2-26
――意識が沈む。けれど、それは許されない。
何度も、何度も、このまま眠ってしまえたらと願った。
けれど、ベルの願いは、いつだってセラフによって打ち砕かれる。
まどろみの底へと引きずり込もうとする優しい闇の中から、冷たい指先が心臓を掴んで引き上げてくる。
その度に、焼けつくような感覚が胸の奥で蠢き、目の奥に鈍い光が閃く。
身体の外ではなく――いや、精神の内側が、かき回されている。
こんなことは、今までなかった。
不死という呪いに慣れたこの身体でさえ、初めての感覚だった。
ベルの身体は、本来、体温を持たない。
血は流れても熱を持たず、触れた者はその異質な冷たさに気づくはずだった。
けれど今、その冷たい器の隅々まで、セラフの熱が染み込んでいる。
皮膚の内側、骨の髄にまで――いや、魂にさえ届くかのような熱。
それが、ベルを蝕む。
熱い。苦しい。けれど、それだけではない。
恐ろしいほどの快楽と共に、それはベルを溶かしていく。
ベル「……っ、ぁ、セラ……フ……」
掠れた声が漏れる。
それは名前というにはあまりに弱く、壊れた音だった。
ぬらり、と這う魔力。
鼓動に似た蠢きは、体の内側を叩き、打ちつける腰の律動とともに形を変えていく。
セラフは、微笑んでいるようだった。
その瞳に映るのは、今やベルしかいない。
焦点の合わぬ視線は、夢の中にいるようで――けれど、確かにベルにだけ注がれていた。
セラフ「ベル……」
名前を、囁くように呼ぶ。
崇拝にも似た執着。
狂気の底から溢れる愛。
逃れられない。抗えない。
熱が吐き出される。
生ぬるく、絡みつくように広がるそれは、ベルの冷たい身体を奪い、侵し、書き換える。
冷たさなど、もうどこにもない。
自分がどこまで自分で、どこからセラフなのかすら、わからない。
永遠に続くような律動。
何度目かもわからない、セラフの熱。 ぼんやりとその顔を見つめながら、ベルは思う。
――この人はもう、壊れてしまったのだと。 けれど、壊したのはきっと自分だと。
そして今、壊れた彼に自分自身を喰い尽くされている。
静寂が訪れる。
熱を吐ききったあとの空気は、ひどく静かで、ひどく重たい。
呼吸をしているのはセラフだけで、ベルの胸は上下してさえいなかった。
けれど、それでもベルは“生きて”いた。
いや、死んでいなかったというべきか。
セラフの指先が、そっとベルの頬をなぞる。血にも似た魔力の残滓が指にまとわりつき、ぬるりと流れ落ちた。
セラフ「……愛してるよ、ベル」
その声は、ひどく優しく、ひどく澄んでいた。
まるで、罪など一切ない幼子のような声音で。
けれど、そこには確かに、狂った愛が込められていた。
セラフ「君の体が冷たいのは、世界が君を冷たく扱ったからだろう?
でも、もう大丈夫。君は僕のものだ。僕の熱で満たしてあげる。
ずっと、これからも――永遠に」
その“永遠”が、どれほど残酷な意味を持つのか。
セラフだけが知らなかった。
あるいは、知っていて望んだのかもしれない。
ベルのまつ毛が、微かに震えた。けれど視線は彷徨うばかりで、焦点は合わない。
瞳の奥に、確かな自我の光が残っているのか、それすら判然としない。
セラフ「君は誰のものでもなかった。
だから世界は君を怖れ、手放した。――でも僕だけは違う。
僕は君を、こうして抱きしめられる。手に入れられる。
ねえ、ベル……君は僕がいなければ、何にもなれない。何にも戻れない」
その声には狂気の色がなかった。ただ純粋で、透き通った執着があった。
セラフ「大丈夫だよ。もう君は、ひとりじゃない。僕がいる。ずっと、そばにいる」
世界から切り離されたような静謐の中で、セラフはベルの手を取り、唇に触れた。
何度も愛を囁きながら、セラフはベルの冷たく乾いた頬に口づけた。
それは祝福か、呪いか。
あるいは、そのどちらでもない、狂気の誓い。
闇が部屋を包む。
揺れる燭光の中、セラフはベッドの傍らに膝をつき、ひとり呟くように彼女の名を呼んだ。
――ベル。
その名は、かつて誰にも呼ばれなかった。
尊厳を奪われ、刻まれ、破壊されてもなお――その魂は、彼の前に美しく存在していた。
どれだけの手が彼女を汚したのか。
どれだけの声に、耳を塞いだのか。
そのすべてを、自分は知らない。 自分だけが知らない。
――許せない。でも、それでも。
今、目の前にいるベルは美しい。 壊されてなお、愛しい。
歪み、裂け、何度も涙を流したその身体が、いま目を開けて、自分を見ている。
セラフ「……ベル、起きて」
セラフは、彼女の頬に手を添えた。
その指先から魔力を流し込み、彼女の中の力の流れをそっと整える。
失われかけた意識の灯を繋ぎとめるように。
そして、もう一方の手で彼女の耳元へ顔を寄せ、囁く。
セラフ「君はここにいる。ちゃんと…僕のもとに」
ベルは、焦点の合わない目で彼を見ていた。
何も責めず、何も問わず、ただぼんやりと、彼のことだけを見ている。
その眼差しが、セラフの心を焼く。
なぜ、そんな顔で見るんだ。
まるで哀れむように、許すように。
彼女のその静けさが、かえって狂気を加速させた。
壊されたのは、きっと彼のほうだ。 それも、ずっと前に。
涙とも笑いともつかない息を吐き、セラフは再び彼女に口づけた。
祈るように。
呪うように。
奪われた彼女を、何もかも取り戻そうとするかのように。
夜は、まだ終わらない。