表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
317/319

5-54

赤い警告灯がまだ明滅を繰り返す研究室。

魔導具の心臓部が低く唸り、金属と魔力の焦げた匂いが立ちこめていた。

床に散った魔法陣の光が揺らめき、ノクスとラゼル、二人の影を交差させる。



ノクス「制御核の右側、供給ラインを半分切り替えろ。――そう、そこだ」



ノクスの指示は的確で、短く鋭い。

ラゼルは無言で頷き、指先を走らせた。

彼の掌に宿る魔力が制御盤に流れ込み、波紋のように広がっていく。


ノクスの指先から淡い蒼光が走り、

回路の断線をなぞるように再構築する。

その手際の見事さに、ラゼルは息を呑んだ。



ラゼル(……変わっていない)



沈黙の中で、ラゼルの胸に懐かしい痛みが走る。

ノクス――いや、“カイル”だった頃の彼。

当時から、魔導具の扱いと理論構築の精密さでは誰よりも抜きん出ていた。

無骨なようで繊細、理屈よりも感覚で魔力の流れを掴み取る男。


研究室で、何度その姿に救われたか――。

ラゼルは小さく息を吐き、今はただ目の前の装置に集中する。

ノクスの声が再び飛んだ。



ノクス「魔力流路を五度ずらす。……出力を合わせろ」


ラゼル「了解」



ラゼルは即座に応じ、制御波を調整する。

魔力が共鳴し、赤い光が少しずつ白に近づく。

ノクスとラゼルの制御波が絡み合い、

壊れかけた魔導具の中心で脈動を取り戻していく。



ラゼル(やっぱり……君は、理屈じゃなく“感じている”んだな)



ラゼルは声に出さずに呟いた。

何年経っても、その勘の鋭さは衰えていない。

いや――むしろ、あの頃よりも、深く、静かだ。



ノクス「出力を安定化。……あと一息だ」



ノクスの低い声が、緊張を切り裂いた。

ラゼルは頷き、魔力を注ぎ込む。


白光が一気に強まり、

装置が低く唸りを上げる。

赤い警告灯の明滅が止まり、

静寂の中、魔導具の鼓動だけが部屋を満たした。


ノクスが掌を引き、短く息を吐く。



ノクス「……よし、間に合ったな」



ラゼルは手を止め、胸の奥で小さく呟いた。



ラゼル「……ああ、やっぱり……お前は、すごいよ。カイル……」



ノクスはその声を聞いたかどうか――

ただ、微かに目を細めて頷いた。



ラゼル「次の段階で、供給を上げる。……負荷が高いぞ」


ラゼルの声が、震える装置音の中で落ち着いて響く。

ノクスは短く頷き、掌に魔力を集中させた。

最終工程――出力を安定化させるため、強い魔力を流し込む必要がある。


だが、それは一人の魔力では到底支えきれない量だった。



ノクスが息を吸い込み、呼吸を整えたそのとき、背後で足音が近づく。



ナヴィ「……ノクス、手伝おう」



低く、静かな声。ナヴィが一歩前へ出る。



ノクス「……ああ、助かる」



ノクスはわずかに笑みを浮かべ、視線だけで合図を送った。

ナヴィの掌が装置に触れる。

そこから放たれた氷の魔力が、白い霧のように流れ込み、熱を鎮める冷気が回路を包む。



淡青の光がノクスの蒼光と重なり合い、二つの流れが渦を巻くように融合していく。

ラゼルが制御盤に手をかざし、制御波を安定化させた。


三つの魔力が絡み合い、ひとつの脈動となって装置の中心に収束する。


室内に充満していた焦げたような匂いが薄れ、空気が澄んだ。


低い唸り音が徐々に落ち着き、代わりに、

心臓の鼓動のような一定のリズムが響き始める。


ノクスの額から一筋の汗が落ちた。

ナヴィの手がわずかに震える。

ラゼルは息を止め、装置の数値を見つめる。



――三人の魔力が、完全に共鳴した瞬間だった。

止まっていた何かが、確かに動き出した。



光が落ち着くと、室内に静寂が戻った。

警告音も止まり、ただ魔導具の律動だけが、穏やかな鼓動のように響いている。


魔法陣の赤は完全に褪せ、淡く白い光が床を包んでいた。


寝台の上――ガラスの胸が、ほんのわずかに上下していた。

ミィナは息を呑み、そっとその手を握る。



ミィナ「ガラス……大丈夫、なの……?」



掠れた声に、震える涙の音が混じる。

ラゼルは肩で息をしながら、それでも穏やかに答えた。



ラゼル「ああ。魔力供給が途絶えたから、消費を抑えるためにガラスは動きを止めていただけだ。やがて、目を覚ます」



ノクスは深く息を吐き、掌を離す。



ノクス「……安定した。出力が戻ったな」



ナヴィも静かに頷き、掌に集めていた冷気をゆるめた。


その瞬間――


ガラスが小さなくしゃみをひとつ。

ミィナは一瞬ぽかんとした顔になり、次いで涙を拭いながら笑った。



ミィナ「ナヴィの魔力……寒かったのかな」



ナヴィが眉をわずかにひそめ、ラゼルが小さく息を漏らす。

そして、ノクスもわずかに口元を緩めた。

静けさの中で、微かな笑い声が重なる。

それは奇跡の直後に生まれた――

あまりにも人間的で、やさしい音だった。


ラゼルはノクスたちに向き直り、深く頭を下げた。



ラゼル「……ありがとう。本当に……僕だけでは、ガラスは助けられなかった」



ノクスは首を振る。



ノクス「礼はいらない。……ここに人が少ないのは、俺たちのせいでもある。

森の罠を壊しながら進んできた。ミィナとベルを助けるために」



ナヴィが続けるように言った。



ナヴィ「奴らはもう戻れはしない……そのせいで外の防衛は薄いはずだ」



ラゼルは制御盤に視線を落とし、ゆっくりと息を吐いた。

その仕草に、どこかためらいの色が混じる。



ラゼル「……そうか。なら、あの外の異常も君たちの仕業だったわけだな」



言葉の端に、微かな疲労と安堵が滲んでいた。

だが、短い沈黙のあと――

ラゼルは、決意を固めるように顔を上げる。



ラゼル「……ここには、ベルはいない」



ノクスが顔を上げた。



ノクス「……いない?」



ラゼルは息を整え、言葉を紡ぐ。



ラゼル「彼女はこの研究所に来る途中で攫われた。

犯人は――邪神を崇拝する狂信者たちだ」



ナヴィが眉をひそめる。



ナヴィ「……魔法ギルドでも警戒している連中だな。蛇の法衣すら利用する狂信の徒」



ノクスの喉が鳴る。



ノクス「ベルが……そいつらのもとに?」



ミィナはガラスの手を握り締めたまま、唇を噛んだ。

部屋に再び静寂が落ちる。

魔導具の低い律動だけが、微かに時を刻んでいた。


ラゼルはしばらくのあいだ、迷うようにノクスの顔を見つめていた。

その瞳の奥に、まだ確信を持てぬ戸惑いが揺れている。



ラゼル「……カイル。どうして今まで、僕の記憶から――」



ノクスはわずかに視線を伏せ、淡く笑った。



ノクス「俺の名前は、“死神”に預けた。

そうすることで、世界からその名が消えた。

誰の記憶にも、存在にも、残らないようにな」



ラゼルの手が震える。



ラゼル「そんなことを……なぜ」


ノクス「……必要だったんだ」



その短い答えの奥に、言葉にできぬ痛みが滲んでいた。

沈黙が、二人の間を流れる。

ノクスの横顔は、七年前とまったく変わらない。

それを見つめながら、ラゼルは息を詰めた。



ラゼル「……見た目まで、あの頃のままなのか。

まるで、時間の外に取り残されたみたいだ」


ノクス「ある意味、その通りだ。時間の外で過ごしていた」



ラゼルはかすかに笑い、肩の力を抜いた。



ラゼル「理解はできないけど……カイルが言うなら、そうなんだろうな」



二人の間に、ようやく懐かしい空気が戻る。

ほんの一瞬だけ、過去と現在が重なった。


ナヴィの声が、静かに空気を切った。



ナヴィ「狂信者たちの拠点の場所を知っているか?」



ラゼルは少し黙り、棚の奥から古びた地図を取り出した。

指先で森の奥、山脈の麓の集落跡地を指す。



ラゼル「ここだ。……もう、蛇の法衣の救出隊が向かっているかもしれない。気をつけろ」



紙をノクスに手渡す。

ノクスは受け取り、短く頷いた。



ノクス「必ず助ける。――どんな場所でも」



ラゼルはその横顔を見つめ、小さく息を吐く。



ラゼル「……君が言うなら、きっとそうなるだろう」



静まり返った研究室に、しばしの沈黙。

魔導具の低い律動だけが、微かに響いていた。



ミィナ「ミィナも行くよ、もちろん」



ミィナの声に、ラゼルがすぐ反応する。



ラゼル「駄目だ、危険すぎる」


ミィナ「でもベルは今、そこにいる。待ってる」



ミィナの瞳には、恐れではなく、確かな決意が宿っていた。

ノクスは少し黙ってから、静かに言った。



ノクス「……止めても無駄だ」



その口元に、わずかな苦笑。

ラゼルは俯き、絞るように言葉を漏らす。



ラゼル「……本当は、君にも残ってほしい。

ガラスが目を覚ましたとき、君がそばにいてくれれば……」



ミィナはその言葉に、穏やかな微笑みで応えた。



ミィナ「ガラスは、きっと大丈夫。……ラゼルが、いてくれるでしょう?」



ラゼルは答えられず、ただ小さく頷いた。

出発の準備を終え、ノクスたちは扉へ向かう。

ふと、ミィナが振り返った。

寝台の上――ガラスの指先が、ほんのわずかに動く。


その光は、小さく、儚く、それでも確かに“生きていた”。

ミィナの目に、また涙が滲む。



ミィナ「……ガラス、また会えたらいいね」



ラゼルは胸の奥で息を詰めたまま、それを見送った。


ノクスたちが扉を開けると、外の空気が流れ込む。

夜が、ゆっくりと明け始めていた。

白い光が、冷たい廊下を満たしていく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ