3-2
この部屋に転送されて以来、カイルは一度もベルに会えていなかった。
そして、死神――ルーヴェリスの姿も、影も。
あの空に浮かぶ深紅を帯びた紫の瞳。
圧倒的な威容と静謐な存在感。
それは人知を超えた神そのものだったが、今では夢の中の幻影のように遠く霞んでいる。
部屋の中には時間の流れも、外界の気配もない。
必要な食事は、無言でどこからともなく現れる。
眠れば夢を見て、目覚めればそこに戻る。
まるで自分の意識の隅で揺蕩っているかのような、閉ざされた世界だった。
そんな静寂の中で、ときおり姿を見せるのが――死神の使いと名乗る者たちだ。
彼らは顔を完全に覆う漆黒の仮面をつけ、黒衣を纏い、まるで闇の欠片が人の形を借りたかのように現れる。
動きはしなやかで滑らか、しかしどこか不自然なほど静かで、声は囁きにも満たないささやきのようだ。
だが、それぞれの使いには奇妙な“個性”があり、同じ闇の存在でも、その振る舞いは様々だった。
ある日、現れた使いは小柄で、細く高い声を持っていた。
その仮面には涙を模した繊細な彫刻が刻まれている。
まるで悲しみを宿した仮面のように、どこか儚げでありながら冷徹な空気をまとっていた。
「ようこそ、“死蝕の塔”へ」
彼はまっすぐにカイルを見据えた。
「あなたはあの方――ルーヴェリス様の慈悲により運ばれました。
ここは、彼の封印の間にある特別な部屋。そこが、あなたの居場所です」
言葉の端々に、厳かな意思と微かな哀惜がにじんでいた。
別の日、背の高い使いが静かに姿を現した。
低くくぐもった声で、儀礼的に語りかける。
「我らが主、ルーヴェリス様はこの塔の中心に眠っておられる。
あなたに伝えられる情報は限られているが……記憶はすぐに霧散する。
故に、話すことに問題はない」
彼らは礼節を忘れず、しかしどこか――人間とは異なる断絶を感じさせる独特の気配を纏っていた。
ある日、カイルは問いかける。
カイル「お前たちは……死神の眷属なのか?」
応じたのは、仮面に口元のような模様を描き、朗らかに笑う声の使いだった。
「眷属? はは、それは違う。俺たちはあの方の“夢”さ。
声であり、想いであり、影……まあ、いろんなものの端っこだよ。
だが、あなたは特別だ。あの方が、自らのまなざしの届く場所に置いた、数少ない“人間”だから」
その言葉に、カイルの胸の奥がざわついた。
まるで、ベルを気にかける主の意志が、確かにそこに滲んでいるかのようで――。
カイル「……ベルは、無事なのか?」
カイルの問いに、仮面の奥の瞳は静かに揺れるばかりで、言葉はなかった。
しばしの沈黙の後、ようやくひとつの言葉が零れる。
「――あの方は、いつでも彼女を見守っておられる」
それだけだった。
言葉の裏に潜む深い意味を探ろうとしても、先へは何も得られない。
カイルは壁に背を預け、無機質な天井を見上げる。
この空間には昼も夜もない。
だが、彼の心だけは確かに、静かに時を刻んでいた。
彼は待っていた。
あの少女の姿を――再び目にするその瞬間を。
たとえそれが、遠い記憶の彼方へと溶けていくとしても。