1-21
※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
触れられた肩に、じわりと力がこもる。
けれど、痛みはなかった。
皮膚の奥まで鈍く痺れているだけで、熱も、震えも、どこか遠くの出来事のように感じられた。
ベル(……どうせ、私は壊れない)
誰が何をしても、この身体は死なない。
どれほど汚されようと、傷つけられようと、時間が経てばすべて癒える。
心臓を貫かれても、血をすべて流しても、それでもまた、目を覚ます。
ベル(……そういうふうに、作られたんだから)
首に装着された魔導具は、いまも微かに振動していた。
これは外から力を加えて封じる拘束ではない。
魔術陣を介して術式が神経網へと侵入し、意志と肉体の連動そのものを遅延・分断する――いわば“中枢制御遮断”の術式だ。
思考はある。だが、身体が動かない。
感じてはいる。だが、それが自分の感覚かどうかも曖昧になる。
反応速度と自我に、ずれが生じ始めていた。
頬に触れた指先が、ゆっくりと這う。乾いた呼気が耳元をかすめる。
その動作に嫌悪も恐怖も、もう抱きたくなかった。
抱けば壊れると知っている。
だから、ただ心を凍らせるようにして、何も起きていないふりをすることを選んだ。
「こんな、存在しちゃいけないだろ……。こんな姿で、こんな目で……」
男の声が揺れていた。
その言葉に、他の観測者たちの視線が、じりじりと熱を帯びていくのがわかる。
理性は音を立てて崩れていた。
異端であるはずの存在に。
否定しなければならない“神秘”に、説明のできない美が宿っていた。
「どうせ処分されるんなら……少しくらい、いいだろ?」
そんな声が聞こえた。
ゆっくりと近づく足音。
伸ばされる手の影が、視界の隅で形をとっていく。
ベル(……何も、感じるな。何も、考えるな)
目を閉じる。強く、深く。
ただ、何も起きていないように。
眠っているだけのように。
ベルの頬を撫でていた手が、首元へと滑っていく。
繊細な皮膚の上を這うその指先に、暴力はなかった。
それが、かえって恐ろしかった。
まるで神聖なものを扱うように。
あるいは、それを貶めることに陶酔しているかのように――慎重で、熱を帯びた動きだった。
「……狂わされる、やはり存在してはいけない」
呻くようなその声に、空気が歪んだ。
迷い、欲望、信仰の崩壊が、靄のように漂っていく。
そしてそれは、確実に、彼らの精神を蝕んでいた。
命令系統は、すでに崩壊していた。
統率も、判断も、神意すら忘れ去られ、ただ衝動と混乱だけがこの場を支配している。
「触れるだけなら……問題ないだろ?」
一人がそう呟いた。
それは許しではなかった。免罪符でもなかった。
それでも、誰かが救われるように、その言葉に縋る。
そしてまた一人、もう一人と、手が伸びる。
封じられ、動けず、言葉すら奪われたベルは、まるで供物のようにそこに立っていた。
ベル(……待つだけだ。私は壊れない。時間はある)
何度も心の中で唱える。
そうでもしなければ、意識が崩れそうだった。
「肌が……冷たいのに、柔らかい。まるで人形だ……」
男の指が肩を撫でる。
次の者が背中へと触れる。
まるで儀式のように、ひとりまたひとりと、ベルに触れていく。
その指先にあったのは暴力ではない。
だが、より深い悪意――理解不能な存在を“自分のもの”にしたいという、錯乱した執着だった。
ベル(感じるな。反応するな。どうせ、壊されても……)
そうしていれば、通り過ぎていく。
終わりが来る。
だが――どこかでわかっていた。
これはただの暴力ではない。
信仰を捨てた者たちが、神秘に触れ、理解できないものを“穢す”ことで安堵しようとする。
それは祈りとは正反対の、歪んだ破壊衝動。
これは、人としての理性を捨てた者たちによる、ゆっくりとした殺意にも似た冒涜。
感情が、命が、少しずつ剥がれていく。