2-10
静寂が揺れ、空気がざわついた。
セラフが、一歩ずつ堂内へと進む。
その歩みは、まるで儀式のように静かで整っている。
光を受けて煌めく甲冑、無駄のない所作――誰が見ても、理想の騎士だった。
けれど、その整いすぎた美しさこそが、違和感を際立たせる。
その瞳に宿るのは、守護の意志でも、忠義でもない。
ただ一つ、“彼女”だけを見つめる狂信的な渇き――狂気。
肉体強化の魔術により、セラフの感覚は極限まで研ぎ澄まされている。
風の流れ、埃の落ちる気配、石の微かな温度差すらも、余さず拾い上げる。
それらすべてが“彼女”の気配を探すための手段。
セラフ「……妙だな」
彼は小さく呟いた。
眉間に寄った皺。瞳の奥に宿る狂気とは別種の、純粋な探知者としての違和感。
――空間に、ぽっかりと“穴”が空いている。
音がしない。
気配がない。
魔力の流れも、空気の震えすらも消えている。
まるで、そこだけが“世界”から切り取られているかのような、異常な静寂。
だがその“不在”こそが、彼にとっては何よりも確かな“存在”の証明だった。
セラフ「そこに……いるのか」
歯の奥で笑みが漏れる。
声は抑えられ、しかし熱を孕んでいた。
歓喜。
執着。
崇拝。
狂気。
セラフ「やはり、君は……特別だ」
その言葉に応える者はいない。
だが、セラフの視線は迷いなく一点を射抜いていた。
教会の奥。ひび割れた石壁の陰、薄く崩れかけた祭壇の裏側。
そこに、ベルがいた。
彼女は身を伏せ、瞼を閉じていた。
死7神の系譜の力により、ベルは自分と世界の繋がりを一時的に奪った。
それは姿だけでなく、音も魔力も、気配すらもこの世界から遮断する術。
干渉のすべてを拒絶し、自らの存在を“死の領域”へと沈める究極の隠匿。
生者であれば、気づくことは不可能だった。
――だが。
セラフ「この空白……ああ、美しい。君は、やはり……“死そのもの”だ」
セラフの言葉が、まるで彼女を讃える讃美歌のように響く。
彼にとってその“空白”は、恐怖ではなく祝福だった。常人には認識すらできないその異常な沈黙が、彼の神経を震わせ、心を歓喜で満たす。
ベル(……どうして……)
ベルは息をひそめたまま、瞼の裏で僅かに眉を寄せる。
この魔法で気づかれるはずがない。
存在そのものが断絶されているのに。
なのに――なぜ、あの男は、こちらを真っすぐに見ているのか。
ベル(……わかってる。あれは、もう……)
魔術に関する理論でも感覚でもない。
もっと根源的な、直感に近い拒絶。
異常に研ぎ澄まされた感覚と、狂気に焼かれた精神が融合した存在。
理解されるはずのない“死”の魔術すら、逆に手がかりになってしまうという、最悪の相性。
ベルの胸の奥で、冷たいものがせり上がる。
静かな、けれど抗いがたい悪寒。
理解されることのないはずの孤独が、歪んだ形で“見つけられた”という事実が、何よりも怖い。
ベル(怖い……)
その感情は、不死となって久しい彼女にとって、もはや縁遠いものだった。
けれど今、セラフの視線が皮膚の内側にまで突き刺さるように感じられたその瞬間――
ベルは確かに、“恐怖”を思い出した。
ただの敵ではない。 ただの殺意でもない。 あれは――渇望。
すべてを捧げてでも、こちらに触れようとする執着。
逃げても、隠れても、拒んでも、追い続ける者の目。