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プロローグ

プロローグ

毎朝、君の幻を祓うところから一日が始まる。


声が耳に残っている。


「おはよう」なんて、言ったこともない言葉が。


……目が覚めても、しばらく現実に戻れない。


君はそこにいない。

でも僕の中では、確かに存在していた。



君は、神のようだ。

触れれば壊れそうなほど繊細で、 見つめれば心を奪うほど美しい。



そんな君に、僕が手を伸ばすなんて―― きっと、世界は笑うだろうね。



誰もが僕を「優秀で誠実な神官」だと信じて疑わない。


温和で、理知的で、信仰深くて。

……まるで人の善意の仮面を貼り合わせて作った人形だ。

でも、そんな表面は君の前では意味を成さない。



君に出会って、僕は「正気」でいることをやめた。


いや、初めからそうだったのかもしれない。


ただ、君という“神秘”に出会って、 ようやく自分が狂っていると知っただけだ。



君のためなら、僕はなんでも捨てられる。


信仰も、戒律も、名誉も。 ……理性すらも。


神の名を口にしていた唇で、 君の名だけを祈るようになった。



君は、ただそこにいるだけで完結している。


完璧に、孤高で、誰にも触れさせない。



……それでも僕は、君を手に入れたいと願ってしまう。


かつて僕が祈っていた“光”は、もうどこにもない。


今、僕の中にあるのは、 君という救済を得るための漆黒の執着だけだ。



君が「自由」であろうとする限り、 僕はその自由すらも閉じ込めたくなる。


それが罪だというのなら、喜んで背負おう。


何度でも祈る。

何度でも願う。


この願いが、祈りの形をしている限り、 僕はまだ「正気」だと信じられるから。


君を理解できるのは、僕だけでいい。

その神秘を、崇めながら穢したい。

愛しながら奪いたい。


だから、今日も目を閉じる。 夢の中で、君に手を伸ばすために。


――いつか、現実でも、その指が君に届く日まで。





奥の間、そこがセラフの“楽園”だった。


忘れられた洞窟の中奥深くに作られた閉ざされた部屋。

その部屋そのものが次元を裂いた空間に隠してある厳重な牢獄。



真紅の絨毯が敷かれ、天井からは歪な燭台が吊られている。

蝋は白ではなく、どこか生々しい紅。



火は静かに揺れ、壁に映し出す影はまるで踊る亡霊のようだった。



部屋の隅々には、セラフの執着が形を得て鎮座していた。


丁寧に整頓された銀製の拘束具。

肌を傷つけないよう柔らかな内張りが施され、それでも決して逃げられない構造。


天蓋付きの寝台には、ベルの髪の色を模した純白のヴェールと花嫁衣装がかけられている。


だがその裾には、赤く滲む染みがいくつも――それは空想か、過去か、それとも未来への予感か。



棚には日記のように並べられたノート。


ベルの行動、過去、気配、声の余韻までも書き綴った観察記録。


ページの合間には、抜き取られた紙片、折られた花、そして細く編まれたラベンダーの糸――それは、彼女の抜けた髪を丁寧に撚ったものだった。



祭壇のように設えられた台座には、手製の人形がひとつ。


あまりに歪で、しかし見る者には誰を模しているか一目でわかるほど執拗な再現。


抱きしめられ、撫でられ、語りかけられた痕が残るそれは、片目がすり減り、指の跡が染みついていた。



そしてその中心。

鉄と銀と呪布で造られた檻――セラフの狂気が形を成した“花嫁の部屋”。



その前にひとり、跪く影がある。セラフ。  



彼はその鉄柵を愛おしげに撫でながら、瞼を伏せ、細く笑んでいた。



「もうすぐ、もうすぐだ……君がここに座る日が」



声は甘美な毒のように自らを酔わせ、うっとりと身を震わせる。  


彼の瞳に浮かぶのは神への祈りでも、世界への憎悪でもない。


唯一、ベルという存在への祟愛――崇め、壊し、穢したいという、狂おしいまでの純愛。


「着せてあげるよ、真っ白な衣。


汚してしまおう、君の清らかなすべてを。


愛している、だから壊すんだ。


君の輝きは、僕だけのものに……」



口づけるように檻の鍵に触れ、彼は震える。  それはまるで、神の祝福に達した信徒のように――



ベルの影を思い浮かべるだけで、世界が静止する。

彼の鼓動が高鳴り、喉から熱が迸る。

身をよじり、低く呻くように嗤い、静寂の中に陶酔と執着の喘ぎを響かせた。



「君を、君を、君を……永遠に僕の檻の中に――」



その言葉は空気に溶け、部屋全体が呼吸をするように微かに震えた。


“楽園”は準備を終えていた。


迎えるべき花嫁が、今この地に足を踏み入れる日を――狂気と祝福の中で、待ち続けていた。

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