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2-20


セラフは何も言わず、ゆっくりと立ち上がった。

その動作は優雅で、儀式のように静かだった。


靴音が床を叩くたび、空間の温度が一度ずつ下がっていくような錯覚に陥る。

まるで彼の存在が、世界の色温度そのものを支配しているかのようだった。


セラフ「どうして?」


彼は繰り返した。

そして、歩みを止め、ベルの目の前で膝をつく。


その瞳は、まるで愛する絵画を前にした美術家のようだった。

狂気に満ちた、真剣な眼差し。


セラフ「それは、君が特別だからだよ、ベル。


君の魔力、君の構造、君の存在そのもの……どれひとつ欠けても成立しない“美”が、君にはある」


その声には歓喜が滲んでいた。


独り言のようでいて、告白のようでもある。

言葉を噛み締めるように、彼は一語ずつ丁寧に、舌の上で転がしていた。


そして次の瞬間、セラフはベルの頬に触れようと、そっと手を伸ばす。

その指先には、まるで壊れものに触れるような繊細さがあった。

けれど、ほんのわずかに震えていた。興奮を抑えきれないように。


セラフ「……でも、君はそれを無駄にしていた。

隠れて、逃げて、自分を殺して生きていた。そんな君を見ているのは……ああ、本当に、耐え難かったよ」


低く、震えるような吐息がベルの頬を撫でる。


呼気に混じって、微かに熱が触れる。けれど、その熱には体温のぬくもりはなかった。


それは、焼却炉の中に潜む炎のような――破壊を孕んだ愛情だった。


セラフ「だから僕が、“理解”してあげる」


唇の端が、静かに歪む。


セラフ「君がどれほど価値のある存在か、どれほど美しいか。

それをこれから――僕にだけ、見せて」


彼の指先が、ベルの首筋の輪郭をなぞる。

その動きは愛撫のようでいて、外科医が解剖の準備をする手付きにも似ていた。




ベル(………何を、言っているの……)


ベルは目を閉じた。


静かに、心の奥にある魔力の核を探る。


感じる。


確かにそこにある。

だが、そこへたどり着くための“道筋”が、違う。

自分の魔力なのに、まるで誰かに封をされ、鎖をかけられているかのようだった。


ベル(本当に、魔力を抑えられている……使うことも、増やすことも、なにもできない)


理性では理解しきれない“違和感”が、じわじわと身体の隅々に染み込んでいく。

魔力の流れ、感覚の回路、それらが知らぬ間に書き換えられていたのだ。


ベルがここまで囚われたのは、初めてだった。

今まではたとえ体を傷つけられ、魔力を使い果たそうと、死神の揺り籠に包まれ眠るうちに脅威は去った。


それが——今回は、封じられている。


セラフ「大丈夫。すぐ慣れるよ」


セラフの声が、すぐ傍から降ってくる。

狂っているはずなのに、言葉は一貫して静かで優しい。

まるで、綿密に書き上げられた愛の詩を朗読するかのように。


ベル「君と僕の魔力は、もう切り離せない。


ねえ、ベル……君が僕の名前を、愛しそうに呼ぶその瞬間が、今から待ち遠しくてたまらないよ」


——その声音は、まるで慈愛そのものだった。


けれど、その言葉の裏にあるのは、正気では到達できない“理解”の名を借りた暴力。


魔力の流れを抑えるために、彼がどれほどの準備をしてきたのか。

血を用い、術式を編み、対象を知り尽くし、理解し、侵食し、融合し、支配する。




ベルは、部屋の全体を無言で見渡した。


そこは“愛”を語るにはあまりに歪み、過剰で、そして狂っていた。


天蓋付きの寝台。

その上には、ベルの髪色を模した白銀のヴェールと花嫁衣装が丁寧にかけられている。


けれど衣の裾には、いくつもの血の染みがこびりついていた。乾いて黒ずんだそれは、まるで誇らしげに残されていた。“選定”を終えた花嫁がまとうべき、証のように。


部屋の中心には、呪符と鉄で作られた檻。


錆びついた格子には魔術の刻印がびっしりと刻まれ、そのひとつひとつが魔力をじわじわとにじませている。

拒絶、封印、分離、抑制――。


この空間そのものが、彼女を“美しく保つ”ための棺なのだ。

その檻の中に、ベルはいた。


力を奪われ、身じろぎするたびに肌を焼くような痛みが走る。

体内では、セラフの魔力がじくじくと蠢いていた。


異物が肉の奥深くを這い、脈に沿って侵食していくような、不快で忌々しい感触。

口の奥から小さな呻きが漏れる。


それは言葉にはならず、ただ吐息のように消えた。




そして、ベルは台座の上の人形を見つけた。


それは――ベルの顔を、模していた。


……いや、模したなどという言葉では足りない。


皮膚の質感にまでこだわって縫われた布地、爪の形に似せて彫られた硬質な素材、瞳に酷似したガラス玉。

触れた指の圧でへこんだ頬、何百回も抱かれた腕の関節は布地が薄くすり減り、片目のガラスは掠れて曇っていた。


人形の太もも部分には、擦れたような斑点と乾いた白い染み。

明らかに“何か”が繰り返し塗りつけられた痕だ。くすんだ香水と体臭、乾いた汗の匂いが、そこから立ち上っている。


それは、所有と支配の象徴。

欲望の果てに至った“信仰”。

セラフ「――君のために、全部作ったんだ」


その声は、まるで夢見る少年のようだった。


セラフは檻のすぐ外に立っていた。頬を紅潮させ、眼差しに陶酔の色を湛え、細く息を弾ませながら。


セラフ「君がここにいてくれるなら、僕はそれだけで――生きていけるんだ」


檻の格子に触れたセラフの指先には、古い火傷と呪符の焼き跡が生々しく残っていた。

それは幾度も“調整”を繰り返した証。

血を流し、骨を削り、魔力を練り込みながら、ようやく完成に至った監獄。


セラフ「一気にやると、ほら、苦しいでしょ。だから、少しずつ――少しずつ、僕を流し込んでるんだ。君の中に。

ねえ、今も……感じてるよね?」


ベルの喉がかすかに震えた。

否定も肯定もせず、ただ沈黙のまま、息をひそめる。


セラフ「大丈夫。すぐ慣れるよ。君の中に、僕の魔力がずっと流れ続けるこの状態……本当に、素晴らしいんだ。

永遠に、繋がっていられるみたいで」


セラフはゆっくりと笑った。

その笑みには、鉄錆のような血の味がした。歪で、狂おしく、甘美な執着。


セラフ「愛してるよ、ベル。君は、もうどこにも行けない。

君の身体も、心も、魂の底までも――全部、僕のものだから」


熱い。

焼けるような疼きが、臓腑の奥からじわじわと這い上がってくる。



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