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4-21

風のない、重たく静かな夕暮れだった。


ミィナは、エラヴィアの隠れ家の庭にしゃがみこみ、摘んだばかりの薬草をかごに移しながら、何度目かの溜息をついた。



ミィナ「ベル……いつ、戻ってくるのかな」



ぽつりとこぼれた声は、誰に向けたものでもなく、空に消えるだけの風音だった。



数日前の朝。

エラヴィアが現れ、ベルを風の街の塔、魔法ギルドへと連れて行った。


「呪いの糸について、少し気になることがある」と、エラヴィアは言っていた。



ミィナ「ベル、ミィナも一緒に行こうか?」


ベル「大丈夫。エラヴィアの塔には何度も行ったことがあるから、ミィナは待っていて」




そう言って笑った少女の背を、今もはっきりと覚えている。



ミィナは軽く首を振る。

何度考えても、胸の奥にしこりのように残る違和感が拭えない。



――どうして、何の連絡もないの?



エラヴィアの性格はよく知っている。

ベルを守ろうとする想いも、決して偽りではないと信じている。


でも、それだけじゃない何かがある。

言葉にならない不安が、胸の内でじくじくと疼く。



ミィナ「……もしかして、ミィナ、置いてかれちゃったのかな」



そう口にしたとたん、自分でもおかしくて、ふっと苦笑が漏れた。



自分はただの薬師だ。

奇跡のような魔力もなければ、死神や神に抗う力もない。

けれど、それでも。



ミィナ「ノクスを迎えにいくって決めたんだもん。ベルと一緒に」



その想いが、今は心の中で静かに震えていた。

だからこそ、今の沈黙が怖い。



ミィナは隠れ家の庭の片隅に設置された転移魔法陣に目をやる。

ひとつはこの木の上に築かれた隠れ家と地上を結ぶもの。

もうひとつは、エラヴィアの部屋とつながっていると聞いている。



けれど、ミィナが使えるのは地上への転移陣だけ。

塔へ向かうためには、歩いて風の街エルセリオへ向かわなければならない。



ミィナはエルセリオの場所を知っている。

この森に来る前、何度か訪れたこともあった。



でも。



ミィナ「……待ってて、って言われたし」



ベルの言葉が、心に引っかかる。

あの子と入れ違ってしまうかもしれない、そんな想像だけで、脚が前に出なかった。

そしてこの場に戻るかも知れないノクスの顔が浮かぶ。



風が、ひとすじ。

葉を揺らし、ミィナの頬をかすめた。



胸の奥に灯る小さな不安は、まだ言葉にならないまま、彼女の心に根を張っていた。



摘んだ薬草をかごに収めると、ミィナはふと手を止めて、夕空を見上げた。

茜に染まりかけた雲の切れ間から、一筋の光が静かに差している。



ミィナ「……ノクス、今どこにいるんだろうね」



誰にともなく呟いたその名前は、風に乗って遠くへ消えていった。



ふいに、記憶が浮かぶ。




──初めて二人が隠れ家に来た日のあの夕暮れ。



ミィナ「ノクス・アスフォデルム……うん、いい名前だね!」



嬉しそうにその響きを反芻し、目を輝かせてそう言った自分。



ミィナ「ノクスは“夜”、アスフォデルは冥界に咲く花。そしてエルムは“守り”の象徴。

夜を照らす冥界の花を守る、静かで強い道標みたい!

君の名前自体が、まるで物語みたいだね!」



少し驚いたように、ノクスは言った。



ノクス「……君、意外と博識なんだな」



ちょうどそのとき――空が茜色に染まりはじめていた。

風が少し冷たくなり、日中の陽気が嘘のように引いていく。

森の上に広がる広大な空が、まるで液体のように、ゆっくりとオレンジから紅へと溶けていくその光景は――

言葉を忘れるほど、美しかった。



ミィナ「ね、見て見て。夕焼け、すごくきれいだよ」



ミィナが隣に並んで、ノクスと同じ方向を見上げる。



ミィナ「秋になるとね、ミィナの毛の色も紅葉みたいに変わるんだよ。この夕焼けと、同じ色合いになるの。すごいでしょ?」



得意げに微笑むミィナを見て、ノクスはふっと笑みをこぼしていた。



ノクス「それは……見てみたいな」



ミィナ「ふふーん、楽しみにしてて!」


しばし、ふたりの間に静けさが流れる。

聞こえるのは風の音と、遠くで鳥が巣に戻る羽音だけ――。



──本当に、あの時間は穏やかだった。



ベルとノクスが、そばにいて笑っていた。

森の中で死神の揺り籠で眠る二人を見守り続けたミィナにとっては、二人と実際に過ごした時間は短くても長い時をともに過ごしたように感じた。


ミィナは、深く息を吸い込んだ。

草の香り、夕方の空気、すべてがノクスと過ごしたあのひとときを思い起こさせる。



ミィナ(……ノクス、すごく無茶をしたんだろうな)



エン=ザライアでの出来事。

ノクスが魔物の群れと戦いながらも、ベルを守るために前へ出続けた姿が、ナヴィの言葉から浮かんでくる。



ベルは不死の少女。

エラヴィアは風の塔の賢者。

ナヴィは蒼風の守り手の筆頭。



ノクスは、ミィナと同じ“普通”の存在だった。

けれど、その誰よりも勇敢に、何度も戦っていた。



ミィナは草の葉を一枚、そっとちぎって手のひらに乗せる。

光に透けたその葉を見つめながら、そっとつぶやいた。



ミィナ「ねえ、ノクス……ベルが、まだ戻ってこないの……ミィナ、どうすればいいかな」




その問いかけは、風に溶けて消えていく。


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