2-17
ベルは魔法を放ち続けていた。
だが、どこかがおかしい。
魔力の流れが、濁っている。
体の奥底で濁流が渦巻くような、圧迫感と嫌悪感。
感覚が鈍い。制御が効かない。
ベル(……魔力の感覚が……鈍い。制御が……)
ベルの中で、魔力が暴れ始めていた。
放てば放つほど、内側から膨れ上がっていく。
一発ごとに反動が残り、少しずつ、確実に体が蝕まれていく。
それでも彼女は止められなかった。
止めた瞬間、すべてが終わってしまう――そんな予感があった。
だが、セラフは余裕の表情でその魔法をすべていなしていた。
軽やかで淀みない剣さばき。
魔法の軌道を読むようにかわし、斬り払いながら、
その赤褐色の瞳でベルを射抜く――狂気と愉悦を滲ませた目で。
セラフ「君の魔法、やっぱり素晴らしい……ああ、震えるよ」
セラフは甘く囁くように言った。
セラフ「けれどその力、今は少し……鈍ってるね? 制御ができてないみたいだ」
ベルは唇をきつく結び、何も言い返さなかった。
けれどその瞳の奥には、確かに動揺の色が揺れていた。
セラフ「黒き観測者たちは、君を排除しようとしている。ただ殺すための呪具や作戦ばかりだ」
でも……《蛇の法衣》の連中は違う」
セラフの声が低く沈み、明確な怒気を帯びる。
セラフ「奴らは“捕える”ことに執着している。
君のような存在を、“完全な魔法生命体”の素材として――実験台に縛りつけて、壊れるまで弄ぶ」
言葉の端々ににじむ激しさに、ベルは思わず目を見開いた。
背中に、冷たいものが這い上がる。
――蛇の法衣。禁呪に魅せられ、古代の遺産に取り憑かれ、神すら超えんと狂う者たち。
かつてベルは、彼らの地下施設で、生きた“器”として扱われた。
苦痛も羞恥も、声にならない恐怖も――彼女はまだ、すべてを覚えている。
セラフ「君を――“人間”としてではなく、“物”として見ていた」
セラフは吐き捨てるように言った。
セラフ「……そんな連中の技術を、僕は奪った。何匹か潰して、その秘術を引きずり出した」
そう言って、腰からひとつの魔道具を取り出す。
それは生き物のように脈打ち、黒く濁った光をたたえていた。
セラフの手が、かすかに震えていた。
怒りが、その指先にまで滲んでいる。
セラフ「君を、あんなふうに扱った連中を――僕は絶対に許さない」
セラフは怒りの表情をいびつに歪め、笑みに変えた。
それは喜びとも、憎悪ともつかない、ねじれた感情の混濁――。
セラフ「だから、僕が正しく使ってあげる」
囁くように、けれど確かな確信をもって言い放つ。
セラフ「僕ならば、これで君を傷つけずに捕らえてあげられる。壊すことなく、閉じ込めておける。
……君を、永遠に」
ベルの喉奥が軋んだ。
強く、奥歯を噛みしめる。唇から滲んだ血の味が、思考を現実へ引き戻す。
全身を走る恐怖――それは知っている。過去に、体の芯まで染みついたものだ。
だが今は、それに飲まれるわけにはいかない。
ベルは己を叱咤し、意識を戦いの一点に研ぎ澄ませた。
――逃げられない。ここで、終わらせるしかない。
雷鳴が轟き、空が裂ける。
地と空の境界が砕け、魔力が咆哮する。
ベルの放つ魔法は、すべてが殺意そのものだった。
情も、手加減も、もはやそこには存在しない。
冷徹に、無慈悲に、正確に――
敵を排除するためだけに振るわれる、純然たる力。
しかし。
――にもかかわらず。
セラフは、笑っていた。
その顔に浮かぶ笑みは、狂気と歓喜の入り混じった恍惚。
笑いを堪えることすらしない。
むしろその身に降りかかる死の気配すら、快楽のように味わっていた。
セラフ「いいよ、ベル。もっとだ」
彼はうっとりとした声で言う。
セラフ「君の怒りも、恐怖も、ぜんぶ、僕に向けてくれ。……全部、僕が受け止めるから」