3-7
朝は来ない。夜も訪れない。
それでも、カイルの心は確かに“時”を刻んでいた。
この部屋は夢の端にそびえる黒き塔、ルーヴェリスの封印の間の中にぽつんと存在する――彼のためだけに用意された空間だった。
壁は滑らかな石造りで、天井からは仄かに脈動するような青白い光が降り注いでいる。
目を開けても閉じても変わらないその光は、まるで“永遠の明け方”のようだった。
不思議なことに、ここに来てからというもの、空腹も渇きも、眠気すらも感じなかった。
それでも一日に一度、扉の前には木箱に入った食事が置かれていた。温かいスープと、少し硬めのパン。
ベッドも丁寧に整えられ、清潔な寝具がいつも用意されている。
――人間らしさを失わせないための、ささやかな気遣い。
この空間には、そんな配慮が静かに織り込まれていた。
扉は開く。だが、その先に広がる廊下や構造は、歩くたびに姿を変える。
昨日はまっすぐだった通路が、今日は螺旋を描いている。
壁の模様も、灯りの色も、わずかに異なっていた。
まるで、空間そのものが“生きている”かのように。
ある日、カイルは仮面をつけた死神の使いと出会った。
羽根を模した装飾の仮面をつけた、軽やかな声の女だった。
「お散歩中?ふふ、この空間、少しでも退屈しないように設計されてるのよ」
カイル「……俺の心に合わせて、変わっているのか?」
「かもね。あなたが何を見たいのか、何を恐れているのか――塔はよく知ってるわ」
女は意味ありげに微笑んだ。だがその笑みに宿る真意は、仮面の下に隠されたままだった。
書庫のような部屋も存在した。
古びた書物がずらりと並び、異国の言語で記されていた。
にもかかわらず、不思議なことに――読めた。
だが、その内容は翌日になると、まるで霧がかかったように思い出せなくなる。
記憶にとどめようとすればするほど、塔そのものがそれを拒むように、言葉が薄れていく。
紙に書き写そうとしても、文字は滲み、歪み、やがて意味を失ってしまった。
――この場所では、“知識”ですら持ち帰ることができないのか。
もともと探究心が強く、知識に貪欲だったカイルにとって、それはひどくもどかしいことだった。
さらに困ったことに、現世の記憶さえ、少しずつ霞んでいくような感覚があった。
彼が世界を忘れていくのか。
それとも、世界が彼を忘れていくのか。
……それでも、ひとつだけ決して失われない記憶があった。
――ベル。
その名を呼ぶたび、胸の奥が焼けるように疼いた。
彼女の声も、髪の色も、あの夜に見た涙も。
それだけは、どんな霧に包まれても、決して奪われることはなかった。