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※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
灰色の空の下、沈黙が場を支配していた。
封印の首輪は重く、冷たく、まるで断罪の鉄環のようにベルの存在を縛りつける。
魔力の流れは止められ、四肢は魔法の力に絡め取られ、意思とは無関係に地に縫いつけられていた。
だが、それでも――ベルは微かに、動いた。細く、ほとんど気づかれないほどの動き。
手指が小さく震える。足先が砂をかく。
喉が乾いたようにかすかに鳴る。
それはまるで、身体が「逃げろ」と叫んでいるかのような、無意識の反射だった。
心の奥で、何かが軋む音を立てた。
感情はもう、押し殺したはずだった。
諦めたはずだった――この身は、どうせ壊されても戻る。痛みも恐怖も、過去に何度も味わってきた。
けれど、それに慣れることは、決してない。
――戻るだけ。壊れないわけじゃない。 壊れるたびに、自分は確かに痛みを知り、苦しみの底に沈むのだ。
男の手が、ベルの髪に伸びる。 不吉な色だが、美しい、と呟きながら、それをなぞるように撫でる。
それを見た他の観測者たちも次々と近づき、触れようとする。
「壊しても、戻る……ならば、壊すことに罪などないだろう?」
「どうせ世界に否定された存在だ。だったら……俺たちの手で、汚してやる」
ベルの瞳が、ゆっくりと彼らを見た。 澱んだ水のような視線。
だがその奥に、かすかな熱があった。
足が、砂をかいた。ベルの口元が、僅かに歪んだ。
――笑おうとしたのだ。
諦めの笑みを、いつも通りの。 「どうせ不死なんだから」と、全てを呑み込むように。
だが喉は震え、声にならなかった。 代わりに吐き出されたのは、深く、乾いた息。
その瞬間、男の手が首筋に触れ、ゾクリとした寒気がベルの背を走った。
反射的に肩が震え、首を引こうとした――だが身体は動かない。
ベル(……やめて)
心の底で、誰にも届かぬ声が震えた。
それでも、手は止まらない。
彼女の魔力に触れた者は、知らず知らずのうちに“侵食”される。 その存在は、意図せずして精神へ干渉し、判断力や倫理感さえも歪ませていく。
理性をかろうじて保っていた観測者たちも、もはやその一線を越えていた。
彼女に触れようと伸ばされる指先は、もはや欲望と恐れと混乱の入り混じった、濁った狂気に染まっていた。
髪に触れようとする者、頬へ手を伸ばす者、服の裂け目へ指をかける者。
彼女を中心に渦を巻くように、観測者たちは理性を失い、奪い合うように彼女に群がる。
「隊長……止めないのか……?」
「……命令なんてもう、関係ない」
かつての指揮官格の者ですら、狂気に沈んでいた。
ベルの存在が放つ“何か”が、彼らの精神の奥底まで蝕んでいた。
布が裂け、冷気のような恐怖が肌を刺した。 そのときだった。
誰かが、ひとつの魔道具を高く掲げた。
音もなくそれをベルの首筋に押し当てると、冷たい感触と同時に何かが吸い取られるような感覚がベルの全身を駆け抜けた。
次の瞬間――
ベル「……ッ……!」
ベルの全身から魔力が、一滴残らず消え失せた。
空になった身体は、芯まで冷えきったような虚無に包まれる。
――そして。
音もなく、ベルの身体を中心に、半透明の殻が膨らむように発生した。 赤紫の光が、ゆっくりとその輪郭を形作る。
「なん、だ……?」
観測者の誰かが呟いた。 彼らは知らない。
それは、死神の揺り籠。 死神の瞳の色を宿す、泡のような神秘の結界。
不死の少女が魔力を完全に失ったときだけ発動する、絶対の防御。
揺り籠は静かに、けれど確かに、ベルのすべてを包み込んだ。
その瞬間、彼女の表情は消えた。
感情も、苦悶も、何もかもを置いて——ただ眠りへと沈んでいった。