表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/315

2-9

――また、だ。

耳の奥に残る、奇妙な圧迫感。

心臓を撫で回すような、名状しがたい息遣い。


それは風ではない、空気ではない、“誰か”の執着そのものだった。


まるで見えない指先が、背骨をなぞってくるような感触。

逃れられない。振り払えない。

目を逸らしても、心の奥にまで入り込んでくる。



呼吸が浅くなる。喉の奥がざらつく。心臓が、不規則に跳ねた。


かつて戦場で浴びた殺意にも、魔物の瘴気にも似ていない。

これはもっと――濃密で、私的で、ねっとりと絡みつく執着だ。



まるで、皮膚の裏側を撫でられるような不快感。

いや、不快ではない。もっと悪質だ。



ベル(舐められてる……)



この空気のどこかに、あの男がいる。



姿を現さずとも、確かに“欲”が迫ってくる。

名前を呼んだ――ただそれだけで、彼は境界を越えた。



獣じみたそれは、愛や憧れとは異質のもの。 汚濁と支配と自己満足を孕んだ、歪んだ感情の発露。




身体が勝手に反応していた。

背筋が粟立ち、喉の奥が痺れるような恐怖と緊張。


いや、恐怖ではない。

もっと複雑で、言葉にできない混濁。




名を呼んだのは、無意識だった。

ただの記憶の残滓をなぞったに過ぎなかったはずなのに――




その名が世界に放たれた瞬間、空気が変わった。



空気が揺れた。

風がうねった。



空間が、どこか“熱を持った”



――呼ばれた。  彼が、気づいた。

そして今、こちらを“探している”。



ベル(まさか……)



彼女は推測する。いや、理解した。

あの男は、名前ひとつに意味を見出す。  

たった一言の声に、存在を懸けてくる。

 


その異常性に、薄ら寒さが走った。  

求めることに一片の理性も節度もない。  



それは愛ではない。欲だ。  



――男特有の、支配欲と本能を混ぜた、獣の渇き




避けられない。

拒んでも、忘れても、逃げても。




あの執着は理屈を超えて、こちらに向かってくる。

己の肉体の限界すら超えて、痛みも時間も喰らい尽くし、ただ“求める”。


ベルという存在のすべてを、崇め、愛し、犯し、所有しようとする――。

 


 

ベル(……狂ってる。気持ち悪い)


静かな思考の内側で、ベルは淡々と嫌悪をなぞった。



何度も経験してきたはずだった。



欲望に濁った目。神聖化された幻想。勝手な崇拝と歪んだ所有欲。  

彼女に向けられる手は、いつも一方的で、自分本位で、汚れていた。

 



けれど――あの男は、違う。




ベル(“深さ”が違う。歪みの“純度”が違う)



あれは狂気の核。


よく似たものを見てきたはずなのに、根本から異質だった。他の誰よりも深く、誰よりも重く、誰よりも――純粋に狂っていた。

 

理屈ではなく、反射に近い拒絶が、身体の奥から波のように広がる。皮膚の内側を這う感覚。心臓がざわめき、肺が呼吸を忘れかける。  

“あれ”の存在そのものが、ベルの内側にある何かを侵食してくる。


 

冷たい汗が背筋を伝うのを意識の端で感じながら、それでも感情は静かだった。

 

ベル(お前みたいな存在に、私を壊されるわけにはいかない)


不死であることも、膨大な魔力も、関係なかった。

“あれ”に触れられれば、自分の中にある“自分”が侵される――そんな確信があった。



教会の扉が、軋んだ音を立てて開いた。  長く打ち捨てられていたはずの空間に、異物が足を踏み入れる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ