2-33
――ベッドに、そっと、横たえられる。
それすらも、誰の意思だったのか。
もう、わからなかった。
セラフ「……君の心が動くたび、全部、わかるんだよ。」
低く囁かれた声が、皮膚をなぞるように這う。
吐息すら感じるほどの距離。
ぞわりと、首筋に冷たい震えが走った。
ベルの胸が、かすかに跳ねる。逃げるように。けれど、それすらも――彼に伝わる。
セラフの精神が淡く波打つ。
まるで、ベルの震えそのものを喜びに変えて、共鳴しているかのように。
歪んでいる。けれど、どこまでも静かに、優しく。
セラフ「逃げたいって思っても……いいよ。
でも、諦めて。
君が震えるたびに、僕はうれしくてたまらなくなるんだ。」
その声は、甘やかだった。
優しさの仮面を被った、異質な毒。
心の奥にじわじわと染み込み、ベルの理性を静かに、しかし確実に溶かしていく。
――逃げ場など、初めからなかったのだ。
セラフの“愛”は、欲望でも所有でもない。
それは、ベルのすべてを「自分と同化させたい」という、
静かな、狂気そのものだった。
胸の奥に、火がともる。
熱ではない。けれど確かに、何かが燃え始めていた。
喉が乾く。
脳の裏側が痺れるように疼き、感覚の芯が捩れる。
セラフの視線が、全身をなぞるように這う。
視線だけで、思考の底まで侵されていく。
彼はすべてを見ている――
意識の狭間、無防備な感情のひだ、芽吹きかけた欲の片鱗まで。
逃げ場はどこにもない。
すでに、ベルの“内側”に彼はいる。
セラフ「……もう、壊れてもいいって思ってるんでしょう?」
囁く声が、皮膚をすり抜けて心を震わせる。
怖がらなくていい。壊れるのは、君のためなんだ。
僕だけが、君の破片を拾い集めて、繋ぎ止めてやる――だから、安心して。」
言葉が、指先よりも鋭く触れてくる。
皮膚をなぞることなく、心を撫でて、爪を立てる。
精神の繋がりが、ぎゅうっと締まった。
痛みを越えた快感のような圧迫が、芯にまで染み込んでくる。
それは絆ではなかった。
鎖。檻。呪縛。
やさしく微笑みながら、彼はベルを“縛る”ことに歓喜している。
セラフ「君のすべてを縛りつけて、離さない。
壊れても、散っても、僕のものだ。
他の誰にも触れさせない。
そうだろう? 君もそれを望んでいるんだ。」
それは、征服だった。
魂の奥底にまで呪いを流し込み、ベルの意識をまるごと包み込むように――
セラフは、彼女の内側へ幾重にも糸を縫い付けていく。
まるで、繭。
外からの干渉を拒み、自分だけのために守り、育てる殻。
彼女の視線も、声も、痛みも、苦しみも――すべてを、その掌の中に閉じ込めた。
――それでも、満たされない。
その理由を、セラフはすぐに理解する。
彼の糸は確かに、ベルの魂を縛っている。
何重にも、幾千にも。
だが、糸の一本一本をたぐるたびに、感触のない“空白”が、指先に引っかかる。
そこには、確かに“何か”がいる。
否――“誰か”がいる。
――気配。
冷たい。凍てつくような、死の残滓。
それは、呪いの本質とは明らかに異質だった。
かといって、祝福のような温もりもない。
むしろ、それらすべてを超越した、存在の深淵そのもの。
魂の核――
もっとも純粋で、もっとも穢れのない場所に触れようとした、その瞬間。
視えざる鎖が、静かに。だが、確実に。
セラフを拒絶した。
セラフ「……誰だ……」
思わず、呟いた。
その“何か”には名がない。
けれど、確かにベルの奥深くに棲みつき、彼女を包み、静かに見守っている。
それは、まるで――祝福の残り香。
死神。
名も知られず、いかなる神にも分類されぬ、“死”を司る異形の力。
セラフの瞳が揺れた。
それが“祝福”だと理解した瞬間、彼の内で何かが、激しく燃え上がる。
誰かが、ベルに触れた。
誰かが、彼女のいちばん深い場所に踏み込んだ。
自分よりも先に、彼女のすべてを知り、すべてを与え、そして――すべてを得た“何か”が、存在している。
――狂おしいほどの、嫉妬。
それは、ただの神ではない。
彼女の“死”すらも許さず、永遠の時を与えた、異形の存在。
なぜ。
なぜ、“僕”ではなかった。
なぜ、その場所に、“僕”がいなかったのか。
セラフの心が強く震える。
それは激情、執着――そして「奪われた」という絶望の証だった。
けれど、彼はあきらめない。
あの“何か”すらも、この手で引き裂く。
彼女の魂の最後の一片までも、すべて自分のものにするつもりでいた。
糸を手繰るたびに、ベルの身体が小さく震える。
うわ言のように漏れる声は、苦痛にも似ているけれど、それ以上に――甘美だった。
震える吐息は、どこか官能的な香りをまとい、やがて嬌声にも似た響きへと変わっていく。
ベル「や……っ、ぁ……」
無意識に漏れるその声に、セラフは目を細めた。
それは悲鳴か、快楽の喘ぎか――いや、もう違った。
その境界は、とっくに曖昧になっていた。
苦しみが悦びを侵し、悦びが苦しみを蝕んでいく。
ベルの魂は彼の糸に絡め取られながらも、なお奥底で何かを拒み――同時に、受け入れてしまっている。
セラフ「君のすべては、僕のものだ」
祈るような呪い。
愛の形をした侵略。
セラフの手の中で、ベルはもう、自分が“何に”泣いているのかすら、わからなかった。