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※内容に変わりはありませんが、文章を整えました。
ここは風の街エルセリオ。
ここでは、季節を問わず絶え間なく風が吹きぬける。
通り抜けるのは風だけではなく、多くの旅人が一夜の宿と休息を求めて立ち寄る街だった。
その日も多くの人が行き交い賑やかな様子を見せていたが、街のざわめきが遠のいていく。
ラベンダー色の髪をした少女、彼女の名前はベル。
その歩みは静かで、風に溶けるようだった。
見慣れぬ髪色に視線を奪われ、会話を止めるもの。
静かに道を開けるもの。
彼女の足はその静寂の中、ある場所へまっすぐ進んでいく。
この街の中心に佇む塔――魔法ギルドの本拠。
その重厚な扉の前で、彼女は立ち止まる。
門の前に立っていた者が、息を呑み、震えた声で名前を問う。
彼もこの場所に立っているのならば魔法ギルドに属するもの。
彼女から感じる異質な魔力が彼の声を震わせていた。
ベルは、目を伏せたまま穏やかに答える。
ベル「……あなたは初めて会うわね、私の名はベルよ」
その声は低く柔らかく、どこか哀しみを帯びていた。
耳に残るのに、まるで遠い夢のような響き。
そこへ風が吹き込み、重い扉が静かに開く。
その風はこの塔の主が彼女を招き入れようとしていることを示していた。
「失礼いたしました、中へどうぞ」
一礼と共に道が開かれる。
ベルは一歩ずつ、塔の中へと入っていった。
重力を忘れたような静けさの中、彼女は階段を上がっていく。
魔法の風が渦巻いていても、その身は微塵も揺らがない。
そして―― 風の音が変わる。懐かしい気配が、空間を満たしていく。
扉が音もなく開いた。
「久しぶりね。ベル」
銀髪の女が、柔らかく微笑んでいた。
蒼銀の衣をまとい、凛とした気配を纏った魔術師――エラヴィア・セリスフィア。
透き通るような肌に、細く長い耳が覗いている。
千年を超えて生きる古のエルフにして、大陸でも名を知られる高位の魔導士。
その佇まいには、歳月を知る者特有の威厳と、穏やかで包み込むような静けさがあった。
ベルは彼女を見つめ、微笑む。
目の前の姿は昔と変わらず、その声と気配が確かに、懐かしかった。
かつて、二人は共に旅をした。
幾つもの街を巡り、魔導書を探して廃都をさまよい、星の眠る山脈を越えた日々。
長い時を生きる者同士の、決して多くは語らなかった旅の記憶。
ベル「……エラヴィア、あなたも変わらないわね。けれど、時の重ね方は少し穏やかになったようね。
それにすっかり魔法ギルドの長という立場が馴染んでいるわ」
エラヴィア「そう言ってもらえて嬉しいわ。今の私の存在は、全てベルのおかげよ。
私の魔法の礎は、全部……あなたと過ごした旅にあるもの」
ベルは小さく、息を吐くように笑った。
ベル「そう言われると、少し照れるわね」
エラヴィア「あなたを照れさせる事が出来て、光栄よ」
ベル「あなたも言うようになったわね」
そして、少しだけ瞳の色を深めて、言葉を続けた。
ベル「けれど……今は、穏やかなままではいられない。私を魔物の贄にしようとした結果、一つの街が焼け落ちたわ」
エラヴィア「……」
ベル「大したことではないの。魔物は私を恐れて去ったわ、そして街を襲っただけ、いつものことよ」
エラヴィアは息を呑み、目を伏せた。
ベル「誰かが、古い記録を探っているように思えるの。祝福のことも、私の名も。
だから、来たの。あなたの風と目を、貸してほしい」
その声には、力強さも、切実さもない。
ただ静かに、命の水脈をなぞるような真実だけがあった。
エラヴィアは、しばらく黙って彼女を見つめ――やがて、ゆっくりと頷いた。
エラヴィア「……もちろんよ。あなたのために出来ることがあれば、私は何も惜しまないわ」
ベルは目を細め、わずかに微笑む。
ベル「ありがとう、エラヴィア」
そしてベルはエラヴィアに近寄りその手を握る。
エラヴィア「珍しいわね、ベル」
ベルの行動に微笑むエラヴィア。
ベル「人の温もりって、時々……忘れそうになるから」
ベルのその手に温もりはなかった。
だがエラヴィアは戸惑うことなくその手を握り返した。