プロローグ:1 とある田舎の研究者
《コラム:虫人とは—》
起源不明、正体不明——。
突如として地球に現れたそれは、全身に硬い外殻を持ち、大きな翅翼で空を自由に飛んでゆく——。
その外見から通称:虫人と呼ばれ、商業や流通、スポーツ、研究、そして戦争など、あらゆる分野で人間世界に影響を与えていった。
《とある田舎の研究者》
某所——
炎に包まれた街を、報道ヘリが旋回する。
夜空に黒煙が立ち昇り、建物の骨組みが火の中で軋む。
遠くでは、断続的に銃声が響いている。
モニターに映っていたのは、燃えさかる街中と、その中にただ一つ、異形怪人の存在。
——明らかに人間ではない。
しなやかに曲がる黒い尻尾。
無機質な光沢を放つ虫のような異形怪人は、ただ、冷たい眼差しをカメラに向けていた。
"怪人がまた、包囲網を突破したようです!
——現在、警察と国防軍の制圧部隊が展開中とのことですが、交戦している様子はありません!
引き続き、中継を継続します——。"
微かに見えた、辺りに倒れている人影は、恐らくその制圧部隊だった者たちだろう。
その後方で、盾を構える警察の制圧部隊——。
小崎裕太は、研究室の椅子に座ったまま、モニターに釘付けになっていた。
そして唇を噛みながら、小さくつぶやく。
「……あれが、虫人……。」
度重なる、怪人の暴動と、その制圧活動。
人類とは異なる知的生命体の存在に、恐怖とともに抱いたのは、果てしない興味——。
だが、目の前の映像は、遥かに想像を凌駕している。
ただの獣──否、虫と呼ぶべきか。
激しい銃撃の末、なおも立ちはだかり、出来上がったのは廃墟群だけだ。
行く先を阻める者などいない。
人間と変わらず、意志を持って行動している——そうでなければ、とっくにこの国など、滅んでいる——そうだったに違いない。
理解したい——。
あらゆる資料を読み漁った。
論文、目撃情報、世間に出回った動画や写真、考察——昆虫専門学者の推理や悪質な陰謀論——なんでもいい。
とにかく深く、確実に、虫人を知ろうとする自分がいた。
そして、いつしか虫人専門の研究機関を設立し、自らが最先端に立って活動するようになっていた。
生物学者、文化人類学者、言語学者、外交実務家——同じ志を持つ協力者を集めて創設された、人類史上初の虫人研究所。
同い年ぐらいだろう。最初に訪れてきた若い女性と軽く挨拶を交わす。
「初めまして、小崎裕太さんですね——私は考古学者のソフィアです。以前はマヤやアステカの研究ばかりしていました──」
「ようこそ。田舎の研究所には勿体ない人材だよ」
手を差し出すと、ソフィアは強く握り返した。
「えー、研究所の話はどこから?」
「虫人問題は今や、世界各地で話題に溢れかえっています——例えば、中央アメリカのあの事件、離島の革命軍や国連軍との衝突——
猛烈な戦闘の末、彼女はそれらを、何もなかったかのように姿を消した。」
「彼女——?」
「あの怪人です。」
「なるほど——まさに"クリーチャー"だな。」
「えぇ。まぁ——。彼女はジャングルで何かを探していたようです。
——何だったのかは分かっていませんが、何かこう、彼女を本能的に引き寄せるものがあったのでしょう。」
「続けてくれ——。」
ソフィアの解説を聞きながら、重い箱を腕に抱え込む
「あ、えー……、手伝います。」
「すまない。そこの棚に上げる。——せーの!!」
二人がかりで、やっとのことで持ち上がる重い箱。
「中身は何です?」
「情報収集用のモニターだ。——現代社会において、テレビは必須だ。」
「なる……ほど……?」
「さっき、彼女に本能があるとか言ったな——それ少しは違う。彼女には強い意志がある。
——以前にも同じような行動パターンが、ネットにいくつも上げられている——この星で、何か重要な物を見つけたんだ……。」
「星? まさか、地球のことですか?」
「あー、いまのは忘れてくれ。——俺の勝手な思い込みだ。」
ソフィアが説明を求めるが、俺はそれ以上説明はしなかった。
「ですが、地球由来とも考えにくいです。——少なくともアメリカの陰謀論者は、そのように考察しています。」
「だから説明したくなかったんだ。」
その言葉に、俺は苦笑を隠し切れなかった。
会話は続く。
「それで——虫人にも意志が?」
「あぁ。詳しい話はデータを見てゆっくり──」
そう言いかけた瞬間だった。
研究所の角から一人の若者とぶつかりそうになる。
「あ、えっと初めまして! 自分はベネットと言います、生物学専門の──」
男性は、引っ張ってきたキャリーケースを立てると、身なりを整えた。
「裕太だ。よろしく。」
そして、いつも通りの握手を求める。
「あー、今ちょっと手汗が——」
「気にしないよ。どうぞ、手を。」
「すみません——あー、えっと、インターホンを押しても出なかったもので——」
「気にしないって。——お互い、人類の未来を背負うチームだ。よろしく頼む。」
「こちらこそ——。」
そう言うと、ベネットの手を強く握り返した。
外殻人類対策研究所——各分野のエキスパートたちが、次々に世界から寄せ集められていった。
「——アルカディア共生国——」
「共生? 共存とは違うんですか?」
「さぁ——ただ、彼らはそう名乗っている。——ここに怪物と俺らの、何か手がかりがあるかもしれない。」
アルカディア——古来ギリシアに築かれた、理想郷を意味する国家。
"人蟲共生都市"であるアルカディアもまた、その名を冠し、人類と異形が共棲するという、平和共存的な国家体制を築こうとしている。
アルカディアとの接触を図るため、チームはあらゆる手段を使った。
英語で書いた手紙、衛星通信、無線によるリアルタイム通信。
そんな中、アルカディア女王宛に送った手紙が、まさか国際郵便で返ってくるとは、誰もが思いもしなかった。
「——研究所の皆様へ。私たちは、人間と虫人とが共に暮らし、共に支え合う"共生社会"の実現──すなわち、
平和と理解に基づく社会構築を志しております。——女王アルカ」
「……え、日本語?」
「だな。彼らにも言語学者がいるのか──このマークは——」
「さぁ——虫の顔のようですね——女王印とも呼ぶべきでしょうか?」
ここから、全てが動き始めようとしていた。
政府からは追加の研究助成が決定、一部の民間財団からも相次ぐ出資──全てが上手くいっていた。
俺たちはただ笑みを浮かべ、知らせがある度に、研究チームとその喜びを分かち合った。
「——これでようやく、まともなスタートラインに立てるな……」
誰よりも虫人を知りたい、そしてそれは、他の何のためでもない——人類の未来のためだった。
それは、静かな研究所の話だった。
世界の希望か、破滅か——。
虫人という存在が、我々に何をもたらすのか。
この研究所の名前が、世界にまだ知れ渡っていない頃の話だった——。




