表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
78/313

2-48

翌朝。

カイルは旅の治癒師を装い、村へと足を踏み入れた。

朝の光はやわらかく、夜露を帯びた花々の上にそっと降り注いでいる。

村の入り口には一面の白い花畑が広がっていた。


まるで誰にも踏み荒らされていない雪原のようなその静謐さに、一瞬だけ現実の喧騒を忘れそうになる。

だが、彼の意識はすぐに戻った。耳を澄ませば、この村の空気に混じって、微かな噂の残響が確かに漂っている。



数日前、見慣れぬ旅人が村に現れたという。

一組の男女――

誰かは夫婦と呼び、誰かは恋人同士だと語る。

中には、上品な身なりの貴族の娘とその従者だったと話す者もいた。

語られる関係性や振る舞いはまちまちだが、奇妙なほど一致している点があった。



――少女の髪は、淡いラベンダー色だった、と。



その言葉を聞いた瞬間、カイルの胸に静かな熱が灯った。

稀有なその髪色は、彼の記憶に深く焼き付いている。

決して忘れられるはずのない色。

あれは、ベルのものだ。

この世界に、あの色を持つ者が何人いるだろう。



彼は花畑の前で立ち止まり、小さく息をついた。

確かに、彼女はここにいた。



そしてもう一人。


その少女と共にいたという、黒髪の長身の男――

黒い外套に身を包み、騎士のように背筋を伸ばしたその立ち居振る舞いを、村人たちは口々に語った。

その描写が、カイルの記憶の底に沈んでいた名を、ゆっくりと浮かび上がらせる。



――慟哭ノ従者、セラフ・イヴェール。

かつて「黒き観測者」に名を連ねていた男。



その名は、蛇の法衣を通じて得た断片的な情報の中にも、ベルの周囲に付きまとう影として、幾度か記されていた。

“不死の魔女を知る者を、静かに、着実に消していく”

そんな恐ろしい噂と共に。



さらに耳にしたのは、彼が組織から除名されたという報。


それは、ベルが姿を消した時期と奇妙なほど重なっていた。

理由もまた、正気を疑いたくなるようなものだった。

――彼は不死の少女に傾倒し、彼女を手に入れるために、自らの誓いも使命も投げ捨てた。


情報だけでなく、彼女の身体の一部すら求めて手段を選ばぬ、狂気に堕ちた男だと。



カイル「……本当に奴が、ベルと共にいるのか?」



呟いた声が、かえって不安を深くする。

もしそれが事実なら、彼女が自ら選んだ同行者とは到底思えない。


セラフが傍にいるというだけで、あらゆる危険の予兆が生まれる。


疑念が、じわりと胸の奥をざわめかせる。



心の奥で警鐘が鳴り響く。

だが――まだ、確証はない。

すべては断片だ。繋がっていない。ただ、恐ろしいほどに符合しているだけ。


それが、かえって不安だった。



その後、カイルは旅の治癒師を装い、村の者に声をかけた。


怪我や病の手当てを申し出る代わりに、さりげなく話を引き出していく。

少女と共にいたという黒髪の男について尋ねると、誰もが口を揃えてこう語った。



「……あの方はね、えらくあの子を大事にしてたよ」


「そう、まるで宝物を扱うみたいに、優しくて……」


「ほら、あんな目で誰かを見つめられたら、きっと誰でも好きになっちまうよ」



口ぶりに嘘はない。

むしろ羨ましさすら滲むような口調で、男の献身ぶりを称えていた。



村の片隅にある、小さな雑貨屋を営む老婆もまた、記憶を辿るようにゆっくりと語った。



「あの男の人はね、私が勧めた白い花の髪飾りを買ってくれたね」



老婆は微笑みながら目を細め、続ける。



「照れてたけど、嬉しそうだった。あたしも思わず笑っちまったよ」



美しい思い出のように語られるやり取り――

だが、それを聞くカイルの胸には、鈍い違和感が残った。



それはあまりにも――理想的すぎる。


あの慟哭ノ従者と呼ばれる男が、誰かを慈しむなどという姿が想像できなかった。

記録に残るのは冷酷と狂気、そしてベルの名とともに消された数々の痕跡。



カイル「本当に……奴が?」



信じたくない気持ちと、信じざるを得ない描写の狭間で、心が揺れる。

語られた言葉が真実だとすれば、ベルは確かにこの村にいた。

そして、その傍らにいたのは――かの男である可能性が、限りなく高い。



カイルは、白い花が風に揺れる畑を見つめた。

胸の奥で、警鐘が小さく、だが確かに鳴っていた。



真実は、もうすぐ手が届く場所にある――

だが、それを掴んだ先に何が待っているのかは、誰にも分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ