1-5
※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
明くる日、ベルは塔の最上階、エラヴィアの私室兼執務室に呼び出された。
静かな空間には、彼女の風の魔力が、澄んだ気配とともに漂っている。
ベル「エラヴィア、なにかあったの?」
真剣な表情で問うベルに、エラヴィアは穏やかに頷き、低い声で告げた。
エラヴィア「……貴女を探る者たちが、動き出したわ」
その確信に満ちた口調には、揺るがぬ確かな情報があった。
風の街には日々多くの人々が出入りする。
そこに混じる噂話が、最初の手がかりだった。
エラヴィアの魔力は、風の精霊に深く愛される。
彼女の感覚が届く範囲では、風がさまざまな出来事をささやき、注意を促してくれる。
今回も、精霊の声がその気配を教えていた。
エラヴィア「“黒き観測者”と名乗る者たちよ」
そう言って、彼女は言葉を続ける。
エラヴィア「彼らは、神という存在を否定する。
信仰も、加護も、祝福さえも、彼らにとっては理を乱す異物。
この世界のすべてを“測れるもの”として捉え、それ以外は排除すべきだと考えているの」
そして――
エラヴィア「あなたも、その一つに数えられたのよ、ベル」
ベルは静かにその言葉を受け止めた。
自分が「死神の祝福を受けた者」と呼ばれていることは、すでに知っている。
ベル「……彼らは、いつから私を?」
エラヴィア「おそらくこの百年のどこかで。
彼らは比較的新しい集団だけれど、情報の収集力は侮れないわ」
神を否定し、恐れぬ者たち。
信仰も恩寵も通じない相手。
彼らにとって、神と等しく、“神に触れた者”もまた、排除すべき歪みに過ぎなかった。
ベルはわずかに瞼を伏せたが、顔に感情の影は見えなかった。
怒りも、驚きも、恐れさえも浮かばない。
――幾度となく追われ、拒まれ、滅ぼされかけてきた者にとって、それは当たり前の無反応だった。
エラヴィア「……厄介なのは、“観測者”だけではないことなの」
声の調子が変わる。静かで鋭い、警告のような響き。
エラヴィア「“あなたを利用しようとする者たち”も、動き出している」
ベルは目を細め、低く名を呼ぶ。
ベル「……“蛇の法衣”の連中ね」
エラヴィア「ええ」
《蛇の法衣》
それは、禁術や錬金術の探求に身を焦がす者たちの秘密結社。
目的は“知ること”。そのためには倫理も命も顧みない。
彼らは、不死の原理を暴き出し、自らの知識や肉体に組み込もうとする。
力として、薬として、素材として――。
彼らにとってベルの存在は、ただの“研究対象”にすぎない。
ベルの中で、過去の記憶が浮かび上がる。
何度も追われ、捕まり、非道な実験を受け、そして逃げ出した。
いくら追い払っても、蛇のように再び姿を現す彼ら。
ベル「……本当に、諦めが悪い奴らね」
吐き捨てるように言いながら、口元に皮肉を滲ませる。
ベル「前に見た顔は、もう誰も生きてないはずよ。……きっと」
誇るつもりなどない。
ただ、長い時を生きる者として、短命の者たちの執着を見下ろすような、静かな嘲りがあった。
不死を欲した彼らが、結局は“時”という名の死に勝てなかった――それだけのこと。
ベルはゆっくりと窓辺へ歩き、街を見下ろした。
漆黒の空の下、遠くの灯がいくつもにじんでいる。
ベル「この不死の体が欲しいなら、譲ってあげてもいいと思ってる。
……でも、また身体を切り開かれるのは、ごめんね」
その声は、どこか乾いていた。
痛みを語っているわけでも、怒っているわけでもない。
ただ、事実を口にしているだけのような、澄んだ声。
その背中を、エラヴィアは静かに見つめていた。
痛みも、怒りも、喜びさえも、すり減らしながらそれでも生き続けてきた少女。
そのすべてを知り、受け止める覚悟を持つ、唯一の友として。