2-23
蝋燭の灯りが揺らめく静寂の部屋。
天蓋付きのベッドの上で、ベルはそっと瞼を開けた。
意識は戻っている。
だが、身体は思うように動かない。
手足を縛るのは魔道具。
魔力は封じられ、体内には別の魔力が流れ込んでいた。……それは、セラフのもの。
穢れのないそれは、澄み切った毒のように、彼女の中を蝕んでいた。
かすかに動く唇。
喉を震わせて、ただ一言を搾り出す。
ベル「……セラ……フ……」
その瞬間、空気が変わった。
男の肩が震え、振り返る。
光の揺らめきがその顔を照らす。
整った顔立ち。
静かな微笑み。
けれどその瞳の奥には、もう“神の使徒”の理性などなかった。
セラフ「……ああ、ベル……」
ゆっくりと、静かに、彼は近づいてくる。
一歩ごとに、狂気と欲望が匂い立つ。
セラフ「君が……君が、僕の名前を呼んだ……」
ベッドの縁に腰を下ろし、そっと手を伸ばす。
震える指先がベルの頬に触れた瞬間、何かが崩れた。
セラフ「もう……いいよね。もう、待たなくても……」
囁くように、独り言のように、優しく、壊れた声で。
セラフの手が、ベルの頬をなぞり、首筋を撫で、ゆっくりと胸元へと這う。
今まで幾人の指が、身体が彼女を壊し、穢したのか……想像が過ぎるたび、瞳の奥が軋むように歪む。
セラフ「君の身体に触れたのは誰……?
見たのか……?聞いたのか……?君を……」
声が震え、目の色が濁る。
その瞳には、もはや“神聖”の欠片もなかった。
セラフ「許せない……君の肌に、僕以外のものが触れたなんて……焼き尽くしてやる……全部……君の記憶も、過去も……僕以外、すべて……」
セラフの手が、ベルの身体に触れる。
“儀式”のための準備ではない。
ただ――“奪う”ために。
セラフ「愛してるんだよ、ベル……僕は、君を……君が、欲しい……全部……全部、僕のものにする……」
狂気は、静かに、優しく――だが抗えぬ力で、ベルを閉ざしていく。
視界の端に映るそれに、ベルの意識がかすかに向いた。
薄暗い部屋の奥、重たい布をかけられた台座――いや、“祭壇”と呼ぶべき場所。
そこに置かれていたのは、人の形を模した、彼女によく似た人形だった。
ラベンダーの髪。
細い手足。
儚げな表情。
けれど、それらはどこか歪んでいた。
着せられているのは、見覚えのある服。
はだけ、破れ、誰かの指が這った痕のように布が寄れ、皺が刻まれている。
その小さな身体は、“飾られた”のではなかった。“汚された”のだ。
人形の肌には、紅く滲む魔印のような刻印が浮かんでいた。
まるで、己が所有物であると刻みつけるように――。
その時、ベルの内側で何かがひくりと蠢いた。
セラフの魔力だ。
細い血管の奥、神経の先まで染み込んだそれが、意識を失わせぬよう緩やかに刺激している。
眠らせない。逃がさない。
壊れることすら、許さない。
セラフ「……ベル」
耳元で、やわらかく囁く声。
そして――唇が、そっと触れる。
ぴたりと、ベルの身体が硬直する。
思考が、黒く染まっていく。
冷たいようで温かいその感触は、慰めではなかった。
それは檻の鍵、意志を奪う契約。
ベルという存在が、じわりじわりと、彼の手の中に溶けていく。
ベル(……わたし……)
視線が再び、祭壇の人形へと落ちる。
自分に似た顔。けれど、もう自分ではない。
感情も、魂も、何もかも失い、ただ“そこに在る”だけのもの。
ベル(あれは、わたし……)
物言わぬ人形。
飾られ、触れられ、壊されずに存在し続けるだけのもの。
意志のない身体を優しくなでるセラフの手が、まるでその未来をなぞっているように思えた。
セラフは荒れた流れを整え、意識が沈まないように。 甘やかすように、慈しむように、けれどその実、支配のために。
彼女の耳元に口を寄せ、囁く。
セラフ「怖がらないで……ね?」
唇を重ねる。
最初は優しく、触れるだけ。
けれど、彼女の震えが舌先に伝わった瞬間――
――堰が切れた。