2-49
治癒師としての務めを終え、カイルは礼を述べる村人に軽く頭を下げた。
すると、村人はふと顔を曇らせ、こう尋ねた。
「宿は……どうするんだい?もう暗くなってきただろう」
カイル「ああ、森の入り口で野営するつもりだ。雨も降らないだろうから」
そう笑って答えたカイルに、村人の表情が一瞬で強張った。
「……やめた方がいい」
その声には、戸惑いと、かすかな怯えが滲んでいた。
続けざまに、村人は低い声で語った。
「ついこの間だ。森で、若い男が……殺されたんだよ。胸を、魔物に切り裂かれてな。酒に酔って森へ迷い込んだらしいが……」
この辺りには凶暴な魔物など滅多に出ない、たまたま入り込んできたんだろうが、と付け加える。
「空き家がある。よかったら、そこを使ってくれ」
申し出には誠意があった。村人の声にも嘘の気配もない。
だが、カイルの胸の奥に、妙な違和感が湧いていた。
何かが――合わない。
何かが――隠されている。
夜、カイルは提案された宿に向かう前、月明かりに紛れて静かに森へと入った。
空気は澱んでいて、葉擦れの音がやけに耳につく。慎重に気配を探りながら歩を進めると、やがて、その“場所”にたどり着いた。
裂けた大岩。
まるで巨大な爪か、何か異様な力によって抉られたように、岩の一部が激しく砕けている。
そして、その下には――黒く乾いた血の痕。
空気が重くなる。
ここで、村の男が死んだのだろうか。
だが、これは本当に“魔物”の仕業なのか?
カイルは無言で岩に手を伸ばし、表面をなぞる。
ざらついた感触の中に、鋭く、そして異様なほど正確な斬撃の痕があった。
胸の奥に渦巻いていた違和感が、次第に形を成し始める。
これは――偶然の産物ではない。
明確な“意図”が、この破壊にはある。
岩の周囲に漂う痕跡に、魔物の気配は感じられなかった。
いや、それ以上に、心を強く揺さぶったのは、“殺し方”そのものだった。
魔物は、人を“食う”。
貪り、喰らい、引き裂き、骨も皮も、すべてを飲み込んでしまう。
カイルは“蛇の法衣”として、幾度となくその凄惨な現場を目にしてきた。
そこに遺されるのは、血の海と、名もなき肉片だけだ。
だが――今回の犠牲者は、「胸を切り裂かれていた」という。
死因が判別できるほど、肉体が“残されていた”のだ。
原型をとどめた死体など、魔物の犠牲としては異常だ。
まるで、“見せつける”ために殺されたかのように――。
カイル(これは……魔物の仕業じゃない)
その言葉が、ゆっくりとカイルの内側に沈み込んでいく。
確信は静かに、しかし重く胸の底に降り立つ。
この殺しには理性がある。
殺意と、選択と、意図をもった“誰か”の手によるものだ。
そして、カイルの脳裏をよぎるのは――
あの狂った従者の名前。
真実は、すぐそこにある――それは、もはや疑いようもなかった。