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“彼女を守る者”――その言葉に、カイルの脳裏には、ベルに死神の祝福を授けたという存在が浮かぶ。


ただ思い描くだけで、空気が僅かに冷えた気がした。


エラヴィアは、彼の沈黙の中にある思考を見抜いたように、ゆるやかに頷く。


エラヴィア「ベルは今、隠されている。でも、きっと導いてくれるはず。」


“ベル”――その名が発せられた瞬間、カイルの心がかすかに波打つ。

長く閉じていた感情が、音もなく軋む。


カイル「……先生は、なぜ彼女を……?」


問いかけながら、自分の声がほんの少し震えていることに気づく。


エラヴィア「彼女は……古き友人。とても大切なの。」


その短い言葉に、年経た大魔導士の静かな祈りが込められていた。

揺るがぬまなざしと、微かに滲む寂しさ。

それ以上、カイルは何も尋ねられなかった。


誰かを“守りたい”と願うその想いの深さに、言葉が失われていく。


エラヴィア「……どうか、彼女を。」


カイル「……わかりました。」


短い返事。

その言葉の奥には、確かに決意と迷いが混ざり合っていた。

自分はベルをどうしたいのか――助けたいのか、それとも試したいのか。


カイル「先生。」


エラヴィア「ええ、カイル?」


カイル「……俺は、今も、あなたの教えを捨てていません。」


それは告白ではなかった。

過去を否定していないという証明。

今の自分が、すべて過ちではないという、ささやかな誓い。


エラヴィアの瞳が、わずかに細められる。

それは、教え子の魂が今も失われていないことを知った師の、静かな誇りの微笑みだった。


月はない。

けれど、風は確かに吹いていた。



塔の裏庭を一歩出た瞬間、世界の空気が変わった。

気づかぬうちに、エラヴィアの風の結界に守られていたのだろう。


風のざわめきが耳に戻り、魔力の流れが肌をかすめる。

だが、それらをすべてかき消すような“気配”が、カイルの内側をじわじわと熱く撫でていた。


小箱。


エラヴィアから託されたそれを、ゆっくりと懐から取り出す。

封印されているはずなのに、箱からは微かに軋むような圧が漏れ出していた。

空間が揺らぎ、空気が緊張する。


ベルの魔力に似ている――けれど、決定的に異なる。


もっと深く、もっと冷たい。

人でも、魔物でも、精霊でもない。


根源的で、抗いがたい甘美を纏った“死”の気配。

それが、確かにこの中にあった。


カイルの喉が、乾いた音を立てる。


未知だ。

この感覚、この法則、この魔力――どこにも記録のない“何か”。


全てを暴きたい。構造を、原理を、根源を。

それがどれほど危険であろうと、知りたい。

知識の先に待つ“理解”こそが、彼の欲望であり、存在の証明だった。


カイルの理性が、封印を止めようとする。

だが、知の渇望がそれをねじ伏せる。


カイルはそっと、箱の蓋に指をかけた。


エラヴィアの風の印が、かすかに鳴動した。

それに呼応するように、封じられていた“それ”――黒ずみながらも滑らかな曲線を描く、一本の爪がゆっくりと姿を現す。


その瞬間、意識がふっと遠のきかけた。

頭の奥が痺れ、視界の色が淡く変調する。まるで世界そのものが、その存在を中心に塗り替えられていくかのようだった。


それは、美しかった。


言葉や理屈を拒む、美。

冷たく、静かで、それでいて圧倒的な存在感。

誰が否定しようとも、それはこの世に在るべき形だった。


カイルの指が、無意識にその爪へと伸びかけ――はっとして、止まる。


カイル「……欲しい」


漏れた言葉に、自分でも驚いた。

だが、それは疑いようもない本心だった。


手に入れたい。

この異物を、自分のものとして抱き締めたい。

触れたい。砕きたい。分解したい。そして、組み込んでしまいたい。

自分という存在の一部に、完全に融合させてしまいたい。


その欲望は、渇きよりも熱に近かい。

それは、ベルを初めて見たときと――同じだった。


守りたい。壊したい。知りたい。奪いたい。

矛盾に満ちた感情が、彼女を理解したいという強烈な欲求に収束していく。

その想いが、いつの間にか、この爪にも向けられていた。


カイルは深く息を吐き、静かに爪を箱へ戻す。

懐から取り出した“偽装印”を施した布を取り出し、慎重に、丁寧に包み込む。


自身の魔力の気配すら一切漏れぬよう、二重、三重と結界を重ねながら。


カイル「……こうでもしないと、取り込まれる」


呟いた声はかすかに震え、冷えた夜気に吸い込まれていった。


爪は、静かに眠りについた。

だが、カイルの内側に芽吹いた渇望は――まだ、醒めていなかった。



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