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※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
――木々のざわめき。
鳥のさえずり。遠く、葉を撫でる風の音。
ベルはゆっくりと目を開けた。
朽ちかけた木の天井。差し込む斜陽。
そして、柔らかく身体を包む毛布のぬくもり。
ベル(……ここは……?)
乾いた唇から、微かな吐息が漏れる。
身体はまだ重く、指先にさえ力が入らない。
それでもベルは、首をめぐらせ、焦るように辺りを見渡した。
粗末ながらも丁寧に整えられた室内――木造の小屋。
森の中か、山の中か。静けさと、どこか懐かしさすら感じさせる空気に満ちている。
ベル(……たしか……)
炎と悲鳴。
狂気の渦と、裂けた衣の感触。
記憶の断片が、胸を締めつけるように蘇った。
ベル(誰かが……触れた?)
その不安に、思わず胸が詰まる。
だがすぐ、視線の先。
ベッドの傍らに置かれた、清潔な衣服が目に入った。
落ち着いた藍色の旅衣。見たところ、彼女のサイズに合わせてある。
ベル(……助けられた?)
毛布をかき分け、ゆっくりと上体を起こす。
身体に痛みはない。
その時だった。
ギィ……と、軋む音を立てて、木の扉が開く。
逆光の中に、ひとりの男の影が現れた。
穏やかな瞳。
どこか疲れた笑み。
そして――その顔に宿る、わずかな後ろめたさ。
蛇の法衣の密偵。あの墓地で出会った男。
ベルの瞳が、大きく見開かれる。
けれど、言葉は出なかった。
カイル「……よかった。目が覚めたんだな、ベル」
自然に名前を呼ばれたことで、ベルの視線がわずかに鋭くなる。
あのとき礼拝堂で、名を名乗った覚えはない。
ベル「……どうして、私の名前を知っているの?」
問いを投げると、カイルはほんの一瞬だけ目を伏せた。
だが、隠す素振りは見せずに口を開く。
カイル「君が僕の前から去る前、あの礼拝堂で“ベル”と……確かに、そう言っていたよ」
その曖昧な返答に、ベルの視線が細くなる。
違う。あのとき、名は名乗っていない。
ならば彼は、別の経路で知ったのだ。
《蛇の法衣》の一員として、記録にでも残っていたのか。
警戒心が胸の内にわずかに広がる。
けれどそれでも、彼の顔には敵意はなかった。
むしろ、深く沈んだ迷いや、苦しげな痛みのようなものが見え隠れしていた。
ベルは思い出す。
あのとき――目が合った瞬間の、微笑み。
それが油断を生み、致命的な隙を生んだ。
ベル(……そのことを、悔やんでいる?)
しかし、死神の揺り籠で眠りについた場所から、ベルを運び保護してくれたのは、間違いなく彼だろう。
ベル「……助けてくれて、ありがとう」
ぎこちなくも、そう言った彼女に、カイルは小さく目を細めて微笑んだ。
カイル「本当に良かった。二日ほど、眠っていたから」
その声音が、やけにやさしかった。
ベルは一瞬だけ視線を逸らす。
胸の奥で、複雑な感情がざわめいていた。
ベル(……揺り籠を、見られただろうか)
あれは、自分にとって唯一の防壁。
魔力が尽きた時にだけ発動する、死神の守り。
彼女は知っている。
自分のこの現象が、常識では説明のつかない“異質”であることを。
ベル(……でも、この男が蛇の法衣の密偵なら――)
もう、とっくに知っていたのかもしれない。
“死神の揺り籠”も、その内側に在るものさえも。
それに、ベルの魔力を枯渇させた最後の魔導具の感触。
その気配についてもベルは疑問を抱いていた。