助けることはできなかった——……。俺を許してくれ——……!
地面に倒れたサイチを置き去りに、俺はそのまま、逃げるようにしてその場を去っていったのだった。
「ユミナちゃん! 一通り、スキャン終りましたー!」
後ろでは、何も知らないミオナが、いつものような明るい声でユミナに報告しているのが聞こえる。
「終わったー? なら一緒に、バックパックの中身を展開してくれるー? ご飯の準備するわよー!」
「はーい! 今行きますねー!」
静かな森の中、ただ、ガードの声だけが響き渡ったのだった。
その後——。
俺は暗闇の中、なんとか地面を手で探りながら、必死で薪を集めたのだった。
「薪持ってきました——。」
「なに? それだけ?」
「す、すみません——。」
「いいわ。最初の火種にするから——足りなくなったら、後でアイツに取ってきてもらうし——。」
ユミナは、ぐったり横たわったサイチを眺めながら言った。
「起きないわね。夜メシ抜きにしちゃおうかしら——。」
「え、それはまずいだろ? ほら、一応護衛だし、俺のこと守ってくれるって——」
「でも全然使えないじゃない。昼間は草食動物にビクビクしながら歩くし——」
「ま、まぁまぁ——っていうかそれ、火はどうすんだよ——?」
俺は焚火を前に座り込むユミナを見ながら言った。
「ん? ライターで普通にやるけど?」
「あぁ、そこは普通にアレなのね——。」
「薪だって普通よ。それとも何? なんか凄い火起こしアイテムでも出てくると思った?」
「い、いや、別に——できるんなら何でもいいかな、はは——。」
改めて俺は、真っ暗な周囲を見渡した。
何も見えない、何も見ることができなくなった夜の森——。
少し遠くで鳴り響く、薪が擦れる音——恐らく、アヤカとサヤカが薪を拾っている音だろう。
もし、TEXSのフラッシュライトが無ければ、俺たちは暗闇の中、何も見えずに夜を過ごしていたのかもしれない。
そう考えると、改めて、アルカディアのTEXSの有用さに気付かされる。
「ちょっとユウジ、なにぼーっとしてるのよ。」
「あぁー、……なんか便利だなって。アルカディアのTEXSはさ——。」
「何が? フラッシュライトのこと?」
「それもあるけど、ミオナの地形スキャナーとか——。」
俺の言葉に、ユミナはライターをカチカチとさせながら、呆れたように言う。
「アンタ何言ってるの? スキャナーはミオナの私物よ。」
「え?」
「なに? あれもLMの機能だと思ってたわけ?違うわよ。
あれは、ミオナが半年分の給料叩いて買った、民生TEXSのスキャナーよ。ホッパーモールにもあったじゃない。」
「は、半年——!?」
ホッパーモールでの出来事を一生懸命思い出す——。
そもそもTEXSになんて興味がなかった俺は、機能や構成など、あまり細かく見ていなかった。
確かあの時は、ユミナが高額なブレードを購入していた——。
ユミナが特殊な戦闘スタイルだから、てっきり私物装備を購入していたのかとばかり思っていたが、それは違うのかもしれない。
ミオナもまた、通常のライフルを使いつつ、便利な装備品への投資を一切躊躇わない立ちだったのだ。
「火、ちゃんと起こせてよかったです。」
そこへ、ミオナが開けた缶詰を持ってやってくる。
「わっ! 吃驚した、ミオナか——。
急に暗闇から現れる謎の気配に、俺は思わず吃驚してしまう。
ミオナの手元を見ると、蓋の空いた大きめの缶詰が複数、重ねて保持されていた。
「って、なんだそれ——?」
「これですか? これは野戦食II型——通称ぐうぐうポテトですよ。」
「ぐうぐう……?」
「はい。腹持ちがよく、腸内環境も整いますので、なぜかお腹がぐぅぐぅ鳴るんですよね。」
ミオナはユミナに微笑みかけながら、冗談みたいな説明をしたのだった。
「戦闘食なのにお腹鳴っちゃうなんて、戦術的じゃないわよ。」
「まぁ、それもそうだな——」
「——で、全部開けれたの?」
「はい。今火にかけますね——」
ミオナはいつものどん臭い様子で、火に缶詰を近づけた。
そして、思わず手を引っ込める。
「熱っ——。」
「ちょっと、何やってるのよ。ユウジ。」
「オーケー、俺の出番だな——貸してみ——。」
俺はミオナから缶詰を受け取ると、薪の上にバランスよく置いていった。
「こんなもんでいいのか——?」
「上出来よ。」
ユミナのそんな誉め言葉が、俺にとっては今日一嬉しかった。
しかしこれ——
「これ、中まで燃えちゃわないか?」
ふとした疑問をぶつけてみる。
「いいのよそれで。表面に焼き目がついて美味しくなるんだから。——ま、ユミナ流ね。」
「へぇ——……。」
すると焚火の奥で、サイチがうごめくのが視界に入る。
「……あれ、ここは——」
「天国よ。」
ユミナが即答する。
——俺がサイチの立場だったら、地獄なんだけどな——……。
「——なんだ、天国かと思ったら、まだ地獄だったか……。」
「ん? なに?」
「あぁ、いや。こっちの——じゃなくて、あっちのセリフだ。」
「どっちよ。」
やがて、ぐうぐうポテトの表面に、徐々に焼き目が付いていき、香ばしい香りが漂わせる。
サイチはその香りを嗅ぐと、思わず眼を輝かせた。
「なっ……これ、皆分あるのか——?」
「当然じゃない。みんなチームなのよ? 一人で食べたりしないわ。」
「おぉ——!」
「ただし、アンタは四十八秒。」
「え、——?」
「四十八秒のツケはまだ払ってもらってないわよ。だから、四十八グラム、量を減らすわ。それでいいわね?」
「そ、そんな——。」
そんな理由を付けていたが、ユミナはただ食べたいだけなのだと、この場の全員がわかっていた。
しばらくして——
薪拾いをしていたアヤカとサヤカが戻ってくると、俺たちはぐうぐうポテトを堪能した。
「——そういえば、あとどれくらいなんだ? マヤがいるところまで——」
焚火を囲う簡易マットレスの一角に座りながら、俺はそんなことを尋ねてみる。
「そうですね——正直、西の森にいるという話しか分かっていませんし、正確な場所が分からない以上は——」
「道辿って、何か手掛かりがあればって感じだけど、それじゃ埒が明かないな——。
で、夜はいつ出発するんだ——?」
ミオナに続くようにサイチが言うと、不意に出発の話を切り出す。
「——いや、夜は流石に——。」
「え、行かないのか? 今のうち進んでおいた方がよくないか——?」
そこへユミナが、呆れたように割り込む。
「あんたら夜行性組はいいわよ。護衛任務が務まるなら。」
「昼はだいぶ歩きましたから——今は休息が必要です。ライトは限られてますし——。」
そんな三人のやり取りを見て、ふと俺の頭に疑問が浮かぶ。
「そういや昼間、お前だけ鹿に気付いてただろ? どうやったんだよ——?」
俺はユミナの方を見て質問する。
「ん?鹿? ——あぁ、あれは——」
そう言うと、ユミナは隣に座るミオナのヘルメットを軽く持ち上げ、上の部分を静かに眺める。
「ヘルメット——?」
「正確にはシェルですね。TEXSはヘッドやアーム、ボディーシェルという、各部位ごとにシェルの名前が付与されていますから——。ユミナちゃん、さっきのこと、ユウジさんに教えてあげてください。」
ミオナは補足すると、ユミナの顔を静かに見つめ、先ほどの質問に答えるよう促した。
「——私たち虫人の感覚器官は、目や耳の他にも、触角が付いているわ——
けどこれは、TEXSを装備すると著しく感覚が鈍る——。」
それを聞き、サイチは今気付いたかのようにはっとする。
「どうりで感覚がいつもと違うわけだ——全然気づかなかった——。」
「あんたたち、普段からTEXSをフル装備で着けることなんてないでしょ。
ヴァーダントラインはおろか、アルカディア近隣でも、ここ十数年は大規模な戦闘は起きてないもの。
——でもガードは別。パトロールも検問も、いつでもフル装備——。」
「でもそれ、普通なら分かるもんじゃないのか? 目隠しされてるみたいなもんだろ——?」
俺は再び質問する。
「少し違うわ。——目のような光量を感知するような敏感な器官ではないもの。
よくガードにも同じようなこと聞かれるけど、簡単に言えばマスクをしてる状態に近いわね。」
「マスク——?」
その感覚なら、俺にでもよくわかった。
マスクをしていると、周囲で著明な匂いがしても、あまり気付かない。
あのご飯、いい匂いがするね——そんなことを他人に言われて、初めて自分も気付く——そういう感覚に近いのだろう。
「このヘッドシェルが触角の感覚を遮断してしまうとはな——。」
サイチは自分のヘッドシェルを持ち上げ、納得したように静かに呟いた。
ユミナは話し終えると、ミオナにヘッドシェルを返し、またぐうぐうポテトを頬張った。
「あんら、ほえふんははら、ほんへひへひははいほ。」
「いや、何でそのタイミングで喋るんだよ——せめて呑み込め……。」
——あんた、飛べるんなら、飛んで見てきなさいよ——きっとそう言いたかったのだろう。
ユミナは口の中の物を呑み込む——が、話すと思いきや、再度、ポテトを口に運んだ。
「あ、言わないのね……。」
サイチもまた、ヘッドシェルを一瞥すると、それを置く。
そして、ユミナの言いたいことがわかったのか、再び口を開いた。
「——まぁ、それもそうだな。——触角に頼るなら暗い中でも索敵くらいはできそうだ。
見てくるだけ見てくるか? 今から——」
サイチはアヤカとサヤカの方を見ると、三人は静かに頷き合った。
「夜行性組に任せるわ。私たちはもう少ししたら寝るけど。」
「私たちは昼間の行動がメインですから——先ほども言った通り、夜に行動するのは得策ではありませんよ。
もし何かが起きても、対応できませんから——。」
「——それも、そうだな——。」
活躍の場を奪われ、サイチは残念そうに肩を落とす。
気持ちはわかる——カブトムシは夜行性だ。今にも何かしたくて仕方がないのだろう。
「サイチ様、今日は寝ましょう。我々は今、チームですので——。」
「ユミナ様から、また何か言われてしまいますしね——。」
アヤカとサヤカは、残念そうにするサイチの様子に、隣でただ静かに宥めたのだった。
「今は休みましょう。可能なら、明るくなった明日——6時に行動を開始しましょう。」
スマホの電源を付けると、画面の片隅に小さく出た"圏外"の二文字を見つめる。
——連絡はない——まだ21時だったのか——……。
まだそんな時間だったとは、思いもよらなかった。
俺は再びスマホの電源を切ると、マットレスに横たわり、そのまま目を瞑った。
俺たちはぐうぐうポテトを平らげると、その缶詰を綺麗に重ねていった。
サヤカが最後の束を焚火にくべる——。
拾ってきた薪の山はいつの間にか無くなり、火は細く揺れていた。
やがて森の静けさだけがその場に残り、各々今日の行動を終えていったのだった。




