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※少し残酷な表現があります。
セラフの優しさは、甘い毒だ。
日常は静かに、穏やかに繰り返される――過保護なまでの愛情と、過剰なまでの献身に包まれて。
けれどその仮面は、ほんのわずかなきっかけで剥がれる。
時折、その瞳に宿るのは氷のように冷たい“敵意”。
それはベルに向けられたものではない。
だが、ベルの“中”に棲む何かを見据えるように、彼の視線は異様な執着を帯びる。
そして、ある瞬間。
それは何の前触れもなく訪れる。
優しく髪を撫でていたはずの指が、
そのまま滑るように喉元へと這い、鋼のように締めつける。
セラフ「……奴は、この声を聞いたの?」
吐息すら許されず、空気が肺から逃げていく。
視界が霞み、音が遠のく。
だがセラフの声だけは、やけに鮮明に、脳を刺し貫いた。
問いの意味はわからない。
だが、その問いは、確かにベルの“存在の奥”を探っている。
骨が軋み、皮膚が焼けるように痛む。
けれど、ベルは死なない。
死ぬことを許されていない。
湯を張った風呂の中で、ベルはただ、静かに息を吐いていた。
肌に触れる温もりは心を鎮め、何もかもが一瞬だけ遠のく――そんな、幻のような平穏。
だが、それはあまりに脆かった。
突然、湯が赤く染まる。
血の色が、視界を奪う。
セラフの指がベルの肩を掴み、そのまま爪を立て、肉を裂き、骨が覗くほどに押し込んでくる。
何の前触れもなく、まるでスイッチを切り替えたように。
セラフ「……この肌に、奴は……触れた?」
その呟きには激情はなかった。
むしろ、ひどく冷たく、湿った熱が滲んでいた。
問いかけではない。ただの確認。
ベルの存在をこの手で引き裂き、中身を暴いて、それでも確かめたい「何か」がある。
誰のことを言っているのか、ベルにはわからない。
過去にベルを穢した者たちの顔が、ひとつひとつ思い浮かぶ。
だが、セラフの心が告げている。
そのどれでもない――と。
彼の怒りは、もっと深いところから湧き上がっている。
名もない恐怖や憎悪、言葉にならない不快感。
それらが渦を巻いて、彼の中で形を持ち始めている。
まるで、ベルという器の中に潜む「何か」を、無意識に感知しているかのように。
そして――
骨が再生し、肉が戻り、痛みがひととき遠のいたその瞬間。
セラフは、まるで自分が壊れたことに今さら気づいたかのように崩れ落ちる。
ベルの手を震える指で握り、額を押し当て、涙をこぼす。
セラフ「ごめん……ごめん……こんなこと、したくなかった……」
その声は、どこまでも幼く、どこまでも本気だった。
涙を流しながら、ベルの傷跡にそっと口づける。
赦しを乞うようにすがりつくセラフの姿は、最初こそ痛ましく見えた。
壊してしまったものに対する悔い――
愛する者を傷つけた罪の意識。
ベルは、その純粋さにほんの僅か、胸を締めつけられた。
けれど――
セラフ「赦して、ベル……赦してくれ……僕は、君を、愛しているんだ……」
何度も繰り返される懺悔の声は、次第にその色を変えていった。
ベルの身体が癒えるたび、セラフの瞳は濡れ、呼吸は浅くなり、震えはいつしか歓喜のそれに近づいてゆく。
その声には、もはや痛みも後悔もなかった。
あるのは、ただ甘美な恍惚――罪悪の裏に潜む、破壊と所有の悦び。
ベルはそれを黙って見つめていた。
理解など、とうに追いつかない。
けれど、わかってしまう。
セラフの心が、どこに堕ちていっているのかを。
セラフ「痛めつけたいんじゃない……確かめたいんだ……君が、僕のものだと……!」
掠れた呟きは、やがて絶叫に変わる。
ベッドの上、薄布のように軽いベルの身体を押さえつけ、爪が肉を裂き、骨が軋み、砕ける。
それでもセラフは止まらない。
そして――
肉が再生し、傷が癒えるたびに、
彼は優しくその肌を撫で、泣きながら血まみれの手でベルの頬を包む。
セラフ「また傷つけてしまった……ごめん、ごめん、でも……嬉しい……また、君を救えた……」
ベルの傷が癒えることを知っているから、セラフは壊す。
何度でも、何度でも。
そして、傷が塞がるたびに、恍惚とした表情で「贖罪」を繰り返す。