2-41
※少し残酷な表現があります。
それはまるで――救済ごっこ。
独り芝居の、終わらない輪舞。
自ら傷つけ、自ら癒すことでしか愛を証明できなくなった男の、壊れた祈り。
ベルは、そのすべてを受け入れていた。
諦めとともに。
理解できない“何か”を、どこかで哀れみながら。
だが、セラフは気づいてしまった。
ベルの傷が癒える、その刹那に微かに揺れる“気配”。
それは、彼が幾度となく追い求め、それでも掴めなかった“何か”と同じだった。
人ならざるもの――
祈りの届かぬ深淵に立つ存在。
その気配が、ベルの奥に確かに息づいている。
それが何であるか、セラフにはわからない。
ただ、その正体が見えないほどに、心を奪われていく。
ベルに触れるたび、傷が癒えるたび、その“気配”が彼の内側を侵していく。
そしてある夜――
セラフは泣きながら、ベルの耳元で囁いた。
セラフ「――君が赦さなくても、君が僕を忘れても、それでも僕は、何度でも君を愛すよ。
痛みも、嘘も、全部抱えて……僕のすべてで、君を想っていたいんだ……ベル……君だけを……」
その声は、愛なのか。
それとも呪いなのか。
ベルには、もう区別がつかなかった。
セラフの手は、もはや「愛撫」とは呼べなかった。
それは祈りの形をした破壊。赦しを装った暴力。
罰と救済を同時に与えようとする、狂信の産物。
壊すことでしか触れられないと信じ込んだ、執着の結晶。
骨が砕ける音がした。肉が裂ける感触が、彼の指先を滑る。
焼け爛れた肌の熱に、セラフは歓喜すら滲ませながら、ふっと笑った。
セラフ「――……ああ、見えた……君の奥が、またひとつ、開いた……」
濡れた目で、悦びに震えた声を紡ぐ。
血に濡れた手のひらが、優しげにベルの頬を撫でる。
それはまるで、宝物に触れるような手つきだった。
彼にとって、ベルの痛みは“証”だった。
愛の、贖罪の、神への背信の――何もかもを内包する、甘美な鍵。
ベルは、拷問のような苦痛の中で、それでもなお冷めた目をしていた。
痛みは確かにあった。だがそれすらも、どこか遠く。
麻痺しているのは身体ではない。思考だった。
――この身体が砕けて、塵になって、風に舞えば。
――何もかも焼かれて、残らなければ。
私は……ようやく、終われるのだろうか。
けれどその問いすら、もう輪郭を失っていた。
セラフの狂気に包まれながら、彼女はただ、静かに目を閉じた。
それが愛なのか呪いなのか――もう、区別すらつかなかった。
その夜もまた、セラフはベルの身体に縋りつくように、愛を囁いていた。
その言葉は甘く、優しく、どこか懺悔のようでもあったが――
彼の手は血に濡れ、指先は罪を犯す者のように震えていた。
シーツに広がる赤は、もはや隠すこともできないほどに濃く、重く、熱を持っていた。
焼け爛れた肌の匂いと、湿った吐息、汗と鉄の香りが混じり合い、空気は生温く淀んでいる。
その中心で、セラフは静かに、果てた。
だが、それは終わりではなかった。
わずか数拍の静寂。
鼓動の音が、どちらのものかも分からないほど近くで重なる。
そして、再び。
セラフはベルの上に覆いかぶさった。
身体はなお火照り、目は深く濡れて、獣のような執着に輝いていた。
セラフ「……まだ……終わらせないよ。
君の奥に、まだ“それ”が残ってる。
壊して、暴いて、癒して……全部、僕の愛で塗り潰さなきゃ……」
その声は、まるで子守唄のように優しく、慈しみに満ちていた。
けれど、その言葉の底には、狂気があった。
愛と暴力、祈りと破壊、その境界線はとうに消え去り、彼の中で一つになっていた。
その手が触れるたび、傷が増え、熱が広がり、血が滲む。
けれどベルは、何一つ声を上げなかった。
痛みも、叫びも、もはや彼女にとって意味を持たなかった。
意識はとっくに、別の場所にあった。
肉体はここにあっても、魂は遠く、冷たく静かな深海の底のような場所に沈んでいた。
そこで彼女はただ、目を閉じていた。
――それは、遠く。
――どこか、遥か彼方の地。
ベルの内側に根を張る“何か”と、同じ匂いを纏った気配があった。
冷たく、深く、まるで死の吐息を思わせるような気配。
それはかすかな共鳴とともに、世界のどこかで確かに芽吹いていた。
ベルのまなざしは、その気配を見据えていた。
たとえ体が裂けようと、血が溢れようと、魂が削り取られようと。
彼女の意識はすでに、この肉の牢から離れ、遠くの“それ”へと手を伸ばしていた。
――もし、あれが私の“同類”であるのなら。
――あるいは……“私”そのものであるのなら。
その刹那。
ベルの瞳が“自分以外”の何かを見ていることを、セラフは感じ取った。
言葉ではない。理屈でもない。
血と肉の奥――愛と狂気の只中で、彼の本能が叫んでいた。
「……ああ、いるんだね」
彼は呟いた。
震えるほどの歓喜と、焦燥と、そして滲むような嫉妬を混ぜ込んで。
「ようやく……君を蝕んでいる“それ”が、顔を覗かせた……!」
その喜びは、彼をさらなる陶酔へと駆り立てる。
熱を帯びた呼吸。跳ねる鼓動。
セラフの動きは次第に荒れ、激しさを増していく。
指先は執拗にベルの奥深くを探り、まるでその“気配”をこの手で引きずり出すかのように。
破壊と再生の渦が、狂気とともに燃え上がる。
そして、彼は祈るように囁いた。
セラフ「見せて、ベル……もっとだ。
“それ”を、君の奥に潜む“それ”を……僕のこの手で、引きずり出して、壊してやるから……!」
その声には、愛があった。
だがそれは、欲望と支配と、赦しを偽装した破壊の愛――純粋すぎて、狂っている愛だった。
セラフの愛は続く。
熱と欲望、祈りと赦し、破壊と再生が入り混じった、どこまでも濃密な渦。
その中で、ベルはただ――静かに、遥か遠くを見つめていた。
そこにはセラフの姿はなく、ただ、“それ”だけがあった。
彼の吐き出す何度目かの熱を、彼女は無言で受け止める。
けれどその眼差しは、セラフを見ていない。
彼の狂気も、愛も、もう届かない場所に――ベルの意識は沈んでいた。