2-50
村の外れにある空き家。
長らく持ち主がいないはずのその小屋は、思いのほか整っていた。
「数日前まで、誰かが泊まってたって話だ。誰かまでは……聞いとらんが」
ぶっきらぼうな村人の言葉が、カイルの耳にどこか引っかかる。
扉を押し開けた瞬間、鼻をくすぐる微かな香り――香草か、それとも、血と花が混じったような、濃密な匂い。
床は隅々まで掃き清められ、椅子や食器も整然と揃えられていた。
だが、その完璧すぎる静けさが、むしろ異様だった。
カイル(……これは、何かを覆い隠している)
疑念に突き動かされ、カイルは魔術探査の術式を展開する。
静かに手を掲げ、指先を空に滑らせるように動かした。
空気がわずかに震え、そこに“何か”が潜んでいる気配が広がる。
カイル「――記憶はまだ、息づいている」
彼の低い声が夜の静けさに溶けていく。掌に淡く光が灯り、やがてそれは輪を描いて広がり始めた。
カイル「《追想なる連鎖よ、繋がれ。
残滓の律動を捉え、我に示せ》」
魔術の紋が地に浮かび上がり、空気に漂う微細な魔素が淡く光を放ち始める。
過去の魔力がこの場に染みついた痕跡が、まるで亡霊のように揺らぎながら、カイルの眼前に姿を見せた。
彼の目が細められ、かすかな焦点に釘付けになる。
――隠蔽、浄化、気配遮断。それだけではない。
いくつもの術式が、幾重にも重ねられていた。
それはあまりにも周到で、あまりにも精緻。
歪むほどに美しく、執念すら感じさせる構成だった。
カイル(……完璧なはずなのに、逆に目立っている。まるで、存在を隠そうとしていること自体が、痕跡になっている)
魔術の気配が微かに脈を打つ。
それはまるで、ここに“誰かがいた”ことを、なおも主張し続けている。
カイルは、ゆっくりと懐からひとつの魔道具を取り出した。
自作の〈過去視〉装置――彼が「蛇の法衣」で得た禁術の知識と、幾つもの希少な素材を惜しみなく注ぎ込んだ、技術の結晶。
掌ほどの円盤。黒曜石のような光沢を持つ金属に、細かな魔術文字が刻まれている。
縁には紫水晶の粒が等間隔に埋め込まれており、それらが淡く脈を打つたび、まるで装置自体が呼吸しているかのように見えた。
彼はそれを床にそっと置き、息を整える。
次の瞬間、指先から静かに魔力を注ぎ込んだ。
カチ、と微かな起動音。
円盤の中央に、揺れるような光の幕が生まれ、やがて宙へと立ち上る。
その中に浮かび上がったのは――
微かな、けれど確かに“そこにあった”過去の残滓。
揺れる光の中に現れたのは、ひとりの少女。
淡い紫の髪。静謐な瞳。そして、言葉にできないほど深い“静寂”の気配。
――ベル。
間違いない。彼女は、ここにいた。
そして、その隣に滲む、もうひとつの影。
輪郭は背の高い男。
顔はぼやけていて見えない。だが、彼の“内面”だけが、鮮烈に映し出されていた。
――熱。
焦がすような愛情。
狂気に裏打ちされた、渇望。
ただ一人の少女を――ベルを、“所有”しようとする執着の塊。
カイル「……慟哭ノ従者」
カイルは、低く呟いた。
その異様な存在に、確信を覚える。
光の中の幻影が、少女の髪にそっと手を伸ばす。
撫でるように触れ、肩へと口づけを落とす。
――その仕草は、優しく見えた。だが、そこに込められた“愛”は、すでに常軌を逸していた。
まるで、彼女という存在そのものを閉じ込め、飢えた魂で抱きしめようとするかのように。
そして――映像は、ゆっくりと変容する。
寝台に敷かれたシーツは紅く染まっている。
その中央に、ベルが横たわっていた。
頬はわずかに紅潮し、まぶたは半ば閉じかけている。
唇はかすかに開かれ吐息が震え、陶酔と脱力が、全身を包んでいた。