表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/131

2-46

村の片隅、忘れられかけた空き家。

その扉を閉めると同時に、セラフはひとつ息を吐いた。

それは、安堵であり、陶酔でもあった。


――ベルが、すぐ傍にいる。

たった今、自分の指先と声と魔力で、何度も何度も震わせたその存在が。


セラフは、いつものようにベルを愛した。

穢すように、壊すように、奪い尽くすように。

けれど、それだけでは、もはや足りなかった。


──昼間のことだ。

老婆が「奥様にどうか」と、笑って白い花の髪飾りを手渡した。


若い男が声をかけ、視線を、指を這わせるように動かした。


その些細な一瞬一瞬が、セラフの内で毒となって澱のように積もり、

快楽の底に隠れていた嫉妬を、じくじくと熟成させていく。


魔法で塵を払い、結界を張ったこの部屋は――

音も、匂いも、気配すらも殺し尽くして、誰にも触れられない、

ふたりだけの世界になっていた。


その内にある執念が、肉に染みこむほどの重さで膨れあがっていた。


ベルの中に確かにある“何か”──それは外の空気に触れたことで、以前よりも強く、色濃くなっている。

セラフはそれを、肌で、血で、魂で確認した。触れるたびに、底知れぬ悦びが胸の奥から熱をともなって噴き上がる。


この身を焦がすような嫉妬さえ、ベルと共にあるための甘いスパイスに過ぎない。

むしろその熱こそが、ベルという存在をより鮮やかに際立たせるのだ。


幾度目かの終わりの果てに、ベルは紅の海に沈むように気を失った。

その髪にそっと手を差し入れ、絡める指先は、慈しみと狂気をないまぜにして震える。

紫。神秘。呪い。美。無垢で、無防備で、息の音すら愛しい。


セラフ「やはり……君は、どうしようもなく美しい」


吐息が熱を帯び、声は喉奥でとろけるように濁る。

そして白い髪飾りを、そっとベルの髪に添えてやる。

それは、血塗れの花の中に咲いた一輪の雪。


その異様なほどの対比すらも、セラフにとっては陶酔の果て――完璧な美だった。


やがて、セラフは立ち上がる。

けれどその動きは鈍く、何かを手放すことに抗うような、名残の重さを背負っていた。

足音を忍ばせながらも、視線だけは何度もベルの姿へと絡みつく。


白い肌。乱れた髪。微かに動く胸元。


──このまま、誰の目にも触れない深い底に閉じ込めてしまえたなら。

そんな甘やかな妄執が、喉の奥で熱を持って疼いていた。


けれど、それは今ではない。

セラフは深く、冷たく息を吐く。

狂気を押し込み、面に仮面を貼りつけるように。


──そのとき、感じ取った。


空気がわずかに震え、音が湿る。

薄皮一枚越しに、こちらを覗き見るような気配。

欲望の、愚かしい残り香。


昼間──

ベルに軽薄な言葉を投げかけ、下卑た視線を這わせた、あの男。


セラフの口元が、まるで慈悲でも与えるように柔らかく歪んだ。


──滑稽だ。

どれほど手を伸ばそうと、どれほど想いを募らせようと、彼には何一つ届かない。


この空間の熱も、甘さも、狂気すらも──

ベルの中に宿る“何か”すらも、彼の世界には存在しない。


セラフは静かに振り返り、扉に手をかける。

その瞳は冷たい光を宿しながらも、底には淡く赤く燃える熱を潜ませていた。

──あとは、ただ掃除をするだけだ。


静寂の中、扉が音もなく開かれた。



セラフの足音は、まるで夜そのものだった。

音もなく、冷えた空気を切り裂くように男へと忍び寄る。

男が気づく暇もなく、その喉元を鋼のような手で鷲掴みにした。


セラフ「……美しいと思ったか?」


低く、焼けた蜜のように濃密で、耳にまとわりつく声。

その響きは、鋭い針のように鼓膜を貫き、脳の奥へとねじ込まれる。


セラフ「触れたかったか? 欲しかったか?──君はベルを、どう見た?」


指先に力を込めた瞬間、骨が軋む音が微かに鳴った。


森の奥へとずるずると引きずられながら、男は死の気配に包まれ、口元を震わせる。

言葉にならない。喉が焼けつく。ただ、怯えの滲む目だけが必死に懇願を伝えていた。


「……ただ……美しいと……思った……だけ……」


その一言が、何かの堰を切った。

セラフの目が細まり、喉の奥から笑みが滲む。

それは歓喜か、激昂か──区別もつかない、歪んだ感情の坩堝。


セラフ「……それだけか。それなら、褒美をやらねばな」


言葉と同時に、男の身体を大きな岩へと叩きつけた。

衝撃に肺から息が抜け、呻きすら洩らせぬまま、剣がゆっくりと胸元を裂く。


血が、地に花を咲かせるように広がった。

だがセラフの目は冷ややかで、どこまでも静かだった。

ただ一つの感情──「ベルに触れた」という罪に対する、冷酷な裁き。



刃が皮膚を割き、筋を裂き、血が噴き出す。

だが──心臓は外さず、肺も潰さぬ。


ただ、呼吸のたびに胸を貫くような激痛が走るように、

男が意識を手放せぬように、丁寧に、慎重に施された一閃だった。


地に崩れ落ちた男は、血に咽びながら、かすかに目を見開く。

痛みに叫ぶことすら許されず、喉は塞がれ、声も出ない。

ただ、嗚咽のような息が喉奥で掠れ、命の残滓を必死に繋ぎとめる。


セラフ「ベルの美しさを讃えた礼だ」


セラフは静かに囁く。まるで愛を語るように、穏やかに。


セラフ「──朝日を見るまで、生かしてやる」


その言葉は、慈悲ではない。

徹底的な嗜虐の香りを纏った、冷酷な断罪だった。


霞んでいく視界の中、男はセラフの背を見た。

静かに、優美に立ち去るその姿に、理性を超えた恐怖が宿る。


セラフ「……だが、二度と目にすることはない」


足を止めず、背を向けたまま、セラフは続ける。


セラフ「お前の見る朝は、もう世界には存在しない」


その背には、狂気と陶酔の香りが立ちこめていた。


──そして、セラフはふたたびベルの眠る部屋へと還っていく。

愛するものの元へ。

世界のすべてを切り落としても、ただ守り、閉じ込め、愛でるために。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ