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4-25

ノクスは胸の奥に、わずかに魔力が満ちていく感覚を覚えた。

ゆっくりと息を整え、静かに詠唱を始める。



ノクス「――癒えよ、我が血と共に流れし痛みよ。忘却の光にて、骨の奥まで届け」



掌に集まった光が淡く揺れ、じきに温かな輝きとなって指先から零れ落ちる。


ノクスはその手をそっと患部へとかざした。赤紫に変色していた箇所が光に撫でられるように和らぎ、腫れが引いていく。

やがて肌の色が元の血色を取り戻し、光は静かに消えていった。


深く息を吐き、ノクスは肩の力を抜く。



ノクス「……何箇所か骨にヒビが入ってた。熱が出てたのも、そのせいだろうな」


玄宰「この傷は、いいのか?」



トーノが視線を落としたのは、まだノクスの体に残る幾筋もの切創。

服の下から覗く、肌を割いたままの傷痕だった。



ノクス「そこはお前が手当てしてくれたおかげで、もう平気だよ」



そう答えると、トーノはわずかに視線をそらした。

ノクスの言葉は半分は事実だった。けれど、傷をすべて癒せるほどの魔力は、まだ体に満ちていない。

そのことをあえて口にする必要もなかったし、口にしたくもなかった。


トーノは黙って、先ほどの薬湯をノクスへ差し出した。

その隣には、結局誰の口にも入らなかった魔物の串焼きも添えられている。



ノクス「好き嫌いをすると、大きくなれないぞ」



ノクスは薬湯を受け取りながら、わざと軽く笑う。

串焼きもひょいと手に取って、肩をすくめた。



玄宰「この体も、不死の片鱗に触れた。……成長するはずもない」



冗談めかしたような口調だったが、その声色にはどこか真実味が滲んでいた。

ノクスはふと、胸の奥を過ぎる気配に気づく。

ベルの姿が脳裏に浮かぶ。


幼さを残したまま、時の流れから切り離された少女。

不老不死。それは、ただ死を拒むだけでなく、“生きていくこと”そのものから遠ざかっていく状態だった。



ノクス(ベルたちは……無事に隠れ家に戻ったはずだ。心配する必要は、ない……)



ノクスは、心にふわりと浮かびかけた思考を引き戻し、視線を現実へと落とした。



ノクス「トーノ。周辺の地図、わかるか?」



声をかけると、トーノは「知識としては」と前置きしながら、地面の上に指を走らせる。

枯葉を払って、簡素ながらも的確な地図を描いていく。街道、河、森の縁。


その図をしばらく見つめ、ノクスは小さくうなずいた。



ノクス「……このまま森を抜けた先にある町を目指そう」



この森は静かだ。

魔物の気配もなく、陽光も差さず、気配を溶かしてくれるように感じる。

魔力も体力も、まだ回復しきってはいないノクスにとって、ここは隠れ蓑のような空間だった。



けれど、頭の隅には常に不安があった。


セラフ。


あのとき対峙した存在。

今すぐ追ってくる可能性は低いとしても、もし彼が気づけば?


トーノの中に、支脈の呪徒を束ねていた男――玄宰が“生きている”と。



ノクス(目立たぬように動くしかない。今はまだ、備える時だ)



ノクスは焚き火の残り火を見つめながら、静かに決意を新たにした。



目的の町にたどり着くまでには、少なくとも三日はかかると見積もられた。


トーノが描いた簡易地図と、ノクスの記憶を重ね合わせると、その町にはかつて何度か足を運んだことがあった。

訪れた、というには少し語弊がある。

実際は任務の途中、物資を補給し、最低限の休息を取るために立ち寄った場所だった。



町には蛇の法衣の支部がある。


だが、名ばかりのそれは辺境の片隅にひっそりと建ち、今では薬屋としての顔のほうが強く根付いている。

旅人や地元の者に薬草や治療具を分け、たまに魔力に関する相談を受けたりもする。

そんな、穏やかな支部だ。



“蛇の法衣”と聞けば、多くの者が眉をひそめる。

非人道的な実験、禁忌とされる術式、狂気に染まった研究者たち。

そうした印象がついてまわるのは、否定できない。だがその本質は――知識を渇望し、探究をやめぬ者たちの集まりだ。



ノクス(すべてが狂っていたわけじゃない。少なくとも、あの町の支部にいた者たちは……)



ノクスは歩きながら、視線を遠くにやった。

あの支部には顔見知りがいた。年の近い女――今も、そこで働いているのだろうか。


彼女にはかつて“カイル”という名で接していた。

もうその名を知る者はいない。死神に名前を預けたことで、彼女の記憶からもカイルは消えている。



ノクス(けれど……そこに、あの時の荷物が残っているなら)



ノクスは小さく息を吐いた。

かつての任務の合間に、「次に来るときまで」と預けたままの私物。


その荷物が、まだそこにある保証はない。

だがこの旅に役に立つものがあるはずだった。



ノクス「行く価値はある。あの町へ」



ノクスは呟くように言った。

その言葉に、隣を歩くトーノが振り向く。

何も問わなかった。けれど、その静かな眼差しはすでにすべてを理解しているようだった。

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