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2-54

死神の爪が指し示すままに、カイルは夜の闇を駆けた。

息は荒く、胸は焼けつくように痛む。

心臓の鼓動は耳をつんざくほど激しく、今にも破裂しそうだった――それでも、足は止まらない。


恐怖も、迷いもなかった。

むしろ、頭の中は妙に澄み渡っていた。


これから相対するのは、明らかに格上の存在。

カイル自身、それは理解していた。


彼は密偵――影に潜み、探り、追い、仕留める者。

潜入と追跡には自信があるが、正面からの戦いとなれば話は別だ。

しかも今回の相手は、“慟哭ノ従者”。


黒き観測者から除名されたとはいえ、彼は元聖騎士。

剣と魔法、両方の才を持ち、幾多の命を奪い、数多の任務を遂行してきた、確かな実力者。


まともにやり合えば、生き残れる保証はない――

それでもカイルは、歩を止めなかった。


――勝てるはずがない。


そんな声が、心の奥底で囁いていた。


姿を目にする前から、実際にその魔力を感知した瞬間、胸の奥にわずかに残っていた希望の火は、一度はかき消される。

滲み出るのは、狂った呪いの魔力。

おそらく、体には魔力を増幅する術式が施されているのだろう。


まるで人の形をした災厄だ。

喉が渇く。背筋が凍える。 逃げ出したい


――だが、その背後にあるものが、カイルの背中を押す。


森の奥、闇の中にぽっかりと口を開けた洞窟。

そのさらに奥、綿密に隠された結界の中から、ベルの気配が微かに伝わってくる。

まるで呼応するかのように、手の中の〈死神の爪〉が震えた。


たとえ、この身が砕けようとも。

彼女だけは、取り戻す。

カイルは奥歯を噛み締め、震える足に力を込めた。


森の奥、闇に呑まれた洞窟の前。

その男は、月が雲に隠れ闇に包まれた瞬間の、影より濃い狂気をまとって立っていた。


呪いの魔力が全身を蝕んでいるはずなのに、その足取りは揺るがず、むしろ凛としてさえ見えた。

鎧はかつての聖騎士の誇りを思わせる白銀の造り――だが、今は赤黒く染まり、禍々しい歪みすら感じさせる。


カイルは走る勢いのまま、そこへ飛び出した。





集中を切らすことなく、セラフは気配の先を睨みつけていた。

森の暗がりを裂いて、影が一つ――

一人の青年が姿を現す。


その姿は、先ほどまで漂っていた妖艶とも言える“死”の気配には似つかわしくない。

見た目はごく普通の青年。どこにでもいる旅人のようにも見えた。



セラフ「……誰だ?」



呟かれたその声には、驚きはなかった。

あるのは、拍子抜けしたような静けさ。

けれど、すぐにセラフは違和の正体に気づく。


青年の身を覆うのは、苔のような深緑の外套。

軽やかで無駄のない動き。だが――

その身に纏う魔力、その“癖”が、セラフの記憶を呼び起こしていた。



セラフ「……ああ、なるほど」



セラフの目が細められる。

思い出すのは、あのときベルが身に着けていた衣――

不可解な布。彼女の魔力に干渉し、加護のようなものを与えていたそれ。



セラフ「――君が、あれを着せたのか」



低く、絞り出すような声だった。

怒鳴りでもなく、剣を抜くでもなく。

ただ一歩、セラフが前に出るだけで、周囲の空気が冷たく、硬く、張りつめていく。


カイルは、セラフの気配の変化を正確に読み取りながらも、一切怯む様子を見せなかった。

むしろ、一歩も退かず、静かに、冷静にその視線を受け止めている。



カイル「倒れていた彼女を助けただけだ」



淡々と告げるその言葉に、セラフが返したのは短い一語――



セラフ「触れたのか」



その瞬間、空気が凍りついた。

声には怒鳴りも罵声もない。ただ、静かに、冷たく――その言葉に込められていたのは、理不尽な怒りでも、過去の嫉妬でもない。

“それは、許されるべきではない”という、純粋な断罪の感情だった。



セラフ「君は、“蛇の法衣”の者だね」


カイル「……」



カイルは答えない。

だがセラフの視線は、彼の外套に小さく刻まれた蛇の紋章を正確に捉えていた。


セラフの瞳が、わずかに赤褐色の光を帯びる。

カイルはすぐに気づく。

――これは、肉体強化の魔法。

視覚も聴覚も、すべての感覚を鋭利な刃へと変える、戦闘の前兆。



セラフ「それでも、彼女に手を伸ばしたか……それがどういう意味か、理解しているのか?」



“蛇の法衣”――長きにわたる歴史の中で、ベルと幾度も対峙し、数えきれぬ非道を重ねてきた者たち。

それがカイル自身の罪でないことなど、セラフには関係なかった。

積み重ねられた憎悪が、いま、この場所で、一人の青年に注がれている。


セラフの右手が、静かに剣の柄へと伸びる。

その動きはまるで儀式のように遅く、そして確実だった。

剣が抜かれるそのときを、空気も、大地も、ただ黙って待ち構えていた。


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