表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/314

3-4

未だベルを縛る呪いの残滓の合間に、ほのかな光が走る。

呪いの糸から解き放たれたその隙間に、ルーヴェリスの爪がそっと触れると、音もなく魔力回路が修復されていった。


それは、精神をすり減らすほどに繊細で、しかし確かな手業。

まるで崩れかけた刺繍を一針ずつ縫い直すような、果てしなく気の遠くなる作業だった。



侵蝕されていた魔力の通路が、わずかずつ再構築されていく。

圧迫され、閉ざされていた精神は、時折微かに震えながら、ゆっくりと、静かにほどけてゆく。


ルーヴェリスは、少女の魂の最奥へと手を伸ばす。


そこは、あまりにも静謐で――そして深く、長い歳月をかけて沈殿した、痛みと哀しみに満ちていた。


彼の思念が、そっとベルの内側に寄り添う。

その冷たい指先が触れた先から、氷のように凍てついた絶望が、じわりと解けてゆく。

そこに、ほんのわずかだが、確かな温もりが戻りはじめる。



――そして、その瞬間は、あまりにも唐突に訪れた。



ベル「……ん……」



固く閉じられていた瞳が、微かに震え、そっと開かれる。ベルが、目を覚ました。


薄く開いた唇から息が漏れ、淡い光に包まれた静寂の空間を見渡す。

その視線の先にいたのは、静かに膝を折り、彼女の魂に寄り添っていた存在――



ベル「……ルーヴェリス……」



その名を、かすれた声で呼ぶ。

目覚めたベルの瞳には、確かな光が宿っていた。恐れも、苦しみも、迷いもない。


その瞬間の彼女は、まるで――純粋無垢な、ただの少女だった。



ベル「また会えたね……会いたかった」



微かに笑みを浮かべながら、そう告げる。


それは、幾千の時を生き、あらゆる感情を飲み込み、諦めることを覚えていた“ベル”には似つかぬ表情だった。

いつものように醒めた瞳で遠くを見つめるのではなく、今はただ、目の前の存在をまっすぐに見つめている。


声も、仕草も、どこか幼く、柔らかい。

まるで、長い間さまよい続けた迷子の少女が、ようやく大切な人に巡り逢えたかのようだった。



だが――その次の瞬間、ベルの表情が翳った。

潤んだ瞳が揺れ、震える睫毛の下で、唇がかすかに開いては閉じる。



ベル「……ルーヴェリス……私……、あの人に……」



言葉の先が、どうしても続かない。

脳裏に蘇るのは、セラフによって刻まれた、狂気に満ちた“愛”の記憶。


穢された肌。押し付けられた執着。壊れた、ねじれた言葉。

それらすべてが、少女の心を蝕み続けた呪いのようだった。


優しく笑いながら触れてくるセラフの唇。無理やり額や頬へと這い寄り、

独占欲に飲まれ、彼女を壊す。

そして、不死の肉体が癒えるたび、懺悔の言葉を繰り返す。


それは――愛と呼ぶには、あまりに歪んだものだった。



ベル「――もう、やだ……あんなの、……っ」



ベルの声はかすれ、喉の奥から嗚咽が漏れる。

今にも崩れ落ちそうな身体で、彼女はルーヴェリスに縋りついた。



ベル「怖かったの……お願い……ルーヴェリス、傍にいて……ずっと、ここにいさせて……っ」



泣きながら、縋るようにしがみつく。

その手はあまりにも小さく、そして震えていた。



まるで――壊れてしまった人形のように。



ルーヴェリスは、何も言わず、そっとその額に唇を寄せた。

その口づけは欲でも衝動でもない――ただ、限りない慈愛と赦しに満ちていた。



ルーヴェリス「……もう、苦しまなくていい、眠りなさい」



彼の声は、まるで深い泉のように、ベルの心の奥底にまで染み渡っていく。

静かに、確かに、彼女を包み込む。


ベルの瞼がゆっくりと閉じられ、やがて再び深い眠りの底へと落ちていった。

その頬にはまだ涙の跡が残りながらも、微かに安堵の影が浮かんでいた。



――静かな闇が、再び彼女をやさしく包み込む。



ルーヴェリスはその姿を見下ろし、静かに目を伏せた。



ルーヴェリス「……私は、お前の痛みを憶えている。忘れることなど、決してない」



その声には、深い哀しみと静かな誓いが滲んでいた。

彼が落とした口づけは、決して過去を癒すものではない。

魂に刻まれ、消すことさえできぬ記憶――


だからこそ彼は、それを思い出させぬよう、封印することを選んだ。

せめて、この眠りの中では、何も思い出さずにいられるようにと。



癒えぬ記憶。消すことのできない傷。

それでも、彼の瞳には、確かに一人の少女と結んだ絆の記憶が宿っていた。



それは、神である前に、“ひとりの存在”として、彼が心に抱いた祈りの証だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ