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4-26

森の中を、二人は静かに歩き続けた。

音もなく、ただ風と木々がさざめく音だけが、行く先を導いていた。



魔物が寄り付かないと言われる森であっても、完全に無というわけではなかった。

迷い込むようにして現れる獣たちが、ときおり静寂を破って姿を見せる。

そのたびに、トーノがノクスの前へと出た。


ノクスはかつて身に着けていた隠密用の魔導具をすべて失っていた。

魔力の回復も不十分な今、逃げる術も守る術もない。

残された道は、ただトーノ――いや、その中に潜む玄宰の力に頼ることだけ。



玄宰「……っ!」



鋭い音とともにトーノの腕が変質し、指先は獣の爪のように伸びる。

喉笛を掻き切られた魔物は一瞬の悲鳴も上げず崩れ落ちた。

地に伏したその骸から黒い煙のような魔力が溢れ、やがて霧散する。


振り返ったトーノの瞳が、ノクスを捉える。



玄宰「トーノがこの魔物の肉は食えると言っているが、どうする?」



淡々とした声音。だがその言葉の裏に、かすかな実利的思考が滲んでいた。


食料も限られていた。

旅を続けるには、利用できるものはすべて使うしかない。



ノクス「頼む、解体の手は俺が貸す」



ノクスは頷き、素早く魔物の血抜きをはじめた。

刃物を通す角度や力加減は身体が覚えている。

皮を剥ぎ、骨を外し、内臓を取り除き――淡々とした作業のなかに、長年培った密偵としての経験が滲み出る。



その様子を、トーノの中にいる玄宰はじっと眺めていた。



そして次に、肉の下処理と調理。

枝で組んだ即席の竈に火を起こし、切り分けた肉を丁寧に炙る。

トーノの手際は、誰かに教わったような癖のある動きだった。

きっとそれは、マルベラの面影。



残った肉は保存のために燻製にすることにし、ノクスは近くの木々から枝を集めながらふと、胸の内に妙な感情が渦巻いているのに気づいた。



怒りと嫌悪。それは確かにあった。

かつての魔導都市で、そしてエン=ザライアで。

ベルを利用し、彼女を傷つけた者たち。

許されるはずもない。彼らが犯した罪を、ノクスは許さないと決めていた。



けれど――



ノクス(……もしも、あのとき。俺が彼らの立場だったなら)



ベルに似た、あるいはそれ以上に強力な“奇跡”を前に、

道を踏み外すことなくいられたと、果たして言い切れるだろうか?



黙々と枝を組みながら、ノクスの思考は深い森の底へ沈んでいった。

暖かな火の揺らめきが、答えのない問いを静かに照らしていた。



森を抜けると、空の色が一気に広がった。



鬱蒼と茂った木々の間から漏れていた光が、やがて全身を包む陽光に変わる。

生い茂る草木の匂いと、土に染み込んだ魔力の気配も次第に薄れ、代わりに乾いた土と風の匂いが混じり始めた。


しばらく歩くと、なだらかな丘の向こうに、人の営みの痕跡が姿を現す。



小さな町だった。


石造りの建物が並び、幾筋かの煙が空へ昇っている。

広場に面した小屋からは人の話し声が漏れ、子どもたちのはしゃぐ声もかすかに届いた。

馬車の車輪が石畳を叩く音や、鉄を打つ鍛冶場の響きまでが耳に心地よい。

命の気配が確かにそこにあった。



ノクスは目を細め、その町を静かに見下ろす。



ノクス「……変わってない。あの薬屋も、多分まだあるな」



隣に立つトーノは無言だった。

だがその瞳には、確かな驚きが宿っていた。



初めて見る“人の町”。

エン=ザライアの閉ざされた街並みとは違う、開けた空と、平和な喧騒。



トーノ「これが……」



トーノがぽつりと呟く。



トーノ「これが、外の町」



風が吹き抜け、トーノの髪が柔らかく揺れる。

その頬に触れる陽射しすら、初めて出会うもののように彼の表情をわずかに緩めた。


暗い森の奥で、獣の気配を警戒し続けた日々とは違う。

この町の風景は、命の営みと穏やかな光に満ちていた。


今までの旅路にはなかった景色――

彼はまるでそれを逃すまいとするように、瞬きもせず目に焼きつけている。


ノクスはその横顔を見つめ、そっと目を伏せた。



ノクス「……お前にとって、初めての外の町だな」



トーノは、少しだけ戸惑うように、それでも確かに頷いた。

その仕草の奥には微かな緊張と、けれどそれ以上に名も知らぬ期待が滲んでいた。



そしてノクスは気づく。

その瞳に映る世界は、今、紛れもなく“トーノのもの”だということに。


玄宰の気配は遠く、感覚の手綱を手放し、静かに彼の内側で息を潜めている。



ノクス「……譲ったのか、玄宰」



言葉にはしなかったが、ノクスの唇がわずかに綻ぶ。



ほんの小さな、けれど確かな、変化だった。

それを愛おしむように、ノクスは足元の土を踏みしめ、一歩、町へと続く道を進み始めた。


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