2-28
テーブルの上、ベルが手を付けぬうちに湯気を失いかけた紅茶。
それを、セラフが少し残念そうに下げていく。
セラフ「また別のお茶を用意するよ。君が気に入るものが見つかるまで」
その声は優しく、穏やかだった。
だからこそ、ベルは次に目にしたもので呼吸が止める。
視界の端。
背を向けたセラフが、何気なくシャツを脱いでいた。
濡れた袖が鬱陶しかったのだろう。
厨房の明かりの下、平凡な仕草が、あまりにも非現実的な何かを晒す。
刻まれていたのだ。
背中いっぱいに、焼き付けられたような聖なる文。
かつてベルも幾度となく目にした、神の加護を示す魔法陣。
聖騎士が神を愛し、弱きものを守り、悪を撃ち堕とす――その意志に応じて力を与える、神聖なる印。
だが、それは――書き換えられていた。
『ベルを愛し、ベルを守るために、ベルを撃ち堕とす』
確かに、そのように。
聖なる意志は失われ、信仰の言葉は歪められた。
それはもはや神の祝福ではない。
セラフ個人の、狂おしいまでの感情が染み込んだ、私的な呪文陣だった。
それでも、力を持っていた。
否――だからこそ、力を持っていた。
神を愛すること、弱きものを守ること、悪を撃ち堕とすこと。
かつてそうした誓いがセラフに力を与えたように、
いまやベルを愛し、ベルを守り、ベルを撃ち堕とすことが――
彼を強くする契機になっていた。
信仰は形を変え、崇拝となり、執着へと至った。
その魔法陣は、セラフの存在すべてを支える原動力。
そしてベルを否定することで、なおもベルに縋る、矛盾の塊だった。
そのときだった。
セラフがふと、振り返った。
ベルの視線に気づいていたことを、まるで初めから知っていたかのように。
セラフ「見たんだね」
そう言って、微笑んだ。
――あまりにも、やさしく、温かく、そして、恐ろしいほど確信に満ちた笑み。
セラフ「君が笑えば、僕は強くなる。君が泣けば、もっと強くなる。
君が僕を拒んでも、構わないよ。
だって君を守るために、君を壊せるほどの力が手に入るんだから」
――それは祈りではない。誓いでもない。
呪いだ。
静かな声のように、冷えた紅茶のように、
その狂気は、あまりにもやさしく、穏やかにベルの中に染み込んでいった。