2-1
黒き観測者の尖塔。
最奥に据えられた儀礼の間には、永劫の静寂が支配していた。
重厚な扉が、まるで空気を切り裂くように音もなく開く。
ひとりの男が、影のように歩み入り、静かに片膝をついた。
――セラフ。
黒髪は整然となめらかに撫でつけられ、一分の乱れも許さぬ姿勢には、かつての騎士道の残響が色濃く刻まれていた。
漆黒を基調とした礼装には皺ひとつなく、ま
るで鋼で仕立てたような完璧さを纏う。
その動き一つ一つは、無駄を削ぎ落とした研ぎ澄まされた剣。
存在そのものが規律であり、美学だった。
彼の瞳は、凍てついた湖のように冷たく澄んでいる。
言葉を発せずとも、ただその眼差しだけで、「かつての高潔」を雄弁に物語っていた。
だが次の瞬間――
幹部の一声が、その場の空気を微かに震わせる。
まるで封じられていた過去に、ひびが入るかのように。
「“揺り籠”が確認された。風の街にて。末端どもが数十……壊れ、逃げ帰った。震えながら、口もきけずにな」
幹部の声は感情を欠いた冷気のようで、命令以外の何も含んでいなかった。
セラフの瞳が、ゆるやかに細められる。氷の静謐が、そこに宿る。
セラフ「死神の加護を受けし、不死の魔女――ベル。その名を確認されたのですね」
「そうだ。“お前”を送り込む。拘束し、連れ帰れ。生きたままでな。
……まあ、殺せはせんだろうが」
語尾の冷笑には、どこか捨て鉢な響きすら混じっていた。
数瞬の沈黙が空間を満たし、やがてセラフは一礼する。
セラフ「御意。――我が剣、我が魂、そのすべてをもって……彼の者を“導き”ましょう」
その声音は穏やかで、どこか祈るようにさえ聴こえた。だが、その胸の奥では、別の声が密やかに歓喜を叫んでいた。
セラフ(……また会える……)
冷ややかに磨き上げられた仮面の奥は、歓喜に溶けていた。
あの“揺り籠”――ベルの魔が紡いだ甘美な棺が現れたという事実は、彼にとって神の赦しにも似た啓示だった。
セラフ(ああ、触れたくて堪らない。
その肌に、私だけの熱を刻みつけたい。
奪いたくて、壊したくて、
哀しみごと、その魂を抱きしめてしまいたい。
永遠に抗うその瞳を、私の愛で満たしたい。
痛みも、孤独も、すべて飲み込んで――
ただ静かに、優しく、"私だけのもの"にしてしまいたい……)
その胸に去来するのは――
彼女を閉じ込めるため、自らの手で編み上げた楽園の記憶。
鋭利に磨かれた拘束具。鉄錆と血の匂いに満ちた鎖。
そして、儚げに揺れる白のドレス。
それは祝福か、儀式か、あるいは供物か。
心の奥底で、セラフは静かに、深く、そして甘やかに昂る。
やがて彼は、音もなく立ち上がる。
その姿はまさに、神託に従う騎士のよう。
あるいは、神の声を告げる聖なる使徒のごとく。
――だが、彼の歩みが向かう先は聖域ではない。
狂気と欲望に染まった、甘く昏い奈落だった。